第10話 地下室の悪夢②
地下室の中では、次々と道具を替えてシエラを追いつめるカトレアの姿があった。最初は金属の針や鞭、次は錆びた鎖や滑車のような器具を使い、シエラの腕や脚にじわじわと圧力をかける。悲鳴を必死に噛み殺そうとしても、破れるような痛みが神経を蝕み、その度に抑えきれない声が漏れてしまう。
「もっと聞かせて。あなたが泣き叫ぶ声、あの殿下がいかに無力かを証明してくれるわ」
カトレアの口元が笑みを含んだまま、シエラの両脚を引き伸ばすように固定する。関節が外れそうなほど引っ張り上げられ、骨が悲鳴を上げる。シエラは涙を流し、視界に星が飛ぶような感覚に陥りながら必死に意識を保とうとする。薄れゆく意識の中で「助けて……」と呟くが、届く相手などいない。
何度も激痛の波が訪れ、吐き気さえ感じるほど身体は乱れたまま。血の匂い、汗と唾液、汚れた床から漂う黴臭さが混ざり合い、呼吸するだけで苦しさが増す。カトレアは一切手を緩めず、たまに顔を近づけては、細い声で「気を失わないで」と囁く。まるでシエラの絶望を隅々まで味わいたいのだとでも言わんばかりだった。
「そう簡単に壊れられたら、私の楽しみがなくなるもの。あなたの悲鳴は、まだまだ聞き足りない」
その度に、シエラは呻き声を上げ、顔を涙と血で濡らす。身体は痣と切り傷だらけで、拘束の痕からも絶えず血がにじむ。深夜から朝にかけて、どれほどの時間が経過したのかもわからなくなった頃には、彼女の声はかすれ果て、微かなうめきしか出なくなる。それでもカトレアは執拗に肉体的・精神的苦痛を与え続けた。
外の世界では、捜索願を出したレオネルが焦りに焦り、王家の権威を持ち出して騎士団を叱責しようと試みるが、すでに上層部は形だけの賛同を示すだけ。実質的に動く気配はなく、報告書には「目撃情報なし」「捜査は続行中」などの紋切り型の文章が並ぶだけだ。汚職と恐怖が蔓延している現状を、レオネル自身も改めて悟るが、どうすることもできない。そんな無力な主を見限って、次々と部下は離れていくばかりだった。
「こんなところで、終わるわけには……シエラ、待っていてくれ……!」
孤独を噛み締め、レオネルが自室の壁を叩く音がむなしく響く。しかし、その声もシエラのもとには届かない。彼女はあの地下室で、痛みの渦にのまれながら、何度も何度も意識を手放しかけるたびに、カトレアの冷酷な言葉で呼び戻される。明るみの出ない獄舎の底で、シエラはただ虐げられ、血の滲む苦痛に浸り続けるしかなかった。
そして、疲れ果てたカトレアがようやく道具を片付け始めた頃、地下室には死屍のように横たわるシエラの姿が残った。呼吸は浅く、瞳は焦点を失ったまま天井を見つめている。全身は無数の小さな傷口や痣で覆われ、髪や肌は汗と涙と血に塗れてしまっていた。表情の奥にあるのは、限りない絶望と屈服。もはや言葉を発せられないほど衰弱したシエラを見下ろしながら、カトレアはゆっくりと微笑む。
「きっと、あなたの王子様はどこかであなたを探し、叫んでいるのかもしれない。でも、ここは絶対に見つからないわ。人は皆、自分が生き延びるために、私から目を背けるのだから」
その言葉にシエラは口を開こうとするが、声が出ない。代わりに血混じりの唾液がわずかに吐き出され、床を汚す。カトレアは軽蔑するような視線を投げかけながら、折れそうなシエラの指をひとつずつ丁寧になぞった。捻じれた関節が異常な位置で膨らんでおり、見るだけで痛みが蘇る。
「私たち、もう少しこのまま楽しめそう。ああ、次はどんな苦しみを与えようかしら」
その囁きに、シエラは意識が朦朧としながらも、恐怖の奔流にのまれるように涙をこぼした。まるでここが地獄そのもので、自分は抜け出すことなどできない運命だと示されているようだ。こうして、彼女はただ痛みと絶望の中に取り残される。どんなに祈っても助けは来ず、叫んでも声が広がることはない――それがカトレアの掌で仕組まれた「地下室の悪夢」だった。
王宮では、捜索の形だけを繰り返す日々が続く。レオネルの願いも甲斐なく、役人たちの怯えと汚職が重なり、シエラの行方は闇に葬られる一方だ。部下の中には「こんな事件に関わると自分も殺される」と噂する者まで出る始末。結果、捜索は牛歩となり、深夜にこっそりおこなう聞き込みすらも裏切りや脅しで立ち消えになっていく。
こうして、シエラは誰にも気づかれないまま地下室に縛り付けられ、拷問の地獄を何度も繰り返し味わうことになる。薄暗い空間に満ちるのは、息を潜めた血臭と、落ちてはまた上がる悲鳴の残響。カトレアはその中心でわずかに微笑みながら、「次」への計画を練り始めていた。シエラ一人を痛めつけただけでは、まだ物足りない。もっと大きな破滅と地獄を、この世界に広げるために。
そして、深夜の公爵家の屋敷には、再び重々しい静寂が広がる。シエラがかすかに震えるたび、床に落ちた血滴が一点ずつ連なって小さな跡を作る。そこにカトレアの足音が重なるたび、その跡を踏みつける音が地下室の壁を伝わって空気を震わせる。地上にいる誰一人として、ここで行われている凄惨な光景を知らず、告げられず、ただ夜の闇と共に時間だけが過ぎ去っていく――それが、この地獄の光景の唯一の現実だった。