第二十七話 戦場でも点検を
帝国軍との小競り合いは、断続的に続いていた。
本格的な戦争には至っていないが、国境付近では緊張が高まっている。
バルトハイムも、防衛体制を強化する必要があった。
桐生は、軍事的な戦闘には参加しなかった。
彼は、兵士ではない。
だが、彼にしかできない仕事があった。
それは、「後方支援」だ。
「ガルド、防衛ラインの設備状況はどうだ」
桐生は、城壁の上から国境方面を見ながら尋ねた。
「はい。現在、三つの防衛拠点が稼働しています。ただ、一つの拠点で、井戸の水が枯れかけているという報告が——」
「井戸の水? 詳しく聞かせろ」
「第二拠点です。もともと水量が少ない井戸だったのですが、兵士が増えたことで、需要が供給を上回っているようです」
桐生は、地図を広げた。
「第二拠点は、ここだな。近くに、別の水源はないのか」
「川がありますが、そこまで水を運ぶのは大変です」
「川か……」
桐生は、考え込んだ。
水は、生存の基本だ。
水がなければ、兵士は戦えない。
戦闘力の問題ではなく、生理的な限界の問題だ。
「俺が第二拠点に行く」
「キリュウ殿が、ですか? 危険です。国境に近い場所ですよ」
「だからこそ、俺が行く。現場を見ないと、正確な判断はできない」
桐生は、準備を始めた。
「ガルド、護衛を手配してくれ。俺一人では、確かに危険だ」
「……わかりました。精鋭を付けます」
翌日——。
桐生は、第二拠点に到着した。
そこは、小高い丘の上に設けられた野戦陣地だった。
木製の柵と、簡易な塔で構成されている。
兵士たちは、疲弊した様子だった。
「施設管理官殿が、直接いらっしゃるとは……」
拠点の指揮官が、驚いた様子で出迎えた。
「水の問題があると聞いた。状況を見せてくれ」
「はい、こちらです」
指揮官に案内されて、桐生は井戸を確認した。
確かに、水位が低下している。
スキルを発動させると、井戸の地下構造が見えた。
「……なるほど」
「何かわかりましたか」
「この井戸は、帯水層が浅い。元々、大人数の需要には対応できない構造だ。今の使用量を続ければ、一週間以内に枯渇する」
「一週間……」
指揮官の顔が、青ざめた。
「代替案を考えるしかない。川から水を引くか、別の場所に井戸を掘るか」
桐生は、周囲を見回した。
そして、あるものに目を留めた。
「あれは、何だ」
桐生が指差したのは、丘の斜面にある岩の裂け目だった。
「ああ、あれですか。ただの岩の割れ目です。雨水が溜まることがありますが、大した量では——」
「待て」
桐生は、岩の裂け目に近づいた。
スキルを発動させる。
地下の構造が、見えた。
「……ここだ」
「え?」
「この岩の下に、地下水脈がある。今の井戸よりも、ずっと深い帯水層につながっている」
桐生は、地面に印をつけた。
「ここを掘れ。五メートルほど掘れば、水が出るはずだ」
「本当ですか!」
「俺のスキルを信じろ」
その日のうちに、兵士たちは新しい井戸の掘削を開始した。
桐生の指示通り、五メートルほど掘ったところで、水が噴き出した。
豊富な水量。
これなら、当面は問題ない。
「すごい……どうしてわかったのですか」
「経験と、勘だ」
桐生は、肩をすくめた。
本当はスキルのおかげだが、説明が面倒だ。
「これで水の問題は解決した。次は、衛生設備だ」
「衛生設備?」
「トイレの配置を見せろ。野戦とはいえ、衛生管理を怠れば、病気が蔓延する」
指揮官は、桐生の言葉に驚いた様子だった。
戦場で、トイレの配置を気にする人間など、見たことがなかったからだ。
だが、桐生にとっては当然のことだった。
「兵士が戦えるのは、水と食料と休息があるからだ。そして、病気にならないことが前提だ。衛生管理を怠れば、敵と戦う前に、病気で倒れる」
「……なるほど」
「戦争は、華々しい戦闘だけで決まるわけじゃない。地味な後方支援が、勝敗を左右する。それを忘れるな」
桐生は、拠点全体の設備を点検した。
トイレの位置、ゴミの処理方法、食料の保管場所、兵舎の換気——。
すべてにおいて、改善点を指摘した。
そして、改善のための具体的な手順を教えた。
「これだけやれば、当面は大丈夫だ。定期的に俺が点検に来る。それまで、この手順を守れ」
「はい。ありがとうございます」
指揮官は、深く頭を下げた。
「正直、施設管理官殿のことを、最初は軽く見ていました。戦場に来て、何ができるのかと」
「……」
「でも、今はわかります。あなたがいなければ、我々はすぐに行き詰まっていた。水がなくなり、病気が蔓延し、戦う前に敗北していた」
指揮官の目に、敬意が宿っていた。
「あなたは、目立たないところで、我々を支えてくれている。それは、剣を振るうことと同じくらい、いや、それ以上に重要なことです」
桐生は、小さく笑った。
「大げさだ。俺は、自分の仕事をしているだけだ」
「その『自分の仕事』を、きちんとやれる人は、ほとんどいません。だから、あなたは特別なのです」
桐生は、何も答えなかった。
ただ、次の点検項目に向かった。
自分は、特別なんかじゃない。
ただ、やるべきことをやっているだけだ。
それが、施設管理者の仕事だ。
戦場でも、どこでも、それは変わらない。




