第二十五話 効率という暴力
ガルディア帝国の軍営。
黒崎は、机の上に広げた地図を見つめていた。
東方戦線の状況図だ。
帝国軍の進出ルート、補給線、敵国の防衛拠点——すべてが、詳細に記されている。
「参謀総長閣下、お時間です」
副官が、声をかけた。
「わかった」
黒崎は、地図を畳み、会議室に向かった。
会議室には、師団長クラスの将官たちが集まっていた。
黒崎が入ると、全員が姿勢を正した。
「諸君、本日の議題は東方戦線の進軍計画だ」
黒崎は、新しい地図を広げた。
「現在、我が軍は国境付近で膠着状態にある。この状況を打開するため、新たな作戦を立案した」
将官たちが、身を乗り出した。
「作戦名は『雷撃』。主力部隊が正面から陽動を行い、その間に別働隊が敵の側面を突く。古典的な挟撃戦術だが、重要なのはタイミングだ」
黒崎は、地図上に矢印を描いた。
「陽動部隊は、敵の注意を引きつけることだけが任務だ。敵を深追いせず、最小限の戦力で最大限の威嚇を行う。その間に——」
「失礼します、閣下」
一人の将官が、手を挙げた。
ベルクマン将軍。五十代の老練な軍人で、実戦経験が豊富だ。
「何だ」
「陽動部隊の編成について、質問があります。この計画では、陽動に回される部隊は、補給が十分ではないように見えます」
「その通りだ」
黒崎は、平然と答えた。
「陽動部隊に、過剰な補給は必要ない。彼らの任務は、敵を引きつけることだけだ。三日間持てばいい。三日後には、別働隊が敵の側面を突き、戦況が変わる」
「しかし、三日間の戦闘で、陽動部隊の被害は——」
「想定内だ」
黒崎の声が、冷たくなった。
「戦争では、犠牲は避けられない。重要なのは、その犠牲が『効率的』かどうかだ。少数の犠牲で、大きな勝利を得る。それが、合理的な判断だ」
ベルクマンは、黙り込んだ。
他の将官たちも、何も言わなかった。
会議は、そのまま進行した。
黒崎の作戦は、承認された。
だが、ベルクマンの目には、暗い影が宿っていた。
会議が終わった後——。
ベルクマンは、自分の部下たちを集めた。
「今日の会議の内容は、聞いたな」
「はい。しかし、将軍……」
若い将校が、不安そうに言った。
「あの作戦で、我々の部隊は陽動に回されます。補給が不十分な状態で、三日間も敵と対峙するのは……」
「わかっている」
ベルクマンは、窓の外を見た。
「参謀総長閣下は、『効率』を重視される方だ。数字の上では、あの作戦は合理的だろう。だが……」
「だが?」
「戦争は、数字だけで動くものではない。士気、疲労、天候、偶発——計算できない要素が、いくらでもある」
ベルクマンは、溜息をついた。
「しかし、今の我々に、参謀総長閣下に逆らう力はない。従うしかあるまい」
「将軍……」
「心配するな。陽動部隊とはいえ、三日間なら持ちこたえられる。別働隊が成功すれば、我々の犠牲は報われる」
ベルクマンは、自分に言い聞かせるように言った。
だが、心のどこかで、嫌な予感がしていた。
数日後——。
作戦「雷撃」が発動した。
陽動部隊は、計画通りに敵を引きつけた。
敵軍は、陽動部隊を主力と誤認し、兵力を集中させた。
その間に、別働隊が敵の側面に回り込む。
計画は、順調に進んでいるように見えた。
だが——。
二日目の夜、予期せぬ事態が発生した。
陽動部隊の補給線が、敵のゲリラ部隊によって断たれたのだ。
「何だと!」
黒崎は、報告を聞いて顔を顰めた。
「敵のゲリラ部隊だと? 事前の情報には、なかったぞ」
「は、はい。どうやら、地元の抵抗勢力が帝国軍に敵対しているようで——」
「言い訳はいい。補給線を確保しろ。何としても」
「しかし、そのためには別働隊から兵力を割く必要が——」
「却下だ」
黒崎は、断言した。
「別働隊の作戦行動を優先する。陽動部隊は、補給なしで一日耐えろ」
「一日……」
「問題ないはずだ。計算では、一日分の予備は残っている」
黒崎の目には、冷たい光が宿っていた。
「作戦を変更する余裕はない。計画通りに実行しろ」
副官は、渋々ながら命令を伝達した。
三日目——。
作戦「雷撃」は、成功した。
別働隊が敵の側面を突き、敵軍は壊滅した。
帝国軍の勝利だった。
だが、その代償は大きかった。
陽動部隊は、補給が途絶えた状態で三日間戦い続けた。
その結果——。
三割の兵士が、命を落とした。
さらに二割が、負傷で戦闘不能になった。
ベルクマン将軍自身も、重傷を負い、前線から退いた。
「作戦は成功だ」
黒崎は、報告を聞いて淡々と言った。
「損害は想定内。いや、想定より少ないくらいだ。三日間で五割の損害なら、許容範囲だろう」
「しかし、参謀総長閣下……」
副官が、言いにくそうに言った。
「ベルクマン将軍の部下たちの間で、不満の声が……」
「不満?」
「はい。『参謀総長は、我々を捨て駒にした』と」
黒崎は、鼻で笑った。
「捨て駒? 馬鹿を言うな。彼らは、作戦の一部だ。彼らの犠牲によって、勝利を得た。それは、名誉なことだろう」
「しかし——」
「これ以上の議論は不要だ。次の作戦を立案する。下がれ」
副官は、黙って退出した。
一人になった黒崎は、窓の外を見た。
勝利した。
計算通りに。
自分のやり方は、正しかった。
だが——。
なぜだろう。
胸の奥に、何かが引っかかる。
ベルクマンの部下たちの「不満」。
そんなものは、無視すればいい。
彼らは、戦略を理解していないだけだ。
個人の感情よりも、全体の勝利を優先すべきだ。
それが、合理的な判断だ。
だが——。
桐生の顔が、脳裏をよぎった。
あの男は、こういう判断をしただろうか。
おそらく、しない。
彼は、「予防」を重視する男だ。
問題が起きる前に、手を打つ。
犠牲が出る前に、対策を講じる。
それが、彼のやり方だ。
「甘い……」
黒崎は、呟いた。
「そんな甘いやり方で、戦争に勝てるわけがない」
自分に言い聞かせた。
何度も、何度も。
そうしないと——。
自分の中の、何かが崩れそうだった。




