第四話 異世界召喚
バルトハイムでの生活が始まって、一週間が経った。
桐生は、毎日都市の点検巡回を行っていた。
魔導炉は修理中。上水道は清掃完了。下水道は魔獣の死骸を撤去し、通水を確認。
まだまだ問題は山積みだが、最悪の事態は回避できている。
その日の朝、桐生は城の書庫にいた。
この世界のことを、もっと知る必要がある。
文字は読めた。召喚の魔法に、言語翻訳の効果が含まれていたらしい。話すことも、聞くことも、読むことも、すべて問題ない。
桐生は、この都市の歴史を記した書物を読んでいた。
バルトハイムは、約二百年前に建設された城塞都市だ。
当時、この地域は魔獣の脅威にさらされており、人々が安全に暮らせる場所が必要だった。
初代領主アルテシアが、この地に城を築き、魔導炉を設置し、都市の基盤を整えた。
以来、アルテシア家がこの地を治め、現在に至る。
リーネは、その七代目の当主だ。
先代領主——リーネの父——は、三ヶ月前に急逝した。
病だったという。
だが、書物には詳細が記されていない。
何か、隠されていることがあるのかもしれない。
「熱心ですね」
声がして、桐生は顔を上げた。
リーネが、書庫の入り口に立っていた。
「少し、この世界のことを勉強しようと思って」
「良いことです。知識は力ですから」
リーネは、桐生の向かいに座った。
「何か、お聞きになりたいことは」
「いくつか」
桐生は、手元の書物を示した。
「この召喚の儀式について。俺は、どういう経緯で選ばれたんです」
「それは……」
リーネは、少し言い淀んだ。
「正直に申し上げると、私にもわかりません」
「わからない?」
「召喚の儀式は、古代から伝わる秘術です。特定の条件が揃ったときにのみ発動し、『この地を救う力を持つ者』を異界から呼び寄せます。ですが、誰が選ばれるかは、神々の御心次第。私たちには、予測も制御もできません」
「つまり、ランダムに選ばれた、と」
「そうとも言えます。ですが、神々は無作為に選んだりしません。あなたがこの地に召喚されたのは、あなたに『この地を救う力』があるからです」
施設管理の力が。
桐生は、苦笑した。
神々が選んだ救世主が、ビルメンとは。
どういう基準で選んでいるのか、聞いてみたいものだ。
「もう一つ。敵国について」
「敵国……ガルディア帝国のことですか」
「はい。この都市は、帝国との国境に近いと聞きました」
リーネの表情が、わずかに曇った。
「その通りです。バルトハイムは、王国の西端に位置しています。国境を挟んで、西にはガルディア帝国があります」
「戦争は」
「今のところ、大きな衝突はありません。ですが、小競り合いは絶えません。帝国は、常にこの地を狙っています」
「なぜ」
「資源です。この地域には、魔石の鉱脈があります。魔導炉の燃料となる、貴重な資源です。帝国は、それを手に入れたいのです」
桐生は、頷いた。
資源を巡る争い。
元の世界でも、同じような紛争がいくつもある。
どの世界でも、人間のやることは変わらない。
「帝国は、どのような国ですか」
「『効率』を重視する国です」
リーネの声に、微かな棘があった。
「すべてを数値で管理し、無駄を排除する。人も、資源も、すべてが『コスト』として計算される。使えない者は切り捨てられ、有用な者だけが生き残る。そういう国です」
桐生は、黙ってその言葉を聞いていた。
効率。コスト。数値管理。
聞き覚えのある言葉だ。
黒崎が、よく使っていた言葉だ。
「……嫌な話ですね」
「はい。私も、そう思います」
リーネは、窓の外を見た。
「私の父は、そうではありませんでした。人を数字で見ることを嫌い、一人一人の声に耳を傾ける領主でした。だから、民に慕われていました。だから……」
リーネは、言葉を切った。
何かを、言いかけて、やめた。
桐生は、それ以上追求しなかった。
今は、その時ではない。
「お父上のことは、残念でした」
「ありがとうございます」
リーネは、小さく微笑んだ。
だが、その微笑みには、どこか寂しさが滲んでいた。
その日の午後、桐生は城の外に出た。
都市の全体像を把握するために、高い場所から眺めてみようと思ったのだ。
城壁の上に登ると、バルトハイムの全景が見渡せた。
城を中心に、同心円状に広がる街並み。
内側には商業地区、外側には住宅地区、さらに外側には農業地区。
城壁の外には、森と山々が広がっている。
規模は、元の世界の中規模都市ほどだろうか。
人口は、数万人といったところか。
だが、桐生の目は、別のものを見ていた。
都市のあちこちに、スキルが反応している。
黄色、黄色、赤、黄色、赤……。
異常箇所が、視界の中に点在している。
「全部赤信号だ」
桐生は、思わず呟いた。
この都市のインフラは、想像以上にボロボロだ。
魔導炉だけではない。
城壁のあちこちに亀裂が入っている。
水路には詰まりがある。
建物の屋根には穴が開いている。
どれも、すぐに致命的な事態にはならないかもしれない。
だが、放置すれば、いずれ大きな問題になる。
一つ一つ、潰していくしかない。
桐生は、点検表を取り出し、異常箇所の位置を書き込み始めた。
北側城壁、第三塔付近、亀裂あり。
東側水路、第二分岐点、流量低下。
南側住宅地区、第五区画、屋根損傷多数。
書いても書いても、終わりが見えない。
これを全部直すのに、どれだけの時間がかかるだろう。
どれだけの人手と資材が必要だろう。
途方もない作業だ。
だが——。
やるしかない。
一つ一つ、地道に、確実に。
それが、施設管理の仕事だ。
桐生は、城壁を降り、次の点検箇所へ向かった。
夕方、桐生は城に戻り、その日の報告をまとめていた。
点検箇所、発見した異常、推奨する対策、優先順位。
元の世界と同じフォーマットで、報告書を作成する。
様式は大事だ。
誰が見ても分かるように、情報を整理する。
それが、仕事を引き継ぐ際の基本だ。
報告書を書き終えた頃、扉がノックされた。
「入れ」
扉が開き、一人の男が入ってきた。
五十代半ば、がっしりした体格、鋭い目つき。
傷だらけの顔には、歴戦の兵士の風格がある。
「ガルドと申します。警備隊長を務めております」
男は、短く自己紹介した。
「リーネ様から、新しい施設管理官殿に挨拶するよう言われまして」
「桐生です。よろしく」
桐生は、立ち上がって手を差し出した。
ガルドは、その手を力強く握った。
「噂は聞いております。魔導炉を止めた方だと。下水道で魔獣と戦った方だと」
「大したことはしていません」
「ご謙遜を。あの判断がなければ、今頃この都市は存在していなかった」
ガルドの目には、敬意が浮かんでいた。
傭兵上がりだというこの男は、実力を正当に評価する目を持っているようだ。
「警備隊長として、お伺いしたいことがあります」
「何を」
「城壁の状態です。私の部下たちが、最近、城壁の一部が崩れかけていると報告してきました。ですが、前任の施設管理官は、『問題ない』の一点張りで……」
桐生は、点検表を取り出した。
「北側城壁、第三塔付近。亀裂が三箇所。石材の劣化も進んでいる。早急な補修が必要です」
ガルドの目が、驚きに見開かれた。
「それは……今日、確認されたのですか」
「ああ」
「たった一日で……」
「点検は基本です。見れば分かる」
桐生は、淡々と言った。
ガルドは、しばらく桐生の顔を見つめていた。
そして、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。前任者には、何度言っても聞いてもらえなかった」
「これからは、俺に言ってくれ。気づいたことがあれば、何でも」
「はい。必ず」
ガルドが去った後、桐生は窓の外を見た。
日が沈みかけている。
橙色の光が、城下町を染めている。
この都市を守る。
その使命が、少しずつ現実のものとして、桐生の中に根を下ろし始めていた。




