6.対峙
「聞こえなかったのかね? お前は何者だ?
何故子供がこんな危険極まりない環境に身を置いている?
答えたまえ」
殺意を向けて来た少女からは色んな感情が読み取れた。
緊張、未知なる存在への恐怖、好奇心……
私は人の感情を読む魔法などは使えないが
私より小さな彼女の身体が正直過ぎる程に
私へ感情を届かせていた。
「子供子供って……あなただって子供じゃないですか」
殺意を向けられているのに自然と気を張らずに口が滑った。
どうしてかと聞かれるとよく分からないけど……
きっと私はこの時急に色々な力を手に入れたから
少しだけ気が大きくなっていたんだろう。
「……………僕は24だ。2度と子供などと口走るな」
「え?! に、24歳?!
……もしかして “ブレインス・エンパイア人” ?」
「他の何に見えると言うのだね? 魔女の子供」
ぱっと見8〜9歳くらいの只人だ。
そして、年齢を聞いた時点で
私の中で心当たりのある情報がヒットする。
只人の国 帝国。
特に広大な面積を誇るこの国は東西に二分されている。
帝国東側の住人である “ブレインス・エンパイア人” 。
ブレインス・エンパイア人は非常に賢く
“人間種” の中において最も脳が発達した人種である。
しかし肉体の成長が極端に遅い為
成人を迎えてもその容姿は
他人種での12〜13歳程度までにしかならない。
中でも天才と呼ばれる部類は更に肉体の成長が遅く
もっと若い肉体年齢で成長が止まるらしい。
ちなみに帝国西側の住人である
ハンズ・エンパイア人は手先がとても器用で
肉体……特に筋肉の成長率が非常に高い傾向にあるが
その体型は比較的細身である事が知られている。
その原因はしなやかで広い可動域を確保出来る身体へと
進化した為筋肉は量より質を求めて
細く強靭になったからとされている。
彼らは国のみにあらず王城すらも
真っ二つに割る高い壁で隔たれているが、
彼らにとってとても重要かつ必要な役割を持つものらしく
それぞれの身体的特徴や得意分野の差異などから
適切な環境で生活出来るようにするための境界であり
必要であればお互いの国へ出向く事もある。
……要するに彼らは仲違いをしている訳でも無いのに
徹底した棲み分けを行っている。
陣の種類からして多種多様な魔女からすると
とても変な種族だ。
この時、私はブレインス・エンパイア人を初めて見た。
彼らは非常に賢いが酷く運動を嫌い
帝国の外へと出てくる事は少ない。
「……それで、失礼な事を言うだけ言い放って
僕の質問に対しては無視する気かね?」
「え? あ……あの、私、決して怪しい者じゃないです!」
「無意味な問答だ。
怪しい者も、そうでは無いたわけも
その言葉を口にするであろう」
「え、えと……私の事情は少しだけ込み入ってて……」
「構わん。 そも、こんなふざけた場所にいる時点で
その事情は複雑と決まっている。
僕はただ好奇心からお前のような子供が
この場にいて無事な理由を探求したいのだ。
……それに、北獄にはタチの悪い幻覚まで付き纏うと聞く。
お前がそれでない確証が無い以上
……お前から引き出せる情報こそ全てだ。
さぁ、話したまえ」
「いやでもそれならもし私がその幻覚
“スノウファントム” だったら
どうするつもりなんですか?!」
「たわけか? 会話の成立する幻覚など
むしろ気になるのが我々だ!!
そんなもの行動力のあるブレインスなら
とっ捕まえて瓶詰めにして持ち帰るに決まってるだろう!」
「ひっ……いやあの、瓶詰めにしないでくださいね」
「……何を言っている?
お前は幻覚では無いのだから
瓶詰めになど出来る筈無いだろ?」
「え?」
「感温センサーがお前の熱を検知した。
幻覚に温度は無いのだから
お前は何らかの生物って事になる。
北獄に姿まで騙くらかすような
たわけがいるとは聞いた事も無い」
いつの間にか彼女から放たれていた
殺気や緊張感は消えていた。
魔法の発動準備も解除されており
身振り手振りで私へ危害を加えるつもりなど無いと
主張していた。
感温センサーと言うのが何かは知らなかったが
熱を検知したと言うのだから
温度を測量する便利器具の類だろうと考えた。
「さっきまでのやりとり何だったんですか?!」
「ただのジョークだろう?
魔女にはジョークが通じんのか?」
「ジョークって……冗談って事ですか?
ま、紛らわしい事しないで下さいよ……」
安心した途端に肩から力が抜ける感覚があった。
気が大きくなっていたから自覚はしていなかったが
私はちゃんと緊張していたらしい。
……よく見るとアルモナは終始警戒する様子すら見せずに
私の横で呑気にあくびをしてはプルプルと身を震わせて
自分に積もった雪を振り落としていた。
私はここまでにあった事をなるべく詳細に話した。
こんな寒い中で立ち話なんてしたくないので
雪を氷の魔法で集めて簡易的なテントと椅子を作り
その内側を太陽の魔法で保温した。
デジ と名乗ったブレインス・エンパイア人の女性は
“かまくらだ!” などと
聞き慣れない事を言いながらはしゃいでいたが
一体何を言っているのか……。
全ての経緯を把握したデジは
興味深そうな表情を浮かべていた。
「一つ確認だが……その商人は少女のような姿で
奇妙な雰囲気を纏い、アゲハと名乗った。
そしてこの先にいるであろう僕に対して伝言を残した。
これに間違いは無いかね?」
「突拍子もない話ですよね……でも全て事実で」
「事実かどうかは問うまでもない。
サン君がそこまで特徴を列挙出来たのであれば
“あれ” と対峙出来たと言う事なのだろう」
「“あれ” ?」
名前を教えた途端に呼び方が変わった。
お前呼ばわりよりはマシだとは思ったけど
君付けなんてされた事も無かったので少しむず痒い。
デジは私の疑問に対して嬉そうな様子を見せながら
何もない空間から資料を取り出した。
(紙じゃない……何で出来ているんだろう?
触れないけど触ろうとすると動く)
光のようなもので構成された長方形の資料には
魔女が普段利用している “オギェ文字” で記されており
難解な文字の使用が避けられている。
私のような子供にも読みやすい内容になっていた。
「我々が今を生きる今の世はおよそ25000年前に
原型が構築されたと考えられている。
だが、現時点で最も古い歴史を記したとされる
“アルファデックス” には
およそ160000年以上前の事が記されていた。
……しかし、残念な事に25000年より前の記録は
その大半が何故か発見できない為
ほとんど何も分かっていないのだよ」
ふと、デジは資料の一部分を指し示した。
そこには美しい女性の姿が描かれていた。
しかし奇妙な事に私はその肖像に既視感を覚えた。
雰囲気は全く違う……と言うよりも
表現しきれていないような違和感がある。
……ただ、見たばかりの顔なので
思い至るのにそれほど時間はかからなかった。
芸術品のように美しく整った容姿
……ギリギリまで寄せているがまだ足りない。
恐らくこれを描いた人は酷く葛藤しただろう。
あの美を絵に落とし込めないと言う絶望を。
「アゲハ……さん?」
「そうだ。 これは今から40000年前に描かれた肖像画。
……タイトルは “美を売らぬ商人” 。
絵の裏には小さく “王を跪かせ、悠久を生きる者 アゲハ”
と書かれていた。
それ以外の資料、文献、遺品、遺産などから
アゲハと名乗る謎の商人の姿が世界中で確認された。
我々は彼女の事を過去の文献から呼び名を借りて
“観察者” と呼んでいる。
過去、現在……そして未来をも知るとされている
神出鬼没な存在だ」
思い当たる節はあった。
まるで全てを知るかのような全能者の片鱗を
目の当たりにしたような得体の知れなさと
何故かそんな不気味な存在と鉢合わせたにも関わらず
まるで暖かい暖炉にでも身を寄せているような安心感が
不思議と湧き上がった。
突然神にでも出会したかのような不思議な体験だった。
「“彼女が未来について語ったのならばそれは真実であり、
過去を語ったならばそれは史実である”
と、6000年前の皇帝も言葉を残している。
実際にその姿を見た者は少ないらしいが
とんでもない力を持った存在である事は
間違いないだろう……
これは突拍子も無い話などでは無い。
僕に対する伝言があるのなら、
それは僕の未来だと言う事だ」
デジはそう言うと資料を消した。
そしてそのままの勢いで私の両肩を掴んで
顔を近づけて来た。
「答えたまえ…… “アルタイルの写本” は何処にある?」
「……! それって」
伝言にあった通りだった。
デジは “アルタイルの写本” を探していた。
「……確かに、アルタイルの写本は
西獄にあるってアゲハさんは言ってました」
「西?! よりにもよって西…………
それで、西獄の何処にあるかは言っていたのかね?!」
「いえ……アゲハさんが言ってたのはこれだけです」
「……たったそれだけ?」
デジは伝言を聞いた途端とても嫌そうな顔をして
しゃがみ込んだ。
西獄……ウェストヘルは確か重力が滅茶苦茶な場所で
重力の強さだけでは無く向きまでもが
数秒単位で複雑に変動する場所だった筈。
そんな環境下で最も恐ろしいとされるのが
西獄固有の魔物たち。
魔物自体はそこまで強力では無いものが半数とされているが
問題なのは西獄に適応した全ての魔物が
“可変重力適応能力” と呼ばれる特殊な能力を持っていて
複雑に暴れ狂う重力を無視して動けるのだとか。
中には高速で飛ぶ鳥の魔物や大地を這う全長30mにもなる
巨大なムカデの魔物などもいるらしく
四方八方を高速で飛び交う岩や山などにも
気をつける必要がある。
嫌な顔にもなる……西獄の過酷さは
“地上の地獄” の中でも上位と言われていて
その複雑な環境への適応は北獄より遥かに難しい。
そんな中を何処にあるかも分からない写本とやらの為に
探索しなくてはならない。
これがどれだけ大変な事なのかなど考えるまでも無い。
その危険さ故から “重獄” とも呼ばれる事があり
ある四獄姫が拠点としている場所でもある。
デジは深く考え込みながら何やらぶつぶつと唱え続けた。
そのまま数分が経過してデジの熟考が解けると
そのまま氷のテントを出て方角を確認し始めた。
そして全ての準備を終えたデジは
今一度私の方へ振り向いた。
「僕はもう行くよ。
西獄攻略には特殊な機材が要るから取りに行く必要がある」
「そう……ですか」
ほんの数十分だったけど
少しだけ仲良くなれた気がした。
ちょっぴり寂しかったがそもそもデジは探し物の為に
ここへ寄ったのだから引き留める理由もない。
「あー……もし、仮の話だが。
写本の回収に成功してもう一度合流する機会があれば
僕もサン君の帰路へ付き合わせてくれたまえ。
研究者として詳しく聞きたい話も多いのでね」
「え……良いんですか?」
「僕も薄情では無いからね。
助けてもらった恩と写本の在処についての情報の恩は
いつか必ず返すさ」
デジの身体が徐々に電気を纏い宙へと浮き上がる。
そしてデジはそのまま別れも告げずに飛び去ってしまった。
「なんかさっぱりした人だったな……私も頑張らないと」
私は先へと続く一本道を見据えた。
まだ出口も見えないその道の先から私を睨みつける
強い殺意が流れてくる。
「行こう……アルモナ」
「キャン!」
私はアルモナをわしゃわしゃと撫でて
おでこをアルモナのおでこにくっつけた。
こうすると自然と落ち着けるような気がした。
アルモナもまだほんの僅かな付き合いだと言うのに
完全に私を信頼してくれているようで
全て私に身を委ねて嬉しそうに尻尾を激しく振った。
-数日前 -
「はぁ〜〜……全く、師匠も厳しいよ。
いきなり武者修行の旅に出ろだなんてさぁ………」
北獄を少しだけ南下したやや東側にある落ち着いた
半分凍っている海 バジリ海。
波も穏やかな海上を船はおろか足場すら無く
愚痴を吐きながら歩いている少女がいた。
その身なりは魔女を連想させるものだが
寒い場所を目指しているにもかかわらずとても軽装である。
短い黒ローブ、短い黒パンツ、
両腕両足は靴や手袋すら巻き込む形で
赤黒く細長い布でグルグル巻きになっており
赤黒い大きな魔女帽には不思議な器具が付いており
彼女が魔法を発動する度に軽く光を発している。
明るめの長い茶髪は右寄りに渦を巻くような癖が付いており
暗い青と白の不思議な色合いを持つ目は遠くにある
雪を被った陸地を見据えていた。
魔女を意識したかのような装いであるにも関わらず
彼女の肉体はその小さな身体に見合わない程に
鍛え抜かれていた。
少女のものとは思えない程に美しく割れた腹筋と
魔法を扱っているのに手に持つような魔法補助器具を
使用していないことからも
彼女が魔法を使いながら近接格闘にて脅威を排除する
とても稀有な存在である事が窺い知れた。
そんな少女だが、更にひとつだけ奇妙な点があった。
異様なまでに耳が長く尖っていたのだ。
これはエルフ種に見られる身体的特徴だが
例に漏れずエルフもまた陣を持たない為
本来であれば魔法などが使える種族でも無ければ
強靭な肉体を持つ種族でも無かった。
……何より、エルフ種は緑色の美しい髪と目を持つ種であり
茶髪のエルフと言うだけでも既に奇妙な存在であった。
“師匠” なる人物について側にいない事を良いことに
不平不満を吐き続ける少女。
少女にとって彼女は恩人なのだが、
かなりスパルタな側面があった事で
厳しい訓練を嫌と言う程に叩き込まれた少女は
恩より不満が勝っている様子であった。
「ったく…………あ?」
ふと、そんな少女の足元が不安定に揺らぐ。
少女は微かな兆候を見落とすような事も無く
凄まじく早い反応を見せ、勢いよくその場から飛び退いた。
穏やかだった筈の海面が急に揺らいでから僅か0.7秒後
少女が1秒にも満たない時間で移動するまでいた地点から
人を4人は丸呑みに出来るほどの
巨大な魚の頭が姿を現した。
B級魔魚 クランチフィッシュ(跳躍種)
様々な亜種を持つ凶暴な魚の魔物だ。
成魚の全長はおよそ5〜15mにもなる巨大魚であり
目と口が大きく、骨すら易々と噛み砕く
鋭い歯を無数に持っている。
「クランチフィッシュか……お前、
生で食べられる上に結構美味しいって話だったよな?」
海上で足場も無く火を適切に扱うのは至難を極める。
つまり、今少女にとって最も望ましい食料は
生で食べられて、その上美味しく、
簡単な処理で長期間の保存が可能であり
食べられない部位が少ないもの。
これはクランチフィッシュ全般に
ほぼ全て当てはまるものだった。
身は脂の乗った非常にジューシーな赤身であり、
主だった寄生虫や菌もいないので
生のまま食べる事が出来る。
しかも干して塩漬けにする事で簡易保存食にもなり
場所によっては軟骨や臓器も美味しく食べる事が出来る。
更に、クランチフィッシュは “恵みの怪魚” などと言う
別名で呼ばれいるようにその血肉はほぼ余す事なく
再利用する事ができる。
血には多量の油を含み、
海水と混ぜて特殊な海藻を使って濾過する事で
貴重な天然油を入手する事もできる。
歯は鋭く下手な石ころよりよっぽど頑丈なので
鏃にしたり簡易的なナイフなどとして使う事が可能であり
しかも使い捨てが可能。
骨は中までぎっしりと詰まっており空洞が少ないが
非常に軽くそこそこの硬度がある為
様々な器具への加工が可能であり汎用性も高く
そこそこの値段で売る事も出来る。
食べられない内臓に関しては少女にとって
あまり役に立つ活用法が無いものだが
乾燥させてから粉末にする事で撒き餌や
肥料などに再利用する事も出来る。
クランチフィッシュは己の推進力で宙を舞ったが
B級に分類される魔魚がこれで終わるはずも無かった。
空中でありながらクランチフィッシュは再度跳躍し、
その巨体を捻って方向変換してきたのだ。
これはクランチフィッシュ(跳躍種) に見られる
特徴のひとつ “4段跳び” である。
小賢しい事にこの魚は巨体を持つ魚でありながら
およそ12秒も空中で素早く動ける上に
3回まで空中での跳躍が可能だ。
しかし、少女は2撃目を跳んで躱わすと
クランチフィッシュよりも遥かに洗練された
空中跳躍を見せた。
少女は高速で4度の空中跳躍を行いジグザグの変則軌道で
クランチフィッシュの上を取ると
右足に凄まじい量の魔力を収束させ、魔法を発動させた。
「どらぁぁぁあ!!!!」
そして少女の右足は青い光を放ち始めると
左足で空を蹴り上げた。
5度目の跳躍はクランチフィッシュへと向けられていた。
超高度からの飛び蹴りだ。
クランチフィッシュはこれを回避しようとするが
身体の構造上空中跳躍が2.5秒に1回しか使えない為
ここまでの動作を1.3秒で完了した少女の蹴りに
対応する術を持たなかった。
蹴りは魚の横腹を抉り、
何か硬いものが折れるような痛々しい音が鳴り響いた。
直後、凄まじい轟音と共に高く水の柱が立つ。
高く打ち上げられた海水が自由落下する中で
少女は海面から顔を出した。
そして、壁にでもよじ登るように海面に立つと
動かなくなった巨大な魚を軽々と片手で引っ張り上げた。
「よーし食料ゲット……!
いくらB級って言っても綺麗に背骨折られたら
形無しって訳だ。
さて、鮮度が高いうちに捌いちゃいたいんだけど
……………………この近く、小島とか無いかな?」
少女は生で食べられる貴重な食料を無事手に入れる事には
成功した。
……しかし、少女はこの状況になってようやく
重大な問題に気付いたのだ。
少女は少しだけ途方に暮れながら急ぎ足で
島を探し始めた。
結局、納得のいく解体場所を得るのに
4時間も海上を奔走する事になるのだが
これはまた別のお話である。
-時は戻り 同刻 北獄 大クレバス出口付近-
デジと別れて30分、私とアルモナは
熊の気配をすぐそばに感じる所まで前進していた。
ギガント・アイスベアー は一度標的を定めると
それ以外を追わなくなる。
熊があれ一頭とは限らないが、
少なくともデジはあの一頭からは逃げられた筈だ。
AA級の魔物の脅威度を簡単な言葉でまとめるのなら
一人前になりたての魔女が50人がかりで
多大な犠牲を出しながら倒せるかどうかくらいのレベルだ。
これはA級の魔物であるリュカントロポス5匹分にも
相当する。
確かにリュカントロポスの群れは倒せた。
しかし実際、先程の戦いは運が良かったとしか言えない。
今回はデジがいない……つまり役割分担が出来ない。
ついでに言うとリュカントロポスが
私をそこまで警戒していなかったからこそ
上手く捕まえる事も出来たし
その隙を見逃さなかったデジの手柄も大きい。
ならば、私を相手に全く隙を見せない相手には
どうすべきか……私はこの試験を受ける前に
オオカミから言われた言葉を思い出す。
『卑怯になれ。 今は無駄なプライドなどは捨て去れ』
最初、私はこの言葉の真意に気付けなかった。
魔女はプライドの塊だ。
魔法に絶対の自信を持ち、堂々と正面から魔法を使って
勝つのが好きな種族だ。
……しかしこうして実際に試験を受けた事で気付けた。
私の目的は帰ることであって
あの熊を倒す事そのものではない。
あの熊を倒さなければ帰れないのであって
これを目標として綺麗事を並べても仕方がない。
私はあの熊を倒す為にプライドを捨てなくてはならない。
私は何をしてでもここから帰らなくちゃいけないんだ。
最初に考えたのは風の魔法で飛んで
空中から爆撃すると言うもの。
……しかし、これには幾つか問題があった。
まず、あの熊を相手にする場合
制空は絶対的な作戦では無いと言う所。
あの熊は高い知性を持っていて氷の魔法が使える。
氷の魔法には空中で氷を生成・固定する魔法がある。
しかもこれは氷の魔法の中でも基礎に分類される程に
簡単なものであり、
あの熊がこれを使えないなんて事は無いと思った方が良い。
つまり、これを利用する事で熊は
“空に登ってくる” 可能性が高い。
そうなったらもう終わりだ
……あの熊はとんでもなく機動力が高い。
逃げ場を失うのは私の方だ。
……正面から撃ち合うのは論外だ。
今の私が何の策も練らずに勝てるような相手じゃないのは
分かり切っていた。
なら……あと残る1番勝率の高い作戦は
“相手に気付かれないように接近して一撃で倒す”
しかない。
それこそ無理では? と思うかも知れないが
これに関してはひとつだけシンプルかつ有効な手段がある。
魔法眼を使うのだ。
私がキョクヤの花から手に入れた魔法眼の名は
“消失眼” と言うものだった。
相手を消すなんて言う物騒なものじゃない。
……これの効果を簡単に説明するなら
“8秒間だけ自身と自身に触れたものを
それ以外の存在から五感に関わる干渉を受けなくなる”
と言うもの。
つまりこの8秒だけはどんな手練れを相手にしても
見えず、聞こえず、匂いもせず、触れない。
逆に私は一方的に相手への干渉が可能なので攻撃し放題。
これなら熊の感知能力が如何に優れていたとしても
対処されるとは考えにくい。
「よし…………やるぞ……!」
私が通る通路は最早クレバスなどと
呼べるものではなくなっていて
この道の先はそのままなだらかで
広大な白い平地へと続いていた。
長い時間をかけてこうなったのだろう……不思議な地形だ。
熊はじっとこちらを見ていた。
見ているだけでまだ何もしてくる様子はない。
恐らくもう私には気付いている筈なのに
……平地へ出るまで何もして来ないつもりだろうか?
私は覚悟を決めて平地へと足を踏み入れた。
アルモナは予め肩に乗ってもらっているけど
あの熊が視界に入ってからは
強い警戒を示すように低い唸り声をあげ続けている。
私が平地に入るのを確認した熊は一気に攻撃姿勢を取ると
数百メートル先から全力疾走してきた。
(まだ……まだまだ……)
私は熊を限界まで引き付ける。
とうとうアルモナは吠え始めたがそれでもまだ動かない。
そして、熊は大きく口を開けて鋭い牙を
私に突き立てようとしてきた。
(………………今!!)
私は道中までに目へ貯めてきた膨大な魔力を解放した。
あわや牙が私に接触すると言うタイミングで
私はこの世界から姿を消した。
『グオ?!』
これには流石の熊も動揺したのか
声を漏らして周囲を見回す。
しかし、私はまだ熊の真正面に立ったまま
着々と魔法発動の準備を進めていたのだ。
(一撃でこの熊を倒せるレベルの魔法発動に必要な魔力の
チャージ時間はおよそ5秒……行ける!!)
私は魔力に満ちた杖を前方へ構えた。
陣を通して杖の先へと収束させた魔力が
太陽のような輝きを発現させる。
“超級魔法 ソル・ブラスター!!!!”
私から放たれた魔法は直径だけでも私の背丈の
3倍はある極太光線であり
周囲の氷を焼く程の圧倒的な熱量を持っていた。
光線が通った地面は抉れ、熊の腹部めがけて直進する。
(ギガント・アイスベアー……確かに貴方は強敵だけど
その俊敏さ故に不意打ちに近い形の
完璧なカウンターには弱い!!!取った!!!!!)
『……!!!!』
この時私は勝利を確信していた。
圧倒的な理不尽を一手のみで覆したと
本気で信じていたのだ。
しかし、私は忘れていた。
この熊が持つ “本当に恐ろしい能力” を……
ギガント・アイスベアー は
最大で体長は18mにもなり、巨大でありながら
時速240キロもの移動速度に加えて
人の10倍にもなる瞬発力を持っているとされている。
しかし、この情報にはこの局面において
最も重要な情報が抜けていた。
ギガント・アイスベアーの反応速度は平均で0.07秒であり
これは一般的に0.2〜0.3秒とされる人間の反応速度を
大きく上回るものだった。
熊はこの王手にも近い局面から脱する為に
圧倒的な瞬発力で身を翻すと
転がるように身を捻って光線を回避しようとした。
魔法の影響で雪煙が舞い、降り頻る雪も相まって
視界が白く覆われた。
私は状況も確認しないまま大きく息を吐いて
緊張を解こうとしていた。
「グルルル……!!」
しかし、アルモナはそんな私の様子とは正反対に
前方へ低い唸り声をあげたまま飛び出した。
「アルモナ?」
私が肩から飛び出したアルモナへと手を伸ばしたその時、
前方からあり得ない速度で巨大な影が迫ってきた。
「え」
その影が雪煙から抜け出てきた時
……私の視界は熊の口と牙に覆われかけていた。
私が反応できた頃にはもう既にそうなっており
どこにも逃げ場は用意されていなかった。
しかし、もう終わったと思われた直後
熊の口は何か硬い障壁に弾かれてしまい
そのまま熊は大股で5歩後退した。
「グォォォ……!!」
「アルモナ!」
アルモナは私よりも早く熊の動きを感知していたのだ。
そして、自身の前方に強力なバリアを貼る事で
致命傷を負いかねなかった不意打ちを防いだ。
アルモナはその可愛らしい容姿からは想像もつかない程に
眉を顰めて怒りを顕にしていた。
熊は私の初撃とアルモナのバリアを学習したようで
遠くからじっとこちらを見て横へ歩きながら警戒している。
よく見ると熊は左肩を大きく抉られていた。
あの魔法は首の下を確かに捉えていた筈だが
咄嗟にアレだけの回避行動を取って致命傷を外したらしい。
気がつくと私は腰が抜けてその場へ尻から崩れ落ちていた。
危なかった……。
もしこの場にアルモナが居なかったらと思うと
恐怖で手が震えて杖がうまく握れなくなった。
先程の光景が何度もフラッシュバックして頭から離れない。
恐怖からか私の息は大きく乱れていき
力が抜けた下半身は棒にでもなったかのように動かない。
(どうしよう……どうしようどうしようどうしよう……!
不意打ちもダメだった……じゃあ、あと何が残ってるの???
考えなきゃ……考えなきゃ考えなきゃ考えなきゃ!!!)
私は活路を見出そうとした。
でも何も思い浮かばなかった
……焦りと恐怖で思考が何もまとまらない。
私は今一度熊を見た。
熊は私からの攻撃を受けた事で先程までとは
比較にもならない程の殺意を発していた。
慎重にこちらの様子を窺っているが
表情からして激怒しているのが1発で分かるほどに
眉間にシワが寄っている。
(あぁ……終わったかも………………)
今度こそ本気で死ぬかも知れない……。
私はこの一年で体験した中でも最大の恐怖を感じていた。