第三十話 二つの哲学
停戦協議から一ヶ月が経った。
表面上は平穏だが、水面下では緊張が続いていた。
帝国軍は、東方戦線の準備を着々と進めている。
王国側も、防衛体制の強化を急いでいる。
いつ戦火が再燃してもおかしくない状況だった。
そんな中、桐生は自分の仕事を続けていた。
バルトハイムのインフラ整備。
避難民の受け入れ体制の強化。
そして、予防保全の考え方を、より多くの人に広めること。
ある日、桐生は技術班の全員を集めて、研修を行った。
「今日は、『予防保全』と『事後保全』の違いについて、改めて説明する」
桐生は、黒板に図を描いた。
「設備の維持管理には、大きく分けて二つの方法がある。一つは『事後保全』。壊れてから直す方法だ。もう一つは『予防保全』。壊れる前に直す方法だ」
技術班の面々は、真剣に聞いていた。
「事後保全のメリットは、短期的なコストが低いこと。壊れるまで使い続けるから、部品交換の回数が少ない。デメリットは、壊れた時の損失が大きいこと。予期せぬタイミングで壊れるから、対応が後手に回る」
桐生は、図に数字を書き加えた。
「予防保全のメリットは、壊れる前に対処できること。計画的に部品を交換するから、予期せぬ故障が減る。デメリットは、短期的なコストが高く見えること。まだ使える部品を交換するから、『無駄』に見える」
「でも、キリュウ殿は、予防保全を推奨されていますよね」
ハインリッヒが、質問した。
「ああ。なぜなら、長期的に見れば、予防保全の方がコストが低いからだ」
桐生は、新しい図を描いた。
「例えば、ある部品が壊れた場合、交換に必要なコストが100だとする。でも、壊れる前に計画的に交換すれば、コストは30で済む。なぜなら、壊れた時は周辺の部品も巻き込んで壊れるから、修理範囲が広がる。予防的に交換すれば、その部品だけで済む」
「三分の一ですか……」
「さらに、壊れた時の『ダウンタイム』、つまり設備が止まっている時間のコストを加えると、差はもっと大きくなる。設備が止まれば、生産ができない。サービスが提供できない。その損失は、計り知れない」
桐生は、技術班の全員を見回した。
「だから、俺は予防保全を推奨する。短期的には『無駄』に見えるかもしれない。でも、長期的には、確実に元が取れる。それが、予防の価値だ」
「……なるほど」
ハインリッヒは、深く頷いた。
「キリュウ殿の考え方は、本当に合理的ですね」
「合理的?」
「はい。前任者は『壊れるまで使え』と言っていました。それが『効率的』だと。でも、今思えば、それは短絡的な考えでした」
「そうだな。『効率』という言葉は、使い方次第で、正反対の意味になる」
桐生は、窓の外を見た。
「短期的な効率を追求すれば、予防は『無駄』に見える。長期的な効率を追求すれば、予防は『投資』になる。どちらの『効率』を取るかで、結果は大きく変わる」
「キリュウ殿は、長期的な効率を取る」
「ああ。俺は、『今』だけでなく、『未来』のことも考える。設備を百年先まで使えるように維持する。それが、俺の仕事だ」
技術班の面々は、桐生の言葉を噛みしめていた。
研修が終わった後——。
桐生は、一人で考え込んでいた。
今日、自分が話した内容は、黒崎の考え方と真っ向から対立するものだ。
黒崎は、短期的な効率を追求する。
自分は、長期的な効率を追求する。
どちらが正しいのか。
それは、この世界での戦いを通じて、証明されるだろう。
桐生は、拳を握りしめた。
負けるわけにはいかない。
自分の信念が正しいことを、この世界で証明してみせる。
それが、自分に課せられた使命だ。




