067.閑話 シンシア
私は、まだ自力で歩けない頃からの記憶がしっかりと思い出せる。
このデリンジャ王国で二つしかない公爵家の一つ、マグノリア公爵家の長女が私だ。
乳母がいて、兄が二人いて、専属侍女がつき、両親がたまに私を見にくる。
これが私の世界だった。
私は要領が良かった。
ただでさえほとんどの記憶は忘れる事がないのに、言われた事は理解できる理解力と、見本を見たら大抵の事はこなせる応用力と器用さもあった。
そしてそれは魔術にも適用できた。魔力の多い私は、その記憶力も相まって次々に魔術を習得した。
長兄がうんうんと悩む問題をあっさりと答え、次男が発現できない魔術を一日で覚えた。
父と家令の会話を小耳に挟み、政敵への対応の思いつきを家令に話してみたら慌てて父に話しに行き、実際にそう行動して解決していた。
母の社交会の話を本を読みながら遠くから聞き、社交会の事も理解した。
私は神童だと謳われた。
誰もが傅き、敬った。
長男も、次男も、私に教えを乞うた。
家令も悩みを聞くというていで私に質問していたが、それが父や母が直接私に聞くのを避けたからだと私は知っていた。親のプライドというのも大変らしい。
そして当然、裏でなんと言われているかと知っていた。
大人も子供も誰もが崇め、恐れ、怖がり、畏怖していた。
同時に、誰もがまるで私を機嫌をとれば働く便利な機械としてしか見ていないことも。
そんな中、専属侍女――アリアだけは違った。
「あっははは!お嬢様、まーた隠れてるんだ!すぐバレるのになんでそんな可愛い事しちゃうかなー?」
なんとも不敬な口調だ。でも明るく朗らかな彼女の笑顔に何度も何度も、数えきれないほど救われた。
色のない世界で、彼女だけが色彩をくれた。
彼女の前でだけは、機械ではなく人間になれた気がした。
「んー……お嬢様、いっそこの家出ちゃいます?」
ある日。そろそろ兄達が私の命を狙う頃だ、とアリアに告げた返事がこれだった。
情けない事に、その発想が一切なかった私は目を見開いた。
「んふふ、もしかして天才のお嬢様に一本とっちゃたかなー? っと、それよりお嬢様、貴女にこの家は狭すぎますよー。一緒に家出して、どこか遠くでこじんまりと商売でもしません?お嬢様となら面白いと思うんどけどなー」
私は生まれて初めて理性より先に身体が動く経験をした。
何度も頷き、すぐに計画を立てると捲し立て、机に向かって計画書を殴り書きした。
そしてその間にお茶でも用意するといって退室した専属侍女を――私は計画立案に夢中になりすぎて、見過ごしてしまったのだ。
今警戒すべきは私より彼女だと理解していたのに、油断と初めての興奮で、一生悔いの残るミスをしてしまった。
そのまま専属侍女が私の部屋に戻ってくる事はなかった。
だからその日の晩、私は誰にもバレずに屋敷を抜け出した。
当然、下手人は消してだ。
アリアがいなくなり、私の世界はモノクロになった。
従う者と、敵対する者。
他に誰もいない、乾いた世界。
信頼は利益によって紡がれ、愛は打算の上澄みだ。
色彩をくれた彼女を失った私が、この世界に色を見る事はきっともうないのだろう。
しかしそれでもみっともなく彼女に縋ろうとした私は、浅ましくも彼女の真似をする事で私の世界に彼女を残そうとしたのだった。
そんな私でも無為に死ぬのは恐怖だった。
だから、生きる為に手っ取り早い冒険者になった。
実力や性格を考慮して、最低人数の4人パーティを組む事にした。必要以上の人数は、手間がかかって管理が面倒だからだ。
『魔剣の乙女』を結成してから『魔撃の射手』というパーティに何度か突っかかられた。
少し年上のリーダーと魔術師の二人は、私からみても優秀で、そう遠くない未来で冒険者の頂点の一角を担う立場になると予想した。
それと同時に、あまり目立ち過ぎたくなかった私は、『魔撃の射手』を隠れ蓑にする事に決めた。
彼女達のパーティのランクを追いかける形になるよう調整して、注目を常に自分達から少しだけズラすように仕向けたのだ。
しかしついに私達もA級にならざるを得ないタイミングが来た。
A級とは冒険者の事実上最高ランクで、どうしても目立つ。避けたかったが、それなりの付き合いとなっまパーティメンバーの事は嫌いではないし、彼女達は昇格を望んでいる。
ここで私は少し悩んだ。
そのまま昇格するか、パーティを抜けるかをだ。
そんな時だ。
昇格試験のある王都に向かうがてらの護送依頼を調べていると、面白そうな少年を見つけたのは。
ルイ・ノブル・ダハーカ公爵子息。
家族の為に家を出た、悲劇の少年だ。
どことなく、私に境遇が似てると思った。
普段ライバル視されているから近寄らないクレア達のパーティに顔を出してまで話を聞きに行き、加えて冒険者になってから構築した個人的な情報網を使って彼について調べた。
そして実際に会ってみて、境遇が似てるなんてものじゃないと直感で理解した。
―――あぁ、この子は私と同種の人間だ。
境遇も能力もまるで違うのに、私と同じ性質を持っていると。
否応なく、興味が湧いた。
依頼の道中ではそれとなく近付いて話したが、彼も私にシンパシーを感じているだろうと察した。
まぁ私がそうなのだ、彼もそうなるのは分かっていた。
あとは同族嫌悪か仲間意識か、どちらを持つか観察した。
しかし彼は、どちらともつかない反応を見せた。
敵じゃないならいい、味方じゃなくてもいい。
そんな白でも黒でもない――灰色な反応だった。
決して目を引く色じゃなくとも、モノクロの私の世界にひとつ色が増えた瞬間だった。
―――この灰色の少年を、手放す気は起きなかった。
結局冒険者は続ける事にした。
当然だ、彼も冒険者なのだから。
以前から絡んでくる男を煽って決闘の場を作って彼を巻き込み、彼の実力を測った。
プレゼントで恩を着せて、一緒にデリンジャに帰るよう誘導した。
パーティメンバーも彼の実力や慇懃無礼な対応を気に入ったようで、帰りの馬車では仲良く話していた。
これで彼との繋がりは作れた。
作れた時、ふと思った。
私は彼をどうしたいんだろうかと。
別に私と一緒にいて欲しいと期待している訳ではない。むしろ本当の私を知られて、また傅き敬われたら私はまた色を失う。それは絶対に避けるべき事態だ。
では彼女の代わりをして欲しいのか。
それは絶対にない。私を導いてくれるのは、生涯彼女だけだ。
そこで私は自分が何をしていたか振り返り、混乱した。
何をこんなに夢中になっていたのか。
自分でも分からない。
でも、手放す気になれない。
その答えを見つけられないまま、私は彼を失った。
彼のおかげでベヒモウスからデリンジャを、パーティメンバーを守れた。
彼には深く感謝している。
……それなのに、素直にありがとうと言う気にはなれなかった。
そんな中で、彼の唯一のパーティメンバーであるクルルは断固として彼の死を認めなかった。
まるで当然のようにパーティを残して、一人努力し、パーティを存続させた。
パーティハウスを建てて、彼が最初に入るから招待はできないと言い切り、誰もが解散しろと言葉をかけても彼女らしからぬ強い言葉で拒絶した。
そんな彼女に、私は希望を見た。
私では持てなかった希望を、彼女に託した。
彼に何を求めたのか。その答えを持つであろう彼を信じて待つ彼女。
その彼女を、私は眩しい気持ちで見守っていた。
そして、二度目のベヒモウス襲来の時が来た。
前回と違ってもう彼はここにいない。
最高戦力であるクレア達も絶望の表情を隠しきれない。
当然だ、ほんの5年半前にあれ程の実力差を思い知らされたのだ。
あれは紛れもなく天災だ。人の手に負える存在ではない。
一度その差を見せつけられた二度目だからこそ、デリンジャは絶望していた。
しかし、ならば誰が戦い、守るというのか。
誰もが他人に縋り、頼り、敵わないと分かれば逃げ始める。
そこでふと気付いた。
周りの誰もが、私を見ていたのだ。
縋り、託し、頼る目で、仲間もライバルも赤の他人も。
みんなみんな、そんな目で、私を、見ていた。
私は小さく自嘲した。
結局、私はどこに行ってもこんな扱いだ。
機嫌を伺えば動く便利な機械のままなのだ。
一瞬浮かんだ専属侍女の笑顔に、泣きたくなる気持ちを押し殺す。
そして私はいつものように彼女そっくりの笑顔で叫ぶ。
「びびってちゃ戦えも逃げれもしないでしょー?しっかりしなさい!まずは全員で避難誘導!人がいなければ町は建て直せない!でも人がいれば必ず復興できる!それまでの時間稼ぎは私に任せて!――考えがあるの!上手くやるから!だから早く行く!急いで!……走れッ!」
追い出すように冒険者を、ライバルを、仲間を送り出した。
そして私は1人ベヒモウスへ向かう。
正直、震えるほど怖い。
このまま逃げ出して、どこかで一人過ごしてやろうか。そんな考えが頭から離れない。
それでも期待に応える事が染みついた機械仕掛けの私の足は、意思に反してベヒモウスへ真っ直ぐに向かう。
そこに、彼が来た。
『シンシアさんは全部一人で出来るからって危険な所ばっかり一人で背負いすぎなんだよ!ずっと笑顔で強がるのもかっこいいけど、少しは任せてみてくれって!』
『シンシアさん、ここは俺に任せてくれって!アンタが今背負おうとしてるもんは元々俺のもんなんだってば!ちゃんと守るから、今は下がって冒険者達をまとめといて!ほら早く!しっしっ!』
背が伸びてかっこよくなった彼は、しかし昔と変わらぬどこか緩い言葉遣いと、揺るがぬ意思と行動で一歩も退かずにベヒモウスへと立ち向かう。
しかし変わらないにしても女性に「しっしっ」はないとは思う。そういうところは変わって欲しかったよ。
なんて、そんな軽口が思い浮かぶくらい彼との再会は嬉しかったし、絶望に覆われていた気持ちもあっさりと晴らされた。
近くで見たからこそ気付いた。
ベヒモウスの怪我や彼の疲弊から見て、すでにどこか――恐らく黒の森で、一戦交えてきたのだろう。
つまり、彼はベヒモウスにこれだけのダメージを与える術を手に入れている。
彼に任せるのがベストだと私の理性が叫ぶ。
私の感情が、置いていかないでと悲鳴を上げる。
彼の残した言葉は、慌てていたからこその本音なのだろう。
やはり彼は、私の本質に勘付いている。
そうでなければ、あれ程的確に私が欲しい言葉を並べられるはずがない。
あぁもう、情けない。
悔しい、悔しいよ。
何が神童だ。
誰もが敬ったはずの私は、結局彼に任せて下がる事しか出来ないのだ。
やっと答えが分かったのに。
彼に求めたものを理解できたのに。
お願い、死なないで。
勝てなくてもいい、生きて帰ってきて。
君とまだ一緒にいたいよ。
きっと彼なら、私の理解者になってくれる。
きっと私なら、彼の理解者にだってなれる。
怖くて怖くてたまらないけど、きっと彼なら私を受け入れてくれる。私を私として見てくれる。
そんな独りよがりな思いが、幼稚な心が彼に手を伸ばす。
理性が呟く。
きっと彼とはいつか腹を割って話す機会が来るだろう。
それは恐らく彼から切り出してくれるはずだ。
そしてそれは彼が私を救おうという気持ちがないと起こらない未来だ。
これが期待と欲望で予測が歪んでない限り、私を彼なりに救おうとしてくれるはず。
それは嬉しいけど、でも、やはりそれ以上に怖い。
私の理性はきっと彼なら大丈夫と諭すが、感情が聞く耳を持たずに嫌だ嫌だと恐怖を訴え叫んでいる。
信じたいけど、怖い。
裏切られたら、私はきっと耐えられない。
でも、信じたい。
そんな矛盾が心と頭を満たす。
それでも……私は彼に賭けたい。
だからお願い、生きて帰ってきて。
そして彼は、人類の誰もが成し得なかった原初の三王の一柱であるベヒモウスを単独討伐してみせた。
「それで、その普段の笑顔は誰の真似なんですか?」
そしてついに、その時が来た。
身体は震えるし、泣き言はぽろぽろ零れ落ちるし、恨み言だって言った。
だけど、それでも、彼は私を救ってくれた。
私を理解した上で、神童でも人形でも機械でもなく、〝私〟を真っ直ぐに見てくれた。
私を見て、真っ直ぐな気持ちで、必死に言葉を尽くしてくれている。
器用ではない彼なりに、私に気持ちを届けようと頑張ってくれている。
「シンシアさんと、友達になる為ですかね」
感情が爆発する。
言葉に出来ない程の喜びに、アリアが亡くなって以来消えたと思っていた色彩が世界を満たす。
我ながら強固だと信じてきた理性さえねじ伏せて暴れる感情が、私を満たして溢れ出す。
その感情に逆らえず、しかし泣き顔を見せたくないなんて幼稚なプライドとぶつかり……ぐちゃぐちゃの頭は気付けばなんとも幼稚な我儘な言葉遊びをしていた。
思い返すと恥ずかしい。
何が親友以上恋人以下だ。
傲慢で独占的で、あまりにも子供っぽい。
それでも私の本心で、願いで、捻くれた〝告白〟だった。
親友であり恋人でもありたいという、私の心からの哀願だ。
彼には気付かれなかったけど、それで構わない。それでいい。
これから私の全てを賭けて実現すればいいのだから。
私はこれでも神童とまで呼ばれていたのだ。
その力の全てをもって、彼を必ず捕まえてみせる。
そして――生きる目的がないと生きられない、彼の空っぽの心を私で満たしてみせる。
そんな寂しい生き方を、私を救ってくれた貴方にさせたくないから。
だから私が貴方の生きる目的になりたいし、たくさんの生きる楽しみを二人一緒に見つけていきたい。
君と共に、生きていきたいから。
親友として恋人として、何より理解者として君の横に立ちたいから。
だからね、ルイ君。
こんな面倒な私だけど、全部君にあげる。
だからどうか、貴方の心を私にください。
大好き、ルイ君。




