第十八話 仕様書を作れ
施設管理官として七ヶ月目。
桐生は、新たなプロジェクトに取り組んでいた。
それは、「仕様書」の作成だ。
点検手順、作業基準、緊急時対応——すべてを、文書化する。
これまでは、口頭で伝えられてきた「暗黙知」を、「形式知」に変換する作業だ。
「なぜ、仕様書が必要なのですか?」
トーマが、素朴な疑問を口にした。
「俺たち、キリュウ殿に直接教えてもらえばいいじゃないですか」
「俺が、いつまでもここにいると思うか?」
「え……」
トーマは、言葉を失った。
桐生は、穏やかに続けた。
「俺は、いずれいなくなる。死ぬかもしれない。別の場所に行くかもしれない。どんな理由であれ、永遠にここにいることはできない」
「……」
「その時、俺の知識は、どうなる? 俺の頭の中にしかなければ、俺と一緒に消える。誰にも引き継げない」
「そんな……」
「でも、仕様書があれば違う。俺がいなくなっても、仕様書を読めば、同じ仕事ができる。知識が、次の世代に引き継がれる」
桐生は、トーマの肩に手を置いた。
「仕様書は、俺の『遺産』だ。俺がこの世界に残せる、最大のものだ」
トーマは、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……わかりました。俺も、手伝います」
「頼む」
仕様書の作成は、膨大な作業だった。
まず、現在行っている作業を、すべて洗い出す。
点検、修繕、清掃、警備、緊急対応——数百の作業項目がある。
それぞれについて、以下の内容を記載する。
作業の目的。なぜ、この作業が必要なのか。
作業の手順。どの順番で、何をするのか。
使用する道具。どんな道具が必要か。
注意事項。どんなリスクがあり、どう対処するか。
品質基準。作業が完了したかどうか、どう判断するか。
「こんなに細かく書く必要があるんですか?」
トーマが、仕様書の下書きを見ながら言った。
「ある。細かくなければ、意味がない」
「でも、読む人が面倒じゃないですか」
「読む人が面倒だからといって、省略したらどうなる? 解釈の余地が生まれる。人によって、やり方が変わる。品質にばらつきが出る」
桐生は、具体例を挙げた。
「例えば、『配管を点検する』とだけ書いてあったら、どう点検する? 目で見るだけ? 触る? 音を聞く? 温度を測る? 人によって、やり方が違ってくる」
「確かに……」
「でも、『配管を点検する。手順:一、目視で表面の異常(錆、変色、漏れ、亀裂)を確認する。二、手で触れて温度を確認する。三、耳を近づけて異常音がないか確認する』と書いてあれば、誰がやっても同じになる」
「なるほど……」
「仕様書は、『誰がやっても、同じ結果が出る』ようにするためのものだ。そのためには、細かく書く必要がある」
トーマは、納得した顔で頷いた。
仕様書の作成には、技術班、清掃班、警備班、すべての協力が必要だった。
桐生は、各班のベテランたちにインタビューを行い、彼らの「暗黙知」を引き出していった。
「この作業は、どういう順番でやりますか?」
「まず、ここを確認して、次に、あそこを見て……」
「なぜ、その順番なんですか?」
「うーん、昔からそうしているから……いや、待てよ。確か、先にこっちを見ると、あっちの状態が変わっちゃうから……」
「なるほど。それは、重要な情報ですね。書いておきます」
ベテランたちは、最初は戸惑っていた。
自分たちが「当たり前」にやっていることを、言葉で説明するのは難しい。
だが、桐生が丁寧に質問を繰り返すうちに、彼らも自分の知識を言語化できるようになっていった。
「今まで、こういうことを考えたことがなかった」
ハインリッヒが、感心したように言った。
「自分がやっていることを、改めて言葉にすると、新しい発見がある」
「それが、仕様書作成の副次的な効果だ」
桐生は言った。
「暗黙知を形式知にする過程で、自分の仕事を見つめ直す。無意識にやっていたことに、意味があることに気づく。それが、仕事の質を上げる」
「なるほど……」
三ヶ月後——。
仕様書の第一版が完成した。
全三百ページ。
この都市のインフラを維持するためのすべてが、そこに詰まっている。
「これが……」
リーネは、完成した仕様書を手に取り、ページをめくった。
「この都市の『設計図』ですね」
「設計図というより、『取扱説明書』ですね」
桐生は、苦笑した。
「この都市のインフラを、どう扱えばいいか。すべてが、ここに書いてあります」
「素晴らしい……。これがあれば、誰でも、この都市の設備を管理できますね」
「それが、目標です。属人化を防ぐ。誰がやっても、同じ品質で仕事ができる。それが、持続可能な管理の形です」
リーネは、仕様書を大切そうに抱えた。
「これは、宝物ですね。この都市の財産です」
「大げさですよ」
「いいえ。本当にそう思います」
リーネは、桐生の目を見た。
「キリュウ殿は、この都市に、計り知れないものを与えてくれています。設備だけでなく、仕組みを。技術だけでなく、思想を。私たちは、それをしっかり受け継いでいかなければなりません」
「……ありがとうございます」
桐生は、深く頭を下げた。
自分の仕事が、認められている。
それが、何よりも嬉しかった。




