隣家の旦那さん
「夢ちゃん、何してるの?」
ベッドに座布団を持ち込んだ私を見て、夫が質問してきた。
「今朝の夢の話ね、どうやら本当に鈴木さんの奥さんの夢だったみたいだから、夢の中で座れるようにお座布団を用意したの!」
「どう言うこと?」
今朝ゴミ出しで会って話した内容を聞かせて、その後、夢の中での自分自身の状態も話した。
「立ちっぱなしなのは、疲れると思うのよ」
実際には回ったりして、立ちっぱなしだった時間は短い。
「夢の中なんだよね? 疲れるの?」
もっともな疑問である。
「だって、朝、眠かったもの」
「あ、うん、そうだね。気が済むなら、好きにして良いよ」
妻の気が済むなら良いかと諦めたらしい。
夫のOKも貰ったので、布団の横に座布団を置いてから眠った。
暗い空間で覚醒し、光が近づいてきて、私はそれに取り込まれた。
「空飛ぶお座布団!」
気がつくと、私は座布団の上に座ったまま浮いていた。そこは何もない白っぽい空間だった。
「やったぁ! 成功したわ!」
正座を崩し、ペタンコ座りにし、楽な姿勢で浮いていた。
「ペタンコ座りもできて、パジャマって楽で良いわぁ」
スゥーと、辺りが暗くなり、黒い影に追われ、後ろ向きのまま逃げている人が見えてきた。前を向いて走った方が早そうなのに、不思議だなぁと見ていると、振り返って前向きで走ろうとしたようだけど、前には進めないみたいで、もう一度、後ろ向きに逃げ始めた。
黒い影が見えなくなり、安心したのか前を向いたみたいだけど、すると今度は前に黒い影が現れ、再び後ろ向きに逃げ始めた。
今回はこれの繰り返しみたい。
あの黒く見える影みたいなのは、何なのかなあ? 私は疑問に思い、逃げる人より、追いかける影の方に注目してみた。すると何と、追いかけている黒い影のようなものは、逃げている人と同じ顔をした人だった。そしてその影の人も、誰かから追われ、逃げているようだった。今回の人は、若いお兄さんで、見たことがない人みたい。思い当たる人がいない。
私は座布団に座って浮いている状態だけど、大きな光るキノコの上に乗って笑いながら降ってくる幼児が私の横を通りすぎると、世界が暗転した。私は慌てて幼児に声をかけたけど、今回もこちらを気には止めてくれなかった。
目が覚めると、目覚まし時計が鳴る5分前だった。時計が鳴らないように止め、タイマーで炊いてあるご飯でおにぎりを作り、日中に作り置きした冷凍のおかずを容器に詰め、夫のお弁当を作った。お弁当箱より、おにぎりとおかずの方が、移動することが多い夫には食べやすいらしい。
今日のおにぎりは、サーモンハラスと、梅干しと、おかか。サーモンハラスと、タラコと、ツナマヨを同じ日に作ったときに、カロリー爆弾3つはきついと言われたので、必ず、梅干、おかか、昆布の佃煮などのあっさり系を混ぜるようにしている。他に良いおにぎりの具はないかなぁ。今度コンビニに行って、勉強してみようかしら。
「おはよう、夢ちゃん」
「蘭さん、おはよう!」
「お、今日は元気だねぇ」
「そうなの。お座布団持ち込めたのよ!」
「え? あー、夢の中にってこと?」
「うん!」
「そりゃ、良かった」
夫は楽しそうに笑った後、顔を洗いに行ったみたい。
トーストを焼き、ベーコンエッグを作り、インスタントコーンスープを牛乳で伸ばしたものを出した。
「この赤いジャム何?」
「ルバーブよ」
「何だっけそれ?」
「ルバーブという名前の、蕗の茎みたいな野菜ね」
「野菜なんだ」
「でも、ジャム以外の使用法を知らないけどね」
「へえ」
「次のジャムも楽しみにしていてね」
「あ、うん」
夫は出掛けていき、私は可燃ゴミをまとめてゴミ出しに行った。
「おはようございます」
鈴木さんがゴミの前で悩んでいた。昨日の奥さん、琴子さんの旦那さんだ。ゴミ捨て場で出会うのはとても珍しいと思う。ゴミ出しに迷いながら、ゴミ箱の蓋を開けて中身を確認している。奥さんより少し年上らしいけど、見た目は、かなり年上に見える。
「お。おはよう」
「今日は奥さまではないのですね」
「ああ、家内は熱が出たみたいでね。まだ寝てるんだよ」
「え、昨日も顔色が悪かったようなので、どうかお大事になさってくださいね」
「ありがとう。胡蝶さんのところの若奥さんだよね?」
「はい」
「家内に伝えておくよ。では」
ゴミは無事に捨て終わったみたいだったけど、奥さんが寝込んでいるなら家事に困っているのかな?って思ったのよね。
「何かお手伝いがあったら声かけてくださいね」
私の声かけに、クルッと振り返った。
「良いのかい?」
何故か、物凄い笑顔だ。救われた!って感じの笑顔。
「何かありますか?」
女物の替えの下着の買い物でも頼まれるのかしら?
「家内が好きなケーキ屋のゼリーを買ってきて貰えないだろうか」
喫茶もある少しファンシーな店内は、若いカップルや女性のグループでごった返していて、50~60代の男性が1人で入るには、ハードルが高い。奥さんとは何度かご一緒したことがあるので、そのケーキやさんで店に間違いはないと思う。
「良いですよ」
「助かった! 5000円もあれば足りるかな?」
ゼリーは1つ300円だ。10個以上食べるのかしら?
「何個買う予定ですか?」
「家内と2人で食べきれるなら、お釣りは要らないよ。うつる病気ではないから、是非顔を出してやって欲しい」
本当に、5000円札を渡された。
「はい。お店が10時開店なので、買ったら伺いますね」
「助かるよ。お釣りは要らないからね」
「はーい」
一旦家に戻り、歩くと15分くらいかかるケーキ屋さんに出掛ける準備を始めた。
義母がビールをケース買いしたときに貰った、鉄パイプで出来た折り畳みカートにクーラーボックスを載せ、伸縮性のある荷掛け紐でしっかり固定した。
「うふん。完璧!」
少し強い日差しを気にして、緩めの長袖シャツを着て、鍔の大きな帽子で、横と後ろ側は垂れ布で首もしっかりガードして、ちょっとだけキャディーさんみたい。大きなサングラスもすれば、私に死角無し!
出発しトコトコ歩いていると、車が横に停まった。そして私に声をかけてきた。
「すみません、何をされているのですか?」
色の濃いサングラスをはずし、少し帽子の鍔を持ち上げ、声をかけてきた人の方を見た。
「頼まれたお使い中です!」
声をかけてきたのは、町内会のパトロール車に乗った副会長さんの2人組だった。
「あ、胡蝶さんか! 何かすんごい格好しているから、思わず声かけちゃったよ」
どうやら、不審者扱いされたらしい。
「お外は暑いですからね。完璧な日焼け対策です!」
「あ、うん、お使いって、どこまで行くの?」
日焼け対策については、話をスルーされた。
「○○ケーキ店です」
「もしかして、そのクーラーボックスに買って帰るの?」
「はい! 完璧でしょう?」
私の賢さに感心するが良い!と思ったんだけど、何故か少し残念なものを見る目で見られた。
「もし良ければ、乗っていきなよ。斜めの箱で運ぶと、ケーキ、崩れちゃうよ?」
ケーキ店と言ったから、ケーキを買って帰ると思われたみたい。
「パトロール中ではないんですか?」
「町民の熱中症を防止するのも、パトロールのうちだからね」
車なら3分とかからないので、乗せて貰うことにした。
「ありがとうございます。お願いします」
1km程先のケーキ店まで乗せてくれた上に、帰りも送ってくれると言って、外に待ってくれている。とてもありがたかったので、ドリンクタイプの飲むゼリーを2つ買って、渡そうと考えた。
「いらっしゃいませー」
開店直後の店内は、さすがに空いていた。
「フルーツゼリーを全種類ください」
「本日は6種類ご用意がございますが、おいくつずつでしょうか?」
「5000円預かって来ましたので、えーといくつ買えるかしら?」
「1つずつだと1800円、5000円分だと18個お求めいただけます」
5000円セットというのがあるらしく、400円分安くなるみたい。
「3つずつにして、18個下さい。後、別で、飲むゼリーを2つお願いします」
「はい。飲むゼリーは、お1つ200円ですので、400円いただきます」
私は、5400円をトレーの上に出した。
「あ、ゼリーは、持参したクーラーボックスに入れても良いですか?」
「勿論です。ご持参ありがとうございます。保冷材お付けしておきますね」
この店の会計は税込みなので、計算がしやすい。
「フルーツゼリーの賞味期限は14日間です。飲むゼリーは本日中にお召し上がりください」
「はーい」
「こちらレシートでございます。お買い上げありがとうございます」
「はーい。また来まーす」
賞味期限が14日もあるのだ。いくら有っても食べきれる。このゼリーは工場の方で作っているらしく、無人の無菌室で作るので、お店のケーキよりも賞味期限が長くて、お使い物にもってこいなのだ。大きめにカットされた季節厳選のフルーツがたっぷり入っていて、そのままでも、凍らせても美味しくて、私も大好きだ。たまに、賞味期限が近付いた物を安売りするので、見かけると買ったりする。
クーラーボックスにゼリーを18個入れたら、結構重くなった。たっぷり300g入りなので、結構なボリュームなのだ。
片手に飲むゼリーを2つ持っているので、片手でクーラーボックスを持ち、少しふらふらと歩いていたら、慌てて車から降りて助けに来てくれた。
「胡蝶さん、大丈夫?」
「予想よりゼリーが重くて」
ゼリーだけで5kg以上ある。
「ああ、ゼリーか!」
クーラーボックスで買いに来た訳を理解してくれたらしい。
そのままトランクに運んでくれたので、私は飲むゼリーだけを手に持ち、再び乗車した。
「あの、これ、乗せてくださったお礼です。私のおすすめなので、良かったら飲んでみてくださいね。瀬戸内レモンの飲むゼリーです」
「へえ、いつも嫁と娘が食べてるけど、(俺の分は無い)」
「はいはい、これ美味しいわよね。私も大好きよ。甘すぎず、酸っぱすぎず。『俺も食べたい』ってちゃんと主張すれば良いのに。夢さん、ありがとう。いただきます」
「あ、胡蝶さん、ごちそうさん」
「お二人に喜んでいただけて良かったです」
お!旨いな!と言いながら、ニコニコして飲んでいたので、渡して良かったとホッとした。
自宅まで送ってくれたので、良くお礼を言って、クーラーボックスも下ろして貰った。今度こそ折り畳みカートに乗せて、5000円分のゼリーをもって鈴木家を訪問した。