表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/28

第7話 追い込まれる日々②

 一方、シエラの苦悩はますます増していく。昼夜を問わず押しかけて問い詰めてくる使者や、匿名の脅迫めいた手紙。彼女が外を歩けば、まるで見せ物のような視線が集まる。ある貴婦人などは彼女を見つけると、わざとらしく鼻をつまみ「あら、噂どおりに下賤の香りがしますわね」と嘲笑した。周囲の取り巻きも笑いを(こら)えきれず、くすくすと(ささや)き合う。シエラは唇を噛みしめながら、うつむいて立ち去るしかなかった。


 夜になると、彼女は少しでも安堵の時間を得ようと自室に()もる。しかし、廊下の奥から聞こえてくるのは、またしても陰口だ。さらに、つい先日までは彼女を「平民代表」として親しげに扱っていた下級貴族が、大胆に裏切りとも言うべき行動に出ている。例えば、シエラが支援していた孤児院を訪ね、「シエラからはもう金は期待できない。おまえたちも早々に逃げ道を探した方がいい」といった言葉を吹き込んでいるらしい。噂を耳にし、直接確かめようとするが、もう誰も彼女を信用して話そうとしない。


「殿下……わたし、何をすれば……どこをどうすれば解決するのでしょう……」


 レオネルの私室に駆け込んだシエラは、(ふる)えながら言葉をこぼすしかなかった。気丈に振る舞おうとするも、身体から力が抜けていき、もはや立っているのがやっとだ。レオネルもまた、限界を迎えつつある疲労と無力感が表情に浮かんでいて、二人で手を取り合ったところで互いの不安が増幅されるだけだった。


「わからない……俺も、どう動けばいいのか……一度国王に直談判しようとしたが、取り巻きがいない今は面会すら叶わない。あの方たちは俺を避けているんだ」

「そんな……」


 シエラはただ目を伏せ、唇を噛む。王家の内部で何か大きな力が働いているのか、あるいは別の貴族が糸を引いているのか、それとも得体の知れない裏社会が動いているのか――どれを考えても結論は出ず、自分たち二人は隅へ隅へと追いやられるばかり。まるで脱出口のない迷路を彷徨うような心地だった。


 この光景が、遠巻きに見えない糸で操られていることなど、二人は想像もできない。実際は、カトレアが徹底してシエラを追い詰める土台を作っているだけで、周囲の貴族たちが勝手に「共倒れ」の道へ駆け込んでいるのだ。カトレアが表立って動かなくても、シエラとレオネルの孤立は加速していく。それこそが彼女の思惑通りであり、狙い通りの結果だった。


 そうして日が経つにつれ、シエラの心身はじわじわと(むしば)まれる。夜が明けるごとに、彼女は目の下に(くま)を作り、足取りもおぼつかない。誰もがそれを遠目に見て「いつまで耐えられるだろう」とささやくが、直接助けようという声は出てこない。平民から引き上げられた存在への嫉妬や軽蔑が、まるで毒のように王宮を包み込んでいるかのようだ。


「……これがわたしの、望んだ未来だったのでしょうか……」


 自室で膝を抱えているシエラの姿は、以前の慈善活動に打ち込む活気ある女性とはまるで別人のようだ。荒れた息、開け放たれた窓から流れ込む夕刻の冷たい風が、彼女の皮膚をぞっとするほど刺す。差し込む赤い陽光が、か細い願いと絶望の深さを同時に浮かび上がらせる。そこへ、ただ一人レオネルが訪ねてきて、黙って隣に腰を下ろす。


「シエラ……俺は、おまえを救ってやれずにすまない。どれだけやろうとしても、周囲の視線が冷たいんだ」

「殿下のせいじゃありません……わたしが……もっとしっかりしていれば……」


 二人がか細い声で語り合う時間。それは一見、かすかな救いに思えるが、彼らの疲弊を際立たせるような無力感があるだけだった。手を取り合っても、そこから何一つ前に進めない。親しくしていた者たちは皆、姿を消すか、背を向けてしまった。王家の内部ですら、レオネルを敬愛する声はほとんどかき消されている。


「いったい……誰がこんな状況を仕組んでいるのだ……」


 小さく(つぶや)いたレオネルの問いかけに、シエラは答えることができない。目を合わせても空虚な気配があるだけで、周囲の闇がますます濃くなるのを感じる。この先、失うものが何もなくなるまで追い詰められるのだろうか――そんな底知れぬ不安が、まるで蛇のように二人の心に絡みつく。


 そして、その光景を想像する者が一人、公爵家の奥深い空間で静かに微笑んでいた。カトレアは、自らの手を汚さなくともシエラが自壊の淵に立つさまを思い描き、深く満足している。直接殺すのではなく、じわじわと追い詰め、苦痛と孤立を最大限に味わわせてからどん底に落とす――その過程こそが、彼女にとっての最大の喜びとも言えるのだ。


「焦らなくてもいい。このまま、あの娘の心が砕けるまで待てばいいわ」


 血の香りこそしないものの、感情を(むしば)まれ、周囲から嘲りを受け、やがて身も心も衰弱していく光景は、彼女が望む破滅の一部にすぎない。もはや単なる恨みや(ねた)みといった生易しい感情ではなく、もっと深い狂気がカトレアの内に息づいている。何もかも「与えられた幸福」を壊し、相手から全てを奪うことにこそ、彼女は意味を見出しているのだ。


 こうしてシエラは、日々の中で四方から重圧をかけられ、ゆっくりと正常な判断力を失いつつあった。一縷の希望を求めて手を伸ばしても、そこには誰もいない。レオネルが存在するけれど、彼もまた立ち塞がる壁をどうにもできず、焦燥と不安を抱えるばかりだ。王宮の噂はさらに陰湿化し、「平民が高望みするからこうなるのだ」「成り上がりが身の程知らずの行いを重ねた罰だ」といった声が後を絶たない。


 誰も明確な証拠を示さず、ただ冷たい嘲笑と偏見のまなざしでシエラを追い込む。彼女が真実を訴えようと声を上げても、それは閑散とした廊下に虚しく反響するだけ。手紙や書類を揃えても、「平民ごときが捏造しているのでは?」と返され、理が通じないまま打ち砕かれる。もはや、シエラに残された道は祈りと涙だけなのかもしれない。


 まもなく、王宮にはさらなる不穏な噂が広がり始める。それがどのような形で二人を襲うのか、まだ誰も具体的には知らない。だが、少なくともこのまま事態が収束する望みは薄く、むしろ新たな混乱と闇を(はら)んでいることを、空気が物語っていた。人々の胸に芽生えるのは、出口のない嫌悪と不安。そうしてシエラは、平民として育ち貴族の世界に引き上げられたがゆえの苦しみと絶望を、一身に背負う形で沈んでいく。彼女がどんな苦悶の声を上げても、周囲はただ見て見ぬふりを続けるだけだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ