第十話 施設管理官の仕事
施設管理官——。
その肩書きが、正式に桐生のものになったのは、バルトハイムに来て三ヶ月目のことだった。
リーネが、領主代理の権限で、正式な任命状を発行したのだ。
「本日より、桐生誠一殿を、バルトハイム城塞都市の施設管理官に任命します。設備の維持管理に関する全権を、彼に委任します」
城の大広間で、領内の主だった者たちを集めて、発表が行われた。
技術者たち、警備隊員たち、そして商人や職人の代表たち。
皆が、桐生を見つめている。
歓迎の目もあれば、懐疑の目もある。
三ヶ月で実績を上げたとはいえ、まだ「異世界から来たよそ者」という印象は消えていない。
桐生は、壇上に立ち、短く挨拶をした。
「施設管理官の桐生です。俺の仕事は、この都市のインフラを守ることです。水道、下水道、城壁、魔導炉——すべてを、安全に、正常に、維持します。地味な仕事です。派手なことは、何もありません。でも、この仕事がなければ、皆さんの日常は成り立ちません」
桐生は、会場を見回した。
「何か問題があれば、遠慮なく報告してください。水の出が悪い、道に穴がある、城壁から変な音がする——どんな些細なことでも構いません。報告があれば、対応します。報告がなければ、俺たちは気づけません。皆さんの目と耳が、この都市を守る力になります」
会場から、小さなざわめきが起きた。
領民に協力を求める——それは、今までの施設管理官にはなかった姿勢だった。
前任者は、「お上の仕事に口を出すな」という態度だったという。
桐生は、違う。
現場の情報は、現場にいる人間が一番知っている。
その情報を吸い上げる仕組みがなければ、管理など不可能だ。
「以上です。よろしくお願いします」
桐生は、壇上を降りた。
会場から、拍手が起きた。
最初はまばらだったが、徐々に大きくなっていった。
式典の後——。
桐生は、新しく割り当てられた執務室にいた。
城の一角にある、小さな部屋。
机と椅子、書棚と窓。
それだけの、簡素な部屋だ。
だが、桐生には十分だった。
仕事に必要なのは、書類を書くスペースと、考える時間だけだ。
扉がノックされた。
「入れ」
入ってきたのは、三人の人物だった。
ハインリッヒ——技術班の責任者。中年の男で、桐生が最初に協力を得た人物だ。
メイラ——清掃班の班長。二十代の女性で、几帳面な性格。
ガルド——警備隊長。五十代の元傭兵で、実戦経験豊富。
「お呼びでしょうか、キリュウ殿」
ハインリッヒが尋ねた。
「ああ。三人に、正式にお願いしたいことがある」
桐生は、三人を見回した。
「施設管理官として、俺は三つの班を統括することになった。技術班、清掃班、警備班。それぞれの班長として、あなたたちに協力してほしい」
「光栄です」
ハインリッヒが、深く頭を下げた。
「私などで、務まるでしょうか」
「務まる。あなたは、この都市の設備を誰よりも知っている。俺には、その知識が必要だ」
「……ありがとうございます」
メイラとガルドも、同様に頭を下げた。
「よろしくお願いします、施設管理官殿」
「ああ。よろしく」
桐生は、三人に、それぞれの役割を説明した。
ハインリッヒは、設備の保守点検を統括する。魔導炉、上下水道、城壁の構造——すべてを、定期的に確認し、報告する。
メイラは、清掃と衛生管理を統括する。城内の清掃、ゴミの処理、感染症の予防——すべてを、適切に行う。
ガルドは、警備と巡回を統括する。城内外の治安維持、不審者の発見、緊急時の対応——すべてを、迅速に行う。
三つの班が、連携して動く。
情報を共有し、問題を早期に発見し、解決する。
それが、施設管理の基本体制だ。
「毎朝、定例会議を行う。七時に、ここに集合。前日の報告と、当日の予定を確認する。問題があれば、その場で対策を決める」
「わかりました」
「何か、質問は」
三人は、顔を見合わせた。
そして、メイラが口を開いた。
「一つ、よろしいでしょうか」
「何だ」
「なぜ、清掃班を重視されるのですか」
桐生は、少し驚いた。
「重視している、と感じたか」
「はい。今までの施設管理官は、清掃を軽視していました。『汚れたら掃除すればいい』という態度でした。でも、キリュウ殿は違います。清掃の手順を細かく指示し、記録を残すように言い、定期的に現場を確認されます」
「ああ」
桐生は、頷いた。
「清掃は、施設管理の基本だからだ」
「基本……」
「汚れを放置すれば、設備が傷む。カビが生え、錆が広がり、害虫が湧く。それを防ぐのが、清掃だ。清掃がきちんと行われていれば、設備の寿命は延びる。トラブルも減る。結果的に、修理コストが下がる」
桐生は、メイラの目を見た。
「清掃は、地味な仕事だ。誰も感謝しないし、誰も気づかない。でも、それがなければ、何も始まらない。俺は、その重要性を知っている。だから、重視する」
メイラの目に、光が宿った。
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。お互い、仕事をするだけだ」
三人が退出した後、桐生は窓の外を見た。
バルトハイムの街並みが、広がっている。
この都市を、守る。
その使命が、今、正式に自分のものになった。
重い責任だ。
だが、逃げるつもりはない。
元の世界でも、同じような責任を背負ってきた。
違うのは、今度は自分を信じてくれる人がいる、ということだ。
リーネ。ハインリッヒ。メイラ。ガルド。
そして、この都市の住民たち。
彼らの信頼に、応えなければならない。
「さて——」
桐生は、机に向かった。
やることは、山ほどある。
まずは、今週の点検スケジュールの確認からだ。
地味な仕事が、始まる。
だが、桐生は笑っていた。
この仕事が、好きだ。
この世界でも、それは変わらない。
第二部 都市再建




