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第4話 犠牲への序曲②

 数度の殴打を受けたあと、エディンの意地は崩壊し始めた。焦点の合わない瞳が、カトレアに(すが)るように見開かれる。必死に息を整えようとするが、肋骨の辺りから鋭い痛みが走るらしく、言葉が詰まりがちになる。それでも、少しでも苦痛から逃れたい思いがあるのか、彼の口からはいくつかの名前が漏れ出した。


「殿下の傍にいる……騎士団の副長は、賭博の運営者と癒着して……金を……横流ししてる……それ以上は……俺も詳しくは知らねえ……っ!」

「なるほどね。やっぱりそういう話が出てくるのね。じゃあ次は、シエラという平民出身の娘については何か知らない? 彼女がどうやって王宮に取り入ったのか」

「し、知らない……たぶん、王妃候補の教育係が裏で後ろ盾になったとか……うわあっ!」


 言葉が終わりきらないうちに、男はまた悲鳴をあげた。今度は私兵が持ち出した金具で、エディンの手首を固定しようとしている。金具には鋭い突起があり、少しでも力を入れれば皮膚が裂けそうだ。見ているだけで吐き気を催すような拷問具。カトレアはわずかに眉を動かしながら興味深そうにそれを眺めている。


「こんなものまで使う必要があるのかしら……でも、あなたがすんなり全部教えてくれれば、こんな手間は省けるのだけど?」

「もう、やめろ……勘弁して……すべて話す、話すから……」

「そう。なら、もう少し具体的に」


 彼女の声は柔らかく響くが、その柔らかさは凶器に等しかった。エディンは完全に恐怖に囚われ、必死に断片的な秘密を吐き始める。どの取り巻きがどの官僚と繋がり、どんな賄賂をやり取りしているか。あるいは王宮で誰がスキャンダルを抱えているか。正確な情報かどうかは分からないが、カトレアには十分だった。小さな駒一つからでも糸をたどれば、大きな弱みを握ることが可能になるからだ。


「いいわ。これだけの情報が手に入れば、あとは私が組み立てていけそうね」


 カトレアはメモを取るわけでもなく、すべて頭の中に叩き込むように静かに眼を伏せた。しばし黙って考えこんだ後、私兵たちに目配せをする。すると彼らは(うなず)きあい、エディンを縛る鎖を再び締め付け始めた。


「ま、待って、まだやる気か……? もう全部話した……!」

「そう……でも、証拠というのは複数あったほうが安心なのよ。あなたには少しだけ時間をもらうわ」


 そう言い放つと同時に、私兵はエディンを奥へ引きずっていく。そこには先ほどまでランプの光が届かない陰の部分があった。その闇の中で、どのような悪夢が行われるかは想像に難くない。彼の絶叫が再び響くたび、カトレアはわずかに唇を動かして吐息を漏らす。苦痛に歪む男の姿を見ながら、まるで「くだらない悲鳴ね」とでも言いたげな眼差しだった。


「これで終わりじゃないわ。あなたにはまだ『改めて話す』ことがあるでしょう?」

「うあああっ……が、がはっ……頼む、殺してくれ……!」


 半ば狂乱状態の男の言葉を聞くと、カトレアはくすりと微笑みを浮かべた。それはまるで、楽しんでいるかのような表情だ。彼女は椅子から立ち上がり、一歩ずつエディンに近づく。靴音が湿った床に落ちるたび、絶望が増幅されていくのが手に取るようにわかる。


「安心して。私はあなたをすぐには殺さないわ。それより大切なのは、あなたがもう少し……協力してくれること。そしたら、死ぬほどの苦しみを味わわなくても済むかもしれない」


 声は優しさを装っているが、その実態は心を凍らせる残酷さだ。彼女の目に映っているのは、ただの駒にすぎない。必要とあればいつでも破棄できるが、当面は利用価値がある――その判断が、カトレアの理性を支えているのだろう。エディンの腕や脚にはさらに新たな拘束が施され、悲鳴は絶え間なく続く。それでも、カトレアは微動だにせず、彼の苦しむ姿をしっかりと見届けた。


 こうして初めての「犠牲者」は、彼女の手中で充分すぎるほど追い詰められた。拷問が一段落した後、エディンはよれよれの姿で倉庫の一角に転がされ、口中に血の味を噛み締めながら息も絶え絶えにうずくまる。恐怖と痛みによって、もはや正気を保てていない。そうなればあとは、カトレアが望むタイミングで記録や証言を引き出すだけだ。


 翌日、王宮周辺で奇妙な噂がささやかれ始めた。レオネルの取り巻きである若い貴族子息が、突然姿を消したというのである。友人たちが彼を探しても行方がわからず、何者かに拉致されたのではないかと騒ぎ出す者もいた。宮廷の一部では「恨みを買うようなことをしていたのだろう」と噂する者もいれば、中には「金の問題で逃亡したのかもしれない」と冷ややかに見る者もいた。真相は何一つ分からない。


 しかし、一部の敏感な人間は、カトレアの名前を(ささや)き合い始める。あの屈辱の夜会から日が経っていないにもかかわらず、公爵家の娘が何か企んでいるのではないか――という漠然とした不安が、風のように広がりつつあったのだ。ただ、それを表立って口に出す者はいない。証拠がなく、何より公爵家の力を恐れるからだ。


「まさか、彼女が動いているのか……?」

「でも、どこにも姿を見せないのに? 本当にそんなことが可能なのかしら」


 どの囁きも曖昧(あいまい)なまま、具体的な形にならない。だが、裏では明らかに「何か」が起こり始めている。その得体の知れない空気が、じわじわと王宮周辺を蝕んでいった。レオネルは相変わらずシエラとともに未来の婚礼準備に忙しく、こうした不穏な話題をうまく耳に入れようとはしていない。だからこそ、カトレアにとっては都合のいい状況が続いているのだ。


 エディンの「失踪」をきっかけに、不安と疑惑がわずかな波紋を広げていく。けれどまだ、誰もその波紋の底にカトレアがいるとは確信できない。そうとも知らずに、カトレアはさらに手を伸ばし、ほかの取り巻きや高官に狙いを定めていく計画をゆっくりと進めている。あの倉庫での凄惨な拷問が、ほんの始まりにすぎないことを、彼女自身が一番よく知っていた。


「必要なら、私は何度でもあの地獄を作り出すわ」


 公爵家の屋敷に戻ったカトレアは、夜の闇の中、相変わらず誰もいない地下室に灯りをともす。そこには、すでに別の目的のために用意した拘束具や毒薬が揃えられている。エディンを捕らえたときに使った拷問道具は、短時間であれだけの成果を上げた。ならば、もっと残酷な手段を用いれば、レオネルたちを取り巻く厚い壁を一つひとつ崩せるだろう――その確信が、彼女の胸には強く根付いていた。


 残るのはただ、さらなる犠牲を積み重ねること。それが王宮をどれほど不穏に揺さぶり、どれほど多くの悲鳴を生むかは、もう想像もできない。しかし、カトレアにとっては些末(さまつ)なことだ。結局、誰一人として彼女を助けなかった。その代償を今、彼女は冷酷に求めているだけなのだから。


 こうして最初の「犠牲者」を手にかけたカトレアは、拷問と恐怖を武器にさらなる陰謀へ踏み出した。まだ表向きには大きく騒がれていないが、少なくとも一人の貴族子息が社会的に破滅し、己の精神までをも砕かれる結果となったのだ。その断末魔が生々しく胸に残りながら、カトレアは地下室の暗闇で口元を(ゆが)める。まるで自分が着実に「夢」へ近づいているとでも言うように。傷付いた者、消えていく者の存在を振り返ることなく、彼女はさらなる破滅を蔓延(まんえん)させる準備を始めている。


 闇は深く、まだ王宮や貴族社会がそれを正面から見る勇気を持っていない。人知れず拷問に(たお)れたエディンの血の叫びは、狭い倉庫の空気を染めただけで終わった。誰もが表面に顔を出さない不穏に気づきながら、何も確信を得られず声を上げられない。そんな闇が、薄皮を()ぐように広がり始める。それこそが、カトレアが望んだ混乱の序章だった。

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