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7.面影

続く限りに白い大地の広がる世界で

私は息も絶え絶えにしながら

山のように大きな熊から逃げていた。

涙だの、汗だの、色んなところから体液を撒き散らしながら

尊厳も何もかも捨ててとにかく全力で逃げた。


「じにだぐない……!! じにだぐない!!!」


溢れたそばから凍る体液が関節の動きを邪魔してくる。

激情に駆られて理性を失った熊がコントロールすら失って

私に容赦なく猛追撃を仕掛けてくる。


その様相はまさしく雪崩のそれだ。

熊が滅茶苦茶に暴れながら雪の地面を崩して転がってくる。

……幸いと言うべきなのか熊の攻撃は当たる気配すらない。


しかし、この状況は本当にまずい。

まつ毛が凍っていてまともに視界を確保出来ない。

それだけに飽き足らず鼻も、口も、耳すらも凍っている。

触覚すら全身の体液が凍った影響で体温が保てずに麻痺した。


今私に出来るのは精々熊の魔力を感知して大振りの攻撃を

本能で回避する事だけであった。

ギリギリ当たりそうになった攻撃は

アルモナが防いでくれているが……


(やばい……やばいやばいやばいやばいやばい!!!)


アルモナの魔力も無限ではない。

魔力を見るに熊の攻撃は防げてあと4発くらいだろう。


(魔法……そうだ魔法!!)


私はパニックに近い状態から脱するべく

自らに太陽の回復魔法を使った。

太陽の魔法は他の魔法と比べても段違いに威力が高いらしく

特に回復魔法は全ての魔法において最高峰であると

シルヴァから教えられていた。

心臓を起点として発動した太陽の回復魔法はあっという間に

私とアルモナの全身を温かい炎で包み

僅か5秒程で身体中の氷を剥がし

息苦しさと低体温症を吹き飛ばした。


身体に感覚が戻り、まともに回らなかった足に

踏ん張りが戻ってきた。


(落ち着け……熊は怒りで行動が単調になってる。

攻撃の隙を突いて魔法で応戦するんだ……!!)


荒くなった息を深呼吸で無理矢理抑えつけるようにして

目の前の状況をパニックで回らなくなった頭を

精一杯動かして整理する。

心臓の音が煩い。

息が脳まで響く。

熊の攻撃の余波が肌を撫でてくる。


……でも、まだ私は生きている。


魔力はまだ腐るほど残っている。

回復魔法のお陰で肉体の疲労感は消えた。

少しずつだけど心も落ち着いてきた。


熊の大振りな攻撃が私の真横を何度も通り過ぎた。

あの大きな腕が私に当たらない保証は無い。

しかし、圧倒的に力で負けているこの状況下では

防御を捨てるのが最も勝算のある行動だと

私の直感が告げていた。


(隙だらけだ……今しかない!!)


私は肺が許す限り最大まで息を吸い込んで魔力を一気に

杖へと集中させた。

しかし、その判断が間違っていた事に気付くには

あまりにも遅かった。


突然足元から鳴り響く巨大な音と縦揺れに

私は大きくバランスを崩した。


「何?!」


折角撃とうとしていた魔法も中断され、

私はその場に尻餅をついたまま動けなくなっていた。

魔法で脱出しようにも杖は手元から3mは離れてしまい

取りに行こうにも足元が大きく揺れていて

立つことすらままならない。

……しかも熊は暴れっぱなしで私の周囲には

乱雑な攻撃の嵐が……………………あれ、ちょっと待って?


その時、私は最悪な事に気付いてしまった。

熊の表情は怒っているものではなく、

確実に獲物を追い込んで仕留めんとするソレだったのだ。

私は冷静さを失っていたから見落としていたのだ。

熊は怒りで我を忘れていた筈なのに時折魔法を使っていた。


しかし攻撃魔法はそんな状態で簡単に使えるものではない。

私だって杖を持っていてもある程度心が落ち着いていないと

精度の高い攻撃魔法は発動出来ない。

なら……どうして熊は魔法を使う事が出来たのか?


簡単な事だ……熊はわざと正気を失うフリをして暴れる事で

私の恐怖心を煽りつつ、それと同時に油断させたのだ。

私はまんまと地盤の脆い場所まで誘導されてしまったのだ。


(嘘でしょ……?

高度な魔物ってここまで緻密な作戦を立てて

追い込んで来るの?!)


思考を巡らせる暇もなく、

熊はトドメとでも言わんばかりに高く跳躍した。

その衝撃で私の足元は完全に形を保つ力を失い

凄まじい音を立てて崩落した。


「きゃぁあああああああああああ!!!!!!」


切り立った崖のような場所がそのまま崩れ

私は300mにも及ぶ空中落下を味わう羽目になった。

しかも熊はその上から氷の塊を魔法で構築して放ってくる。


杖は手の届かぬところにあり風の魔法での脱出は不可能……

太陽の魔法や氷の魔法でこの状況をすぐに打開する術は

今の私には思いつかない。

残るは転移魔法だけど……


(無理!無理無理無理!!

転移魔法は不完全な上に深い集中が必要だし

万が一出来たとしても周りの氷塊とかが邪魔過ぎる!!!)


転移魔法は座標上にある物体を押し除ける事が出来るのだが

この状況では飛んだ先が悪ければ

私は氷の塊に閉じ込められてしまい、

身動きが取れないまま地面に激突してしまう。


一面が氷で埋め尽くされたこの現状では

何処へ逃げてもほぼ閉じ込められてしまう。

もうすぐそこまで地面が迫っている

……1手の遅れが招いた最悪が私の小首に刃を突きつける。


そして、龍が咆哮をあげるかのような

凄まじい轟音が北獄の片隅で響き渡る。

……私はまだ無事だった。


「アルモナ!!! アルモナ!!!!」


アルモナは息を荒くしてぐったりとしていた。

目の下には特徴的な青い隈が浮き上がり

手や足には全く力が入っていない。


これは急性魔力漏出.……所謂魔力切れによる症状だ。

アルモナは返事をする気力すら失っていたが

それでも私が前足を握ってあげると

安心したように気を失った。


上は熊の魔法攻撃、下は硬い氷の地面、

周囲は無数の巨大な氷塊。

この窮地を脱したのはアルモナの力だった。

アルモナは素早い判断で私に身を寄せると

私とアルモナを覆う透明な障壁を生み出した。

この障壁が私たちの命を繋いでくれたんだ。


私は幾度も命の危機に晒された事で乱れた息を

整えようとしたのだが、あの狡猾な熊が

そんな事を許してくれる筈が無かったのだ。


「ひゅっ」


思わず、言葉を失った。

上を見上げた先にあったのは口を大きく開けながら

こちらへと落下してくる巨大な影であった。


熊だ。


(嘘……でしょ?)


今までの攻撃は全て私から防御手段を奪い去る為のもので

本命はこの攻撃だったと言う事だ。

今からでは回避は間に合わない。

……氷の魔法などで防御しようにも

質量が大き過ぎて今の魔法練度では到底耐えられない。


私がこの場で許された行動はたったひとつだけだった。


「嫌だ!!! 死にたくない!!! 死にたくない!!!」


命乞いをしながら動けないアルモナに覆い被さって

身を盾にした。

少し矛盾した行動だったかもしれないが

アルモナを庇うように動いていたのは無意識だった。


私の背に暗い影が落ちて大きな牙が襲ってくる。


「死にたくない!!!!!!!」


声が枯れる程に大きな声で叫んだ次の瞬間

私の身体を身が裂けるほどの鋭い風が取り囲んだ。

その風は一瞬で上へと膨らむように弾けると

熊を呑んでしまった。


「グォオ?!!!!」


熊は何が起きたのかも分からず巨体を風に振り回され

そのまま数百メートル先へと投げ飛ばされた。

熊は負傷部位を上手く庇いながら転がるように受け身を取り

爪を大地に立てて勢いを殺した。


「……何が起きたの?」


私は熊の異変に気付いてアルモナから視線を移した。

私の前にはいつの間にか聖杖アネモネが側まで移動しており

独りでに宙を浮いてゆっくりと風を纏っていた。


「アネモネ……? 貴方が守ってくれたの?」


アネモネは言葉を発さない。

しかし、その姿はまるで私に “杖を取れ” とでも

言っているかのようであり

私は恐る恐る杖に向かって右手を伸ばした。


右手の指が触れた途端、杖から温かい風と光が放たれた。

そして、吹き荒れた優しい風が少しずつ姿を変えていく。


「……人?」


温かい風は美しい女性のような姿へと変貌した。

しかしその身体は透けており肉を持っておらず

到底人と呼べるものでは無い。


『サン、落ち着いて。

私は貴方にしか見えていないし、

この声も貴方にしか聞こえていないわ』


「え? え?! あの、貴方が喋ったんですか?」


風の女性は優しく包容力のある声をしていた。

しかし奇妙な事にその声が直接頭に響くような感じがした。


『今はそんな事、気にしている場合じゃないわ』


「え、あの…………はい」


言葉の直後、アルモナの周囲を鋭い風が包み込んだ。


『良い子だわ。 さぁ、前を向いて。

私の言う通りに魔法を使うの。

大丈夫、サンは強い子よ。

ただ今は少しだけ魔法の使い方を知らないだけなの』


不思議な事にこの声を聞いていると心が落ち着いてくる。

風の女性は私の背後から手を回すようにして

杖を握る私の手に風の手を添えた。

下半身は自然に溶けるように透明度が高くなっており

足先が見えない。

身体は宙を浮いている。


熊は私に起こった異変には気付いている様子がない。

それ故なのか熊は勝ちを確信して一気に距離を詰めてきた。


『さぁ、大きく息を吸って。

ここは空気が薄いけれど、サンの肺活量なら十分に

体内へ酸素を供給できるわ』


私は無言で言われた通りにした。


『呼吸を整える事はそのまま魔法の精度にも

魔力の精密なコントロールにも

良い影響を与えるわ。

大丈夫、何も焦る事なんてないのよ。

もう2度とサンに熊の攻撃が当たる事はないもの』


右側から大振りの攻撃が飛んでくる。

さっきまで全く対処できなかった攻撃だ……しかし


(頭に……身体と魔力の動かし方が流れてくる)


風の女性によるものなのか

私は自然と二歩だけ左側へと移動して

小さな風の魔法を2箇所に設置した。

熊の拳が通り過ぎると2箇所の魔法は起爆し

熊の拳を一定方向へと押し上げた。

そして、熊の攻撃は私の頭スレスレを通過したのだ。


『風の防御魔法は “攻撃を流す” 事に特化しているのよ。

だから、正面から攻撃を受けるんじゃなくて

攻撃を後ろから押して方向を変えるのよ』


熊は驚いた様子を見せながらも攻撃を続ける。

しかし……


(一回足を動かす度に、魔法を発動する度に

……まるで何千回もの実践を経たかのような経験が

身体に染み付いていく。

何だろう……楽しい)


熊の攻撃は風の女性が宣言した通り、全く当たらない。

それどころか魔法は驚くべき勢いで洗練されていき

僅かな魔力で発動した魔法が遂に熊の手を大きく弾いた。


「グォオォオオオ?!?!?!」


確かに魔法は魔力さえ多ければそれに伴って

強力な魔法を撃てる。

しかし、それでは魔法練度というものは全く育たない。


魔法練度とは魔法を最適化する技術だ。

魔法練度が高いほど魔法の性能は格段に上がる。

場合によっては初級の魔法を超級以上の火力に

引き上げる事すらある。


シルヴァが四獄姫を差し置いて最強の魔女だと謳われたのは

恐らくこの魔法練度と魔力のコントロールが

他の魔女と比べても圧倒的に優れていたからだろう。


慌てた熊は私から距離を取って魔法による攻撃を開始する。

しかし、熊から放たれる魔法には練度は無いにも等しい。


現在進行形で急激な成長をしている私の前では

同じ魔法に威力負けするだけだ。

熊は埒が開かないと考えたのかすぐにこの攻撃をやめて

再び距離を詰めてきた。

今度は先程までと違って攻撃にフェイクが混ざっている。

私は何回かフェイクに騙されかけながら

辛うじて攻撃を回避していく。


足運びと魔法の発動を繰り返す毎に凄まじい速度で

戦闘経験を実力に昇華させられる。

全てのものがゆっくりに見えて幾十に重なる音も簡単に

聞き分けられる。

私の集中力はかつてない領域にまで足を踏み入れていた。


(行ける……!! 勝てる!!!!)


油断なんてしない。 躊躇もしない。

私はこの熊に勝ってここを出る。

その為に……この状況を変える。


私は回避と同時に攻撃を開始した。

攻撃は全て風と氷の混合だ。

太陽の魔法は恐らく警戒されているから

効き目の薄い魔法をひたすら打ち続けて

隙を生むしかない。


熊の攻撃に合わせて回避、攻撃を繰り返していく。

熊は私の魔法攻撃に対して一切怯む様子を見せず

戦闘の様相は泥沼化の一途を辿り始めた。



- 同刻 -


時はほんの数十秒だけ遡る。

サンが熊と対峙している広い平地より1km近く離れた場所に

オオカミとベガの姿があった。

ベガは先程の戦闘で負った傷が既に完治しかけている。


「あれは……?!」


激しい轟音が遠くから間隔を空けて2回。

音のした方角はやや距離がある為確認しづらいが

積もった雪が高く舞い上がっているように見える。


「オオカミ、あの辺りです。

あの辺りから途方もなく巨大な魔力を感じます」


「……あそこか!!」


「あ、ちょっと待ってください」


ベガは冷静に雪煙の出る方角を指し示した。

見るからに悪路だ。

辺り一面は無数のクレバスと氷晶だらけで

足の踏み場も悪そうに見える。


しかし、そんな事は些細な問題であるかのように

オオカミは一直線に跳ぶ。


(サン……サン!! )


オオカミは普段の落ち着きを失ってベガの静止も振り切り

到底人間の走力とは思えない程の暴走を開始した。


「邪魔だ退け!!!!!」


オオカミはただ直線上に進むのみだったが、

その道中に立ち塞がった魔物はあまりの衝撃で

オオカミが通過した次の瞬間には肉の塊と化していた。


(信じられない……今勝手に細切れになったアレは

ヘビィクリスタルタートルではありませんか……。

アレは私の全力攻撃ですら30発は余裕で耐える程に

頑丈な筈なんですが)


ヘビィクリスタルタートルの甲羅は北獄の下層のみで

採掘可能な “アイスダイヤ” を素材としたものであり

その強度は鋼鉄を紙みたいに斬れると言われる

聖剣にすら匹敵する。


オオカミはその聖剣はおろか一切の武器を手に持っておらず

ただ “前進” するのみでその亀を甲羅ごと80もの

肉片と破片に変えてしまった。


(まるで “ステラフェンリル・クイーンの進撃” ですね

……生きた災害を目の当たりにしている気分です)


ベガは大股でクレバスを超えながらオオカミが切り拓いた

“道” を追っていく。

しかし、あまりにも凄まじい速度で突き進むオオカミと

距離が全く縮まらない。

この世に一体こんな芸当が出来る人間が何人いるだろうか

……ただ移動するだけで周囲に驚異的な爆風と衝撃波を生み

あれだけの魔物を轢き殺したにも関わらず返り血の一滴すら

浴びていないなんて。



雪を抉りながら巻き上げた血と肉で道を染め上げて

遂にオオカミは開けた場所へと足を踏み入れた。

オオカミは足を止めてブレーキをかけ、

地面に届くほど大きく息を吐いた。


「サン!!!!」


オオカミは急いで周囲を見渡すとすぐに

サンの姿を目視で捉えた。


(良かった…………生きてる)


オオカミはサンと同時に熊の姿も視認した。

そして、すぐに熊を排除しようとしたのだが……


「…………これは一体、どうなってるんだ?」


オオカミの足が止まった。

完全に足が止まり、オオカミの視線が釘付けにされる中

ベガが遅れて到着した。


「間に合ったのですか? …………オオカミ?」


「……サンの実力は、俺が1番よく理解していたつもりだ。

あいつは間違いなく天才だった。

同年代の魔女と比較すればサンは間違いなく上澄み。

都心でも10の指に入るくらいにはなっていた筈だ」


ベガはオオカミが見つめる先を見て全てを理解した。

サンの魔力量は異常だ。

ベガは一度だけ “終焉龍” を目撃した事がある。

あまりにも巨大で圧倒的な力と魔力を持つ存在だった。

オオカミは強者かもしれないがそれでも40000年前に見た

あのバケモノは比較対象にすらならない程に強かった。


サンの魔力は、その終焉龍すらも大きく上回っていた。

最早生物が個人で持っていて良い魔力量ではない。

しかしそれに実力が伴っていないのは

魔力の動きから感じ取れる。

何しろ彼女から感じられる魔力の大半が全く動いていない。


オオカミがこう言ったからにはサンと言う少女に

あの熊の相手は荷が重いものだったのだろうと考えた。

だが、実際に目の前に広がる戦闘はどうだ。


サンが熊を圧している。

熊は果敢に攻めているがまるで熟練の魔女であるかのような

綺麗な足運びと全く無駄のない魔法による

攻撃の弾道操作によって悉く無力化されている。

挙句の果てには決定打ではないものの弱めの魔法を食らって

一歩、また一歩と後退させられていた。


「凄まじい学習速度ですね。

一度行動する度に次の行動がより洗練されている。

まるであの一瞬で何百回と実践を経たかのように

……いや、待ってください」


ふと、ベガはある事に気付いた。

サンと聖杖の魔力が大きく共鳴している。

聖杖が持つ魔力がサンを包むように広がっていて

サンの周りを風が纏っていた。


「これはまさか…………イェシャズール、

確かキュケオーンの言葉で…… “聖音オォム” 」


「馬鹿な……聖音だと?!」


聖剣や聖槍、聖杖といった特殊な武器は意思を持っていて

持ち主を選ぶと言われている。

しかしそれは “聖武具” を扱えるかどうかと言う話で

終わりだと世間では認識されており

実際、聖武具は持ち主と認めない者がその力を振るう事は

出来ない。


ならば、本来の意味で聖武具が持ち主を選んだ瞬間とは

いつなのか……それは、武器の声が聞こえた時だ。


聖武具は自身が認めた持ち主が窮地に陥った時に

一度だけ持ち主と対話できるらしく、

聖武具の声を聞いた者はその一度きりのみ

限界を超えた集中と戦闘における吸収力を発揮する。

それこそが、聖音だ。


しかし、聖音はただ持ち主が窮地に陥れば

発動するようなものでは無い。

本来アレは武や魔の達人が血を吐くような自己鍛錬と

試練の数々を数十年ほど続けてようやく至るもの。

それをサンはあのアネモネとか言う美しい杖を手にしてから

僅か一年で成し遂げてしまった。


(俺ですら5年……5年かかったんだぞ?

それでも周りからは異例の速さだと驚愕されたし

俺の名が広まるきっかけにさえなった。

幾ら何でもあり得ない……)


しかし実際サンの動きは凄まじい速度で最適化されている。

魔力自体の扱いが上手くなり、

魔法もまた精度が上がっている影響か

1発、また1発と魔法を発動する度に威力が上がっている。


「それにしても変わった戦い方ですね。

私が知る魔法使いはあのような芸当で

近接戦をする事はありませんでした」


「あれは、特殊近接魔戦法のひとつ “りゅう” だ」


「流……ですか? 聞いた事がありませんね」


「当たり前だ。

あれは……アイツの母親が生み出したかなり新しい戦法だ。

その上魔法のコントロールが難しく

高い反応速度が要求されるから使い手自体も少ない」


ふと、オオカミの視界に幻が重なった。

それは在りし日の記憶、20年以上前に同じ八英雄として

肩を並べて戦ったフレアの面影だった。

フレアは風の魔法を使わなかったが

太陽の魔法で爆弾のようなものを生成して

それを敵の攻撃進路上に置いて同じようなことをしていた。


魔物は400年周期で活性化する。

今はちょうど活性化が確認されてから395年になる。

俺が生まれるより300年以上前からフレアは最前線で

魔物と戦っていた。


最初に戦場で彼女と出会った日を思い出す。

俺は元々力も強く、血筋にも恵まれていた。

俺は……初陣だったが、力に胡座をかいて慢心していた。

熊の魔物だった……S級魔物 ジェノサイド・グリズリー

熊の魔物としてはそこまでデカくも無く

体長3m程度の魔物だが、異常に素早くて攻撃が重い。

俺はそいつにいきなり奇襲されて胸に大怪我を負わされた。


フレアはそんな情け無い男の前に颯爽と駆けつけたのだ。

一瞬で恋に落ちた。

舞のように無駄のない洗練された動き、

余裕を感じさせる優しい表情、

未だかつて見た事が無い戦い方をする強者の姿は

あまりにも鮮烈だった。


サンの動きが洗練される度にフレアの面影を強く感じる。

重なる、重なる、重なる

………………なぁ、フレア……お前、死んだなんて嘘だよな?


「オオカミ……?

何故そのように苦しそうな顔をしているのですか?」


「……さぁな」


オオカミは非常に複雑な心境を抱えたまま

サンと熊のやり取りを静観している。

ベガはその横で何かを考えながら口元を左手で覆っていた。

これはベガが生前から持っている癖だ。

特に深く考える時はそのまましゃがみ込む為

周囲の者からは具合でも悪くなったのかとよく誤解された。


ベガは口元から手を離すとオオカミの方を見る。

オオカミはベガからの視線に気付き

そちらへと視線を向けた。


「どうした?」


「オオカミ、ひとつだけ提案があります」



- 同刻 -


サンは熊との激闘を経て “流” の体得に成功したが

少し困り果てていた。


(攻め切れない……!!)


熊はサンの大技を警戒しているのか

少しでも強い魔法を使おうとした途端に

距離を取られてしまう。

こんなやり取りをもう8回は繰り返していた。

確かに熊は少しずつだけど疲弊していた。

ダメージも小さく蓄積している。


それでも、なるべく短期決戦に持ち込まなくてはならない

理由があった。

あと2時間もすれば日が沈んでしまうのだ。

熊は私より夜目が効くから長期戦は不利だ。

何より、あんな粗末な風の防壁でアルモナを包んで

野放しにしてしまっている現状に焦りを覚える。


(どうすれば良いの……このままアルモナを風の防壁で

閉じ込めておくのも嫌だし……風……防壁…………あっ)


サンは状況を打開できる策を思いついた。

しかしそれはサンの滅茶苦茶な魔力があってこそ

成り立つものであり

常人が思い至るものでは決して無かった。


サンは大きく魔力を練り上げると広い平地に

巨大な竜巻を3つ出現させた。

当然熊は竜巻を警戒して逃げ回る。

しかし、熊の魔物は異常にしつこいもので

一度獲物だと思ったものを決して諦めない。


熊は竜巻から逃げながらサンの方へと突っ込んで来た。

竜巻は3方向から熊を攻めているが熊は持ち前の瞬発力を

活かして距離を離していく。


(まぁ、そうなるよね……でも、これなら!!)


「グォッ?!!」


突然熊の足が止まった……いや、止められた。

熊を取り囲むようにいきなり竜巻が出現して

熊を挟み込んでしまったのだ。


「よしっ……!!魔法転移成功!!」


サンは魔法を使う度に魔力の扱いが上手くなっていた。

当然、転移魔法の威力や精度も格段に上昇していたのだ。


熊は必死になってもがいてみせるが3方向から

身が削れる程の風圧を受けてまともに立つ事すら許されず

後ろ足すらも全て宙を浮かされていた。


サンはゆっくりと熊の方へ歩いて近づいた。

その表情には慢心や油断などは一切なく

ただ目の前の熊を確実に倒す意思に満ちていた。

熊はかつて無い程の恐怖を身に味わい、大きく狼狽える。

しかしそれでも腕一本まともに動かせない。


熊が再度その視界にサンを捉えた頃にはもう既に

30m程の距離にまで迫ってきていた。

丁度その辺りだった……サンが足を止めたのは。


サンは大きく4回深呼吸をすると

杖を左隣に力一杯刺した。

杖が雪の大地に突き刺さり固定された。

……そして、そのままサンは杖を手放した。


「グォ?!」


あまりにも意外な行動だったが

それでも杖とサンの魔力は共鳴している。

つまりそれは、杖と手が離れた状態でも

杖の補助機能を十分に発揮できると言う事を表していた。


「ギガント・アイスベアー、貴方は強敵でした。

何度も、何度も貴方のせいで生死を彷徨って

私はここまで来る事が出来たんです。

だから……最初は貴方の事が恐ろしくて、恐ろしくて

仕方がありませんでしたが

今では心から感謝しているんです」


私は今一度に操れる最大の魔力を一気に練り上げて

突き出した両手の先へと集中させていく。


「だから……だから、貴方には最大の敬意を払って

今私が出来る最高を、全力を……ぶつけます」


凄まじい冷気が小さな掌をかざす虚空に収束していく。

そして、圧縮された超高密度の魔力と冷気が一気に弾けて

“ある形” へと変貌していく。


「 “未熟なる我が小さな手元へと現出せよ” 」


氷が割れるような音と共に、それは姿を示した。

凄まじい冷気を纏った剣だ。


「あれは……まさか、 “氷帝剣” か?」


「氷帝剣……? 何ですかそれは?」


オオカミはあの剣に見覚えがあった。


「氷帝剣、あれはシルヴァが一度だけサンに見せた魔法だ。

一見単に氷で出来た剣のようにしか見えんが

その正体は何千もの氷の魔法を収束し、具現化したもの

……言わば、魔法体系そのものの物質化だ」


「魔法体系そのものの……物質化?!」


感情を取り戻したばかりのベガが驚愕して

声を荒らげてしまうのも無理はない。

つまりあの剣は振るだけで斬撃と共に通常の数百倍以上の

出力を持つ魔法が付随して発動すると言うものだからだ。


実際、あの剣を使ってシルヴァはただの一振で

遠くの山を4つ切断した。

攻撃範囲の選択すらも自由自在の剣、まさに

奥義とでも呼ぶべき魔法だ。


しかし、サンはそれに留まらず何かをしている。

再びサンは魔力を練り上げ始めたのだ。


(何だ……サン、お前一体何をしようとしているんだ?!)


再び同量の魔力が氷帝剣に注がれる。

その瞬間、氷帝剣が光を発し始めた。

凄まじい魔力の嵐が平地を吹き荒れ、次の瞬間

氷帝剣は真っ赤な炎の剣へと姿を変えた。


「奥義……太陽ノ魔法 “焔閃剣”」


「な……何だ、あの魔法は……?!」


オオカミは思わず息を呑んだ。

フレアとは長い付き合いだったが

あんな魔法は見た事も聞いた事すらない。

それだけじゃない……魔力を感じられないオオカミですら

あの剣は “脅威” として身の毛を立たせた。



焔閃剣は私がアゲハさんに出会ってから思いついた魔法だ。

氷帝剣は魔法という概念自体を一本の剣として

この世界に具現化させる魔法。

それをベースにして太陽の魔法を剣として具現化させる。

それは2つの魔法体系を同時に操ると言う事になり

莫大な魔力と2種類以上の異なる魔法を同時に発動する技術

が根幹になくてはならない。


そうして偶然創造できた焔閃剣だったが

その出力は氷帝剣を遥かに凌駕していて不安定だ。

正直、あと30秒も維持できないだろう。


(それでもまだ……シルヴァさんの氷帝剣には

全く敵わない。

あの時見せてもらった氷帝剣は少なくともこの剣の

5倍は強力だった)


シルヴァとの実力差を実感する。

しかし、サンの瞳には諦めや絶望と言った感情は

欠片も映っていなかった。

サンは前を向くと足を広げ、腰を低く落とし、

焔閃剣を両手で持って構えた。

そして、今までで1番大きく息を吸い込んで吐いた。


(ママ、シルヴァさん……天国で再会出来ましたか?

私は元気です。

辛くて、苦しくて、厳しい事も沢山ありますが

どうかそこで、私の旅路を見守っていてください)


これは儀式だ。

サンが自らの母と恩師に贈る旅立ちの儀。

ここでこの熊が死んだとしても決して世界が大きく動く事は

無い。

だが、それでも……サンはこの一撃をもって

強い覚悟と決意を天に告げる。


「………… “いってきます”」


そして、炎の刃は美しい軌跡を残して振り抜かれた。

その刀身は熊の首へと吸い込まれるように伸びて

振り抜かれた頃には元のサイズに戻っていた。


「………………」


熊は一声も発する事なく、一切の出血すら無く

ただその大きな頭が熊の足元に転がった。

刃が通り抜けた断面は非常に美しい状態でありつつも

一瞬で焦がし固められたかのようになっており

断面の縁が微かに燃えている。

きっと痛みを感じる暇すら無かっただろう。


そして、熊を燃やす微かな火はやがて炎となり

竜巻に引火して激しく燃え上がった。

一瞬の灯火とでも言うべきか、灰になった熊の亡骸を

天高く巻き上げて燃え上がった爆炎の渦は

たった数秒で熊が跡形も無くなるまでその場に留まると

あっという間に空へと溶けて無くなっていった。


まるで、サンの言葉を天国へと運ぶかのように。



「勝った……サンが、あの熊に……」


オオカミは目の前の光景を受け入れられない様子だった。

自分が同じ歳の頃にあの熊を倒せたかと聞かれれば

首を横に振るしか無かった。


サンの右手に握られていた剣がガラスが砕けるような

炎には似つかわしくない音を立てて崩れて消えていく。


サンを護って欲しいと言う念を込めて渡したローブが

血だらけになっており

熊との壮絶な戦いを容易に想像させた。


「見ているか? フレア……サンは立派に、

……本当に立派に成長しているぞ」


オオカミは泣きそうな顔で小さく呟いた。

心配のあまり震えが止まらなかった右手を左手で掴み

顔の前まで持ってくると

大きく息を吐いてその場に座り込んでしまった。


ベガはサンの焔閃剣が完全に消えたのを確認すると

オオカミの肩を軽く叩いた。


「では、始めます」


「……サンを頼む、だが……分かってるよな?」


「はい。 百も承知しています。

サンを殺すような事だけはしませんので安心してください」


「…………行け」


ベガはわざと足音を立てながらサンへ接近を開始した。



「か、勝った……私、あの熊に…………」


少しだけ乱れた息を整えつつ、サンは現実に引き戻される。

あまりに怒涛の展開ばかりで1番置いて行かれていたのは

サン自身であった。

しかし、安心したのも束の間。

背後からゆっくりと敵意のようなものを向けながら

迫ってくる足音に気付いた。


私は恐る恐る振り向くと、そこには予想すらしていなかった

存在が立っていた。


「ひ、氷星の……騎士」


北獄にはS級に該当する魔物が5種類存在している。

しかし、北獄に現存するS級魔物は比較的温厚であり

こちらから手を出さなければ襲ってくる事は

基本的に無いものとされていた。


特にその中でも最強の氷星の騎士はこの世に一体しか

存在しないユニーク個体。

謎が多く、ろくなデータが存在していないため

推定でS級に区分されている。


(違う……! 近くで見て初めて分かった……この魔物、

絶対にS級なんかじゃない!!!)


跳ねた心音が耳を突き、息が勝手に荒くなってきた。

あまりのプレッシャーで身体が勝手に震える。

それは、熊にすら感じる事が無かった圧倒的強者を

目の当たりにした時に起こる拒否反応だった。

私は地面に突き刺していた杖を急いで回収すると

そのまま距離を取ろうとした。


が、それよりも早く氷星の騎士は動いていた。


「はやっ?!」


急接近した氷星の騎士はその場で強く足を落とし

雪煙を上げた。

視界が一瞬で奪われた。


(大丈夫……魔力さえ感知すれば……ここ!!)


私は前方に氷の分厚い盾を出して後方へと飛び退いた。

しかし……氷星の騎士は構わず盾に向かって一撃。


「嘘でしょ?!」


この氷の盾は熊の一撃すら易々と耐えた。

そんなものを氷星の騎士の攻撃は容易く貫通してしまった。

私は咄嗟に氷星の騎士へ爆風を当てて

その反動を利用して飛び出した。

氷星の騎士が放った拳は衝撃波を生んで

爆風を撃ち返してしまったが攻撃が届く事はなかった。


(あ、あ、危なかったぁ…………!!!)


あんなものをまともに食らえば顔面をあっという間に

潰されて即死だ。

私はゆっくりと視線を氷星の騎士へと向ける。

氷星の騎士は何故か私を見ているだけで何もしてこない。

……どう言うつもり?


私は再度息を整えて杖を構えた。

すると、氷星の騎士も拳をこちらに構えてみせた。


「……もしかして私を試しているの?」


「…………」


氷星の騎士は何も答えない。

しかし、逃がしてくれる様子は全く無い。

こうして、オオカミの試験最大の関門が突然降ってきた。

泣き事は許されない。

私は戦闘の中でこの怪物から逃げ延びる策を

組み立てる事にした。

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