第14話 断罪の舞台①
都の中央広場に立ちこめる煙と埃が、熱気とともに人々の胸をざわつかせていた。元は行商や祝祭が賑わうはずの場所が、今はまるで刑場のように陰鬱な空気を湛えている。広場の一角には粗雑な台が組まれ、そこへ引きずり出されたのは、やつれ切ったレオネルだった。手足は縛られ、顔には腫れや裂傷が幾筋も走っている。すべてを失い、苦悩と恐怖の暗闇に沈んだまま、彼はうつむいていた。
カトレアが率いる私兵と、暴徒化した民衆が押し合うようにして周囲を取り囲んでいる。そのどちらにも敵意や不満が渦巻き、時折、暴力的に殴り合いが起こる。しかし、その混沌の中心には、ひときわ狂気を宿した瞳で静かに微笑むカトレアの姿があった。彼女は黒いマントのような布を身にまとい、揺れる炎に照らされた顔をあからさまに歪めている。
「さあ、皆さま。今こそ見るがいいわ。国を崩壊の淵に追い込んだ“元凶”を」
カトレアの声が狭い空間に染み渡り、集まった者たちの視線が一斉にレオネルへ注がれた。驚きも戸惑いも飛び越えたような殺気が、どこからともなく湧き上がる。町を焼き、略奪に明け暮れる私兵たちすら、いまは興味をそそられたかのように台を見上げている。
「元凶……? だけど、殿下が……いや……」
「誰でもいい。こんな惨状を生み出したやつを血祭りにあげろ……!」
悲鳴とも嘲りともつかない民衆の囁きが波紋のように広がる。彼らの多くはすでに正気を失っていた。家や家族を失った者、飢えと恐怖に追い詰められた者、単に破壊を求める若者――理由は様々だが、その心は限界を超え、目の前にいる「王家の人間」へ刃を向けるだけの狂乱に陥っていた。王家の権威など今や意味をなさず、荒ぶる感情のはけ口を求める群衆が唸るように声を上げている。
カトレアは微笑んだまま、レオネルの髪をわしづかみにして顔を上げさせる。その瞬間、レオネルの虚ろな瞳が広場の混乱と、絶えず揺れる炎の光を捉える。しかし、彼の表情には生気がない。唇はひび割れ、血の跡もそのまま乾いている。明らかに深刻な衰弱が見て取れ、もはや声すら出ない様子で、ただ苦しそうに喉を鳴らすだけだった。
「見なさい、殿下。あなたが統べるはずだった国の姿を。ああ、もう『殿下』じゃないか。無力な男に、そんな称号は相応しくないわね」
レオネルは何か言おうとしてかすかに唇を動かすが、声にならない。シエラを喪った衝撃がいまだに胸を抉り、己の存在意義も見失っている。思い返せば、周りを守るどころか、取り巻きも失墜し、愛する人も救えず、自分自身さえ無力に折れたままだ。そんな後悔が頭の片隅を埋め尽くすが、それでももうどうしようもないと感じていた。
「さあ、あなたが望まなくても、幕は上がったわ。王家の無能さは人々の記憶に深く刻まれ、あなたはすべての罪を背負う役回りになる。それくらいの罰が丁度いいのではないかしら?」
カトレアはそう言い放つと、台の上にあった短い槍を手に取り、レオネルの胸元に突きつける。民衆がどよめき、私兵が笑い声を上げる。血走った眼差しが無数に集まり、一刻も早く虐げたい、血を見たいという欲望がじわじわと広場の雰囲気を熱狂へと変えていく。大勢の喉が「殺せ」「報いを受けさせろ」と低く囁き合う。
「……殺し……て、くれ」
薄ら笑いを浮かべるカトレアの前で、レオネルが力を振り絞って呟いた。完全に希望を失ったまま、命乞いの言葉ではなく、死を望む言葉が出るあたり、彼の絶望は最高潮に達している。だが、それを聞いたカトレアは面白がるように表情を歪め、槍の穂先で彼の顎を上に向けた。
「殺して欲しい? あなたが望むなら、苦痛なく逝かせてあげたい気もするけれど……私にはあまり魅力的な提案ではないわ。だって、こんなに素晴らしい舞台が用意されているんですもの」
その瞬間、広場の周囲から奇声が飛び交い、石やゴミが台に投げつけられる。民衆の怒りと憎悪は制御不能な段階に達していた。長年の不満、今回の暴虐と混乱、すべての不条理が凝縮されたように、眼の前の王家の男に牙を剥こうとしている。うつむき続けてきた者もいつしか拳を握り締め、身体を震わせて叫ぶ。
「おまえがすべての原因だ……! おまえの無能さが国を滅ぼした……!」
「いや、連中が勝手に戦を煽ったのだ……もう誰が正しいか分からない……でも、こいつは生かしておけない……!」
そうした声が重なり合い、罵倒と嘲笑が盛り上がっていく。私兵たちはその様子を見て笑い、カトレアはレオネルへの非難を促すようにかすかに手を上げた。群衆から投げられた石がレオネルの頭や背に当たり、血がにじむ。彼は抵抗する力もなく、かろうじて腕を上げて顔を庇うだけ。だが、民衆はさらにエスカレートし、近づいて蹴りを入れる者も現れ始めた。
「こんな奴、剣で串刺しにしちまえ!」
「すべてを奪われた恨み、晴らさせてもらうぞ……!」
レオネルは痛みを感じるより先に、意識が飛びそうになる。ぼんやりと視界に映るのは、歓喜に似た怒声を上げながら殴る蹴るを繰り返す集団。台上の狂乱があまりに激しいため、カトレアの私兵ですら一歩引いて見守る形になっている。ついに統制が崩れ、彼女の命令以上の暴力が噴出し始めたのだ。
「あなたたちも相当な鬱憤を溜めていたのね。けれど、まだ物足りないなら、思う存分やらせてあげるわ」
カトレアはにこやかに呟くが、その笑みの中には自分自身も焼き尽くしてしまいたいような狂乱が透けて見えた。どこかで限界を迎えた民衆が、レオネルだけでなくカトレアにも視線を向け始めていることに、彼女は気づいているかもしれない。だが、それすらも楽しもうという思惑なのだろうか。
「それでも、あなたからすべてを奪った代償は、まだ足りないのよ。もっと苦しみなさい……もっと、私を笑わせて……」
いまだ散発的に殴られているレオネルは、歯を食いしばって耐えながら、声にならない嗚咽を漏らす。あまりの衝撃に、そろそろ骨が軋んでいるのがわかるが、不思議と痛みを超えた鈍い感覚に包まれていた。彼の視線はいつしか宙をさまよい、ただ「シエラ」の名を心の中で呟くのみ。呼吸が詰まり、黒い影が視界を覆いかけたとき、予期しない事態が起きる。