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第6話 深まる狂気②

 その頃、公爵家の地下室では、カトレアが一枚の紙片を手にしていた。そこにはカストルという官吏が持っていた書類の抜粋が記されている。もちろん、カトレア自身が自ら出向いて殺したわけではない。彼女は金を使って複数の手を用意し、不要な駒を排除する仕組みを作り上げているだけだ。実際に手を汚すのは、闇から報酬を得た者たちだろう。しかし、カトレアは微塵(みじん)も良心の呵責(かしゃく)を抱いていない。


「ふん……こうして死者が出たところで、わたしが焦る理由などないわ」


 (かす)れた声で(つぶや)き、紙片を投げ捨てる。カストルの手元にあった情報は大したものではなく、彼女の陰謀を白日のもとに晒す決定打とはなり得なかった。彼が無惨な最期を遂げたという報せは、むしろカトレアにとって都合がいい混乱を招き、さらなる恐怖を王宮に植え付けることができる。血の臭いにまみれた事件が、人々をうろたえさせるのを容易に想像できた。


 暗い地下空間で、カトレアは錆びついた鎖を指先で揺らしながら微笑んでいる。既に確固たる計画が彼女の内にあるわけではない。しかし、ここに至って死者が一人や二人増えた程度で終わるとも思っていない。むしろ、まだ始まったばかり。彼女が望むのは、レオネルとシエラが完全に破滅へ追い詰められ、苦しみの絶頂を味わう光景だ。その道筋を少しずつ作り出している今こそ、「前奏曲」にすぎないという自覚がある。


「さて、次は誰が死ぬのかしら。あるいは、どんな形で苦しむのか……楽しみね」


 その声には残酷な熱がこもっていた。生き物の命を奪うことに対して、罪悪感というものがかけらも存在しない。むしろ惨劇が及ぼす影響を思うと、胸に湧き上がるのは小さな高揚感だ。地下室の湿った石壁にその声が反響し、暗闇の隅で何かが動くように感じられる。動物や囚人を使った実験を繰り返してきた残酷な記憶が、カトレアの目に夜の光を宿している。


 一方、王宮の中庭では、カストルが生前に関わっていた文書を巡り、官僚たちが激しい言い争いをしていた。誰が引き継ぐか、どこまで調査を続行するか、それとも闇に葬るか――意見が割れ、互いに責任をなすりつけるような口調が行き交う。民衆には「死因不明の事件」として薄く報じられるにとどまり、深く追及しようとする者は少ない。まるで、また一つ死を「なかったこと」にしようとする空気さえ漂っているのだ。


 レオネルはこの事態にひどく苛立(いらだ)っていた。自分が探し求める真実には全く近づけず、シエラへの風当たりは増すばかり。今や、取り巻きの貴族も彼を支える力を失いつつあり、王宮内での孤立が決定的になろうとしている。そのため、彼がいくら声を荒らげても官僚たちは聞く耳を持たず、むしろ(あき)れたように眉をひそめるだけだ。


「殿下、現実を見てください。この事件をこれ以上掘り下げても得るものはありません。むしろ殿下ご自身の立場を危うくするだけです」

「だが……死んだカストルは、シエラの潔白を証明してくれる可能性だってあったかもしれないじゃないか!」

「それは、推測の域を出ません。死者からは何も得られませんよ」


 冷ややかな言葉を浴びたレオネルは、拳を握りしめてうつむくしかなかった。そこには王子の威厳など微塵(みじん)も感じられず、ただ無力な若者の苦悩だけが漂う。シエラは部屋の片隅で祈るように目を伏せているが、内心では既に自分が次の標的になるのではないかという恐怖が渦巻いていた。


「どうしてこんな……死に追いやるようなことを……一体……」

「シエラ……」


 言葉にならない悲痛が二人の間に押し寄せる。あまりに多くの不審死や失踪、そして告発や疑惑が重なり過ぎて、誰を信じればいいのか、何をどう立て直せばいいのか、見当もつかない。誰かが彼らを徹底的に追い詰めようとしている――その恐ろしい予感は、確信に近い形でシエラの心を(むしば)んでいた。


 その同じ時刻、公爵家の一室でカトレアは真昼の光を遮る厚手のカーテンを半分だけ開き、外の景色を見下ろしていた。彼女の耳に届くのは、死者が出たという報告と、それに伴う王宮の混乱。さぞや皆が(おび)えているだろうと想像するだけで、喉の奥が小さく(ふる)えるような愉悦(ゆえつ)が込み上げる。自分の計画が正しかったと、心の底で密かに確信しているのだ。


「まだ序章にすぎない……こうして一人、また一人と消えていく。それでも、あの方たちは気づかないのでしょうね」


 まるで彼女の内面に巣食う闇が声を持ち、世界に呪詛を投げかけているかのように聞こえる。死が表面化し、王宮や社交界が震撼(しんかん)するほど、彼女の内なる復讐心は深まり、燃え盛る。自分の手を汚さなくとも、言葉もなくして多くの人物が苦しみ、疑い合い、絶望の淵へ転がり落ちていく。そうした姿を想像すると、虚ろな心がわずかに潤されるような錯覚すら覚えるのだった。


 こうして「初めての死者」が世に認識され、王宮も社交界も一斉に(ふる)え上がった。だが、まだ大半の者は疑心に惑わされるだけで、真実には辿り着けない。レオネルとシエラが味わった衝撃は深く、いよいよ暗い影に囚われていく。けれど、そこに名前や明確な姿形を伴う犯人像は見えないままだ。カトレアが自ら「わたしだ」と名乗る必要などない。彼女が心でつぶやくのは、「これからが本番」の一言のみ。死者を前にしても、罪悪感など微塵も抱かない彼女の瞳は、邪悪な輝きを放つ。まるでさらなる犠牲を求めるかのように。


 人々の耳には、死という結末が持つ恐怖がじわじわと忍び寄り、真相を暴こうとする意思を萎縮させる。不穏な力が渦巻き、時に血を伴いながら大きくなっていく。王宮の廊下や社交の場でささやかれる話題は、いつしか「次は誰が消えるのか」「まさか自分が標的にならないだろうか」という疑念にすり替わり、誰もが自らの身を守ることに精一杯となる。カトレアはそんな惨状を、まるで他人事のように傍観しながら、時折口元に笑みを刻む。


「次は、もっと深く、もっと鋭く……そして、誰も救われない道を」


 その声は誰の耳にも届かないが、確実に世界に亀裂を増やしていく。自らの憎しみと狂気を昇華するためなら、どんな手段も選ばない。そんな決意が、彼女の周囲に重々しい瘴気(しょうき)のように漂っていた。犠牲者の死は悲痛な出来事であるはずなのに、カトレアの胸にはむしろ燃え上がる欲望と揺るぎない意思がうずまいている。死がもたらす恐怖を糧に、彼女はさらなる破滅を招く計画を巡らせるのだ。


 暗雲が立ち込める王宮。どれほど(おび)えようと、誰が嘆こうと、手繰り寄せられる運命はもう逃れられないのだろう。カストルという官吏が惨死したという事実は、ほんの始まりであり、カトレアが目指す結末の通過点にすぎない。闇が深まり、犠牲が増えるほど、彼女はますますその満ち足りない心を潤すかのように微笑む。ここから先、犠牲者の悲鳴と血の赤がどれだけ世界を染め上げても、彼女は決して立ち止まらない。ほんの少しも、哀れみや憐憫(れんびん)を抱くことなく。

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