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第9話 血染めの警告②

 一方、カトレアは公爵家の閑散とした一室で、そっとカーテンを引いては夜の空気を感じていた。遠くに見える王宮の塔は、そこだけが鮮烈に闇に沈んでいるように見える。手元には使い捨ての短剣が一本。丁寧に磨かれ、刃についた血痕などはきれいに拭い去られている。匂いを近づけると、薬品の名残がわずかに鼻孔をくすぐる。甘い香りが夜の静寂に溶け込み、カトレアは(かす)かに目を細めた。


「殺すのは簡単。でも、死体を見せつけるのはもっと楽しいわ。あの血文字がどれほど王宮を脅かすか……想像するだけで、胸が(ふる)える」


 (つぶや)きは淡々としているが、その内心には狂気を(はら)んだ満足感が満ちている。今回の殺害は、単に「都合の悪い者を排除する」というだけでなく、「王宮へ明確な恐怖を植え付ける」という意図が強い。シエラやレオネルが絶対に自力で反撃できないよう、周囲の支援者を潰し、さらに血塗れのメッセージで今後の不干渉を強制する。これが彼らにとってどれほど息苦しい枷となるか、カトレアは考えるだけで愉悦(ゆえつ)を感じた。


「まだまだ足りないわ。もっと大勢が恐怖に震える姿を見てみたい。何より、あの二人がどこまで耐えられるか……ふふ」


 声は小さく響き、夜風に(さら)われて消えていく。誰もいないはずの廊下から、足音が近づく気配にカトレアは身を固めるが、扉の向こうで止まっただけで何も起こらない。あるいは使用人が通りかかったのだろう。彼女は特に構わず、再び短剣を眺める。自分の手を血に染めることなど、もはや何とも思わなくなっている。むしろ血の臭いが、生きている実感を呼び起こすかのように感じられた。



 その頃、王宮では騎士や役人がみな頭を抱え、噂が雪崩のように広まっていく。


「これ以上こんな事件が続けば、王都全体が大混乱に陥る……」

「だが、犯人はどこにいる? どこにも手がかりがないじゃないか……」


 被害者がレオネルを助けようとしていたという話もすぐに拡散され、あちこちで「シエラやレオネルに近づくと命はない」という言葉が(ささや)かれるようになった。ほんの少しでも二人に協力しようとする者がいれば、その噂に震え上がって撤回してしまう。まさに、カトレアが望んだ構図が現実になっているのだ。


 レオネルとシエラは、ダリオの死を知るや否や深い衝撃と後悔に(さいな)まれた。シエラなどは実際に顔面蒼白のまま床に倒れ込み、祈るように手を合わせるしかなかった。レオネルが無理やり手を貸して立たせても、彼の目にも明らかに彼女が心神耗弱の状態にあることが分かる。だが、自分の力が及ばないという事実が容赦なく彼らを追い詰める。


「ごめんなさい……ごめんなさい……ダリオさんに、何の罪もないのに……」

「シエラ、落ち着け……俺も、どうすればいいのか分からない……」


 二人は抱き合うようにして廊下の端に立ち尽くす。彼らの周囲を、冷ややかな視線がかすめていく。誰も手を差し伸べようとせず、むしろ距離を置いて、その姿を遠巻きに見つめるだけ。王宮内の恐怖と緊張はすでに限界を超えていて、誰もが自分の身が危険に晒されることを恐れるあまり、二人に近づくことを避けようとしていた。


「………こんな地獄が、いつまで続くんだ……」


 レオネルがかすれた声で(つぶや)いたとき、シエラの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。だが、彼女は(すす)り泣くだけで、言葉を発しない。苦しみや悲しみが混じり合い、もうどう表現すればいいのか分からない状態なのだ。ここが華々しいはずの王宮だとは思えぬほど、殺気と悪意に満ちた陰惨な雰囲気が支配している――そう痛感せずにはいられない。


 こうして、さらなる死と血の匂いが王宮全体に染み渡った。ダリオの死体とその血文字が意味するものは、誰も正面から解読できないまま、ただ「何者かの警告」として受け止めるしかない。恐怖と絶望が連鎖し、人々はみな心を閉ざし始める。レオネルとシエラは何ひとつ状況を変えられず、むしろ次に自分たちが狙われる可能性さえ感じて身を硬くする。もはや王族同士の暗闘すらかすんで見えるほど、深い闇が迫ってくるようだった。


 そしてカトレアは、その陰惨な報せが広がる様子を静かに受け止めながら、まるで闇に溶け込むように微笑を浮かべる。今回の殺人は明らかに自分の意志で成し遂げた「殺害」であり、さらに血文字という形で世間を威嚇(いかく)している。自分の狂気を、血のメッセージで世に知らしめるかのような行為――その事実が、カトレアの胸の奥で荒々しい喜びを()き立てるのだ。


「これで、あの人たちはもっと深い苦痛に沈むわ。まだまだ、終わりではない……」


 そう(つぶや)く声には、一片の躊躇(ちゅうちょ)もない。彼女にとって暴力と死は、もはや当然の手段であり、誰かがいくら命を落とそうとも構わない。それによってレオネルとシエラが限りない孤立と恐怖に(さいな)まれるのなら、むしろ望むところだ。血の粘つく臭い、絶望に打ち(ふる)える人々の姿、それらすべてがカトレアの心をかき立て、その狂気を加速させていく。


 王宮の廊下には悲鳴と泣き声がこだまし、陰鬱な沈黙が重ねられる。今や、誰もが次の惨劇を恐れ、疑心暗鬼を深めるばかり。あの血のメッセージがもたらすのは「これからもっと酷いことが起こる」という暗示だ。まだ第二の殺人にすぎない。王宮を巡る暗い勢力争いと、カトレアが燃やす復讐心は、ますます込み上げるように融合し、さらなる惨劇への序曲を高らかに奏でているかのようだった。今この瞬間も、誰かが狙われているかもしれない――そう思うだけで人々は肝を冷やし、レオネルとシエラは自分の身すら守れない無力さを噛みしめるほかなかったのである。

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