四通目
いろんなお友達ができて、楽しく話ができて、いろんな人に私を知ってもらって、楽しくて暖かくてなんだか一人じゃないみたいなのに、居ても居なくても変わらないような気持ちが剝がれないままです。
きっと私がぼろぼろのどろどろになって、助けてって手を伸ばしたときには汚いものを見るような目で離れていくような気がして、それは推測ではなく悲しいことに予知に近いのです。
過去にも同じことがあったから同じ轍は踏むまいと、歯を食いしばり耐えるたびに「本当に苦しい時は誰も助けてくれない」「本当の弱者は救いたくなる形をしていない」等の言葉を思い出し、棘はあるものの大切に抱きかかえています。
生きてる意味がなくても大丈夫な時と、生きている意味がないとやっていけない時では、頭の中がさっぱり違くて、例えば前者は意味がないので、あるべき姿もない、髪を染めてもいいし、好きなことに大金を払ってもいいと随分前向きです。後者は何かしなければ、認めてもらわなければ、大切にされなければ、その他有象無象の中に埋もれ切ってしまったら、本当に価値なし能無しになってしまうとお先真っ暗な気分なのです。
死にたいと思うには使い古した言葉ですが、終わりにしたい、無かったことにしたいというのは具体性に欠けてなんだか納得がいきません。
とはいえ原液そのままの言葉を周りにこぼしたら、染み抜きが大変だし、周りが驚いてさっといなくなってしまうから、自分のうちに抱え込むしかないのです。
誰かに助けてもらいたいというお願い事は、きっとお星さまも呆れてしまうほどしたつもりです。
いつも行く神社の神様だって、呆れた余りに私の事を無視しているのかもしれません。
もうずっと前から同じことをお願いして、お願いした数だけ叶わなくて、私自身ももう頼むことすら面倒くさくなって、叶わずじまいのお願い事はどこに消えたんでしょうか。
そもそも私は助けが欲しいのではなく、自分一人で大丈夫になりたいのです、他人の助けを得なきゃ息もできない状況から抜け出したいだけなのです。
でもどうしてもやり方が分からないから、分からなかったから願い事をするしかありませんでした。
叶わないから少しずつ自分で行動して、ちょっとずつ変えて、何とか今日まで息を繋いできました。
繋ぎ方だってちょっとは上手になったのだと思います。でもそのためにたくさん間違えた。
間違えるたんびに傷をつけたり、迷惑をかけた相手方には大変申し訳ないですが、一人ぼっちでお腹を空かせて泣いているあの子は救われないまま終わるのかと思うと、誰も幸せにならないことをしたと、終わらせてやればよかったと、また後悔するのです。