最終章
それからどれくらいの月日が流れたであろう。時の流れは全てを洗い流してしまうもので、良輔と英治の逃走劇は人々の心にはもはや実感を持った記憶としては残されておらず、何かの標本の様に干涸びて動かぬただの事象として残されるのみとなっていた。
良輔は一人、とある孤島に来ていた。アメリカ領ヴァージン諸島の中で最も南に位置する、セントクロイ島。その北側にある小さな島、バックアイランド。英治がいつか行きたいと言っていた、美しい海のある再会の地である。日本からニューヨーク経由で飛行機を乗り継ぎ、ほぼ丸一日かけて遥々やって来た。今回は真弓や家族にも了承を得ている。
噂に違わぬどこまでも透き通った海、美しく湾曲した海岸線、海の底に揺らぐ珊瑚礁。浅瀬にはシュノーケリングを楽しむ人々が散見される。色鮮やかなトロピカルフィッシュが見えるのだろうか。良輔は暫し、生まれたままの風の匂いに身を浸していた。
(再会の地か…)
良輔は木陰に英治への言葉を綴ったノートを置き、その上に英治と分かち合った貝殻を乗せた。
(英治…)
ノートは風に小口を捲られる。貝殻が転がって、ノートの脇に落ちた。
(ずっと一緒だよ)
踵を返して、帰路を辿ろうとした時である。
(良さん…)
英治の声はどこからとも無く良輔に向かって語りかけた。そこで良輔は初めて夥しい涙を流した。異国の地、再会の地、涙は滂沱…。良輔は暫くそこを離れられずにいた。
*
一つの尊い命を犠牲にしてしまったとは言え、こんな話は退廃とは到底言えぬであろう。従って我々はその小さな生命が生まれ落ちた瞬間の、言わば産声を耳にした、とでも捉えておくべきかも知れない。
最後までお読みいただきありがとうございました。