8.大神
「今ここでお前がサンを鍛え上げるだと?」
ベガから飛び出した提案はあまりにも意外なものだった。
しかし願ってもいないような最適に等しい提案でもあった。
サンの冒険は恐らく熾烈極まりないものとなる。
俺の娘を “アイツ” が狙って来ない訳がない。
……とは言え、ベガは所詮魔物だ。
真意が分からない以上サンの相手など任せられる筈もない。
「聖音は言ってしまえば2度と訪れない最高の成長期です。
ここを有効活用しない手は無いと考えます」
「確かにそうだが……」
「……心配、ですか?」
「当たり前だ。
俺だってサンにはもっと強くなって欲しいけどよ
……もう既にあれだけ強いんだ。
あとは帰路で鍛えれば……」
これはオオカミの真意では無い。
そう思っている側面が無い訳ではないが、それ以上にベガと手合わせをさせる事のほうがリスクだと思ってしまうのだ。
ベガの実力は先程までサンが戦っていたソレの比ではない。
サンと同年代の魔女……いや、
世界各地にいるであろう精鋭達ですら一体何人がベガと同格の魔物に襲撃されて五体満足のまま生還出来るか……考えたくもない程だ。
「恐らく、そうも言っていられなくなる筈です。
このまま彼女を行かせれば……ほぼ確実に死にますよ」
ベガは冷静に酷な事実を告げる。
オオカミは自分の娘が簡単に死ぬと告げられたようで
少し不機嫌になったがベガの意見を聞いてみる事にした。
「……何故、そう思う?
今のサンより弱くても世界各地を旅している冒険家は
少なくないぞ」
「確かに。
“並の魔女” であればあの実力で足りるとは思います。
しかしあの子はダメです。
あまりにも魔力が大きすぎる」
「……? 魔力が大きすぎると何がいけないんだ?」
オオカミはベガに対して疑問を投げかけた。
ベガは少しきょとんとした様子でオオカミを見ていたが
魔物の感性と人の感性では大きなズレがある事に気付いた。
「そうでしたね……まずそこを説明しなくてはいけません。
突然ですが、魔物は何故人を襲うのだと思いますか?」
「何故って……腹が減っているから……とかか?」
「それでは20点です。
確かに魔物は空腹を満たす為にも人を襲います。
しかしそれでは魔物全体が異常なほど
肉食に偏っている理由にはなりません」
「20点って……ならどうしてだよ」
「魔物には、食べたものから魔力を吸収して貯蓄できる
臓器が存在しています。
それが所謂 “コア” と呼ばれるものです。
そのコアから魔力を取り出したり
様々な経験をしたりする事で魔物は進化するのです。
特に、彼女のように特別な魔法を持ち
神の膝下にも及び得るような人の範疇を超えた魔力を持った
子供など……我々にとって至高のご馳走でしかありません。
魔物が人を襲うのは、血や肉を持った動物の方が
植物などと比べても持っている魔力の量が
多い傾向にあるからです」
ベガは淡々と一般的にはほとんど知られていないであろう
魔物についての事実を述べた。
「つまり……魔物ってやつはより大きな魔力を持った存在を
食べればその分だけ進化できると?」
「はい」
「………………なるほどな。
その話は初めて聞いたが、妙に納得できる部分が多い。
はぁ……そう言う事か。
つまり、サンはあらゆるものから狙われるって事だな」
「あれ程の魔力を持った未熟な魔女を見逃す程
魔物は甘くありません。
必ず彼女は何度も命の危機に晒される事になるでしょう。
最弱の魔物が何かの間違いでサンを食べてしまったとしても
一気に “終焉級” の魔物に進化するかもしれません。
あの少女が将来的に対峙するかも知れない炎の魔物ですら
終焉級の魔物を前にすれば恐らく塵芥も同然でしょう……
そんなのが出現すればあっという間に世界の危機です。
私が冒険する世界が消えて無くなるのは……困ります」
ベガの提案には反論の余地が無かった。
サンは誰よりも強くならなければならないらしい。
ウルティオニスフレイムを倒すとかそれ以前に、
生きて元の場所に戻るために……だ。
オオカミは終焉級の魔物を見た事がない。
……いや、それどころか今を生きる人間はほぼ全員終焉級の魔物を見た事がない。
アレらは今や幻の存在として語られており
そもそも普通に生きている人々は存在すら知らないだろう。
しかし、ベガの言葉は妙に “現実” を帯びていた。
終焉級の魔物について語るベガの手は大きく震えており
表情の見えないその鎧姿が目に見えて分かるほどに
“恐怖” していた。
「…………分かった。
ベガ、お前の提案を受け入れる」
オオカミは苦渋の決断を下した。
どうしても北獄から離れられない理由があるオオカミにしてみれば
サンの帰路に同行できないのはそれだけで辛い事だ。
折角再会出来た娘をこんな所から見送らなければならない悔しさが血となって
強く握り込まれた拳から滴り落ちる。
オオカミは無力感に打ちひしがれながら
ベガとサンの対峙を見守っていた。
ベガの実力はサンの想定を遥かに超えていた。
サンは必死にベガの猛攻を防いではいるが
明らかに手を抜いている様子のベガを相手に攻撃の糸口すら見つけられずにいた。
(なにこの魔物……強すぎる。
防御魔法は殆ど効果無いし、攻撃を魔法で逸らそうとしても軌道が全くブレない。
オマケにこの速さ……おかしいでしょ!!)
ベガの速度はほぼ目で追えるようなものでは無く
気を抜けばほぼ同時に5方向から熊の30倍はありそうな
破壊力の攻撃が襲いかかってくる。
おまけにその精度は熊の乱雑な攻撃なんかとは異なり
正確に臓器や関節を狙ってくる。
一撃でも掠ったらその部位は丸ごと消し飛ぶ威力だ。
私はギリギリだがこの恐るべき波状攻撃に慣れつつあった。
(僅か120秒弱でこの適応速度……これは単なる聖音と見るべきかどうかすら怪しくなってきましたね。
……あまりにも成長が早すぎます)
ベガはサンの力量を事細かに分析しながら立ち回っていた。
しかしそれと同時にあまりの成長速度に恐怖を覚えつつもあった。
まだ暫く防げないだろうと思っていた攻撃が20回に1回程度の頻度でほぼ完璧に防御されている。
(やはりこの子供……魔力相応の伸び代がある。
……いずれは “かの龍” にすら届く牙を持つかも知れませんね。
そろそろギアを上げてみましょうか)
ベガは更に速度と攻撃の威力を上げた。
「嘘?! 何で早くなるの?!」
サンは驚いて咄嗟に魔眼を使ってしまった。
「何?!」
ベガは唐突にその場からサンが消失した事に驚愕し、
思わず声を漏らした。
(しまった……今彼女に私が会話できる事がバレるのは避けたかったんですが……
いや、それどころでは無い。
何だ……何が起きている?!
痕跡はおろかあの巨大な魔力すらも消失した)
ベガが動揺して動きを止めてから数秒後、追い討ちをかけるように左脇腹の辺りで強烈な光と熱が爆裂した。
「これは……?! 攻撃された?! どこから?!!」
ベガが立っていた場所には赤々とした火柱が立ち昇り
爆発の衝撃がオオカミの元まで微かに届いた。
ベガはギリギリの所で火柱が上がる前に身体を捻って脱出していたが
左脇腹にあたる氷の鎧が黒く焦げたような状態になっていた。
(どうなっているんですか……あの魔力を完全に消失させて攻撃するのは不可能な筈ですが)
周囲を警戒しているうちに突然ベガから80mほど離れた場所にサンが出現した。
サンはベガから逃げるように全力で走っている。
(っ……全く、手間がかかりますね)
ベガは体勢を低くすると一気に足へ力を込めて飛び出した。
1秒にも満たない時間でベガはサンの頭上を飛び越えると
氷の壁を蹴って方向変換し、そのままサンへ飛び蹴りを喰らわせようとした。
しかし、サンはギリギリのところでその攻撃に反応して
風の魔法で自らを押し出して回避した。
ベガは何も無い地面に着地するとそのまま左脇腹を手で抑えながらサンの方を見た。
(この攻撃、再生が阻害されていますね……
これも太陽の魔法の力ですか、厄介ですね)
ベガはサンに対して再び拳を構え直した。
「あ、あの!! あなた喋れますよね?」
ふと、サンがベガに話しかけた。
ベガは自らやらかした失敗に頭を悩ませながら
一度拳を下ろした。
「……命を狙って襲いかかってきた魔物に話しかけるなど、あってはならない事ですよ」
「……やっぱり、喋った」
サンは改めて驚愕した様子を見せながらもきちんとベガの動向を警戒していた。
「あの……ですね。
私、こう見えてそこまでおいしくも何とも無いと思うんですよ。
身体は小さいです、し……お肉も少ないと思います」
「だから、襲うのをやめて欲しいと?」
「そうです!」
「それで、何故私が快く了承すると思ったんですか?」
「あ……え……」
サンは少しずつ後退りしながら言葉を選んでいる。
しかし、ベガはサンが後退した分だけサンとの距離を詰めた。
「言葉が通じるなら……交渉が出来ると思って……」
「同じ言葉を話すなら会話が可能であると言う考え方は愚かです。
話が通じない相手など貴方達人間同士にも幾らでもいるでしょう」
「で、ですが……」
「そもそも、魔物が獲物の都合で襲う相手を変える訳がないでしょう。
交渉など無駄です。
さぁ、杖を構えて私を倒すつもりでかかって来なさい。
さもなくば貴方はここで惨めに死んで、
私に骨の1つまで残さずに食われるだけです。
……それに、貴方の肉は確かに少なそうですが、
筋も少なくて柔らかそうではありませんか」
「ひっ……そ、そんな……」
勿論ベガにそんなつもりは無い。
むしろベガはサンに死なれては困るとさえ思っている。
ベガはサンをやる気にさせるために奮い立たせようとしたつもりなのだが
むしろ逆効果になっているようで
恐怖のあまりサンの目からは大粒の涙が流れ始めた。
(しまった……泣き出してしまいましたね。
彼女の戦意が急激に薄れていくのが感じられます。
…………少し煽りすぎましたかね?)
ベガは生前、騎士となる前は農家の1人娘として
高いお酒の原料となる麦を山2つ挟んだ先にある
王国まで往復して売りに出る生活をしていた。
そんなある日、彼女は山道で頭のおかしい山賊に捕まってしまった。
その山賊は若い女性の肉を好んで食べるカニバリストであり
生かしたまま女性の前で女性の肉を調理して食べる事で性的興奮を覚える
とんでもない異常性癖を拗らせていた。
その男はそれまでに50人近い女性を食べ飽きては
殺害してきた賞金首であった。
山賊は大変タチが悪く、回復魔法に長けていた。
そうやって抉り取られた肉を回復させられ、また目の前で抉り取って食うのだ。
そこで彼女は偶然通りがかることになる
後の師匠に救われるまで
40日近く地獄のような生活を送った過去がある。
ベガ自身は全く気付いていないが、
彼女は無意識にこの出来事がトラウマになっており
そのせいでベガの中で “悪役” のイメージは
あの山賊に強く引っ張られてしまっていた。
オマケにベガはここ数万年人と会話すらしていなかった。
……もう察しの良い者は分かるかも知れない。
ベガは致命的に “悪役” が下手くそだったのだ。
何より、ベガはそもそも圧が強い上に
大人ですら失神する程の殺気を放ってこの発言をしている。
……年相応に泣きじゃくるサンはまだ耐えている部類なのだ。
「あのバカ……もうベガとか言う洒落た名前からバカに改名しろ」
オオカミは遠くから頭を抱えてため息をついた。
オオカミは耳が良く、200mくらい離れた場所で
発された音なら心音すら聞き分ける。
当然ベガとサンのやりとりもオオカミには筒抜けであり
ベガの壊滅的に下手くそな挑発に対して呆れを通り越して
言葉を失っていた。
ベガは少し困った様子でオオカミの方をチラチラと見たが
オオカミは全力で無視した。
(やめろ……こっち見るな)
(オオカミからの助力は望めませんか……困りましたね)
ベガは氷に成り果てた脳みそを全力で回転させて
どうにかしてサンの戦意を取り戻す方法を考えた。
……ベガの頭から汗のエフェクトが見える気がするが
これは恐らく本当に気のせいだろう。
「仕方がありませんね。
こうも泣かれては後味が悪過ぎます」
「後味……味……?!
やっぱり食べるつもりなんですね?!」
(……これは当分、オオカミに頭が上がらなくなりそうですね)
「はぁ……見逃してあげると言っているのです」
「…………え?」
「その代わり、条件があります」
ベガは再び拳を構えると周囲の氷壁に向けて拳を4方向に振り抜いた。
空を打ったベガの拳から衝撃波が生まれて壁に激突すると
大きな破壊音と共に壁が崩れ、通路が塞がれた。
そして再度ベガはサンへ向き直り、圧をかけた。
「正面から正々堂々と私と戦って、もう一度だけこの身に一撃入れてください。
無事私へ攻撃を当ててダメージを与える事が出来たのなら
私は貴方を強者と見なし、この場は見逃します」
「ほ、本当に……見逃してくれるんですね?」
「騎士の誇りに誓って約束します」
サンは辛うじて生まれた活路に飛びついた。
微かに見えた希望の光を縋って涙を拭い、再び決意を固めた。
「分かりました。
……絶対に一撃入れてやります」
微かにサンの瞳に戦意が戻った。
サンは大きく深呼吸を3回すると杖を構えた。
(驚きましたね……子供とは思えない程に感情のスイッチングが早い)
最初に動いたのはサンだった。
地面の雪を氷の魔法で操って槍状にし、素早く回転させ
8方からベガを襲った。
しかしベガは飛んで避ける訳でもなく姿勢をギリギリまで低くして左足を軸にして回転しながら伸ばした右足で全ての槍をへし折ってしまった。
サンは距離を取って次の魔法を撃とうとしたが
ベガは折った槍をサンに向かって全て投げた。
凄まじい速度で投擲された槍は地面に激突して粉々になりながら
恐ろしい破壊力を発揮した。
「うわっ?!」
サンは慌てて風の魔法と氷の魔法を同時に行使して8回の投擲攻撃を全て防ぎ切り
相手に休む間を与えまいとほぼタイムラグ無しで
大きな火球を広範囲にばら撒いた。
ベガは一撃だけ火球を蹴って打ち返したが想像以上の “重さ” にコントロールが効かず
明後日の方向へと飛んでいった。
そして、全ての火球が周囲を巻き込んだ大爆発を起こし
ベガを爆炎に飲み込んだ。
「当たった!!」
「いいえ、私は無傷ですよ」
「?!」
サンは背後から声がした事に焦って振り返りながら尻餅をついた。
そこには確かに爆炎に飲まれた筈のベガが立っていた。
しかも……無傷で。
「ど、どうして……さっきは確かに」
「簡単な事ですよ。
爆発する前に抜け出て背後に回ったんです。
……しかし、先程の魔法は良い威力でした。
命中していればこれと同じくらいの焦げ跡は出来たかもしれませんね」
ベガは自分の左脇腹の辺りを右手の指でコツコツと叩いてみせた。
(やはり……凄まじい速度で成長していますね。
さっきまでの彼女では投擲の1つにも反応できなかった筈ですが)
サンは深く息を吸い込んで再び攻撃を開始した。
ベガの周囲に光の玉が無数に出現した。
(今のでダメなら……これでどう?!!)
「これは……っ?!」
ベガは咄嗟に身を翻した。
その直後、無数の球は四方八方に細いレーザーを放った。
ベガはギリギリのところで網のような広範囲攻撃を避け切った。
(おかしいですね……これではまるで、成長速度そのものが上がっているような)
ベガはさっきやって見せたたように素早く拳で空を打った。
ベガの拳から衝撃波が放たれた。
衝撃波による攻撃は距離が遠い程最終的に被害が及ぶ範囲が大きくなる。
今回はサンとの距離もそこそこ離れていたので
半径8mにもなる超破壊力が小さな魔女を襲った。
サンは衝撃波に対して太陽の上級魔法を素早く展開して応戦したが
全く歯が立たず魔法がかき消されてしまった。
「嘘でしょ?!」
風の魔法を使った移動では間に合わない……まだ怖いけど、一か八かっ……!
「また消えた……? いや、違うようですね。
転移魔法ですか……これはまた厄介なものを持っていますね」
私は間一髪のところで衝撃波の範囲内から転移魔法で抜け出した。
上級魔法 大渦炎球 がいとも容易くかき消された。
さっきまでの攻撃とはまるで威力が違う。
(やっぱり……まだ手加減されてるんだ)
そもそも氷星の騎士は剣すら抜いていない。
それでもこの圧倒的な強さ……勝つイメージどころか
油断無しの氷星の騎士へ一撃を当てられる想像すらつかない。
(それでも……さっきよりは少しずつだけど
通用するようになってきた気がする)
アネモネの魔力が私の精神を落ち着かせる。
私は反撃の機会を伺いながら氷星の騎士との距離を詰める事にした。
(さっきの攻撃、この距離で捌くには範囲が広すぎる。
もっと近寄って攻撃範囲を絞るんだ……!!)
私の意図に気付いたのか、氷星の騎士は連続で衝撃波を撃ってきた。
視界一面が衝撃波で埋まるほどの大乱撃が私の前に立ち塞がった。
私は自らを風の魔法で加速させながら転移魔法をこまめに使って衝撃波の層を抜けていく。
少しずつだけど転移魔法にも慣れてきた。
より正確に、精密に……もっと、もっと早く。
私は戦場を駆ける一筋の矢。
滝のような轟音と身が千切れるほどの衝撃を紙一重で躱しながら
騎士めがけて突き進む。
この時、私の集中力は最高潮に達していた。
周囲の光景は何十分の一にも遅く見えて
攻撃の微かな隙間が明るく光を灯したように浮き出て見える。
私は姿勢を低く保ちながら爆音の中を駆け抜けた。
……そして、遂に氷星の騎士へと手が届きそうな程に接近する。
私は風の魔法で急激に方向変換すると太陽の魔法を小さく、広く散るように飛ばした。
千を超す小さな魔弾がベガを襲った。
ベガは冷静に最小限の数だけ拳で弾き飛ばし
残りは全て回避して見せた。
サンは続けて大きめの魔法を3発撃ち込んだ。
先程衝撃波に向けて使っていた魔法だ。
ベガはそれも身を捻って躱すとサンに向けて右拳を向けた。
サンの角度的に回避が難しい攻撃をベガは的確に仕掛けていく。
今回の攻撃はまだ反応出来ないと思われる速度でサンの頬を直撃しそうになった。
しかし、ベガは自らが置かれている状況に気付いていなかった。
ベガを取り囲むように先程放たれた魔法が急接近していた。
(これは……何故魔法の軌道が?!
……転移魔法ッ!!)
先程、サンは熊を捕える為に転移魔法を使って竜巻を熊の周りに転移させていた。
ベガは想像もしていなかったのだ。
ついさっきまで圧倒的な実力差に怯えて泣いていた子供が
自らを囮にしてまで自身に一撃を浴びせようとしているなんて。
サンはベガに杖を向けると魔法を発動しようとする。
完全に入った。
……そう思うにはあまりにも十分過ぎる状況だった。
(まさか……この速度の攻撃に初撃で反応している?!)
「くっ?!」
ベガはこの攻撃に当たらなければならなかった。
自爆紛いの攻撃だが自身へのダメージを最小限にしつつ
4方から強烈な魔法を隙間無く叩き込む見事な攻撃だった。
……しかし、つい咄嗟に魔物としての本能が彼女の身体を動かしてしまったのだ。
それもその筈だ、幾らベガとは言えこれだけの魔法を全て受けてしまえば
大ダメージは免れない。
彼女の本能は彼女の意思よりも保身を優先して動いていた。
ベガは、本気を出してしまった。
「……しまった!!」
気がつくと、ベガは剣を抜いていた。
魔法はかき消され、サンは遥か先にある氷壁に叩きつけられて派手に出血していた。
ベガは自身が咄嗟にやってしまった行動の全てを遅れて認知した。
サンが杖をこちらへ向けた次の瞬間、ベガはサンの小さな身体を蹴り上げていた。
サンはその攻撃にまるで反応出来ず、全く防御行動を取らないまま首に重い一撃を受けた。
完璧に骨が折れた音が鳴り響くと同時に鉄砲玉のように吹き飛んだサンは壁に激突し、
あちこちから血を吹き出してゆっくりと落下した。
ベガは間髪入れずに剣を抜くと、蹴りを放った勢いを利用して身体を捻り
剣で魔法を斬り払った。
(まずい……まずいまずいまずいまずい!!!)
ベガは慌ててサンへと駆け寄ろうとした。
「サン!!! おいサン!!! まずい……呼吸してないぞ!!!
首の骨が折れてやがる!!!」
サンの傍にはオオカミが既に駆け寄っており
応急処置を開始していた。
ベガは大慌てでその場へと駆け寄ると内部の出血をひとつひとつ氷で止血し始めた。
「お前……後で覚えてろよ」
「………………っ」
オオカミの声には凄まじい圧と殺意が込められていた。
当然だ。 この傷ではもう……
2人の抵抗も虚しく、サンの顔色は徐々に悪化していく。
不気味な程に静けさを取り戻した北獄の隅に男の声が響く。
ただ娘の名を呼び続ける、父の声が。
「…………ん、あれ? …………ここは」
目を覚ますと、そこはオオカミ、シルヴァと共に暮らした洞窟であった。
サンは自身に何が起きたのかも分かっていない様子のまま、粗末な布切れの中から上体を起こした。
ここに至るまでの記憶が無い。
……いや、覚えている事もある。
確か……熊を倒して、氷星の騎士に襲われた。
……その先が分からない。
「目を覚ましましたか」
ふと、右側から聞き覚えのある声がした。
少し前に聞いたばかりの声だ。
サンは恐る恐るそちらを振り向いた。
そこには、氷星の騎士が正座していた。
「え……な、なんで……」
「……本当に申し訳ありません。
怖い思いをさせたばかりか、私は貴方を試すような真似までして……」
氷星の騎士は自身の名を明かし、ここまでの経緯をサンに語り始めた。
オオカミの弟子になった事、サンの力を試した事。
……そして、その最中で力加減を間違えて
殺しかけてしまった事。
話をしていく中でサンは少しずつ思い出した。
自分が何らかの攻撃を受けて、致命傷を受けた事を。
「……ちょっと待ってください。
あの状態から私、助かったんですか?
……どうやって」
サンは助かりようも無いダメージを受けた。
首の骨は折れ、肺は骨が複雑に刺さって潰れた。
内臓も内側から何個か破裂しただろう。
幼いサンにさえ、完治しているのが理解出来ない程の大怪我である。
ベガは何か言いにくそうにしながら静かに黙り込んだ。
……よく見るとベガはボロボロになっている。
凄い重傷だ……多分人間なら死んでいる。
全身ヒビだらけで肩は今にもポロリと落ちてしまいそうな状態にまでなっている。
胴体は一度大きく割れたような痕すら残っている。
……オオカミに折檻でもされたんだろうか?
「……サン、目が覚めたのか?」
洞窟の奥から料理を持ってオオカミが出てきた。
その手にある食べ物は獣人の間で豆乳粥と呼ばれる消化吸収に優れたものだった。
オオカミはサンに駆け寄ると膝をついてサンの手を握った。
「怪我は……体調は大丈夫か?」
オオカミはやや泣きそうな顔をしていたが、涙は流すまいと踏ん張っているような様子だった。
そんなオオカミのやや情けない顔を見てサンは安心した。
「大丈夫ですよ、何ともないです。
……いや、何だろう。
何か、身体がやけに軽い感じが……」
オオカミの耳が一瞬だけピクりと動いた。
「……そうか、異常が無いなら良いんだ」
オオカミはサンの口にゆっくりと豆乳粥を持っていき
優しく介抱しながら食べさせた。
豆乳粥の優しい味と暖かさに満たされたサンは再び粗末な布切れに包まると寝息を立ててしまった。
「……良かったんですか、言わなくて」
ベガは、少し気まずそうにしながらオオカミに尋ねた。
「……良いも何も、あんなもんどうやって説明しろって言うんだ。
あの場で起きた事は俺たちの理解を超えていた。
話しても無駄にサンを不安にさせるだけだ。
……と言うかお前こそ、その傷大丈夫なのか?」
「治りは異常に遅いですが、まぁ何とか……
今回は本当に申し訳ございませんでした」
「……もう良いって言っただろ。
結果的に “アレ” を引き出したって言うんなら
お前のミスが偶々プラスに働いたって事だろうからな。
……少なくとも、俺は肩の荷が降りたよ。
まさか、サンにあんな力が眠ってるなんてな……」
オオカミは服を胸の上まで捲り上げた。
そこには、凄まじい大怪我が刻まれていた。
ひび割れたような歪で広い傷、クレーターのような紫色に広がる痛々しい痕、
その中心部は血だか肉だかでどす黒く変色しかけている。
それは、魔法による痕跡などではなく明らかに常軌を逸した破壊力を持った
“物理攻撃” によるものだった。
「全く……こっちも妙なくらい傷の治りが遅くて参ってるよ。
オマケにこの傷、滅茶苦茶痛いしよ……気を抜いたら大声が出そうだ。
俺にこんな出鱈目な大怪我負わせられるのなんて、八英雄でも1人か2人しかいないだろうな……」
「………………」
オオカミは何があったのかをサンに語らないまま怪我を治した。
獣人は怪我の治りが非常に早く、大抵の大怪我は数時間で完治すると言われている。
オオカミの回復力はその獣人の中でも突出したものだったが
腹の傷が完全に癒えるまでに7週間もの時を費やしたそうだ。




