第一通
2025/8/15 21:59
つくづく夢を見ているような気分で、まるで水泳の授業中に顎を上に向けているような、肉の無い顔に頬杖が合わなくなった時のような、首の後ろに生ぬるい冷えピタを張られているような気分でした。
うまくかわすことのできない子で、誰かの違和感にまるで私が躓いてしまって、手を付けてしまう子でした。
誰に話しても意味がないというなら、私にそれを言うのは何故でしょうか。
寂しそうな目元で、名残惜しそうな顔や指先は私に見えていないことが前提ですか。
ほんの少しの間や、目線の逸らし、口元の動き、見つめる先の小物。
すべてが根拠集めの材料でしかなくて、かき集めては「これは何ですか」と聞くのはやめにしたいのです。
そのたびに、その工程を踏んでくれる、追いかけて拾ってくれる人間が私にはいないので、ひどく惨めで、とても憂鬱で、自らの行動で息が詰まり喉に痞え息もできなくなってしまいます。
素晴らしい作品を仕上げ、例えば人の心を鷲掴みにして何度も見たくなるような絵や、いつどんな時に聞いても耳障りではなく、むしろこれを求めたのだと思わせるような楽曲も作れませんで、加えて声も持ち合わせておりません。
誰かの出血には気づけど、蓋をしてやることすらできなくて、結果私よりもあゆみの遅いと半ば見下していた相手が、その者の絆創膏となりますのがたまらなく絶望するのです。
人にやさしくとは何と馬鹿馬鹿しい事かと思っていました。
小学生や中学生特有の、自分がしてもらう分には良いのに、他人のためにほんの少し辛抱したり、苦い思いをすることが耐えられませんでした。それはかえってきました。
よその子が忘れ物をしたとき、怪我をしたとき、大きな荷物からあれこれ引っ張り出すのを見て、つい甘えてしまいました。結果、居なくなってしまいました。
置いて行かれるのが、ずっと怖かったのです。
場所移動や待ち合わせ、登下校から塾の行き帰りにあたるまで、そばに人の集まらない自分はなんと惨めかと、長い間本質を半分ほど、間違えていました。
結局は自分だったのです。私が傍若無人にふるまい、人に譲るということを学べずに、わが身の可愛さあまりに動くため、大人でもない周りはどんどん愛想をつかしていきました。
いえ、大人でした。
些細なことでも我慢がいかなくなると、自分でも抑えが効かずに家具に傷を入れてしまいました。
要件があるから話しかけられている時や、目線がこちらに向いて何かうかがっているような顔はもちろん辛抱ならないですが、ときに激化し、それは化粧水を肌にたたく音だったりするのです。
頻繁に宅配物を受け取るように指示されていたときが、ついに我慢の限界でした。
家から出られないのは元を辿ればお前のせいではないか、ゆっくり休める環境だと安堵していたらインターホンで起こされたときの不快感、そもそもそれを言った人間に対しての憎悪が、溢れ出て止まりませんでした。
そう言った時の過敏さは、普段のかき集めよりも鼻も目も耳も効き、虫をとてつもなく嫌うのに肌が出た姿でベランダに出るなどして、どうにか何も感じ取れないように塞ぐしかありませんでした。
精神科の先生にもかかりましたが、どうにも嘘をついて本当のことが言えなくなりました。最初から言えませんでした。
あいにく診断書に書いておいた嘘偽りのない本音が、私の本来の意思であると尊重され、あまり喋らなくても診察は淡々と進むので、それが助かりました。
ただやはり誰かに助けてもらいたく、しかし周りを見ればずらりと並んだ患者たちで、叫ぶための息すらできない場所でした。
抱えておきたくて救い留めている大事なものが、縦横無尽にくる嫌なものに流されてしまって、いつも手元に何も残っていないような気持ちでした。
かわいそうな状況にいる子供が、見えにくい地獄を抱え日々を耐え抜く作品が流行るたんびに、それを好き好んで観るのなら、ぜひとも私の惨状でも見て絶句してくれと、そう思う傲慢さが今だに抜けません。
可哀想だと思われたいのです、十分に努力していると言ってもらいたいのです、だから他者に優しくするのです。
私から行動しないと目もくれないような人達に苛立ちを抱え、優しさに変換し、必死こいて花束にまとめてお渡ししていますが、いつかその愚行がバレるのではないかと、焦りと安堵を同時に味わっています。
運命や必然なら、もう少しわかりやすくやってくれと、そう常に思っています。