010.旅立ち
「ふぁあ……『力よ』ぉ…」
寝起き一発目に、身体強化。
これを昼飯の後の昼寝まで維持する……のが理想。
実際には集中力が途切れたり、魔力が不足したりして昼時には切れる。
あと力加減がーーそのままの意味であるパワーと、魔力操作の両方ともだが、非常に難しい。
午前中に使う勉強用のペンが砂糖菓子にでもなったようにボロボロと壊してしまう。
2日で10本へし折った時には、グレイが呆れたように格段にグレードを落とした安価なペンを大量に用意してきた。
そこで頑丈な鉄製にするでもなく、かえって壊れやすいペンを用意するあたりがグレイの優秀さを示していた。良い練習になるし。てかやっぱあの人絶対読心使えるって。
ともあれ、そんな拙い魔力操作のレベルでは、当然『超感覚』は扱えない。
実は一度嗅覚だけ試してみたが、力加減を間違えてこの世界の全てに匂いを感じて吐きそうになったし、解除した後何も匂いを感じなくなった時はマジで焦った。
まぁ数時間で戻ったから良かったけど、まずは魔力操作のレベルを上げてからだと決めて封印する事になった切っ掛けの事件である。
レオンハルトはとうとう『炎熱付与』を成功させた。
が、操作が甘くて木刀も1分ももたずに燃え始めるのが現状ではある。
もっと上手くなれば、自分の肉体ーー例えば拳に付与して殴ったら焼けるとかーーにすら付与出来るらしいが、まだまだ先の話となりそうだ。
しかしそれでも手合わせでは勝てなくなった。
というか打ち合った瞬間に木刀が焼き切られるのだから勝ちようがない。木刀同士の勝負でなら最強の武器破壊能力だよあれは。
フラムリリーは毎日楽しそうにあちこちにフラフラしている。
たまに絡んでくるが、訓練していると飽きてどっかに行くのが定番の流れになってる。
しかし、やはりというべきかあまりローズマリーには近付いていないようだ。
そしてローズマリーだ。
魔術の練習を通してだいぶ打ち解けてきた感じはするが、やはり壁がある事は変わらない。
うーん、サクッと打ち明けるべきか、時間をかけて安心させるべきか……
どうせまだ俺は外で生きるには弱すぎるし、じっくり時間をかけても問題はないんだが。
「ったく……いっそ物語みたいに明確な悪意や敵がいたら話は早かったってのにな…」
例えばリーリエが分かりやすくローズマリーを虐げる憎たらしい義母で、フラムリリーが姉から全てを搾取したがる傲慢な妹。
そんな物語を読んだ事がある。
もしそうなら、きっと俺は情を切り捨てれた。
害する者をどんな手を使っても退け、そのままさっさと形だけの家族を切り捨てて旅に出れた。
「……まぁ、現実ではこんなもんだよな」
しかしそうではなかった。
侯爵家ともあろう者が、そんな下らない人物を抱えている訳がないのだ。
それに相応しいだけの能力や最低限の人間性がなければ、とっくに国の自浄作用が働いていただろう。
だから、きっとこれは。
「……家族内の諍いなんて、つまる所こういうすれ違いから始まるんだよな」
勧善懲悪の物語になる前の、単なる家庭に燻る火種のお話なんだろう。
「ルイお兄様、魔力の操作が上手くなりましたね。驚異的な上達速度です」
「お、マジか。ありがとう」
まぁ四六時中身体強化してりゃね。
魔力量だけはあるから単純に練習できる時間が多い分、成長も早いのは当然だ。
「では、こちらを。魔力をあまり多く使わない初級魔術です」
そう言って渡されたメモには、魔術の基礎となる四元の簡単な魔術がまとめられていた。
火種、水玉、土玉、送風。
どれも小さな四元の発現魔術で、攻撃性能が低いーーいわゆる生活魔法とでもいうべき魔術。
そして火球、水球、石弾、風弾。
こちらは四元の初級攻撃魔法だな。
これらの8つの魔術の各詠唱と魔法陣がメモされていた。
「ありがとう、マリー。大事にする」
「……はい。ですが、これ以降の魔術は教師にお伺いください。私に出来るのはここまでです」
「そう?マリーが使ってた水のドームみたいなやつ、俺も使ってみたいけど」
「いえ、その……」
言いづらそうに口ごもるローズマリーを見て思う。
距離が縮まる事を恐れてるのかなぁ、と。
あーいよいよかぁ、と。
……潮時かもな。
そうと決まれば、気合い入れてきますかね。
「俺に教えるのは嫌かな?こうして教えてもらうのも実は迷惑だった?俺と関わりたくないか?」
「ちがっ……」
「マリー」
指をすり抜けるようなサラサラの髪を出来る限り優しく撫でる。他人にやったらセクハラでも、妹だからね。セーフだよね?ダメ?
「例え血の繋がりが薄くても、マリーは俺の妹だ。大切な家族の1人だよ」
「っ……」
ビクリと体を震わせ、弾かれたように顔を上げて俺を見開いた目で見るローズマリーに微笑みかける。
「大丈夫。父上もレオンもリリーも、義母上だってマリーの事を大切に思ってる」
でなければ、ローズマリーを預かったりしない。
ただ、リーリエはローザンヌへの想いが大きすぎただけだ。
ローザンヌがいなくなって、その想いを持て余してしまってるだけだ。
ーーそれが完全に悪い方向に向いてしまう前に、この小さなすれ違いを無くしてしまおう。
「……俺はちょっと出掛けてくるけど、心配しないでね。良い子にしてるんだよ、マリー」
「ル、ルイお兄様……?」
よしよーしと撫でてから、背を向けて歩き出す。
向かう先は、言うまでもない。
これ以上は見てられない。
家族だと告げて喜ぶでもなく辛そうに顔をしかめる彼女は、どんな想いでこの家にいるというのか。
捨てられまいと必死に頑張り、耐えて過ごした結果、こんなにも歳不相応な子になってしまった。
いい加減に全員ローズマリーに向き合ってもらおう。
大仰な勧善懲悪の話になる前に、家庭に燻る火を完全に消し去ってやろう。
★ ★ ☆
「ル、ルイお兄様……?」
立ち去るルイお兄様を呆然と見送り、どれだけこの場に立ち尽くしていただろう。
暖かいといえる気温も、じっと日に当たっていればじんわり汗をかくくらいには熱を持つ。
そう気付いたのは、汗が頬を伝って顎に落ちてからだった。
「……部屋に、戻りましょう」
分不相応に与えられた、私の部屋に。
でもーーいつまで私はここに居ていいのだろう。
私はいつまでこの家族の中にいて良いのだろうか。
私は物心がついた頃から、リーリエお母様の子だった。
まだ活発だった私は何をするにもリリーと一緒で、悪戯だってするような子供だった。
しかしある日、リリーと一緒にお母様の部屋に忍び込んでかくれんぼをしていた時。
私がかくれたクローゼットの奥に、まるで隠すように置かれていた日記があった。
当時のリリーはまだ文字が読めないが、私は読めた。
そして2人で悪戯の延長としてお母様の恥ずかしい秘密でも握ろうと笑い合って(今思えばクソガキすぎます)ページをめくった。めくってしまった。
そこに書かれていたのは、私がお母様の子ではなく、お母様のお仕えしているダハーカ家の遠縁の子供だというものだった。
「え……?」
私は、世界が一気に色褪せたように思えた。
それでも書かれた内容を教えてと横でねだるリリーに適当な内容を告げて誤魔化し、笑いかけるくらいは出来た。
大丈夫、血が繋がってなくてもお母様はちゃんと私のお母様だもん。
それが今思えば藁を掴むような気持ちだとしても、その時は根拠もなくそう信じれた。
しかしそれも、ローザンヌ様がお亡くなりになるまでだった。
「あぁ、ローザンヌ様……っ!」
お母様はずっと泣いていた。
それが悲しくて、リリーと一緒に慰めに行った。
2人で「大丈夫?泣かないで」といつの間にかもらい涙でぐしゃぐしゃになった顔で、お母様にしがみつくように必死に慰めようとした。
そして。
「あぁっ!リリー……っ!」
抱きしめ返したのは、リリーだけだった。
悲しみを紛らわせるようにリリーを強く抱きしめ、母娘でわんわんと泣いていた。
縋るように私も混ざりたいとリリーの側に寄った時、お母様と目が合った。
「っ、お、お母様……?」
……その目には、明確に苛立ちの炎が灯っていた。
それから私は自覚した。させられた。
結局私はお母様の子ではなかったのだと。
悪戯も辞めた。
リリーがつまらなそうに頬を膨らませて、何度も私の手を引っ張って連れていこうとしても、本を読みたいからと断った。
お手伝いを始めた。
例えお母様の子でもなくても、少しでも愛して欲しくて。いやもしかしたら、捨てないで欲しいという媚び売りの行為だったのかも知れない。
そんな暮らしを1年弱ほど続けた時、私はダハーカ家の娘となっていた。
聞けば、ずっと居ないと思っていた父親がダハーカ侯爵様だったらしい。
しかもローザンヌ様自らがこうなる事を推したのだとか。何度かお会いした事はあったけど……うん、とても変わったお方だ。
レオンお兄様は恐縮しながらも喜んでいた。
リリーは両手をあげて喜びを全面に出した。
お母様も、申し訳なさそうな顔の中に確かな喜びが見えた。その顔を見て、お母様はダハーカ侯爵様が好きなんだと分かった。
そして侯爵様は口数は少なくとも優しく私達を迎えてくれた。
ルイお兄様はしばらく部屋にこもっていたが、少しずつ顔を出すようになり、警戒しつつもちょっとした話くらいなら家族とするようになっていった。
リリーが真っ直ぐにルイお兄様に甘えて、レオンお兄様が緊張しながらルイお兄様とお話をして、段々と『家族』の形を作り上げていく。
その様子を、半歩だけ外で眺めていた。
明からさまに離れたら輪を乱す。そうなれば、きっと私は捨てられる。
だからといって烏滸がましく混じったりはしない。そうすれば、きっとお母様は私は厭う。
必死に立ち回ったつもりだった。
少しでも間違えたら、目をつけられて捨てられる。
だから一挙一動に気を配り、ひたすら無害な子だとアピールしてきたつもりだ。
だから今日まで捨てられずに済んだんだと思っていた。
『例え血の繋がりが薄くても、マリーは俺の妹だ。大切な家族の1人だよ』
なのに、そんな事を言わないで欲しい。
『大丈夫。父上もレオンもリリーも、義母上だって君の事を大切に思ってる』
根拠もない甘言なんて聞きたくもない。
私は、お母様の子ですらないのだから。
それなのに、その日の晩。
「あぁマリー、ごめんね、ごめんなさいっ!辛かったわよね……!」
「うぇえええっ!マリーお姉様ぁああっ!!」
「マリー、気付いてやれなくてごめん……!」
泣きながらお母様達に私は抱きしめられて。
「……すまなかった」
侯爵様が申し訳なさそうな顔で撫でてくれて。
「なん、で……っ!」
気付けば私は泣いていた。
泣いた事に気付いたら余計に止まらず、声を出して泣いた。
泣き喚いて、泣き疲れて、やっともう1人足りない事に気付いた。
「っ……ル、ルイお兄様は…?」
泣きじゃくる私がどうにか口に出した言葉に。
「……すまない」
ただ侯爵様が、先程と同じような顔で撫でてくれるだけだった。
☆ ☆ ☆
やれる事はやった!
っしゃー旅に出るかぁ!
俺なりに調べときたい内容も調べ終わったしな。
荷物と少しずつ準備してたし、色々拝借した。……一応直系の息子だし許してくれる。よね?
「さーて、馬車はっと」
定期的に運行している馬車があるという事をグレイから聞いていた。
なんとグレイが提案して父上が承諾した施法だ。
要するに地球でのバスみたいな感じで、人流の多い区間を繋いで走らせているらしい。
それによって人の動きがスムーズになり、御者や馬の管理人、護衛といった雇用が生まれる。
まさに経済を潤滑にして上向かせる一手となってるそうな。さすが敏腕家令のグレイだよ。
「んで、向かう先は……」
ロットランド伯爵領。
黒の森からそう遠くない土地だ。
それは即ち、人類生存圏と魔物の領域との境界線が近い土地でもある。
そこでは冒険者なんて職業が盛んで、多くの戦士達が魔物の領域に危険を冒しながらも突き進んでは魔物を討伐しているらしい。
それによって人類生存圏を守る事に繋がり、同時に魔物の素材という資源を調達している。
この世界は科学ではなく魔術が発展している。
それは単純な魔術行使だけでなく、魔術の力を宿した道具ーー魔術具の発展も含めた話だ。
そしてこの魔術具の素材として、魔物の肉体が非常に優秀なのだとか。
それを知って思ったね。
魔術具は使えると。
きっと依頼達成ーーベヒモウス討伐の糸口になる。
なのでまずは人類生存圏の境目から近く、その中で最も栄えている領地であるロットランドへと向かう事にした訳だ。
「おぉ?どうした坊主、1人か?」
御者が不思議そうな、心配そうな顔で覗き込んできた。
うん、良い人だな。こういう人がいるあたり、父上とグレイの領地管理は上手くいってるんだろう。
人々に余裕があると、優しさは生まれやすくなるんだから。
「大丈夫かぁ?お父さんやお母さんはいねぇのかよ?」
「大丈夫ですよ、慣れてます!それにこちらの強そうな護衛さん程じゃないですが、割と戦えるんですよ?」
そう御者の隣に立つ護衛らしき人に得意げに笑ってみせる。
まぁ純度100%の嘘だけど、こんなもん押し切ったモン勝ちだ。
「がはははっ!そうかよ、大したガキンチョだぜ!」
ほんのり煽てる言葉を含ませたのが功を奏したのか、機嫌よく笑う護衛さんに頭をガシガシと撫でられた。力強いよおっさん。
そんな一幕を経て、ガラガラと進む馬車に乗って運ばれていく。
道中では、護衛のおっさんに色々と話を聞いた。
「まぁピンキリだけどな、絶対持っておいた方がいいのはーー……」
野営の方法や注意点、おすすめの道具屋、関わるべきではない危険な組織といった参考になる話から、色街でのイチオシの女性の名前なんてくだらない話まで。
「冒険者になりたいんだって?言っとくがおすすめは出来ねぇぞ。あんなもん命がいくつあっても足りやしねぇ」
心配ありがとう。でもやるんだよね。
あと元冒険者だという護衛さんもいた。
休憩中に話を聞くと、干し肉をかじりながらぼやくように話をしてくれた。
「少なくとも戦闘系のギフトがないとロクに稼げるようにはなれねぇわな。それでいて必要なのは知識や経験、それと慎重さと臆病さだ」
魔物の領域では、いかに強い騎士であっても油断や未知を前に簡単に死ぬ。
だから環境や魔物の知識を持ち、危険を予想して避ける慎重さが必要不可欠なのだという。
「危険を冒す者とは言うがな、結局は人間生きてなんぼだ。まずは生きて帰る事を念頭に置いて対策する。それが出来ねぇ奴は、いかに強かろうがどっかでアッサリ死んでいくんだよ」
そう言った護衛のおっさんは寂しそうに笑った。
聞く気もないし、聞くべきではないんだろうけど、きっとこの人にも色々あったんだろう。
もしかしたら仲間が死んだのかも知れない。大切な人だったのかも知れない。
ただ、こうして生きて話が出来た事に感謝だけはしておいた。
「そのおかげで俺はおじさんの話を聞けてる訳ですし、嬉しいですよ。この話を肝に銘じて、ちゃんと土産話でも持って生きて帰ってきます」
「そうか、そりゃ楽しみだ。まぁ持ってくるのは話より酒がいいがな!がはははっ!」
なんで豪快なおっさんってのは揃って酒が好きなのかね。
そんな事を思いながら3日の旅を経て、ロットランドへと到着したのだった。