第十三話 清掃班の改革
施設管理官として四ヶ月目。
桐生は、清掃班の改革に本格的に取り組んでいた。
上水道の復旧、交差汚染の対策——それらと並行して、日常的な清掃業務の見直しも進めていた。
きっかけは、メイラからの相談だった。
「キリュウ殿、お時間をいただけますか」
ある日の夕方、メイラが桐生の執務室を訪ねてきた。
二十代後半の女性で、清掃班の班長を務めている。
几帳面で真面目な性格だが、どこか思い詰めたような表情をしていることが多い。
「どうした」
「清掃班のことで、ご相談があります」
メイラは、机の前に立ったまま、報告を始めた。
「実は、清掃員の間で、体調不良を訴える者が増えています」
「体調不良?」
「はい。頭痛、吐き気、皮膚の荒れ……。特に、厨房の清掃を担当している者に多いのです」
桐生は、眉を顰めた。
「原因は」
「わかりません。ただ、私は、清掃の仕方に問題があるのではないかと思っています」
「清掃の仕方?」
「はい。現在、清掃班では、道具を区別せずに使っています。トイレを掃除した雑巾で、そのまま厨房を掃除する。排水溝を掃除したブラシで、そのまま食器棚を掃除する。そういうことが、普通に行われています」
桐生は、思わず立ち上がった。
「何だと」
「申し訳ありません。私も、おかしいとは思っていたのですが、前任の施設管理官から『効率を優先しろ』と言われ、従っていました」
「効率……」
桐生は、深い溜息をついた。
効率。その言葉が、どれほど多くの問題を引き起こしてきたか。
黒崎も、同じことを言っていた。
コストを削減しろ。無駄を省け。数字に出ないものに金をかけるな。
その結果、何が起きたか。
設備は老朽化し、事故が起き、人が死んだ。
「すぐに改革する」
桐生は、断言した。
「道具を区別しろ。トイレ用、厨房用、一般用。それぞれ専用の道具を用意する。色分けして、絶対に混ぜない」
「色分け……ですか」
「ああ。カラーゾーニングという手法だ。トイレ用は赤、厨房用は緑、一般用は青。見た目で一目瞭然にする。間違えようがないようにする」
メイラの目が、驚きに見開かれた。
「そのような方法が……」
「俺の元いた世界では、当たり前のことだ。衛生管理の基本中の基本。それをやっていなかったから、清掃員が体調を崩している」
「申し訳ありません……」
「お前が謝ることじゃない。前任者の怠慢だ。でも、今から変える。変えられる」
桐生は、紙を取り出し、図を描き始めた。
「まず、道具の調達。それぞれの用途に応じた道具を、三セット用意する。次に、保管場所。道具は、用途ごとに分けて保管する。混ざらないように、棚も色分けする」
「はい」
「それから、手順書。清掃の手順を、文書化する。どこを、どの順番で、どの道具で掃除するか。全部、明確にする」
「手順書……ですか」
「ああ。属人化を防ぐためだ。誰がやっても、同じ品質で清掃ができるようにする」
メイラは、桐生の描く図を、食い入るように見つめていた。
「キリュウ殿は、清掃のことも詳しいのですね」
「施設管理者なら、当然だ。設備を守るためには、清掃が欠かせない。汚れを放置すれば、設備が傷む。設備が傷めば、修理が必要になる。修理には金がかかる。だから、清掃は投資なんだ」
「投資……」
「そうだ。清掃は、コストじゃない。投資だ。将来の出費を抑えるための、先行投資。それを理解していない管理者が多すぎる」
桐生は、ペンを置いた。
「明日から、清掃班全員を集めて、研修を行う。俺が直接教える」
「キリュウ殿が、ですか」
「ああ。重要なことだから、自分で教える」
メイラは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。清掃班を代表して、お礼申し上げます」
「礼はいい。結果を出してくれ」
翌日から、清掃班の改革が始まった。
桐生は、清掃員全員を集めて、研修を行った。
まず、衛生管理の基本を説明した。
「細菌は、目に見えない。だから、油断する。でも、確実にそこにいる。トイレには、大腸菌がいる。排水溝には、様々な病原菌がいる。それを、厨房に持ち込んだらどうなる?」
清掃員たちは、黙って聞いていた。
「食中毒が起きる。人が病気になる。最悪、死ぬ。それを防ぐのが、衛生管理だ。そして、衛生管理の基本は、『汚染を広げない』こと」
桐生は、色分けされた道具を見せた。
「赤はトイレ専用。絶対に、他の場所には使わない。緑は厨房専用。食品を扱う場所は、最も清潔でなければならない。青は一般用。廊下や部屋の掃除に使う」
清掃員たちは、それぞれの道具を手に取り、確認した。
「道具は、使い終わったら必ず洗って乾かす。湿ったまま放置すると、菌が繁殖する。乾いた状態で保管する。それが基本だ」
次に、清掃の手順を説明した。
「清掃は、『上から下へ』『奥から手前へ』が原則だ。なぜか? 汚れは上から下へ落ちる。先に床を掃除して、後から棚を掃除したら、棚の汚れが床に落ちて、また汚れる。だから、上から順番に」
「なるほど……」
「『奥から手前へ』は、自分が掃除した場所を踏まないようにするため。先に手前を掃除して、奥に進んだら、自分の足跡がついてしまう。だから、奥から始めて、後退しながら掃除する」
清掃員たちは、熱心にメモを取っていた。
「それから、交差汚染を防ぐための『ゾーニング』。場所によって、清潔度のレベルが違う。厨房は最も清潔でなければならない。トイレは最も汚染されている。その間に、一般エリアがある。清潔なエリアから掃除を始め、汚染されたエリアで終わる。逆はダメだ」
研修は、三日間にわたって行われた。
座学だけでなく、実技も含めて。
桐生自身が手本を見せ、清掃員たちに実践させ、一人一人にフィードバックを行った。
「ここの拭き方が甘い。もっと力を入れろ」
「この順番は間違っている。やり直し」
「よし、それでいい。その調子だ」
厳しいが、的確な指導。
清掃員たちは、最初は戸惑っていたが、徐々に新しい方法に慣れていった。
研修が終わった後——。
メイラが、桐生のところにやってきた。
「キリュウ殿、ありがとうございました」
「結果が出るまでは、礼はいらない」
「いいえ。でも、一つだけ言わせてください」
メイラは、目に涙を浮かべていた。
「清掃員は、いつも軽く見られてきました。『汚いところを掃除する、底辺の仕事』だと。前任の施設管理官も、私たちのことを見下していました。でも、キリュウ殿は違う」
「……」
「キリュウ殿は、清掃の重要性を理解している。私たちの仕事に、意味があると言ってくれた。それが、どれほど嬉しかったか……」
桐生は、何も言わなかった。
ただ、メイラの肩に手を置いた。
「俺は、本当のことを言っただけだ。清掃は、重要な仕事だ。設備管理の基盤だ。それを軽視する奴が間違っている」
「はい……」
「お前たちは、いい仕事をしている。これからも、その調子で頼む」
「はい!」
メイラは、涙を拭いて、敬礼した。
その後——。
清掃班の改革の効果は、すぐに現れた。
体調不良を訴える清掃員は、激減した。
城内の衛生状態は、目に見えて改善した。
住民からも、「最近、城が綺麗になった」という声が聞かれるようになった。
地味な改革だ。
誰も注目しない。
だが、確実に、成果が出ている。
それが、施設管理の仕事だ。




