001.プロローグ
「ローズマリー・ノブル・ダハーカ!貴様との婚約を破棄する!」
煌びやかな広間にて行われる学園のパーティ。
その絢爛たる会場の中、用意された壇上にて高々と宣言された言葉に会場から数秒ほど音が消え去り、そしてざわめきが一気に溢れ返った。
そんな喧騒の中をよく通る声がすり抜けるように響く。
「だが安心するがいい!ダハーカ侯爵家には迷惑になるまいて。なにしろ新たに婚約するのはフラムリリー・ノブル・ダハーカなのだからな!」
見下した視線を隠そうともせず口元を歪めて嗤う男は、ジェラール・グラン・リンデガルド第一王子。
ここリンデガルド王国の王族の第一子にあたり、金髪碧眼の美男子という絵に描いたような王子様といった容姿の持ち主だ。
「それはそれは……ジェラール様、本当によろしいので?」
その王子と相対する少女が、感情の読めない淡々とした口調で問いかける。
彼女はローズマリー・ノブル・ダハーカ侯爵令嬢。
リンデガルド王国の4家しかない侯爵家の長女であり、ついさっきまでジェラールと婚約していた。
銀糸のような透明感のある癖のない銀髪を結い上げ、美しいかんばせと鮮やかなアメジストを思わせる紫の瞳を持つ、才媛と名高い令嬢である。
「……フラムリリーも、承諾しているのかしら?」
ローズマリーはチラとジェラールの隣に立つ妹ーーフラムリリーに視線を向ける。
ローズマリーと似た紫の瞳と、父に似た濃い金……というより暖かな黄色の髪がふんわりとウェーブしており、動く度に柔らかく舞う様は人の目を惹きつける。
姉のローズマリーと違って感情豊かで愛嬌のある可愛らしい顔つきは、声をあげて笑う様すらーー貴族令嬢としてはあまり褒められたものではなくともーー愛らしいと男子からは人気だったりする。
「お、お姉様……あの、その…」
「はぁ……大丈夫よ、リリー」
「あぅう……す、すみませぇんお姉様ぁ…」
今にも泣きそうな顔でうるうる瞳を潤ませるフラムリリーに、ローズマリーは頭痛を覚えてつい頭に手をやりそうになるが、それを淑女の体面として堪えた。
「…………」
そしてローズマリーはチラリとすぐ近くーーほぼ隣に立つ黒髪紅眼の少年に視線を向けてから、ジェラールへと戻した。
「ジェラール様……いえ、殿下の仰る内容は理解しました。婚約破棄についても一切構いません。ですが、その前に質問の許可を賜りたく」
「……なんだ」
「ありがとう存じます。先日召かーー失礼、王宮の賓客として参られたミオ様とも懇意になさってると耳にしましたが、今後どのような対応をなさるのでしょうか?」
彼女の質問に、これまで不遜な態度を崩さなかったジェラールの表情が大きく歪む。
「何故貴様がそれを……」
「さぁ、何故でしょう?私の耳に届くくらい公になってるのでは?だからこそ殿下、どうかご返答くださいませ」
ぐっ、とジェラールが詰まる。
彼女から出た『ミオ』と呼ばれる少女の事は現時点で公言できない存在ではないものの、扱いとしては非常に繊細だからだ。
時代の中で稀に現れる『聖女』の力を持つ存在。それがつい先日までのこの世界では存在しなかった。
そこでこの世界に居ないならば、と異なる世界から召喚されたのが『ミオ』という訳だ。
そういった背景も含めて、はっきり言ってしまえば王ならばともかく、立太子もしていない王子よりも価値が高い存在といえる。
そんな聖女の事に関する情報をこのような場で偽って述べるのは第一王子といえど首を絞めかねない。
「……彼女の意思さえあれば、側妃に迎えるつもりだ」
結果、彼が口にできたのは自らの希望を端的に告げる事だけだった。
その発言に大きく会場が沸き立つ。
この場にいる者達からすれば『ミオ』という存在を知らないのだ。それがいきなり側妃ともなれば騒ぐのも当然である。
加えるなら、婚約を破棄してすぐ婚約者の妹を本妻に、そしてすぐ側妃と二人も娶ると公言するのはあまりにも不適切な発言である。
当然ジェラールを見る目に疑惑や軽蔑の色が滲み、その反応に彼も渋い顔になる。
それらを見てローズマリーは呆れたように小さく溜息をついた。
その直後、広間の扉が音を立てて開かれた。
「待て、何者だ?!」
「えっ……えっとぉー、五十嵐澪といいます」
「イガラシミオ……?『ミオ』?!」
入口付近に立っていた教師は、現れた黒髪黒目の少女の名前を聞いて目を剥いた。
まさにたった今挙がった名前だからそれも仕方ない。
そして教師が大声で驚いた事で、会場全体が彼女の存在を認識する。
「あ、あれが側妃となるという……」
「でも、学園の賓客なんて立場なのに、あのような方は見た事もないわよ」
「しかも黒髪黒眼とは……」
会場からの疑念や驚愕、わずかに侮蔑のこもる視線を浴びて、少女ミオはうっと顔をしかめる。
この広間に入るのが実に嫌だという表情を隠しもしない様子に、会場のどこかでクスリとひとつの微笑みが溢れたが……それに気付いたのは近くに居たローズマリーのみだ。
ローズマリーは隠れて笑う少年に叱るような視線を向けると、その少年も気付いたのかコホンと喉を鳴らして姿勢を正す。
そんな一幕をよそに、ジェラールは顔をしかめて眉根を寄せ、そして決心したように目を見開き、人好きする笑顔を作るという百面相を披露してーー
「あぁ、ミオ。よく来てくれた。丁度良い、皆にも紹介したかったのだ」
その華麗な王子スマイルに多くの令嬢がキャアと黄色い声が小さく上げる中、ミオは困惑を隠さず「はぁ」と気のない相槌をうつ。
「ミオよ。君を一生大切に愛すると誓う。どうか私とこの国の為に生きてはくれないか?」
ジェラールの唐突な告白に、会場からの令嬢からは悲鳴とも歓声ともとれる悲鳴が沸き上がった。余談だが、子息達は軒並み白けた顔をしている。
ローズマリーは呆れ、フラムリリーはポカンと呆けて……ローズマリーの近くに立つ少年からは表情がごっそり削げ落ちた。
「ちょ、ルイおに、ごほん、ちょっと貴方……」
その少年の変化に気付いたローズマリーが、婚約破棄されても揺るぎもしなかった顔に焦りを浮かばせる。
しかし少年は見向きもせず、右手にじわりじわりと魔力を集約させていき、
「え、ごめんなさい」
ミオの即座のお断りに右手の魔力を霧散させた。
それを見てホッと胸を撫で下ろすローズマリーは、なぜ水面下でこんな気苦労をしなくてはならないのかと己の不幸を少し恨む。
そんなローズマリーの気持ちなんて知りもせず、壇上で目を剥くジェラール。
「な、何故だい?私はこの王国の第一王子で、将来の王だ。君に不自由はさせないし、愛をもって接する事を約束するよ」
「えぇ〜しつこぉ……いやーごめんなさい。あたしの彼氏は、まずお兄の許可がないとダメなんですよねー」
えへへ、と頬をかくミオに、ジェラールは完全に言葉に詰まった。
いやお兄の許可ってどういうこと?お前異世界から来たんだから兄いねぇじゃん。いや待てもしかしてこいつブラコン?と思考だけが空回りーーとはいえ核心はついてるがーーするジェラールに構わず、会場は今日一のざわめき具合だ。
「てゆーか、あれってローズマリーにフラムリリーじゃん……ここってやっぱりお兄と一緒に読んでた小説の……」
そんなざわめきに紛れて消えたミオの言葉を拾ったのはただ1人しかいなかったが、次の言葉で会場から音が消えた。
「よし分かった!ではその兄も召喚してみせよう!その代わり、ミオは私と婚約しろ!」
この発言には、誰もが絶句した。
なにしろ異世界召喚は世界に悪影響を与えかねないという説があり、法で定められてないとはいえ、今回の召喚についても公にはされていなかったのだ。
「で、殿下?!このような場で!」
静まりかえる広間で、いち早く気を取り直したローズマリーが諌める色を濃くして呼びかける。
しかし、実は割といっぱいいっぱいだったらしいジェラールは止まらない。
「うるさいぞローズマリー!貴様が余計な質問さえしなければ……!ええい、貴様なんぞ国外追放だ!今すぐ出ていくがいい!!」
これには会場の面々も驚きの声を上げる。
才媛と名高く、外交で名を馳せるダハーカ侯爵家のローズマリーを独断で国外追放となれば、いくら第一王子といえど越権に他ならない。
それを理解できる子息令嬢達は、いよいよ洒落にならなくなってきた展開に息を呑み、そっと視線をローズマリーへと向ける。
「……本当にこうなるのね、驚いたわ」
「だから言っただろ。まぁ色々予想外な紆余曲折はあったけどな」
追放の宣言と会場中の視線を浴びながらも、ローズマリーは気にした様子もなく近くに立っていた黒髪の少年に話しかける。
彼も溜息混じりに首肯してみせると、そこで初めて会場の面々が少年の存在を認識した。
「えっ?!……だ、誰だあれは……?」
「い、いつからそこにいたのかしら?この学園で見かけた事ないわよね?」
「し、侵入者か?いやしかしダハーカ侯爵令嬢は面識があるようだし……」
ざわめく会場で、ローズマリーとフラムリリー以外の誰もが訝しげに目を丸くしている。ジェラールもだ。
そんな中で、一際目を見開いているのが、
「お、お兄っ?!!」
ミオだった。
「よぉ、澪。迎えに来たぞー」
混乱するミオに、緩く優しい雰囲気で微笑んでみせる少年。横ではローズマリーが「え、誰なのこの好青年…」と疑わしげに見つめていたりする。
「え、なんで?!お兄がここに?!え、えぇっ?!」
「だはははっ、サプラーイズ!」
会場の雰囲気を置いてけぼりにしてケラケラ笑う少年と、驚きながらも嬉しさを隠せない笑顔のミオ。
いつの間にか場の中心となった2人にハッと気を取り直したジェラールが声をあげた。
「き、貴様何者だ!いつの間にここに忍び込んだ!返答によってはこの場で捕えるぞ!」
緊張感を孕む鋭い声に、会場にも緊迫感が満ちる。
そんな中で、少年は胡散臭いほどの笑顔を見せて軽く会釈してみせた。
「ご挨拶が遅くなり申し訳ございません。本日はローズマリー・ノブル・ダハーカ侯爵令嬢の護衛として生徒に紛れさせて頂きました。ルイと申します」
「ルイ……ルイ?ル、ルイだと?!まさかあの『狂獣』か?!最強の冒険者がなぜこんな所にっ……!」
思わぬ名前に目を剥くジェラール。会場からも歓声、いや悲鳴に近い声が湧いた。
しかしそれより明確に驚愕を表したのはミオだったりする。
「おおおおお兄?!何なの『狂獣』って?!中二はとっくに卒業したんじゃなかったの?!」
「ちょバカおまっ、それは言うなって!うぁーもう、恥ずかしいだろ?」
「需要のない照れ顔はいいから!え、よく見たら目も赤いしなんかがっしりしてない?あれ、お兄だよね?おバカで可愛いお兄の五十嵐類だよね??」
「容赦ないね相変わらず……ほら、どう見ても澪の頼れるお兄ちゃんだろ。澪こそ相変わらず可愛くて何よりだ」
ブラコンの兄はシスコンか、と聞こえてきたがスルー。
もはや手の付けようがない程に混乱に満ちた会場に、大きな溜息をついたローズマリーが仕方なさそうにパンパンと手を叩いてみせる。
「もうお話どころではなさそうですし、本日のところはフラムリリー共々下がらせて頂きます。よろしいですね?……それと殿下、念の為に忠告させてもらいますが、もし強硬な手段をとろうものならーー『血染めの狂獣』とその仲間が黙っていない、とだけ申しておきますわね」
ええ!本当に!くれぐれも!と念押しするローズマリーだが、そんな念押しも必要ないくらいに会場中から息を呑む音が聞こえた。
それは第一王子であるジェラールですら含まれており、顔を青くして固まっている。
ちなみにルイも頬をひくつかせて小声で「その二つ名はマジでやめて…」と呟いてたりする。
「では私はこれにて。ごきげんよう。……ほら行くわよリリー。それとル、ルイと……ミオ様、でよろしいかしら?」
「え、あっはい!お兄が行くなら」
「おーよしよし、ついておいでー」
うんついてくー!ときゃっきゃする兄妹に、今度こそ我慢できずに痛む頭に手を添えながら、ローズマリー達は会場を後にするのだった。
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