マーサット社 本館 M101会議室 『産学連携会議』
「――ということで、先日よりアイザックは稼働状態に入りました。このために尽力してくださったAICのメンバーに感謝いたします」
と言って、アイザックが映る大型スクリーンの傍らに立って進行役を務める小林常務が、この場に居るAICのメンバーの方に向いて手をかざし、それを軽く持ち上げて見せた。これを受けた佐々木、朴、稲垣、藤岡の四人が立ち上がってお辞儀する。周囲から拍手が起こる。
周囲を見渡すとこの場に居るのは、当社から大石社長、三沢専務、小林常務、山崎営業本部長、河合経営本部長、AICのコアメンバーである佐々木、朴、稲垣、藤岡、そして私。港北大学から、理工学の村井教授、政治学の沢田教授、法学の増田教授、経済学の小谷教授、脳科学の佐藤教授。そして政界から川島財務副大臣。あと、何故か着席せず、ドアの近くに立っているのがテクニカルサポート第7課長の高橋、高橋の傍にもう一人女性が立っているが『文系部隊』の一人だろうか。そこそこの人数が居るが、大会議室なので人口密度は低く見える。
皆には苦労を掛けたなあ……などと思いつつ、私もAICの四人の方に向いて拍手していたら、その四人がこちらに目を向ける。進行役の小林常務も。いや、ここに居る殆どの人間が私を見ている。小林常務が私にも立ち上がるように手振りで促した。仕方なく起立し、とりあえず軽くお辞儀する。「どーもすんませんでしたー」などと小声で呟きながら。呟き終わってすぐに私が座り直すと、四人も着席し、進行役の小林常務が話を再開する。
「では、そのアイザックを交えて、今後の活動について協議したいと思います。まずは川島議員として――」
「私が次の選挙で勝つにはどうすれば良い?」
と、喰い気味のタイミングで川島がスクリーンに向かって訊いた。
なんとも言い難い沈黙が降りた後、私は川島を窘める前に、まず佐々木に声をかけた。
「佐々木さん。アイザックが映し出されているモニターにカメラが付いていた場合、発言者の視線がモニターに向いていることを検出して、自分に向けての発言であるとアイザックに判定させる、というフィードバック系の追加は可能ですか?」
「ああ、なるほど。可能です。その判定機能を実装したモジュールが既にあるので」
「では、今度組み込んでおいてくださいますか。今後の『会話』がスムーズになるでしょう」
と、アイザックの対人インターフェイスの向上を優先しておいてから、私は川島に向き直った。
「川島、アイザックは場に複数の発言者が居る場合、まず『アイザック』と呼び掛けてからでないと、自分相手の発言とは判定しない。この場では気を付けておいてくれ」
「わ、解った」
「しかし、川島、仮にも野党を一つ作ろうという身で、党の在り方や党勢の拡大を考えるより先に、自身の当選を考えるのか」
「……まず、俺自身が議員であり続けられるビジョンが立たないと、その先は考えられないんだ」
この情けない男との対話に見切りを付けて、
「アイザック」と私が代わりに呼びかける。
『はい、松宮さん』とアイザックの応答。
「川島健一議員が、従来と同じ選挙区で、次も当選するには何をすれば良い?」
『従来と同じ行動で良いでしょう。判断材料は当該選挙区に於ける前回の投票結果と同議員の支援組織の規模そして――』
「アイザック」
『はい、松宮さん』
「同議員が██党を離党して、その支援組織を失うとする。その前提での当選確率はどの程度だ?」
ここでAICのメンバーは少し驚いたような顔を見せた。そういや事情を知らせていなかったな。
『その前提は██党が対立候補を擁立するという条件を含みますか?』
「ああ、そうなるだろう」
『5%未満です』アイザックは淡々と答えた。
「██党の支援組織なしで、当選確率を上げる方法はあるか?」
アイザックは黙って肩をすくめてから、ゆっくりと首を横に三回振った。
この振舞いは!
私が佐々木に目をやると、タブレットを持ってこちらに小走りに寄ってきた。黙ってタブレットの表示を私に見せる。アーサーのフィルター記録があった。アイザックが言おうとしていた方法はフィルターにかかるほどマズいということだ。私のような素人にはよく判らないが、大学の専門家チームが定めたルールだ。危険な発言をするところだったのだろう。こうも簡単にそのレベルの発言を選択してしまうとは意外だったが……。
私は自分のタブレットに二行ほどの文字列を打ち込み、沈黙に包まれる会議室の中を歩いて、項垂れている川島の傍らに立った。そしてタブレットに打ち込んだ文字列を見せる。それに目を通すと、川島は私の顔を見上げた。私は黙って頷き返した。
「アイザック、私は自分の行動を全面的に改め、国民のための民主主義を実現させるために働こうと思う。そのためには議員になる必要がある。当選確率を上げる方法を考えてくれ」
政治家らしく朗々とセリフを読み上げた川島は、じっとアイザック(を映しているスクリーン)を見つめた。
アイザックの反応に妙に時間がかかるな。やはり実装が間接的だからか?それほど速度は重視していなかったからな――などと考えるほどの時間が経った後だった。
『提示された行動方針はこちらで把握している川島健一のものとは異なります。行動方針の変更が為されたことを証明あるいは為されることを保証できますか?』とアイザックが確認してきた。
随分待たされたと思ったら、パラドックス除けの防護に引っかかっていたのか。まあ、今までのこいつから考えると、前提が違うからなあ――などと考えながら川島に目をやると、縋るような目で私を見上げている。つくづく他力本願なやつだ。その視線を振り切って私はスクリーンに目をやる。
「アイザック、その証明も保証もできない」
川島の絶望したような呻き声を聞き流して、私は言い添えた。
「なので、川島健一が民主主義のために働くと『仮定』して、為すべき行動を考えてくれ」
『少し計算時間をください』
アイザックはそう応えるに留めた。