第二十四話 黒崎、異世界にて
ゼルクこと黒崎剛が、この世界に転生したのは、二年前のことだった。
目覚めた場所は、荒野のど真ん中。
見知らぬ空、見知らぬ大地、見知らぬ言語。
最初は、夢かと思った。
だが、飢えと渇きが現実を教えた。
黒崎は、生き延びるために動き始めた。
最初に気づいたのは、自分の体が若返っていることだった。
三十八歳だった体が、二十代後半に戻っている。
次に気づいたのは、頭の中に奇妙な「声」が聞こえることだった。
それは、数値だった。
目の前の状況を分析し、最適な行動を提示する数値。
例えば——。
「この方向に三キロ進めば、村がある。確率:78%」
「この木の実は食べられる。毒性:なし」
「この男に近づくのは危険。敵対性:高」
黒崎は、すぐに理解した。
これが、この世界で自分に与えられた「スキル」なのだと。
【最適解析(コストパフォーマンス計算)】
あらゆる状況において、最も効率的な選択肢を計算し、数値として提示する能力。
元の世界で黒崎が追求していた「効率」が、そのままスキルになったような能力だった。
「……俺向きだな」
黒崎は、薄く笑った。
桐生と同じ言葉を、彼もまた口にしていた。
その後の黒崎の行動は、迅速だった。
まず、最寄りの村で情報を収集した。
この世界の言語は、なぜか理解できた。転生者への「恩恵」のようなものらしい。
次に、この世界の社会構造を把握した。
王国と帝国が対立する構図。魔法と技術が共存する文明。身分制度と権力構造。
そして、黒崎は一つの結論に達した。
「この世界で成り上がるなら、帝国だ」
王国は、古い体制に縛られている。
伝統を重視し、変革を嫌う。
そんな環境では、自分の能力は活かせない。
一方、帝国は「効率」を至上とする国だ。
成果を出せば評価される。出自や身分は問われない。
自分のような人間にとって、理想的な環境だった。
黒崎は、帝国に向かった。
帝都に着いたのは、転生から三ヶ月後のことだった。
無一文、コネなし、実績なし。
普通なら、底辺から這い上がるのに何年もかかる。
だが、黒崎には【最適解析】があった。
「帝国軍に志願する。採用確率:62%」
「この試験官には、こう答えれば好印象。成功確率:89%」
「この派閥に属すれば、最短で出世できる。期間:14ヶ月」
すべてが、数値として見えた。
黒崎は、計算通りに行動した。
軍に志願し、才能を認められて士官候補生に抜擢された。
訓練では、常に上位の成績を収めた。
上官には媚びを売り、同僚には適度な距離を保ち、部下には厳しく接した。
すべてが、スキルの示す「最適解」に従った行動だった。
一年後——。
黒崎は、中隊長に昇進していた。
そして、ある作戦で決定的な功績を挙げた。
敵軍の補給線を絶つ作戦。
黒崎の計算に基づいた奇襲は、完璧な成功を収めた。
敵軍は壊滅し、味方の被害は最小限だった。
この功績が、皇帝の目に留まった。
「お前が、あの作戦を立案したのか」
皇帝から直接呼び出された黒崎は、恐れ気もなく答えた。
「はい、陛下。敵の弱点を分析し、最も効率的な攻撃ポイントを計算しました」
「効率的、か。面白い言い方だ」
「戦争も、突き詰めればコストとリターンの計算です。最小のコストで最大のリターンを得る。それが、私の信条です」
皇帝は、黒崎をじっと見つめた。
そして、笑った。
「気に入った。お前を、参謀に取り立てる」
それから、黒崎の出世は加速した。
参謀として、次々と作戦を成功させた。
敵の裏をかく戦術、補給線の最適化、兵力の効率的な配置——。
すべてにおいて、黒崎は「効率」を追求した。
その結果、わずか二年で参謀総長にまで上り詰めた。
帝国軍の実質的なナンバーツー。
皇帝の右腕と呼ばれる存在。
それが、今の黒崎——ゼルクだった。
だが——。
黒崎の心には、常に何かが欠けていた。
成功しても、満たされない。
地位を得ても、充実感がない。
なぜだろう。
自分は、正しいことをしている。
効率を追求し、結果を出している。
それなのに、なぜ——。
ある夜、黒崎は悪夢を見た。
炎の中で、桐生が立っている。
逃げ遅れた清掃員を庇い、炎に包まれながら、桐生は黒崎を見ていた。
責めるような目ではなかった。
ただ、悲しそうな目だった。
「なぜ、そんな目で見る」
夢の中で、黒崎は叫んだ。
「俺は正しかった。お前の進言には、根拠がなかった。緊急停止なんて、認められるわけがなかった」
桐生は、何も答えなかった。
ただ、悲しそうに黒崎を見つめていた。
「答えろ! 俺が間違っていたと言いたいのか!」
桐生の姿が、炎の中に消えていく。
その時、桐生の唇が、何かを言った。
声は聞こえなかったが、読唇で理解できた。
——「壊れる前に、直す」
黒崎は、汗だくで目を覚ました。
「くそ……」
彼は、顔を覆った。
「なぜ、今でも……」
桐生のあの言葉が、頭から離れなかった。
「壊れる前に、直す」
予防保全の考え方。
黒崎は、それを「非効率」だと切り捨てていた。
壊れていないものを直す必要はない。
壊れてから直せばいい。
その方が、コストが低い。
だが——。
本当に、そうだったのか。
設備が爆発し、人が死んだ。
自分も死んだ。
あの事故は、予防できたのではないか。
桐生の進言を聞いていれば——。
「違う」
黒崎は、首を振った。
「俺は、間違っていない。桐生の進言には、根拠がなかった。『勘』で緊急停止など、認められるわけがない」
自分に言い聞かせた。
何度も、何度も。
そうしないと、自分を保てなかった。
そして、今——。
桐生が、この世界にも転生していることがわかった。
しかも、「予防保全」を武器に、成果を上げているらしい。
黒崎の中で、何かが燃え上がった。
「……決着をつけてやる」
桐生のやり方が正しいのか、自分のやり方が正しいのか。
この世界で、証明してやる。
黒崎は、窓の外を見た。
夜明けが近づいていた。
新しい一日が、始まろうとしていた。




