【投函された手紙】
五月某日。一ヶ月前までは浮ついて、勝手が分からないとでも言うようにしていた新入生も、部活や委員会が決まり初々しさが無くなってきた頃。
その手紙はひっそりと投函されていた。
「久々じゃないっすか。相談が来たのって」
「そうだね、長期休みも含めて約三ヶ月ぶりってところかな。腕が鈍ってないといいけど」
「大丈夫でしょう、無明先輩じゃ」
俺はそう言って、机の上に置かれた手紙にもう一度目を通す。
『初めてまして。私は三年の遠野江と言います。
今回、風紀委員会に手紙を送ったのは、うさぎ人形の意味と、それを作った人を探してほしいからです。うさぎ人形は私が勝手に付けた名前ですが、みなさんも今朝の騒動があったのでご存じだと思います。ロッカーに置かれていた不気味なうさぎのぬいぐるみのことです。
私のクラスだけじゃなく、学校の生徒たちもみんな不気味がっています。どうか、うさぎ人形の意味を解明してください』
改めて内容を確認した俺は、その厄介さに眉根を寄せた。
「…どう思います? 無明先輩」
俺はチラリと、隣で同じように手紙に目を通していた無明先輩に聞く。肩にかからない程度のストレートヘアに、左目を遮らずに中央から片耳にかけて分けられた前髪とは反対に、右目を覆うほど伸びたもう半分の前髪からは、今のように影を落とした瞳が垣間見える。その瞳をそれとなく見下ろしていると、先輩はいつも通り口角をあげて言う。
「どうもこうも無いよ。相談が来たからには解決するのが私たちの委員会活動だろう? そんな面倒臭そうな顔をしていたら、来るべき相談も来なくなってしまうよ」
俺は意表を突かれ、動きが固まった。無明先輩の言う通り、内心では面倒な相談が来たとため息をついていたが、まさかそれがバレていたとは。案外顔に出やすい性格だったのかもしれない。いや、それ以上にこの人には嘘も誤魔化しも通用しないような、ただそれだけな気もするが。
折丘高校風紀委員会。ここでの風紀委員会は生徒の悩みを聞き、解決する事が委員会活動となっている。
一年の頃、やりたい部活も見つからず放課後に暇を持て余していた俺に声をかけてきたのが当時二年生だった無明先輩だ。その理由は至って単純、委員会に入ってほしいからだそうだ。特にやる事も無かった俺は、暇つぶし程度にしか考えておらず、ぼんやりとした気持ちで首を縦に振ってしまったのだった。
「それにしても、本当に孤塚君が入ってくれて助かったよ。これで何とか風紀委員会は存続していける」
「そんな状況になってるんなら、他の委員会みたいに各クラス一人ずつ強制にすればいいじゃないっすか」
「“人数の確保“という目的ではそれでいいんだけどね、そうするといい加減な人が仕事をする事になる。私はそれが嫌なんだ。だったら、この委員会に入りたいって思っている人だけを委員にするべきだ。例え、そのせいで人数が少なくなろうともね」
いつも飄々としていて掴みどころの無い先輩の表情は、この時だけはとても真剣なものだった。これが彼女の本心なのだと俺でも分かるくらいに。
だったらなぜ、俺を委員会に誘ったのだろうか。そこが疑問に残る。
「さて、無駄話をしている暇はないよ。まずはこの手紙にも書かれている『うさぎ人形』を調べないと」
降って湧いた疑問にピリオドを打つように、先輩の声が頭に響いた。
「調べるってどうやるんすか。今朝、各クラスの先生が回収したんじゃ……」
「ふふふ。こんな事もあろうかと、先生方が回収する前に教室にあった一体を私が回収しておいた」
まるでこの手紙が来る事を予想でもしていたかのような用意周到さだ。無明先輩はドアの近くに置いた鞄の中から、何かが入ったビニール袋を取り出した。その中には、今朝見た物と同様の『うさぎ人形』が入っていた。
「よくバレませんでしたね。匂いとかで気づかれなかったんすか」
「奥の方にしまっておいたからね。少しは匂ったかもしれないけど、とりあえずは大丈夫だったよ。現に、こうして回収に成功しているわけだし」
無明先輩はビニール袋の縛られている口の部分を解き、うさぎ人形を取り出す。すると、先ほどまでほんのり香っていただけだった匂いが、一気に鼻の奥まで突き抜ける。
うさぎ人形の腹の部分にかかった──チョコレートの甘い匂いが。
それは今朝の事だった。寝つきが悪く、寝不足だった俺は学校に着くなり、いつも以上にうるさい廊下を歩き、騒いでるやつを睨みつけた。だがそいつらは俺のことなど目もくれず、興奮したように会話を続けていた。その態度すら癪に触った俺は一層目つきが悪くなりつつあったが、教室でそれを見た途端、それらのことが一瞬でどうでも良くなった。
教室ではクラスの連中が後ろにあるロッカーに集まって、何かを見ながら騒いでいた。俺は興味本位でその視線の先にあるものを見に行った。すると、そこには腹を割かれ、飛び出ている綿を覆うようにチョコレートをかけられたうさぎのぬいぐるみが二体置いてあった。それらはまるで、腹から血でも流しているようにも感じられた。異様な光景のなかで漂う甘いチョコレートの匂いが、より一層人形の不気味さを際立たせていた。
その後、朝のホームルームが終わると先生はロッカーにあるうさぎ人形を回収していた。これを置いた者は正直に申し出ること、と言葉を残して。
「…にしても、何で製作者はこれにチョコレートをかけようと思ったんだろうね。きっと、この人形には意味があるのだろうけど、その意味の一旦を担っているのが”チョコレート”なのか、それともチョコレートがかかってる”状態”の事なのか……」
確かに、無明先輩の言う通り、この人形自体に意味はあるのだろう。でなければ、こんな面倒な仕掛けをしようなどと考えつかない。しかも全クラスに。
「……なんか、死体みたいっすよね。これ」
小説やアニメの見過ぎだと言われてしまうだろうが、そう思わずにはいられない見た目をしているのだから、仕方がない。
「ハサミかナイフのような刃物で裂かれたであろうお腹から飛び出ている綿、それを覆い被さるようにかけられたチョコ。このうさぎを人と例えるなら、腹から血を流した人に見える、という事かな?」
気恥ずかしいような気持ちも抱えつつ、無明先輩の説明に軽く頷く。
「……その線でいくなら、この学校で怪我人が出ると暗示しているかのようにも思える」
「え……」
もし、その怪我人の数を暗示しているのがこのうさぎ人形だとすれば、多くの怪我人が予想される。俺は背中にヒヤリとしたものを感じた。
「冗談、っすよね」
「うん。これは君の想像に私の解釈を交えた結果の推論でしかない」
「……」
だとしても、もしその推測が当たっていたら。久しぶりの相談がまさか大事になるかもしれない、そう思うと途端に落ち着かなくなった。
「ま、その推測が当たっているいないにしても、とりあえずこの手紙を書いた張本人に話を聞いてみよう」
無明先輩はそう言って机の上から手紙を取り、背を向けた。どうやら今から向かうらしい。
「えっでも先輩、それっていいんすか? 手紙のルールに反するんじゃ」
この風紀委員会に手紙を送る時は、名前を記入しなくても良いということになっている。そして俺たち委員には手紙を出した相手について詮索しない事が約束事とされている。その事を思い出した俺は慌てて先輩を止めようとする。だが、先輩は何の心配事など無いとでも言うように、振り返った。
「大丈夫。君が危惧しているのは、名前が書いてなかった場合だ。今回は学年まで記入されてる。ってことは、訪ねられても問題はないってことだ」
「そ、そういうもんっすかね……」
「少なくとも私はそう解釈しているよ。でもそうでもしないと一向に進展がないままだからね、多少の強行はやむを得ないよ」
その多少はどこまでが範囲なのだろう、と苦笑いをしたことは黙っておくことに決めた。
そして俺たちは美術部へ向かった。
放課後という事もあって、美術部員が黙々と作業している美術室は静まり返っていた。美術室に染みついた独特の匂いは、美術部員が現在進行形で使っている絵の具の匂いと混じってさらに濃く鼻の奥をつく。
部活中の遠野江を呼び出し、俺たちは美術室のドアを背景に話を聞く。
「あなたが遠野江さん?」
「は、はい……そうですけど」
美術部所属、三年生の遠野江美子。癖っ毛なのか、所々跳ねたショートヘアーは目にかかりそうな程に伸びている。赤縁眼鏡のレンズから見える瞳は萎縮したように目が泳いでいる。
「初めまして。私は三年の無明、こっちは」
「二年の孤塚です」
「は、初めまして……三年の遠野江です」
「今日は相談をくれた手紙の事について少し聞きたいことがありまして」
「手紙……ってことは、風紀委員会の」
「ええ」
先輩はにこりと微笑みながら話を進める。流れに身を任せるまま、俺はその会話を聞いていた。
「それで……聞きたいことって?」
「いやあ、お恥ずかしい話。私たちも警察って言うわけでもないので、推理力も乏しければ、うさぎ人形を持ってるわけでも無いんですよ。だからわざわざ、こうして相談してくれたあなたの心当たりを聞こうと思って」
うさぎ人形を持っていないと平然に嘘をつく先輩を横目に見つつ、俺は遠野江の反応を見る。ウロウロと視線を彷徨わせ、手を握ったりさすったりしている。
「心あたりと言われても……私だってあれがどう言うものなのか分からないのが不気味で、こうして相談をしたんですよ。だから、心当たりと言われても」
「そうは言ってもね? 遠野江さん以外にいないんですよ。私たち委員会に手紙を出した人」
その言葉に、遠野江は微かに目を丸くしたように見えた。
まあ、驚きはするだろう。何せ、本当に一通もきていないのだから。
回収したうさぎ人形は、今も──風紀委員会が専用に使わせていもらっている──相談室にある。俺自身あのうさぎ人形を不気味だとは思ったが、手の込んだイタズラをしたなとしか思わなかった。遠野江以外にもうさぎ人形を不気味に思ったやつはいる事だろう。だが遠野江以外、そう言った相談事を持ち込んでいないのは事実。きっと先輩はその事に目を付けたんだろう。
──なぜ、あなたはそこまでうさぎ人形にこだわるのかと。
「……遠野江さん、心当たりは?」
「……」
再び先輩は問う。遠野江を見据える無明先輩の目は、まるで獲物を追う目付きだ。この人はたまに本当恐ろしく思える。飄々としていて読めない笑顔で誤魔化しているが、その実瞳はいつも笑っていない。
遠野江は肩をすくめ、目を背けた。この笑顔で問い詰められれば俺だって萎縮しちまうかもしれない。でも今回ばかりはそれだけではないような気がした。彼女の沈黙は“答えることがない“という意味ではなく、“答えたくない“ように思えたから。
「──えみこ! ちょっといい?」
ドアから美術部員らしい一人の女子生徒が顔を覗かせる。今までの緊迫した雰囲気がサッと晴れ、肩の荷が降りたような感覚に陥る。どうやら俺も、無自覚のうちに体が強張ってしまっていたらしい。
「すみません。呼ばれてしまったので、今日はこれで」
「はーい。ご協力ありがとうございました」
タイミングが良いとでも言うように、遠野江は軽く頭を下げて美術室に消えていった。
誰もいなくなり静まり返った廊下で、ニコニコと微笑む無明先輩に気まずさを感じ、話しかけようと口を開く。だが、それは無明先輩の突飛な言葉に遮られた。
「あー、そっか。とおのえ、みこ……とおの、えみこ。なるほどねえ」
「……あの、先輩?」
頭でも打ったのかと思った。それほどまでに突飛で、明るい声音だった。まるで全てを納得したかのように軽々しいものだった。
「いやー、気になったんだよね。彼女の苗字って『遠野江』でしょ? でもあの子は遠野江のことを『えみこ』と呼んだ。何でだろうなーって。ああすっきりしたよ。ふふ、日本語って面白いねぇ」
「──そうじゃなくて!!」
廊下に俺の声が反響した。ワンワンと波打って、次第にその声は環境音となって消えていった。遠野絵のあだ名の意味なんて、今は関係ないことだ。
だが、らしくないことをしたと思ったのも事実。先輩は目を見開いて俺を見ている。たちまち気まずくなって、俺は先輩から視線を逸らして、俯きざまに廊下の奥を見つめた。
「……ど、どうするんすか。遠野江からまともな話聞けなかったし。まあ怪しかったっちゃあ怪しかったっすけど」
「根拠は?」
「……はい?」
「だーかーらー、根拠は? 君が遠野江を怪しいと思った根拠」
先輩の声音は俺を問いただすわけでも同意しているわけでもなく、かえってその態度に俺は思わず先ほどまでの気まずさを忘れ、勢いよく顔を上げてしまった。
「いや、根拠って……先輩も感じませんでした!? 明らか何か隠してたでしょう!」
「それは君の感覚だろう? 感覚で人を疑っていいのは警察くらいだ。素人の私たちのする事じゃない。彼女がいくら怪しくても、それを証明する手立てがないんじゃ意味がない」
ピシリと人差し指を向けられた俺は、その指先を見つめて言い淀んだ。返す言葉が見つからなかったからだ。
「君が珍しくムキになってくれて嬉しいけど、人を疑うにはそれなりの根拠がいる。それが本当に正しいのか、自分の求める答えなのか。まあそれは、答えを求めなければならない全ての行為において当てはまる事だけど。結局、それが有耶無耶なまま突っ走って、痛い目を見るのも見させられるのも、もうごめんなんだ」
もう、ということは今まで似たようなことがあったのだろうか。俺はこの瞬間、今見ている先輩が少しだけ人間らしい表情をしているように思えた。
「私はね、君のその頭の柔軟さを買っているんだよ。君を勧誘したあの時から。だから今回も期待しているよ。頑張って、悩める人を助けようじゃないか」
そう言って先輩は踵を返し、背を向ける。今日はこれで活動は終わりらしい。気づけば夕日が廊下を照らしていて、下校時間の放送が校内に響いていた。
「あ、そうだ」
夕日に照らされたまま、先輩はその場に立ち止まる。今度は振り返ることなく言った。
「考え事をしていたとしても、“先輩”は、敬いなさい」
は? と意味が分からなかった俺は、手を振りながら去っていく先輩の背を見ることしかできなかった。きっと先輩は変わらず笑っているんだろうとふいに思いながら。
「あ」
はたと思った。考え事、先輩、敬う、俺はそれらの単語で自分の言動を思い返した。気づいた瞬間、俺はブハッと吹き出した。
「気をつけますよ、次に遠野江“先輩”に会う時は」
はあ……と呼吸を整えて直し、俺は帰るかと零して階段を降りていった。




