私が献身的だったと思い知った? いいえ、アレはただの罠です。
クリスタは、婚約者のエトヴィンに呼び出され、授業終わりに彼の後ろを歩いていた。
寮へと向かう道のりは人が多く、それとは反対方向にエトヴィンは適当に進んでいき、ある程度人が少なくなったところで彼は口を開く。
「今日の実技の授業……思うところがある」
そうぽつりと口にした。
その言葉にクリスタはエトヴィンを見上げて隣を歩きながら「思うところ?」と聞き返して首を傾げた。
クリスタには思うところなど特になかったが、そういえば今日、何故だかエトヴィンがちらちらと視界に入った気がする。
今日の実技の授業は魔法学園の擁する森に入り魔獣を狩って来るというもので、実際の年度末試験と同じ方式の授業だった。
もちろん森の中で鉢合わせすることだってあるだろう
狩りは早い者勝ちだし、何より土の魔法を持つクリスタと、水の魔法しか持たないエトヴィンでは狙う魔獣も違ってくる。
だからこそ、同じ場所にいたせいでエトヴィンの成績が悪かったとかそういうことはないだろうと考えた。
「ああ、私は君にそれなりにわかりやすく示していたと思うが、君は頑なに譲ったりしなかったな」
「……」
「わかるだろう。クリスタ、そう自己中心的なだけでは私はいけないと思う」
エトヴィンは続けてそう言ったが、言葉の意味がよくわからない。
狩る魔獣を譲れという話かとも考えたが、そんなことをしても彼の実力に見合っいてない相手に勝てるとも思えない。
攻撃が得意な属性魔法を持っていない人間は、魔力効率が悪く発動の遅い魔法道具に頼るしかない。
エトヴィンは典型的にそのタイプだったと記憶している。それが少しの間に劇的に実力が変わるはずもない。
「よく、わからないわ」
いくら考えてもわからないという結論しか出ずにクリスタは頬に手を添えてそう返した。
するとエトヴィンは眉間にしわを寄せてそれから、わかりやすくため息をついた。
うんざりしている、そんな態度だった。
それから、しばらく無言で歩いてやっとクリスタの方を見る。
「君の成績が良くてなんになる」
彼は短く言った。
「将来はどうせ、屋敷の中で多くの人に守られて生活するだけなんだ。魔法学園だって本当は通わなくたっていいぐらいだろ」
「……」
「それをこうしてやってきた、その理由はなんだ? よく考えて見てくれ、君にはやるべきことがあった。違うかな?」
エトヴィンはみなまで言わずに、クリスタに悟らせるように回りくどい言葉を紡いでいく。
「来年からのクラス分けや成績は、スカウトを受けられるかどうかにかかわってくる。それは君の将来にもかかわることだろう? 宮廷魔法使いの夫がいるのと、ただの魔法使いの資格を持っている夫がいるのとだとずいぶん違う」
「……」
「君のためでもあるし、実際そういう手伝いを学園側だって許容している部分もある、私はそのために君がここにいることを許してやってるんだから」
たしかに、魔法学園は完璧、潔白の実力主義というわけではない。
貴族を相手取って商売をしているのだ、実力よりもコネや伝手が仕える場合もあるし、多少の買収があることも事実だ。
けれども、クリスタにとっては晴天の霹靂だった。
なんせ今までこんなにはっきりと言われたことなんて無かったから。
たしかに時折、エトヴィンに成果を譲渡したことはあった。
しかしそれも、忘れていた、と困り果てていたから課題を手伝っただけだし、忙しそうにしていたから婚約者ということもあるしと手を貸しただけだった。
それは、二人の間にある関係から鑑みて最大限の融通を聞かせた結果の『優しさ』のつもりだった。
「実際、私は妻になる女がこんなに野蛮な人間で恥ずかしく思ってるんだ。強い女なんて可愛げのかけらもないだろう?」
「……」
「そのうえで、自分の功績ばかり追い求めて、本来の目的を忘れるなんて君は可愛げもない上に馬鹿なんだな」
エトヴィンは歩きながら言葉を吐き捨てる。
彼にとっては、クリスタの優しさなど取るに足らないものであり、むしろ権利だと思っている様子だった。
そしてさらにそれ以上のものを求めている。
こんな話など、初めてされたし、将来の話だって初耳だ。
クリスタは当たり前に自分が将来働くために魔法学園を受験したし、エトヴィンの踏み台になるためにここにいるわけではない。
話し合いなどまったくしていなかったというのに、彼は自分の考えをまったく疑っていない。
クリスタが女というだけで当たり前のように考えを押し付けて、罵る。
その様子にこんな人だったのかとクリスタの方も幻滅する気持ちがあった。
今まで普通の婚約者だと思っていたし、エトヴィンは素敵な男性で、一般的に見ても容姿が良い方だ。
そんな彼を好意的に見ていたが、どうやら彼は金メッキを張られただけの中身が伴っていない人間だったらしい。
(衝撃の事実ね……)
「君が狩った中で一番大きな魔石、あれを私にそっと渡して、お願いしますと頭を下げるところだろう?」
魔石とは魔獣を狩った証しとして教師に渡すものだ。それによって成績がつく、それが試験の概要だ。
クリスタが狩った中で一番大きなものは、クラスで一二を争うレベルだ。
それを、普段から特段優秀でもないエトヴィンが持っていく……それはあからさま過ぎる気がしたが彼はそう思わないらしい。
「むしろ君の方が、頼むところなんだ。はぁ……クリスタ。私はね、こんなことを言いたいわけじゃないんだ。でもなにも言わずに見限るのは流石にかわいそうだと思って言ってあげたんだ」
「そう、なのね」
「ああ、私は伯爵家の跡取りだ、私と結婚をしたい女性は星の数ほどいる。けれども君はこうして私の地位を押し上げるのに向いている力を持っている。だから愛想が足りず察しが悪い君でもだからそばにおいてあげているんだ」
「……」
「学期末試験では、君が賢い選択をすることを願っているよ」
そう言ってエトヴィンは去っていく、当てもなく歩いた結果、丁度訓練場付近についたところだった。
クリスタはエトヴィンの言葉になにも返さずに、ただ手をひらりと振って去っていく彼の後ろ姿を眺めた。
練習場についたのに彼は自分の実力をあげるために訓練をするというわけではないらしい。
クリスタはせっかく来たので、ひと汗流していこうかなと考えたのだった。
エトヴィンも言っていた通り、近いうち学年末試験がある。
それは最終学年のクラス分けを決めるためのものでもある、非常に重要な試験なのだ。
その準備のために、クリスタは実力の程度が似通っているアレクサンダーという友人と学園街に来ていた。
せっかくなので雑貨を見たり、武器や魔法具の店を回ってこうして休日を過ごすのは二人にとってはいつものことだった。
特に大切な試験の前は尚更である。
「前回はあんたが勝っただろ? そのせいで俺は一週間は落ち込んでたが、今年こそは秘策があるんだ」
アレクサンダーは、武器を手に取りながら、気軽に言った。
少し振って感触を確かめているその様子を見ながらクリスタは首を傾げた。
「どんな策かしら」
「そりゃ、秘策だからな。言うわけない」
「教えてくれないのね。なら最初から話題にしなければいいのに」
「うっ、いや、そうじゃなくて今年こそは、覚悟しとけって言う意味でな」
「ふーん……だとしてもそんな小細工が通用するかしら」
「わからないぞ、スピード勝負だからな」
品物を物色しているアレクサンダーを眺めながらクリスタは適当に話をした。
正直クリスタはあまり彼との勝負の勝敗など気にしてはいなかった。
ただ競う相手がいて話があって、同じ視点であれこれと見て回って意見を交わす、それを好んでいるだけだ。
けれども彼がこだわるので、クリスタも少しだけ熱をあげてこだわっているみたいな気持ちになったつもりで話をする。
そうするとアレクサンダーと話すのはもっと楽しい。
「素早さで行ったらあなたは私に勝てないじゃないの。走るだけでも一苦労でしょう」
「それを解決する秘策があるんだって」
アレクサンダーはなんだかとても楽しそうで、そして自慢げだった。
うっそうとした森の中を進むなら、クリスタのように小柄な方がいい。
もちろんその分、体が小さく耐久性に欠けるという面もあるけれど、どんな長所にもデメリットがあるものだ。
アレクサンダーは背が高くガタイがいい分、森の中では動きが鈍る。
果たして彼はそのデメリットをどうやって解決するつもりなのだろうか、少し考えてからクリスタは聞いた。
「……うーん、森の木を一掃するとか」
「それができるなら、多分無敵だろうな」
「そうね」
「それにできたら、かっこいいな」
「そう、ね?」
笑みをキラキラと輝かせて言う彼に、クリスタは途中まで言ってから、思った。
(……かっこいいかしら?)
それではただの、破壊神的な存在になってしまう気がする。
魔法使いは人を守るから、慕われるのだ。無鉄砲にすべてを駄目にしてしまっては意味がない。
「……できたらやるの?」
「いや、やらないな」
「なぜ? かっこいいんでしょう?」
「だって新しい魔獣が生まれなくなるだろ、森が無くなると」
「……」
「戦える相手がいなくなったら寂しいだろ」
自分は壊すために魔法をふるっているわけではない、とかそういう言葉を期待したが、アレクサンダーは、新しい魔獣が生まれなくなるからやらないらしい。
やっぱりこの人はどこか変わっている、そんなふうに思った。
けれども、間違ってはいない。別にどんな理由を持っていたとしても、やらないという選択さえ持っていれば結末は同じである。
「……だからあんたがいなくなっても寂しいな」
そして続けてアレクサンダーはぽつりと言った。
その言葉は突然で、クリスタは急に悲観的なことを言った彼を揶揄おうと思った。
しかし、エトヴィンの横暴なふるまいと、彼との未来を考えると咄嗟に声が出なかった。
エトヴィンと結婚したらクリスタは魔法使いになることができない、加えて現に次の試験では功績を譲れと言われている。
そうなったらアレクサンダーと同じ場所には立てない。
そう思うとつい黙ってしまった。
しかしアレクサンダーはまったくしんみりとした気持ちではなかったらしく、ナイフを手に取って投げては取るを繰り返しながらいう。
「試験でへまするなよ。来年もクラスは同じが良いんだ」
そう続ける。
その言葉にクリスタは少し曖昧に笑って返した。
そして、アレクサンダーと離れて、屋敷の中で人に守られて暮らすところを想像した。
それはクリスタも同じように寂しくて、同時に彼のような人が傍にいない生活など、つまらないと思った。
(……なら、それなら別に……いらないわね)
そう結論をだしたのだった。
クリスタは試験までの間にどうするかを考えた。
そして当日答えを出した。
森は奥へと入るほどに険しくなっていき強力な魔獣が出るようになる。浅い場所での小さな魔獣など気にせずに、最速で奥へと向かう。
それから、自分の実力でも厳しいような魔獣を見つけ出して、討伐した。
返り血と自分の血が半々ぐらいで、ふらふらとしながら出口へと向かっているとエトヴィンが現れる。
エトヴィンはクリスタのことを探していたのだろう。
彼はじっとクリスタのことを見つめて、それから怪訝そうな顔をした。
血にまみれた姿があまりに見苦しかったからだろう。
けれども、エトヴィンに無言で胡桃大の大きさの魔石を差し出すと彼は目を見開いた。
「や、やればできるじゃないか! クリスタ。うんうん、素晴らしい! これを持って帰れば私は一目置かれる存在になるだろう」
「……」
「宮廷魔法使いの打診に大きく近づいた。ああ、そうだ、君も同じクラスになれるようにきちんと━━━━」
エトヴィンはなにかを言おうとしたが、クリスタはすぐに杖を振って彼の方向に向かって岩石を飛ばす。
「ピギィ」
彼の背後に迫っていた小動物の魔獣は声をあげて撃ち落される。
「っ、うわっ」
エトヴィンは驚いて振り向くと、つぶれた小動物の魔獣の醜さに顔をゆがめて、それからクリスタの方を見た。
しかし彼が何かを言う前にクリスタは口を開いた。
「行って、私は問題ないから」
きっぱりとそう言うと彼は、クリスタの気迫に押されて、後ずさりしてそれから身を翻しあっという間に去っていく。
エトヴィンはあれを持ち帰れば、きっと実技の評価が高い人間が入るクラスに割り振られるだろう。
彼が望んだとおりの結末だ。
しかし一つ、彼の思い通りにいかないことがある。それはクリスタが彼と同じクラスならないということだ。
きっとアレクサンダーはとても残念がると思う。
けれども、これからの将来ずっとのことを考えれば今年一年、競える相手がないことぐらいはつらくもなんともないのである。
新年度、クラス分けが発表されて少ししたころ、クリスタは婚約破棄された。
慰謝料は払われたしクリスタに非はない。
エトヴィンは実技上位のクラスに入ってクリスタとはクラスが違ってしまった。つまりこれからはクリスタの協力を望めなくなったのだ。
そのうえエトヴィンは、新しくたくさんの優秀な女性が周りにいる環境を手に入れた。
彼は、クリスタもアレクサンダーも差し置いて一番の大きな魔石を持ち帰ったことによってクラスでも人気者らしい。
クリスタにあんなことを言う人なのだ、当たり前のように乗り換えることだってするだろう。婚約破棄だって納得である。
それにエトヴィンはクリスタで成功体験を得ている。
自分の言葉は間違っていない、こうして人を踏み台にして自分は輝かしい未来を手に入れていくのだ。
そう考えているのだろうのだろうと思う。アレクサンダーはへこんでいたけれど、クリスタが誘うと機嫌を直してまた買い出しに一緒に行った。
そしてあとはエトヴィンがどのくらい持つか、それだけである。
エトヴィンがもったのは三ヶ月だった。
彼は休日に、クリスタの住んでいる寮へとやってきて、寮に付属している応接室で二人で顔を突き合わせていた。
彼の顔には、酷い傷跡が残っていた。
炎の魔法を扱う魔獣にやられたのだろう。
整った顔は見るに堪えないものになり、神経質にその傷をゴリゴリと爪でひっかいた。
「……あのクラスには、気の強い馬鹿な女しかいなかった」
エトヴィンは呟くようにそういった。
常に胸を張って前を見据えて、偉そうだったエトヴィンはいなくなり、すっかりしょぼくれて肩をすくめて目線を落としている。
クリスタは頬に手を添えて少し首を傾げた。
言外にどういう意味? と問いかけているふうだった。
しかし本当は、意味など分かっている。ただ単に彼の言葉で一から十まですべて聞きたかっただけである。
そんなクリスタの仕草を受けて、エトヴィンは話し出した。
「最初のうちは婚約者を失った私にアプローチしようとたくさんの女が言い寄ってきたんだ」
「……」
「けれど、次第に私の実力がわかると、支えるのが女の役目だというのに、多くが離れていった。その中でも一番、地位の低い女性が残り、仕方がないから、そいつで良いと思った」
「……」
「クリスタがしてくれたように、課題をやらせてやる機会をくれてやった、ただあいつなんて言ったと思う?」
エトヴィンは語る。
言葉には熱がこもっていて引き込まれる語り口調だった。
「いくらくれる? だって、私はそのとき腹の底から湧き上がるような怒りを感じたよ。そいつは君よりもずっと自分勝手だった!」
彼の瞳がクリスタのことをとらえる。
「けれども私には、宮廷魔法使いになるという使命がある。授業を放り出すわけにはいかないだろう。君との将来のためにも、な。だから…………」
「ついていけない授業の最中に、怪我をしたということ?」
言い淀んだ彼に、クリスタはやっとわかったみたいな声を出していった。
「そうなんだ。教師もまったくどうしようもない。もっと配慮というものが必要だろう」
「……」
「私がどんなに恐ろしい目にあったかを説明して金を積んでも、うんとは言わない。最低限の授業を受けていない生徒を流石に卒業させられないと言いやがった」
「……」
「あんなことがあったうえでまだ森に入れなんて、鬼畜の所業だ! 女たちも誰も寄ってこない!」
彼は、鼻筋に縦皺を作ってまるで悪魔みたいな顔をしていた。
「本当に、非情な奴らだ、本当にっ!」
語気を荒くしてそう吐き捨てる。
震える拳を握って、表情を崩すと火傷でひきつった部分が気になったのか神経質に素早く手を動かしてゴリゴリとかきむしった。
そんなエトヴィンの様子をクリスタはしばらく見つめてそれから促すように聞いた。
「……で、愚痴を言いに来ただけじゃないのよね?」
「……ああ」
「ならどうしたのかしら」
続けて問いかけるとエトヴィンは、ふーっと息を吐いて自分を落ち着かせてそれから真剣な表情で言った。
「クリスタ」
「ええ」
「君の大切さが、今更わかった。君の実力はまず素晴らしい、そして実力があるものの中でも君はおごらない。私はそれを加味していなかった」
「……」
「君は私に誰よりふさわしく貢献してくれた、それだけが事実なんだ」
エトヴィンは切ない思いをしている乙女のように目を伏せて、それからぱっとクリスタを見上げた。
「今の私を助けてくれ。クラスを移動するから君となら森に入ることもできるだろう、なに、怒ってはいないさ。君が私と同じクラスになれるよう調整できなかったことなんて水に流す」
彼は安心させるように優しい声音で言った。
「君は座学も割と優秀だっただろう、その方面で、スカウトを狙うのもいい。もちろん君も落第しない範疇でな? ははっ、また共に手を取り合っていこう、君がいてくれて良かった」
エトヴィンは笑みを浮かべ、そして手を伸ばした。
改めてよろしくと握手をするために手を伸ばしているらしかったが、クリスタはその手を見下ろして、彼を見て、腿の上から手を動かさなかった。
そして少し考えてから、ゆっくりと口にした。
「それでも」
「……」
「それでもあなたは、私のことを手助けしてくれるという言葉は言わないのね」
それは彼の話を聞いている中で引っかかったことだった。
だってそれ以外のすべてはおおむね予想通りで、まったくもって当たり前のことばかりだったから。
たしかにこの学園では、一般的にはズルや賄賂と言われているものがまかり通る。
しかし、それだけではない。
それだけの場所ならば、とっくに魔法使いという称号の価値は地に落ちているだろう。
そうならないのは一定の秩序が存在しているからだ。教師は賄賂をもらっていても最低条件をクリアしていない人間を卒業させない。
実力に見合わないクラスにいるとしても、実力があるものとして扱う。
こうなることなんてクリスタはわかり切っていたし、欲をかいてそんなことも考えられなかった間抜けはエトヴィン一人だけである。
それに新しいクラスの実力のある女性なんて、今更、自分を搾取する人間の配下に加わりたいなんて思うわけがないのだ。
だからエトヴィンが、こうなることは決まっていた。
分かっていて一番大きな魔石を渡した。それだけだ。だってもう、クリスタにとってはエトヴィンはいらなかったから。
こうなるふうに仕向けた。こうして縋ってくることもわかっていた。
でもそれでも、彼は、自分が支えてもらうことばかり考えて、クリスタのことなんかまったく考えていない言葉をペラペラと紡ぐ。
それだけは意外だった。普通はもっと、考えてクリスタが何を望んでいるか考えてどんなことを言えばよりを戻してくれるかと予想して話をするだろう。彼にはそれすらない。それに驚いた。
だから言ったのだ。
「え……」
エトヴィンは小さく声を漏らす。
そんな彼にクリスタは続けて言った。
「こうして、誰にも相手にされずにあなたが痛い目にあうことぐらい私はわかってたわ。こういうふうに復縁を要求されるだろうことも、わかってた」
「……は?」
「だって、当たり前のことだもの。もちろんズルや賄賂でうまくやっている人も学園にはいるわ。でもね、それってあんなふうにやることじゃあないでしょう」
「……」
「一方的に押し付けて搾取しようとして、相手が何を望んでいるかを知りもせず、奪うだけなんて痛い目見るのも当然でしょう」
「……そ、そんなつもりは……」
「あなたにそのつもりなんてあってもなくてもいいけれど、あなたはやろうとして失敗した。私で失敗して、ほかの女性で失敗して、それでも自分は何も間違っていないなんてそんな話あるわけないのよ」
クリスタはいつも通りの適当な口調でおっとりと口にする。
「更に、復縁を要求するにしても、結局あなたは自分のことばっかり。私がなにを望んでいるかを知ろうともせず、自分を助けてもらうつもりでしかないのね」
「ち、ちが……」
「自分の言った言葉を思い出して。あなたは私に要求をするばかりで私になにも与えていない。私がどんなものに価値を感じるかも知らない」
「…………」
「そんなだからあなたは失敗したのよ。だって奪うばかりなんだもの」
クリスタは軽やかに歌でも歌っているような、さわやかな顔をしていた。
「搾取して自分が如何に評価されるかしか考えられない人なんだもの、誰もそばに居たくないなんて当たり前よ。欲張った結果、あなたが負った傷を私も誰もがこう思ってるわ」
「っ……」
「自業自得」
エトヴィンは拳を白くなるまで握った。
「手なんて貸さないわ。考える余地もない。私から言いたいことはそれだけよ」
「……」
「話すことはもうないわ」
「……」
クリスタは伝えたいことはすべて言い切ったので、話を終えることにした。
しかしエトヴィンは沈黙したままで何も答えない。
しばらく待ってそれから立ち上がろうと前かがみになると、彼はドンッと机に手をついてぐっとクリスタに顔を寄せた。
「なら、どうしたらいいんだよ! なんでもしてやるって言えばいいのかよ! それならその通りにしてやるから!」
手を伸ばしてクリスタの服を掴もうとする。体をひねってクリスタはかわした。
手が空を切って、それでも掴もうと更に机に彼は乗り上げた。
「それならいいんだろ! もう君しかいないんだ! 見捨てないでくれ」
必死になってエトヴィンはクリスタの手を取った。ぐっと繋がれて、叫ばれるとそれはもう脅しに近かった。
断ったらどうなるかわからないと思わせる必死さがある。
自分はこんなに追い詰められている、だから少しでも温情を与えなければクリスタにも害を与える可能性もあるんだ、とそんなふうに脅されているみたいだった。
それは、普通の女性とっては最高に嫌な手段だっただろう。
しかしクリスタは、それに該当しなかった。
「……」
「……頼む!」
「……」
言われて、腰に差している短剣を手に取った。
「……」
「……」
「……」
「……え?」
疑問の声をあげるエトヴィンと手をつないだまま、クリスタは一歩近づいて、彼を見下ろした。
「……なら、仕方ないわね。どうしても、私に執着するというのなら、仕方ない」
「な、なにが?」
「私もどうしてもあなたが嫌だし、結局、楽しい場所を失うなら、私は相討ちを選ぶもの」
「は?」
エトヴィンの瞳はまん丸で、クリスタの瞳は笑みを浮かべるみたいに細められていた。
そしてその目には光がなかった。
「背は向けないわ。剣士ではないけれど」
いうと彼は、びくっと驚いて、手を振り払った。そのままクリスタを警戒するように姿勢を低くしたまま立ち上がり後ずさりする。
「……どこへ行くの」
声をかけても返答せずに、後ろ手に扉を開けて、それから脱兎のごとく走り出した。
つまるところ逃げ出したのである。
「……」
クリスタはあまりに素早い変わり身にキョトンとしてそれから、なんだ本当にただの脅しだったのだなと納得した。
それから短剣をしまって応接室を後にしたのだった。
エトヴィンは潔く学園を去ったし、クリスタの視界にすら入らなかった。
しかし、彼の影響は残っている。それは彼に頼られないために昨年の試験でクリスタは小さな魔石一つだけしか提出しなかった。
そのせいで実技がメインのクラスではない、それがクリスタにとって少し退屈だった。
けれどもエトヴィンがいなくなればもう気を使うことはなく、教師から提案されていた実力にあったクラスへの編入をすることができる。
すぐにとはいかないが、来月からはアレクサンダーとまた競い合う生活を手に入れることができるだろう。
その準備という名目で、月末の休日にアレクサンダーとクリスタは学園街を歩いていた。
アレクサンダーはいつもよりなんだか少し静かで、夕暮れの街の中で彼の赤毛は燃えるようだった。
ふと視線をやると、目が合ってクリスタは少し微笑んで首を傾げた。
「あのさ」
彼はそれをきっかけにクリスタに言った。
「なにかしら」
クリスタは、次は杖を売っている店に行きたいと考えながら彼から目をそらして、ゆっくりと歩いている。
「……」
「……」
会話は途切れて、なんでもなかったのかと思う。
それからくだんの店が見えてくると、クリスタは、アレクサンダーの方へと視線を戻した。
すると彼は隣にいなかった。
驚いて、振り返ると少し後ろに足を止めてとどまっていて、家路につく人々の中で留まる二人は世界に置いてけぼりにされているみたいで、誰も気にしてはいなかった。
「……俺は、あんたがいないと寂しいって言っただろ、この間」
「ええ。そうね」
肯定しつつ、あの時の秘策って何だったのだろうと、結局わからなかったことを聞きたくなったが、そんなことを聞く雰囲気ではない。
「それやっぱり、変わらないな。あんたがいないと退屈するし」
「でしょうね。だってあなた大きくて怖そうだから。あまり人も寄り付かないもの」
「そうだな」
なにが言いたいのかよくわからなくて、クリスタはアレクサンダーのそばに歩み寄って見上げて答えた。
彼は小さく頷いて、また少し黙った。
クリスタを見下ろして、ふと視線をそらして、無意味に首を摩ってアレクサンダーは気まずそうだった。
(……珍しいわね)
アレクサンダーは大体なんでも思ったことは口にするタイプで、笑っている以外の顔はあまり見ない人だ。
だから、こんなふうになっているところは初めて見た。
よっぽど言いづらいことでもあるのだろう。
例えばなんだろうか、寂しいから自分だけに優しくしてくれる素敵な女性を見つける心づもりが出来たとかだろうか。
アレクサンダーは侯爵家の跡取りという地位でありながら婚約者もおらず女性の影もない。
だからいよいよ、婚約者を見つけたいから、こうして休日は時間をさけなくなる。という話だろうと予測を立てた。
「……あんたが今回みたいに、しょうもない男に翻弄されて、いなくなるのは楽しくない」
「私だって楽しくないわ」
「だろうよ。それに、あんたはどうやら頓着がない」
「……」
「なんだかいろいろあったんだろ。でもそれを話もしないし、なにも言わない、いつも通りだ」
「そうね」
アレクサンダーの言葉は間違ってはいない。
彼はクリスタの周り一連の出来事を見て、ある程度のことを察していると思われる。
けれども、クリスタは彼に相談の一つもしなかったし、さして思いなやんだり追い詰められたりしていなかった。単に切り捨てただけである。
理由は彼の言った通りだ。クリスタは、邪魔されないなら結婚相手に頓着はない。
「だからそのうち、やっぱりまた似たような男に面倒を押し付けられたり、くだらないことに時間を割いたりする羽目になる……と、俺は思う」
そして頓着がないからそういうふうになる、それは筋の通った説明だ。
無論そうだろう。
しかし、なにも女性全員が男性だけに一番重きを置いて生きているわけではないのだ、いつかは結婚するとして、いい人に当たるかなんて運みたいなものだろう。
変な人も嫌な人もいて、嫌だったとわかったら対処するほかないのでは。
(むしろそれが普通の感性ではないの?)
そう思った。
しかし、アレクサンダーはそう思っていないらしい。
「だから、どうせそうなるなら。俺でもいいんじゃないか」
「……」
「俺は、まぁ、そばにおいておけば役に立つ。腕がたつし、地位もまぁ、あるだろ、資産もまぁある、武器だって山ほどプレゼントする」
「……」
「少なくともあんたの邪魔はしない、俺はあんたの隣にいたい。どっちにとっても悪くない、違うか」
「いいえ。ちがわない」
否定はしなかった。もちろん悪くないし、むしろ素敵な関係だ。
良いと思うが、アレクサンダーはそんなにもライバルというものが恋しかったのだろうか。
強い癖に、寂しがり屋なのだろうか。
「なら、婚約したい、クリスタがいいなら」
言いながらアレクサンダーは控えめにクリスタの手を取った。
そっと握られる。剣を握ったらあんなに力強いのに、力が入っているのかいないのわからないぐらいの力で手を包まれた。
アレクサンダーの顔はやけに赤くて夕日に染められてそうなのか、別の理由かはわからない。
けれども、クリスタは夕日を背にしているのに少し頬が赤かった。
耳がじわっと熱くて、アレクサンダーと同じく、相手のことをまっすぐ見られなかった。
(……そんなに寂しいの? ……可愛い人なんて、思ってしまうのは失礼かしら
でも……少なくとも見知らぬ誰かなんかよりも、彼がいいわ)
そばにいると楽しくて、クリスタのことをよくわかってくれる人。アレクサンダーはクリスタに、なにより楽しい時間を与えてくれてなにも奪わない。
彼に申し込まれたならもう、彼に敵う人間なんて何処にもいなかった。
「……ええ、うん。いいわ」
「そ、そうか!」
「ええ」
「いくか、杖見に行くんだろ」
「うん、そうね」
「これ、手はつないだままでいいのか?」
「わからないわ。でもいいんじゃないかしら」
「だ、だな!」
二人はぎこちなく会話をした。なんとなく手をつなぎ直して、どちらともなく歩き出す。
いつも通りを意識して歩く。
しかし少し難しくてそわそわする、けれども居心地が悪いわけじゃない。
いつかこんな距離に慣れる日が来るのだろうか、そう思って胸が苦しくなったが、お互いに一週間たつとケロッとしてしれっと手をつないでいつも通りの日々を楽しんでいるのだった。
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