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第七章

 二人は見慣れた街の狂おしい喧騒を横切り、少し外れた路地へ入って行った。繁華街などというものは虚飾の世界であり、一皮むけばうら寂れた路地が両脇に雑草を生やして這いつくばっているものである。

「どこへ行く気だい?」

良輔はひたすら前進し続ける英治の背中に問いかけた。英治の頼りない背中は、しかし毅然とした力に満ちているのであった。

「ゆっくりお話しできる場所ですよ」

英治はよほど決意を固めているようである。言葉に淀みがない。良輔はもう何も問うまいと心に決めた。

 二十分ほど歩き続けてふと気がつくと、良輔や英治の出身大学のそばまで来ていた。二人ともこの大学出身であることは初対面の日に分かったことである。良輔が学生だった頃と比べて街の景観は大分変ったが、何か懐かしい気がした。学生で賑わう街の匂い。獣の、ある種性的な匂いは何も変わっていなかった。尤も、こんな匂いが良輔は苦手だった。自分の空虚な学生時代を思い起こしてしまうからである。だがそんな思いがすぐさま孤独に転じたあのころと比べて、今は寄りすがる人がいる。良輔は何度か英治の背中に助けを求めたいような心情に襲われた。

「着きましたよ。ここです」

狭い路地の歩道で白い建物を指さす英治は初めてこちらを振り向いた。丁度通りすがった車のヘッドライトの明かりが二人を掃いた。板葺きの白い外壁と赤い屋根というペンションの様な建物は大分年季が入っており、どうやら学生相手の安宿らしかった。洒落たバーにでも連れて行かれるのかと予想していた良輔には、その落差はあまりにも激しかった。

「学生時代、よくここに来ていたんです」

英治は声のトーンを心持ち落とし、懐かしむような目で言った。

「友達と?」

「いいえ、一人です」

「一人?大分変った趣味を持っているんだね?」

半ばからかうようにして、良輔は言った。が、英治は神妙な顔つきで語った。

「あの頃は家にいるのも学校に行くのも嫌で、ここで一日過ごしていたんです。尤も今だってそれほど変わっちゃいませんが…」

そこで良輔にもようやくここに連れてこられた意味が理解された。自己の孤独な内面世界の充溢する空間で、そこでしか語れない事を英治は語ろうとしているのであろう。

「まあ、続きは中で聞こうか」

二人はその空間に踏み入れた。

 中に入ってみると、意外にも内装は小奇麗であった。借りた部屋も小ざっぱりとして、ビジネスホテルの一室と殆ど変らない。床には白と黒の縞模様の絨毯が敷き詰められ、部屋の奥には小さな机が一つ、それからシングルベッドが一つという飾り気の無い部屋である。が、仄明るい橙色の照明が部屋全体を包み込んでいるせいか、素朴な部屋の造りが一つの調和を成していて、妙に居心地がよい。白い格子の出窓はガラスが煤けて、夜の街の無機質な光をぼかしていた。

「良い部屋だね。確かにここなら一日いても悪くない」

良輔はベッドの縁に腰かけて言った。

「ええ、学生時代はここで本を読んだり、詩を書いたり、あるいは何もせずに時間を過ごしていたんです。寂しいと思うでしょう?でも僕はそんな時間が好きだったんです。出来ればずっとそうしていたかった」

良輔は黙っていた。ここで英治が人知れず精神世界を育む姿を想像していたのである。良輔にとっても、確かにそれは哀れな姿ではなかった。真に自分の生を生きる、いじらしいまでの若者の執念であった。事実、英治はその回顧を慈しむようにして語っていた。良輔はこみ上げる微笑を天井に向け、ベッドに仰向けに倒れた。

「まあ、聞いててやるからさ。思いつくままに言ってごらんよ。それと」

良輔は立ちすくむ英治を見上げた。

「敬語はなしにしよう。こっから先はさ」

二人はその晩、自らの鬱屈した精神の羽を伸ばすように語り合った。光彩陸離たる言葉が遠慮なくその場を飛び交った。奥さんが待っているのでは?両親が心配するのでは?明日の仕事は?これからどうすべきか?こうした迷いごとを二人とも決して口にしなかった。なぜならこの空間はそういった外界の些事を二人から遮断していたからである。幾千年も屍を守り続けるピラミッドの様に。二人はもはやこの世の生ける屍であった。しかも屍と化すことによってのみ本人達は生きられたのだ!

果たして二人はここで心中すべきであっただろうか?しかし二人は生きようとしていた。互いに二人ならばこの荒涼とした世界を生きられる気がした。思えば自殺とは生命と引き換えに全てが赦される自己破産の様な手続きである。二人はしかしそれをしなかった。この意味で二人の選んだ道は自殺よりも破滅的な道であったと言える。

ともかく二人はこうして疎外を得た。疎外とは時に手を伸ばして求められることもあるようである。


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