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洞穴の神様

作者: 雉白書屋

 とある村に、ぼんやりした男がいた。何かを考え込んでいるわけでも、悩んでいるわけでもない。ただ、生まれつきそういう性分なのだ。畑仕事をさせても、手を止めて空を見上げてばかり。叱られたところで真面目に働くのはせいぜい数分が限界だった。そんな男に親や兄弟もとうに呆れ果て、最近では「山に入って山菜でも採ってこい」と言われている。つまり、目障りだからいないほうがいいというわけ。

 男は一応、山菜を持ち帰るものの、朝から夕方までかけたわりには量が少なすぎた。やはり、山の中でもぼんやりとしていたのだ。家族もそれに気づいたが、今さら何を言っても無駄だとわかっているので、咎めなかった。


 ある日のこと、男がいつものように山道をぼんやり歩いていると、ふと声が聞こえた気がした。

 気のせいかもしれないが、特に深く考えずに「こっちかな?」と道を逸れて茂みを進む。すると、洞穴が現れた。

 熊がいるかもしれない。危険だな――そんなことを考えたのは、中に入ったあとだった。だが、洞穴には何もおらず、ただあとから熊が戻ってくる心配もあったが、いつの間にかどうでもよくなっていた。洞穴の中は暗く、ひんやりとしていて、妙に居心地が良かったのだ。


「これはいい場所を見つけたなあ。すごく落ち着くし、もしかしておれ、前世はコウモリだったのかも」


 男はそう呟き、ふふっと笑った。

 それから何日か過ぎたある日。男がいつものように洞穴でのんびりしていると、外から足音が聞こえた。男は見つかったらまずいと思い、慌てて奥へ隠れて息を潜めた。すると、声がした。


「あのー、もしもし……」


 間抜けだと気づいたのは、やはりあとのこと。男はつい「はあい」と返事をしてしまった。すると、驚いたような声が返ってきた。


「か、神様! やっぱり神様だ!」


 『神様……?』と男は首を傾げたが、声の主の説明で状況がわかってきた。声の主は村の若者で、以前からこの辺りで謎の声を耳にしていたのだという。最初は不気味に感じていたが、もしかしたら神様の声なのではと思い、声を辿ってここまで来た。

 その謎の声は間違いなく男自身のものだった。以前から気まぐれに歌ったり、独り言を言っていたりしていたのだ。他人に聞かれていたことに気づくと、男は顔が熱くなるのを感じた。


「あの、それで神様、どう思いますか……?」


 若者は村の娘に恋をしているらしく、どうすればいいかを相談してきた。


「……自分の気持ちをすべて伝えてみなさい。そうすれば、うまくいく」


 そう答えると、若者は嬉々として去っていった。男は一つため息をついた。もし、「うまくいかない」とでも言ったら、しつこく食い下がられるに決まっている。こう言うしかないじゃないか……。そう思って、肩をすくめた。


「しかし、この場所が知られてしまったか。もうここには来られないな……おや?」


 出ようとしたそのとき、洞穴の入り口付近に、タケノコの皮で包まれたおにぎりが置かれているのに気づいた。おそらく、あの若者がお礼として残していったのだろう。

 男は思わず唾を飲み、おにぎりを手に取った。家族からは『タダ飯食らい』と蔑まれ、弁当など持たされていなかった。ここでじっとしていたのも、腹が減るのを少しでも紛らわすためだったのだ。

 男は大喜びで、そのおにぎりをぺろりと平らげた。そして、のそのそと洞穴に戻ると、また同じようなことが起きたらいいなと思いつつ、目を閉じて眠りについた。

 それはただの淡い期待だった。しかし、その期待をはるかに上回り、洞穴には続々と村人たちが訪れるようになった。

 男が助言した若者の恋が見事に成就し、洞穴の神様の話がみんなの耳に入ったのだ。

 相談を持ちかけられた男は、まず『洞穴の中には絶対に入らないこと』を約束させた上で、次々と助言を授けていった。

 最初は、いつかボロが出るのではないかと内心ひやひやしていたが、肯定的なことを言っている限り、みんな満足して帰っていくのだ。もちろん、助言通りにしてもうまくいかなかった場合もあったが、それは自分が神様の教えを徹底できなかったせいだと解釈され、文句を言われることもなかった。

 供え物の量は日増しに増え、その日のうちに食べきれなくなってくると、残りは洞穴の奥に隠した。そのうち、男は家に帰るのが面倒になり、洞穴で暮らすようになった。外に出るのは排泄時と、それから……


「あ、それ! あ、それ! それそれそれそれ! 天に風を送るべし! 肉棒回して、よよい、よいよい!」


 男が授けたおかしな助言を、村人たちが大真面目に実行しているのをこっそり見に行くときだけだった。

 ほっかむりと草履だけを身に着けた村人たちが、滑稽な踊りをしているのを見て、男は声を殺して笑った。

 男が神様の振りをして助言を与えることに慣れ始めた頃には、村人たちはすっかり神様に心酔し、何の疑いもなく言われた通りに行動するようになっていたのだ。

 やがて、その奇妙な行事に他の村の人間までも参加するようになった。どうやら、神様の噂は村外にも広まったらしい。

 だが、この頃になると、鈍い彼もさすがに怖くなり始めた。『もし、神様の正体が自分だとばれたら……』という恐れが頭をよぎり、身震いした。そして……


「そろそろ神様をやめようかなあ……」


 そんなことをぼやいたある日のことだった。


「せーのっ!」


 突然、洞穴の外から声が響いた。彼は出入り口に目を向けた。しかし、外の光は一瞬で消え、暗闇に包まれた。


「な、なんだ!? どういうことだ!?」


 彼は大慌てで入り口に駆け寄った。どうやら、大きな岩で塞がれたらしい。力いっぱい押してみたがびくともしない。唸り、叩いても無駄だった。それでも諦めずに顔を岩にピタッとつけて押していると、向こう側から村人たちの声が聞こえた。


「さっきの言葉……やはり、あの話は本当だったか」

「ああ、最近神様が『この村から離れたい』とよく仰っていた」

「しかし、閉じ込めていいものだろうか……」

「お怒りになるに違いないぞ」

「みんなで、よく話し合ったじゃないか。神様にこの村を去られたら同じことだ」

「ああ、それに他の村に行かれるなんて絶対に嫌だ」

「なあに、毎日お参りすれば、きっといつか許してくださるだろう」

「そうだな、はははははは!」


「あ、あ、あの! 違うんだ! おれは神様じゃなくて、この村の人間で! ほら、あのいつもぼーっとしている奴だよ!」


 状況を理解し、彼は外に向かって必死に叫んだが、外から聞こえるのは笑い声ばかりだった。その声に遮られて届いていないのかと思ったが、そうではない。村人たちは去り際、こう言った。


「そんな奴、この村にはおらんだろう。はははははは!」

「ああ、いればすぐわかる。最近は村人全員が集まる機会が多かったものな」

「あ、それ、それ、それそれそれそれ!」


 そうだった。自分が出したでたらめな指示を実行するために、村人たちはよく集まっていた。それに参加していないのは、陰から笑っていた自分だけだ。


 そのことに気づいた彼は、呆けたように口を開けたまま穴の奥へと引き返していった。

 しばらくはとっておいた食べ物でしのげたが、やがてそれがなくなると彼はさらに洞穴の奥へと進んだ。痩せたことで、以前は通れなかった細い隙間も通り抜けられるようになっていた。しかし、どれだけ進んでも出口に繋がる道などなかった。

 やがて、通れないほど細い隙間にぶつかると、それ以上進むことを諦めた。

 力尽き、横たわった彼はその隙間に向かって「おーい」と呼びかけてみた。


 ――たなあ。


 死んだのか、それともまだ生きているのかわからないほど、ぼんやりとした意識の中、彼は足音と自分によく似た声を聞いた気がしたが、もう声を出すこともできなかった。

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