第11話 王宮の崩壊②
翌日、レオネルはこれまで以上に疲弊した面持ちで、王宮内の会議に顔を出す。表向きは「内乱や近隣国の動きを議論する場」だったが、実際には各派閥が互いの弱みを探り合うだけの空虚な時間となった。兄王子は冷ややかな視線をレオネルに向け、周囲もそれを傍観するだけ。結局は何ら決定事項もないまま、会議は散漫な終わり方をする。
「今のおまえでは、何を言っても聞き入れられないだろう、弟よ」
そんな兄王子の苦笑交じりの言葉に、レオネルは歯を食いしばるしかなかった。焦りと怒りは頂点に達しているが、表情に出せば出すほど「精神的に不安定」と見なされ、仲間は離れていく。彼はまさに進退きわまった獣のように、口を噛み締め、爪を立てながら、その場を去る以外なかった。
そこへ、廊下の奥から影が迫る。衣擦れの音が聞こえ、ふと目をこらすと、そこにはカトレアが立っていた。いつの間にか存在感を消していた彼女が、優雅に一礼してみせる。その表情は妖艶な笑みをたたえていて、レオネルの背筋を凍りつかせる。
「どうしたの、殿下。随分と憔悴しているようね。お身体は大丈夫かしら?」
あまりの無遠慮な言葉にレオネルは感情を爆発させそうになるが、ぐっとこらえて彼女を凝視する。口を開けばそのまま暴力をふるいかねない衝動を抑え込んだうえで、低い声で問いかけた。
「おまえが、シエラを……いや、すべてを裏で操っているのか……!」
「私? さあ、何のことでしょう。殿下こそ、追い詰められたあげく、おかしな想像をなさっているのではないかしら」
カトレアの言葉は、まるでトゲのついた槍でレオネルを突き刺すかのような鋭さを帯びていた。瞬時に逆上しそうになるレオネルだが、何も証拠がないまま無闇に声を荒げれば、自分の立場がさらに悪くなるだけだ。それを分かっているからこそ、歯を食いしばりながら言葉に詰まる。
「私にも噂は聞いているわ。誰かがあなたの周囲の人を狙っているとか、いろいろね。でも、私などには関わりのない話だもの」
嘲るような言葉に、レオネルの瞳が怒りで燃え上がる。しかし、カトレアはきれいな微笑みを浮かべたまま、彼の腕をすり抜けて通り過ぎる。手を伸ばそうとした瞬間、何人かの貴族が視界に入り、彼は掴みかけた手を引っこめるしかなかった。乱暴を働けば、逆に周囲の目は「レオネルが狂った」としか映らないからだ。
「シエラは、どこだ……!」
唸るような声に、カトレアは振り返りもせず、かすかに肩を揺らして笑っているように見える。彼女の足音が廊下の奥へ消えていくのを、レオネルはただ立ち尽くして見送るしかなかった。その背には、冷ややかな視線が注がれ、失望と侮蔑の囁きが飛び交う。
「殿下、まるで正気を失っているかのようだ」
「いよいよ王家も終わりかもしれないわね」
こうしてレオネルの焦りは極限に達し、もはや自分もどこまで正気を保てるのか分からなくなっていく。目の下には深い隈が刻まれ、頬は痩せこけ、よく眠れないまま彷徨う夜が続く。王家の権威は地に落ち、兄王子や叔父を中心とした争いが激化すれば内乱に発展してもおかしくない状況だ。近隣諸侯や敵対する他国がこの機に乗じて介入してくる可能性も高まり、国そのものが崩壊しかねない――そうした噂が、もう噂だけでは済まない現実味を帯び始めている。
そして、そんな情勢をカトレアは暗がりでじっと眺めていた。崩壊の予感に満ちた王宮、果てしない不信感に塗り潰される人々、そして苦悶に沈むレオネルとシエラ。そのすべてが、彼女の深い欲望を満たしてくれる材料だった。自分が抱いた復讐の炎が、今や国全体に燃え広がろうとしているのだ。彼女は窓辺に立ち、瞳を薄く開いたまま低く笑みを漏らす。
「まだ足りない。もっと多くの人が絶望して、地に伏せればいい。この国ごと壊れてしまうくらいで、ちょうどいいのよ」
その声には、確かな決意が含まれている。すでに彼女の陰謀はレオネル一人を苦しめるだけの域を超え、大勢の命と運命を巻き込むほどの破滅へと成長しつつあった。かつての婚約破棄の夜会で受けた屈辱が、今や国全体を揺るがすほどの憎悪と狂気を生み出し、誰も止められない流れを作り出している。
朝になっても、王宮の重苦しさは晴れない。ある部屋では失踪者の記録を更新している役人が「もうこれ以上処理できない」と嘆き、別の階では徹夜の警備を続ける兵たちが「いつ寝首をかかれるか」と怯えている。噂される「見えない手」はどこにでも忍び込み、どんな身分の者でも容赦なく死へ追いやる。そうした不安が人々の心を蝕み、結果として城内は混乱を極めるばかり。レオネルは限界を越えた顔つきで人を呼び止めては「シエラの手掛かりは」と問い詰めるが、答えはいつも無力な沈黙だった。
「殿下、申し訳ありません。新たな情報は……」
「くそっ……なぜだ、なぜ誰も見つけられない……!」
その声は廊下に空しく響き、人々の胸にかすかな同情を引き起こすものの、行動へと移す者は一人もいない。こうして、王宮がさらなる悲劇に向かう道を早めるだけの時間が流れ、誰も救いを差し伸べないまま、レオネルの精神はじりじりと崩壊に近づいていく。もはや、彼の瞳には光が宿らず、焦燥と呪詛だけが渦巻いているようにも見えた。
そして、その陰で冷たい微笑を浮かべるカトレアの姿こそが、王宮の最深部に巣食う闇そのものだと、いったいいつ誰が気づくだろうか。彼女が抱く「この国ごと壊す」という邪念が、近いうちにさらに悲惨な結末を呼び寄せるのは避けられない。レオネルの暴走と発狂がどれほどの惨事を引き起こし、シエラをはじめ多くの命を巻き込むか――その全貌はまだ明らかにならないが、すでに光の道は閉ざされている。出口の見えない苦悶と絶望が濃密に満ちた王宮で、破滅の足音だけが大きくなっていくのだった。