3.『泣かないで』
時は少しだけ遡る。
法国ウィザス の極東にある小さな田舎村 イコル
サンの育った村でもあるそこは
少し変わった魔女が多い事でも有名であり
中には世間に受け入れられず
逃げるようにイコルへ身を寄せる魔女もいる。
そんな村で、1人の魔女見習いが消失する事件が発生した。
……サンの一件だ。
この件について多くを語る前に、
まずはワーププラントと言う植物が一体どう言う存在なのかを
細かく説明する必要があるだろう。
そもそもこの世界には魔力と呼ばれるものがある。
そして、ここが勘違いしてはならない部分なのだが
魔法と言う技術を7割以上独占しているからと言って
別に魔力は魔女の専売特許では無い。
確かに、魔女には生まれつき魔力に有用な活用手段を与える
“陣” を宿して生まれると言う特異性はある。
何より魔女には女しかいないので
必然的に魔女は多種族の異性を必要とする生き物だ。
しかし、それも大半は隣にある “帝国” の住人である
“只人” との交易で異性を分けて貰っている事から
それ以外の他国からわざわざ男を連れ込む魔女は
圧倒的に少数であると言われている。
魔女と言う生き物は長生きで必ず魔女からは魔女が生まれる。
これは魔力の影響であると言われており、
陣を持つ魔女と他の生物とでは
根本的に魔力の流れが異なるからだと考えられている。
つまり、魔力自体は基本的にどんな生物でも持っている。
しかし、そんな中でも魔力の影響を大きく受けたものがある。
魔物……現在ではウルティオニスフレイムの
眷属であるとされているあれらも元々は普通の生物だった。
高密度の魔力によって遺伝子から構造の変わった動物を
魔物と呼んでいるに過ぎないのだが
ウルティオニスフレイムには誕生した魔物に
自動的に首輪を付ける魔法のようなものでも
備わっているのだろう。
では、魔力の影響を受けるのは動物だけなのか……否。
魔力とはこの世界では普遍的に存在しているもので
生き物はおろか、無機物ですら影響を受けるものがある。
高密度の魔力を含む特殊な鉱石は “魔鉱” と総称される。
高密度な魔力を含む特殊な植物は
“魔草” なんて呼ばれる事もある。
ここまで言えばもう分かるだろう……
ワーププラントは “魔草” だ。
ただ、魔力を多く含んだ資源と言うのは例外なく貴重なもので
その中でもワーププラントと言うものは
最高位五大魔草の1つに数えられる程の代物だ。
つまり……分かりづらいと思うので俗っぽい表現だが
その辺の草むらに、偶々偶然、本当に有り得ない話だが、
宮廷が建つくらいの価値がある魔草が紛れてたって話だ。
魔草を見つけるのは非常に難しい。
魔物や魔女なんかとは異なり、魔草や魔鉱といったものは
周囲に全く魔力を漏らさない。
つまり魔力の感知と言う手段が通用しない。
更に言えば魔草自体の数も少ない。
まさに事故だったと言わざるを得ない。
まさかテンポも “何よりも大事な存在” が突然消えてしまうとは
思いもしなかった事だろう。
テンポは目の前で起こった非常事態を先生たちに伝えた。
しかし、その内容には一部の欠落があった。
ソレを察していたのはこの場に1人しか居なかったが
そんな事はお構い無しに話は進んで行った。
最終的にサンの消失はワーププラントによる
“事故” であると判断されたが
学長はだけ血相を変えて学校全体にサンの捜索指示を出した。
本来であれば、弱肉強食を絵に描いたような魔女にとって
実習中の遭難は別に珍しくも無い事だ。
友人や親族が行方不明になった子を捜すことはあっても
学校が動くような事は非常に稀だった。
それこそ、法国を揺るがす程の重要人物でもなければ
あり得ない事だ。
ましてや、今回行方不明になったのは単なる落ちこぼれ。
生徒はおろか先生たちですら混乱を隠せずにいた。
当然と言うべきか学園会議が早々に執り行われる事になった。
議題は勿論 “サンの捜索” について。
様々な議論は交わされたものの
捜索に反対する意見が圧倒的に多い。
そんな中、学長は特に何も言わず先生たちの議論に
ただ耳を傾けていた。
「どう言う事なのか説明して下さいワミーシャ先生?!
サンだけを特別視する理由が分かりません!!」
学長に対して激昂した大柄の魔女は リングス先生
土の魔法を得意とする武闘派魔女だ。
リングスはかつて、実の娘を実習中に失っている。
その時もやはり学校側が動く事は無かったのだ。
リングスはそれ自体は仕方ないものと捉えていたが
今回の一件でその考えが揺らいだ。
……簡単な事だ。
当時学園でも優秀な成績を収めていた娘には
何もしてはくれなかった学園長が
ちょっと陣が珍しいだけの落ちこぼれを助けようと
あんなに必死に……そんな不平等を容認できる筈もなかった。
「彼女を失うことだけはあってはなりません……
あの子の命は私はおろか王族の命と等価であると考えなさい」
「何故ですか……せめて納得のいく説明をして頂きたい!!
何故彼女だけが特別なんですか?!」
リングスの言葉に対して同意する声は多く
また、同じ境遇にある先生は続くように声をあげた。
しかし、そんな些細な反撃も虚しく
反論の声は間も無く消える。
「あの子は……普通の魔女なんかじゃありません」
「なんですって……?」
「あの子は……サンは、
いずれこの世界を変革する重要な鍵なのです……
不平不満を感じるのも承知の上です」
「……それは予言ですか?」
「…………はい」
学長はゆっくりとした確かな口調で答えた。
その声に一同はざわついたが
それと同時に黙らざるを得なくなった。
その様子を見た学長はゆっくりと話を続けた。
「……私ももう随分昔の話ですが
娘を見捨てなくてはならなかった身です。
……あの日の事を一度だって忘れた事はありませんよ。
私も魔女としては4流も良いところで
予知魔法はまともに使えませんでした。
ですが、今私には力があるのです。
この力であの子を本心から助けたい。
しかし、しかしね……
反面では私も恨めしくて堪らないんですよ。
確かに、あの子が死んでしまうと
どうにもならない災厄に世界が包まれてしまう
……私の予言ではそれしか分からなかった。
だからと言って割り切れる訳も無いでしょう……!」
「ワミーシャ先生……」
「だから助けるしか無いんですよ……!
ここで助けなくてはならない命を零せば
それこそ何の為に私たちが必死に学園へ縋ったのかが
分からなくなってしまう。
そんな失意の中、世界が滅茶苦茶になっていくのを見て
後悔と絶望の中死んでいくのは……嫌なんですよ」
学長の言葉によって反論を訴える者はあっさりと消えた。
予言魔法 それそこが1600年の時を生きる偉大な魔女
ワミーシャが幾十と築いた伝説の正体である。
その予言はあまりにも正確なものであり
特に凶兆は被害の詳細まで含めて当たる。
彼女の言葉に耳を傾けないのは、愚かなのだ。
そんな彼女が自身の未熟を悔いる話まで持ち出して
彼女を救おうとしている。
これを目の当たりにして同意を述べない薄情者は
この学園にはいなかったのが救いだった。
その上、確実に当たるとされている凶兆だが
それ自体の回避は可能であるとされている。
つまりここからサンが生還すれば良いだけなのだと
……この時点では誰もが楽観的に捉えてしまった。
「では、仕切り直して彼女が今何処にいるのかについての
話をしましょう……サンの居場所を予言しようとしたのですが、
何故か見通すことが叶いませんでした」
「「「?!」」」
場がざわついた……それもその筈だ。
ワミーシャが予言に失敗したのはこの800年間で2回だけ。
それこそが学長の言葉を重く、強いものにしていた
理由だったのだからそれが覆る瞬間を目の当たりにした
先生たちはどれ程恐怖感を覚えたのかは計り知れない。
凶兆だけは必ず当たると言うのであれば
サンが見つからないと言う状況は
そのまま世界の危機に直結してしまう。
小さな村の小さな会議で先生たちの両肩に乗せられた重責は
尋常では無いものだった筈だ。
「ですが、方角だけは分かっています……北です」
「北って……そんな漠然と」
「そんな……どうやって捜せば……」
「あの〜ちょっと良いかなぁ?」
学園会議に割り込む声があった。
その声の主はテンポだった。
テンポはゆっくりと挙げていた手を下げると
学長の方へ歩いていく。
「テンポ? 見習いの皆さんは教室で待機しているようにと
伝えた筈ですが?」
テンポを引き留めたのはスカーレット先生だった。
スカーレットは何処か焦っているような様子を見せながらも
平静を装っている。
テンポはもっさりとしているが
感情の些細な変化などには敏感であり
非常に勘が鋭い子だった。
テンポは少し考えたが、どうでも良くなったのか
その場で要件を済ませる事にした。
話をするだけならわざわざ学長の近くまで行く必要は無い。
それに……今は何よりも優先されるのはサンの命だ。
「えっとねぇ、サンが連れてかれそうになった
一瞬なんだけどねぇ〜?
“大雪” が見えたんだよねぇ」
「…………何ですって?!」
学長が立ち上がった。
それに呼応するかのように他の先生もほぼ全員
顔色を変えて立ち上がる。
スカーレットだけがその場で妙な表情を浮かべたことを
テンポは見逃さなかった。
まるで “知っていたかのような” 堅い表情だ。
「大雪……間違い無いのですか? テンポ」
学長は再度確認を取る。
「寒気も感じたから間違いないよ〜」
その場の空気が一気に変わった。
この時期に雪を観測できる場所と言うだけでも限られている。
まして、大雪ともなれば必然的に大分絞れてくる。
「アスター大山脈より北か!!」
北獄と呼ばれる場所を取り囲うように
凍針樹海と呼ばれる特殊な植物が生えている樹海が広がり
更にそれを囲うようにして広がっている山脈がある。
世界的にも最大級とされ、
星に最も近い地上とまで言われている山脈の輪。
それが、アスター大山脈だ。
アスター大山脈より北の地は常に冬だ。
標高18000mにもなる桁違いに高い山々に囲まれた地では
日が出ている時間すら極端に少なくなる。
そして何より、あれの中心には北獄がある。
決して踏み入れてはならない地上の地獄だ。
……騒然とするのも無理はない。
「……今回の一件は一度女王様に報告をあげる必要があります。
授業を止める訳にも行きません……
一度、解散と致します。
授業コマをひとつ省略し、
通常のスケジュールで進行してください。
イーメル先生は授業コマをひとつ省略する旨を
園内放送で生徒に伝えてください。
それでは皆さん、よろしくお願いします」
「「「はい!」」」
「「「了解しました!」」」
先生たちは少しの動揺を残しながらも
通常業務へと戻っていく。
テンポもクラスへ帰ろうとしたが、学長に呼び留められた為
会議室には学長とテンポのみが残される事となった。
テンポと言う魔女見習いが今ここにいるのは
少しだけ数奇な事情が交錯したからだ。
わたしは、正確には魔女じゃない……獣人だ。
この秘密は学長しか知らない。
勿論、サンも知らない。
「そのふざけた喋り方、もうやめて頂いて大丈夫ですよ」
防音結界で遮断された空間に学長の声が留まる。
わたしは少しだけ肩の荷を下ろすように伸びをすると
首を鳴らした。
「そうは言ってもねぇ〜もうこの喋り方、クセになってて抜けないんだよねぇ
気にしなくて良いから話続けて良いよ〜」
「……ったく、相変わらず小生意気ですね。
誰に似たんだか……いえ、よしましょう。
……ワーププラントが効力を発揮したと言う事は
一瞬だけ “向こう側” の詳細な地形が見えた筈です。
テンポ、確かあなたは “北獄” へ行った事がありましたね?」
「行ったと言っても滞在はしてないけどねぇ〜
あんなとこ、頼まれても二度と行きたくないよぉ」
確かにわたしは一度だけ北獄に行った。
その上ではっきりと言えた事がひとつだけある。
……あそこは地獄だ。
「……別に行けとは言ってません。
私が聞きたいのはひとつだけです。
……向こう側は、北獄でしたか?」
わたしは少しだけ思い出す。
肌を突く寒さ、恐るべき魔物、そして……ごくたまに
遥か遠くから僅かに見える巨大な山の黒い影。
わたしは信じたく無かった。
記憶にある全てが、ワーププラントで見た光景を
北獄だと訴えていた。
「…………うん。
多分だけど北獄で間違いないよ〜」
「そう……ですか。
しかしどうやって……予言に変わりは無いと言う事は
現状、生存していると言う事になります」
「運良く “あの人” に拾われた可能性が
高いんじゃないかなぁ〜」
「……なら、良いんですが」
学長は数秒考えた後、咳払いをすると
改めてわたしを見据えた。
「テンポ、あなたに正式な依頼を出します。
誰よりも早く……サンを見つけ出してください」
「国より?」
「そうです。 事は急を要します」
「どうして?」
「どうしてって……あなたは心配では無いのですか?
あの子が」
わたしは再び考える。
出来る事なら北獄など二度と行きたくない。
だが、立場上絶対にサンを見捨てる訳にはいかない。
と言うより、実のところわたしには
サンを助けに行かない選択肢は無かった。
では何を考えているのか……それは
“2人の人物” が見せた違和感ある行動に基づいたものだった。
しかし、わたしにとってその違和感は
あまり信じたいものでは無かった。
あらゆるものを見落としている。
どう考えてもこの先の事態に対応する為に
手数が足りていない。
……なら、ここで出せる最善は……
「2つ、条件を呑んでくれるなら考えるよ〜?」
「……聞きましょう」
「まず、わたしのリミッターを解除する事。
このままじゃどう足掻いても無理だからねぇ〜。
次に、 “ミュージアム” から1人
借りたい魔女がいるから、交渉して欲しいなぁ」
「“ミュージアム” ……? まぁ良いでしょう。
1人くらいなら何とかしてみせましょう」
学長は慣れた手つきで依頼書を発行し、そこにサインした。
依頼受諾条件は以下の2つ。
わたしの能力的制限の解除と、
ミュージアムから特異指定魔女を1人借りる事。
依頼書を受け取ったテンポはその足で
“ミュージアム” へと向かった。
この日、学長との密約により1人の魔女見習いが学園を去った。
その事実を知る者は少なく、精神的ショックから
不登校になるものと聞かされていた先生たちは
後に言葉を失う程に驚く事になる。
-シルヴァによる訓練が始まってから5日後-
もう何十回目かの気絶から目を覚ます。
全身に強い電気が流れるような痛みを感じる。
酷い耳鳴りもする……口の中はずっと鉄臭くて視界が赤い。
それでも、確実に強くなってる。
自身の内側にある魔力を強く捉えられるようになってきた。
身体はボロボロだけどそれに見合った成果はちゃんと出てる。
……当たり前だけど私だってこんな事はやりたくない。
痛いし、辛いし、苦しいし……
自分の身体が隅から崩れていくみたいで怖い。
痛みと恐怖で身体中震えてるし、
目から出血してるせいで前が全然見えない。
……それでもやらなくちゃいけない。
私が、シルヴァを復活させてしまったからだ。
子供だったから、知らなかったからで
済まされる問題じゃ無かった。
何より……何故か私は私自身が無性に許せなかった。
私は震える手で地面を掴む……と言っても、
私の身体はそこまで強くないので
土に指が擦り切れて出た血が滲むだけ。
精一杯の力を込めて立ちやすい体勢にしてから
足にも少しずつ力を込めていく……こうしないと立てないんだ。
「………………」
私の右手を掴んでいたシルヴァが何かを言っている。
耳からも出血している……
鼓膜がやられてしまっているのか聞き取れない。
少しすると、シルヴァの回復魔法で目と耳の不調が治った。
鼻と口の奥の不快感や身体中の痛みは抜けない。
……身体に魔力が乱される感覚を慣れさせないといけないから
最低限の出血箇所の治療しかできないんだ。
「もう一度行けそうか?」
「……やっで…………くだざい……お願いじます」
シルヴァは少し辛そうにしつつ、冷酷を装う。
「…………分かった」
シルヴァは優しい魔女だ。
生涯をかけて世界を救っても他者から得たものは
怒りや恐怖、憎しみだけ。
そんな酷い扱いを受けながらもう一度世界を救おうとした。
悪い言い方をしてしまうけど、正気じゃ無い。
きっと彼女は他者に怒りを向けられないんだ。
見ていれば分かる。
シルヴァは地獄を体験し過ぎてしまったのだ。
私が狂信的に辛い修行の毎日に身を投じている理由は
正直私にも分からない。
世界の危機と言われてもスケールが大きすぎて
よく分からない。
シルヴァとは会って数日の仲で分からない事も多い。
……それでも、私の中に確かな感情が芽生えていた。
“シルヴァの為に頑張りたい”
この気持ちに嘘は無い。
これだけが今、私を突き動かしていた原動力だった。
全身に奔る激痛や耳鳴りなどに耐えながら
私は魔法について学習していく。
この世界における魔法とは手足と同じだ。
具体的な指示を送る事でより具体的な効果を発揮する。
初級、中級、上級と言った区分は通常
ひとつの魔法に使われている魔力の規模から区分分けされる。
つまり、魔法を使う上でそう言った区分と言うのは
あまり意味を成さないものだ。
大事なのは魔法への理解と
それをどう動かして効果を発揮するのか。
その魔法にはどの程度の魔力が必要であり、
自身の中に使える魔力がどの程度残されているのか。
更に言うとそれらは実戦では悠長に考えている暇はない。
私がやらなくてはならないのは
これを瞬時に達成できる頭の回転を身につける事であり
頭について行くだけの実力だった。
短い日々はあっという間に過ぎて行く。
とてもきつい修行の日々だったが
それだけに私はシルヴァへ深い理解を示せたと思う。
あの呪いはとても陰湿なもので
死ぬ直前まで生き恥を晒させる為に
わざわざ死の直前まで肉体にはほとんど影響を出さない。
それでも……ほんの僅かずつではあったけど
シルヴァは衰弱して行った。
今では氷の魔法で車椅子を作ってそれに座って移動している。
それが、彼女自身が提示した
“最期の日” の朝に見たシルヴァの様子だった。
僅か9日の修行で私は見違える程に強くなったと思う。
上級に区分される魔法を自在に使いこなし
更に上……超級に区分される魔法も
少しなら使えるようになった。
魔女とは基本的に上級の魔法さえ使えれば
一人前と見なされる。
……でも、この先の道を考えると私はまだ力不足だ。
こんな短い時間では当然と言われても言い返せないけど
私は十分な力をつける事が出来ないまま
とうとうこの日を迎えてしまったのだ。
朝食を食べて……修行をして……勉強をして……昼……そして、
夕方……今日は日が沈まない日だったようで
1日を通してずっと明るいままだった。
山脈の縁をなぞるように陽が滑り、
時刻は夕方の5時を迎えていた。
夕食の準備に差し掛かろうかと言う時
とうとうタイムリミットが来てしまった。
「うっ……ぐっ?! あ……あぁ……!!」
「シルヴァさん?!」
突然、シルヴァが嫌な呻き声をあげた。
すぐに駆け寄って様子を確認する。
「シルヴァさん……そ、それ」
私は思わず指でシルヴァの手を指していた。
シルヴァの右手がまるでガラスのように
ヒビが入って割れていた。
割れた場所には何もなかった。
血も肉も……骨も……これが、呪い?
「あぁ……とうとう来てしまったようだ。 この時が」
シルヴァは誰にも聞こえないくらいの声でそう呟くと、
ヒビ割れた身体に鞭を打つようにしながら
洞窟の外へ向かい始めた。
「何をしてるんですか?!
もう動かないで下さい!!」
車椅子での移動とは言え
車椅子を魔法で動かしているのはシルヴァ自身だ。
こんな身体で魔力を使うと言う事が何を意味しているのか
シルヴァはよく分かっている筈だ。
「サン、頼みがある……車椅子を押してくれ。
決めていた事があるんだ……頼む」
「…………洞窟の外までで良いんですか?」
「そうだ……」
「……分かりました」
しかし、シルヴァは逆の命令を私にして来る。
シルヴァの考えなど分かる筈も無かったけど
私はそれに従うことにした。
車椅子を押す度に小さくガラスが砕けるように
パリッ……パリンッ……と音を立てて
シルヴァに新たなヒビが刻まれて行く。
嫌だった。 押したく無かった。
シルヴァの死を耳で感じるのは……凄く嫌だった。
3人が過ごした洞窟を出ると、目の前に太陽がいた。
太陽はやはり山脈の縁に乗るように私たちを照らしていたが
その時の光景はいつもとは違うものだった。
「…………綺麗」
空をキラキラとした何かが舞っていた。
雪じゃない……あれは……何?
「ダイヤモンドダストだ……」
声がした方を振り向くと
洞窟の入口からオオカミがついてきていた。
後から聞いた話だけど、この時オオカミは何も言葉を発さず
静かにシルヴァを見送ろうと考えていたらしい。
ただ、ついあの光景を前に口が緩んでしまったのだと言う。
「ダイヤモンドダスト?」
聞いた事のない単語だった。
「……北獄に限らず寒い場所でごく稀に見る事が出来る現象だ。
空気に含まれている水が凍り
それが太陽の光を様々な方向へ反射させるから
空気中で小さな粒子が輝いているかのように見える。
よく晴れた日に風が全く無い状態で無いと
見る事が出来ないものだ」
「……本当だ。 風が無い」
北獄の猛吹雪は止んだとは言え、
それでも基本的に強い風が吹き荒れているような場所だ。
ここに来て無風を体験するのは
初めてかもしれないくらいだった。
「……今日は白夜になる事は分かっていたからな。
まだ動けた昨日のうちに “準備” しておいた。
この光景を最期に “4人” で見る為にな」
「4人?」
シルヴァは変な事を言いながらヒビだらけになった両手を
前へ突き出した。
もうあまり力も出ないのか
その手は小刻みに震えているように見えた。
「来い…… “アネモネ”」
シルヴァの言葉に反応するように
突然、無風だった空からシルヴァの手元に
風の束が優しく舞い降りた。
そして風の束は少しずつ形を変えて……美しい杖となった。
ガラスのように透明な素材で出来た
円と棒を繋げた形状の長い杖で
何かの花で作った花飾りと花で出来た持ち手を
縁が虹色に輝く透明な素材を彫って再現したかのようだった。
「 “聖杖アネモネ” これは我と共に戦地を駆けた杖だ。
世界で9つ目の聖杖……そして、我の覚悟そのものだ」
聖杖 聖剣と同じように特殊な陣を宿し
特殊な素材で出来た至高の魔法補助装備だ。
ひとつとして同じものはなく、大抵のものは
世界中にいる最高位の実力者たちが持っている。
その長い生涯の間、聖杖を視界に入れる事すら
叶わない魔女が大多数を占めるとまで言われている代物。
それが今、目の前にあった。
シルヴァはその杖を握りしめて目を瞑り
そのまま数秒動かなくなった。
その様子はまるで祈りを捧げているかのようで
あの力強くて美しかったシルヴァが凄く儚げに見えた。
「サン、こっちへ来てくれ」
シルヴァは目を開くと私の方へ身体を向けた。
また魔力を使ったせいでガラスが砕けるような音と共に
背中からシルヴァの破片がこぼれ落ちた。
だが、そんな事は意に介してすら無いようで
強い覚悟を含んだ眼差しはしっかりと私を見据えていた。
私は何も言わずにシルヴァの元まで近寄った。
すると、シルヴァは精一杯の力を込めて
杖を持った両手を私の方へと突き出した。
「一人前になった魔女見習いは教えを乞うた魔女から
杖を貰って初めて魔女を名乗る事が許される。
800年間でこの風習が変わってしまったかは分からないが
サン……君はこの短い時間で超級までの魔法を
身につけて見せた。
魔女としてはもう一人前だ……だから。
君にはこの杖を……全てを託す」
「?! そんな……私はまだ全然ッ?!」
私が言葉を続けようとしたところでシルヴァはそれを制した。
「焦る気持ちはよく分かる。
だが……たった9日しか無かったんだ。
9日でここまで成長したのは正直……驚いたよ」
「……」
「腑に落ちない……か。
確かに、君は魔女としては一人前になったとは言え
相手はあのウルティオニスフレイムだ。
今のままでは全く実力が足りない」
シルヴァはまっすぐと私を見据えたまま続ける。
「だが、我は確かに可能性を見た。
君はこの先、我すらも超える魔女になるかもしれない。
そしてかの “四獄姫” にすら届く力すら得るかも知れない。
まともに魔法の修行を始めてから
9日でこれ程の実力を身につけた魔女など前代未聞だろう……」
「シルヴァさん……」
「だからこの杖と、我の魔法……そして
我の全てを君に託したい。
そして……最後には必ず勝って、生き残ってくれ」
「……分かりました。
シルヴァさんの力で必ず……必ず倒します。
この10日間を必ず無駄にはさせません!
だから……だがら……ちゃんと見てて下さいね」
自分の視界が勝手にぼやけてしまう。
我慢していたのに耐える事が出来ず
私の目からは大粒の涙が溢れ出していた。
この時初めて知った事がある。
人との繋がりに年月は関係ないのだ。
重要なものである事は確かだけど
大事な相手はどんなに短い月日しか会えなくても
大事になってしまうものだ。
私にとってシルヴァは、3人目のママと呼ぶにも
等しい存在にまでなっていた。
シルヴァは私の言葉に耳を傾けながらゆっくりと頷いた。
しかし、その顔は晴れやかなものでは無かった。
そんなやり取りから数秒が過ぎた時
いきなり氷の車椅子が砕け散った。
「ぐっ?!」
シルヴァは大きく態勢を崩してその場に倒れ込んだ。
大きな破砕音が立つ……何が割れた音なのかは
想像もしたくなかったが嫌でも視界に映ってしまう。
足だ……片足が破片となり、砂となり……消えてしまっていた。
「シルヴァさん!!」
私はシルヴァに駆け寄った。
オオカミは依然として何も言わず、
手に何かを握りしめたまま無言で立っている。
ただ、その表情からはオオカミの感情が雄弁に語られていた。
「はは……困ったな。
我は心置きなく、迷わず、未練なく旅立てる筈だった……
フレアの顔も忘れて、憎い敵を1人で討ち滅ぼして……
それで、誰からも感謝されず逝ける筈だったんだ……」
「シルヴァさん……?! わっ?!」
シルヴァは力の限りを尽くして上体を起こすと
私に抱きついた。
その身体からはいつもの寒さを感じず、何故か体温がある。
「シルヴァさん?! た、体温が……」
「あぁ……どうやら死を前にして
私の体温が戻って来ているようだ。
氷でも溶かすように体温が私を蝕んでいくのが分かる」
「そんな……そんな悲しい事言わないでくださいよ!
シルヴァさんは人です!
体温が無い氷の化け物なんかじゃ
無かったじゃないですか!!」
「……ありがとうサン。
君は本当にあったかい……あったかいな……………………」
シルヴァは私の小さな胸に額を押し当てると
小刻みに震え出していた。
「シルヴァさん……?」
「…………いやだ……嫌だ……死にたくない。
一度でも考えてしまった……もう我自身にも止められん……!
恐い……こわくて……怖くて堪らん……死が怖いのだ…………
我は……我は君を……サンを残して死ぬのが怖い!!」
シルヴァは泣いていた。
この時、私は本当の意味で自分が犯した大罪を知った。
シルヴァは死を畏れていなかった。
恐怖心が麻痺していた。
未練を無理矢理断ってまで孤独を守り抜いた。
私がシルヴァの未練になってしまった。
彼女にとって唯一の救いだった “安らかな死” を
私は彼女から取り上げてしまった。
ガラスのように砕けながら雪の地面に落ちていく涙と
弱々しく情けない事を言いながら
私の胸に縋り付くシルヴァを見て私は言葉を失ってしまった。
あぁ、私が犯した大罪はこれ程までに重かったのかと……
自覚の難しい膨大な罪よりも身近な罪の方が重く感じる。
その身近な罪の裏にある大きな罪を垣間見た時、
私のブレーキがゆっくりと壊れていくのを感じた。
弱くなってしまったシルヴァの心象を映すかのように
シルヴァの肉体は崩壊を加速していく。
全身にヒビが入っていき、
どんどんシルヴァが無くなっていく……
私はただそんな様子を見て情けなく
シルヴァの名を呼び続けるばかりだった。
……そして、シルヴァは砂になった。
真っ白で、信じられない程に美しい砂に……
シルヴァは失意のまま私に抱かれて溶けていった。
心がぐちゃぐちゃになる。
「シルヴァさん……シルヴァざん…………シルヴァ……さん……」
悲しみ、不安、喪失感……罪悪感。
何重にも複雑な感情が芽生えては絡まる。
そんな中、一つの感情が私の絡まった心に
大きな亀裂を入れた。
……怒りだ。
「オオカミさん……私、
もっと強くならないといけなくなりました。
修行のペースを上げます」
「……今のままでも十分過ぎるぐらいに過酷な修行をしている。
シルヴァの死が辛い事は分かっているし俺も辛い……
だがな、修行ペースを上げる事が
更なる強さに直結するとは限らない。
この先に踏み込むのなら、命の保証はないぞ」
「分かっています!! でもやらないと!!
やらないといけないんです……!!」
「…………」
オオカミは考える。
サンは焦っているように見えるが、その本質は恐らく
自身に対する怒りだ。
“シルヴァを恐怖や不安を残したまま死なせてしまった”
と言う彼女の中にある罪の意識が
……怒りが彼女自身を奮い立たせている。
自分もかつて経験した事があったからこそ
オオカミは今のサンに強く共感していた。
しかし、オオカミはそれを是としない。
あまりにもリスクが大き過ぎる。
「俺は……賛成できない」
「そう……ですよね。
変な事言ってごめんなさい……」
サンは一瞬だけ酷く顔を悲痛で歪ませたが
すぐに冷静を繕うような表情を見せた。
オオカミはただその様子を
胸が張り裂けそうになりながら見ている。
「あぁ! そう言えば夕飯の準備中でしたね……!
オオカミさん、すみません。
私、ちょっとだけやらないといけない事があるので
先に準備しててくれませんか?」
「…………あぁ」
オオカミはその場を立ち去ろうとしたが
洞窟の方へ振り向き2歩進んだところで足を止めた。
「……サン、今から俺は自分に課したルールを破る。
だから……今からする事は後で全て忘れてくれ」
「……え?」
オオカミは小さく私に聞こえるくらいの声でそう言った。
そして、勢いよく私の方へと駆け寄ると膝をついて
私を強く抱き寄せた。
「え? えぇ?!」
何が起きているのかイマイチピンと来なかった私は混乱した。
だが、オオカミの様子を見て何かを感じ取った。
「……泣け、これ以上溜め込む事は無い」
この時、オオカミは限界を迎えていた。
苦しそうにしている私を放置しておくのは
オオカミにとって耐え難い苦痛だった。
だが、オオカミは本来なら私と会話すら許されていない。
……そう思い込んでいた。
だからこそ、抱き寄せて私の苦しみを吐き出させるなんて事
天地がひっくり返っても出来ないと考えていたらしい。
だが、オオカミはそのルールを破った。
当時の私がそんな事を知る由も無く、私は泣くまいと堪えた。
「な、何ですか急に……泣けだなんて」
「……辛い事や苦しい事を抱え込むな。
吐き出せる時に全て吐いてしまえ。
……そうしないと心を壊してしまう」
「……でも」
「良いから!! 泣け!!!」
私の涙腺はどんどん耐えられ無くなっていった。
力強く私を抱きしめる男の大きな身体が怖かった。
怖かったのに……何故か凄く安心している自分がいた。
とうとう私は耐えられ無くなった。
叫ぶように泣いた。
無風のノースヘルを私の叫びが走り抜けていく。
私を抱く手は優しく肩を撫でていたがその手は震えていた。
オオカミは声を出すこと無く……いや、
多分声を出せなかったんだと思う。
オオカミはきっと私の為に泣きそうなのも堪えて
必死に私から嫌なものを吐かせようとしていたんだ。
自分の意思ではもう止められなかった。
シルヴァの死だけじゃない……今まで抱えていたものが
全て溢れてくるように私の心は暴れていた。
不意に肌を微かな風が撫でたような気がした。
その風はとても冷たかったけど何故か温かくも感じられた。
まるでシルヴァが私に 『泣かないで』 と言っているような
……そんな気がした。
時は少しだけ経過する。
ワーププラントによりサンがノースヘルへと転移する事故から
20日余りが経過した頃、法国の最南端の更に先
“レインヘル” に緑髪の魔女見習いがいた。
テンポの足取りに迷いは無く
“雨獄” などと言う別名のついた
“8つの地獄” のひとつに数えられるその地を
慣れた様子で進んでいた。
レインヘルを簡単に説明するなら降水量がやば過ぎる樹海だ。
最早雨林と呼べる場所ですら無く、地面の99%は
海と見間違う程にとてつもなく大きな湖になっている。
そして……レインヘル最大の特徴として
雲と呼ばれるものとは全く異質なモノが上空を覆っており
常に真っ暗である点が挙げられる。
しかも、平均して20秒に1回のペースで
純度100%水の塊で出来た竜巻 “水撃” が落ちてくる。
この “水撃” と言うのが信じられない程の破壊力を持っていて
レインヘルを研究する科学者が
『仮に水撃がレインヘルでは無い場所に落ちた場合
半径2キロに渡って10m級の津波が襲う事になるでしょう。
あの土地は水の吸収速度が異常な程に早く
またその水の循環が異常な程に早い為に
あれだけの被害に収まっているに過ぎません』
などと、与太話なのか事実なのかすら
分からないような論文を出した事がある程だ。
その上雨量は地上のどこよりも多く
雨に溺れて死んだ者もいる。
テンポはそんな恐るべき場所を
完璧な対策をして進み続けていた。
(北獄は定期的に雪で地形が変わる上に
そうやって地形が変わった場所に踏み入っちゃうと
即死級の大雪崩起こしちゃったりするからねぇ〜
他にもヤバい事てんこ盛りだけど基本的に予測出来ないし〜
その点、レインヘルは楽で助かるよ〜
地形は変わらないし、ある程度予測できる水撃に気をつけて
他の対策も怠らなければ良いだけなんだからねぇ〜)
わたしの心境は非常に穏やかなものだった。
わたしがレインヘルに入ってかれこれ15日にもなるが、
生還しているのが何よりの証拠だろう。
わたしは船を使わずに樹を渡るように進み続けている。
水撃に耐えられる樹であるが故に耐久性や安全性は問題無い。
その上で簡単な風の魔法で
自身に降り注ぐ雨を受け流している。
そして、光の “霊操術” を使って視界を確保していた。
わたしの持ち物は大半が魔力を回復させるためのもの。
他はロープや、簡単な登山器具に食料。
レインヘルでは火おこしは出来ない。
故に、現地に生息する逞しい魔物を狩っても
火が無いため食べられない。
そこで、腹持ちが良い上に
少量で腹を満たせる食べ物ばかりを詰め込む。
少し味気ないがそこは目を瞑るしか無い。
何より、レインヘルにおいて危険な魔物のほとんどは
陸地……つまり水中にいる。
樹上を渡る事で魔物に襲われるリスクは格段に減るのだ。
「あ、やっと見えてきたねぇ〜」
わたしは方位測定と現在地の取得を入念に行いながら
定期的に周位数百メートルを光で照らして進んでいた。
そして、およそ200メートル先にある目的地を捉えたのだ。
魔女博物館 通称 “ミュージアム” と呼ばれる
この世界には似つかわしくない近代的な建築物。
そこは、入口を除いて外側からの干渉を完全に遮断する
結界の内側に存在している。
結界の影響でその場所だけ真っ黒なので
灯りを照らせばすぐに発見できるが問題はその立地だ。
レインヘルのど真ん中にミュージアムは存在している。
つまり、限られた人間しか出入り出来ないように
なっている訳だ。
慎重に進み樹をつたって入口に飛び入ると
外側からは考えられない程に穏やかな場所が姿を現す。
内側だけは明るいので
わたしは少し濡れた服や身体はそのままにしつつ
霊操術を解除して進み始めた。
ここ、ミュージアムは所謂 “魔女の楽園” だ。
世界で唯一時を操るとされる魔女 クロノ が管理するこの建物は
6000年以上前から存在している。
クロノは大の魔女好きである。
特に変わった魔法や強い魔法を持った魔女、
珍しい境遇の魔女なんかを集めては
“成長を止めて” ミュージアムの住人となる事を許可している。
ミュージアム内部は魔法で捻じ曲げられており
とんでもなく広い上に何でもある。
食うに困らず、娯楽に困らず、友に困らず。
しかも時間は永遠にある。
ミュージアムに身内が預けられた家族には
莫大な謝礼が支払われる事から
魔女の中でも最高峰の就職場所とまで言われている。
そんなミュージアムに所属している魔女たちは
住人となる為にある誓約を結ぶ。
簡単に言ってしまうと
“自身を他者に貸し出す権利” を売る誓約だ。
つまり、ミュージアムとは外界の人間からすれば
超エリートな魔女を借りられる施設と言う事になる。
しかもミュージアムはあらゆる国と
中立的な立場を貫いている為
魔女の園ではあるのだが法国に所有権が無い。
魔女と大冷戦を繰り広げている国も
お世話になる事がしばしばあるのだ。
クロノは4の地獄にそれぞれ1人ずつ
自身の店を持つ別格の魔女たち
“四獄姫” の1人に数えられている。
わたしが明確に顔を合わせた事があるのはその内2人だけだ。
しかし、わたしが前回ここを訪れたのは5年も前の話だ。
当時5歳だったわたしはお父さんと共にここへ来た。
そして、わたしはそこで “ある魔女” と仲良くなった。
ミュージアム本館の前に到着した後、分厚い門をくぐる。
門には時間が逆行する魔法が仕掛けられており
自動的にくぐった者の記憶を除いた全てを
レインヘル突入前の状態まで戻す。
門を抜けた先には壁や床、飾りに至るまで全てが
星空を映したかのような輝きと暗さを持った
不思議な空間が広がっていた。
もの凄く広いその空間に1人だけ怪しげな魔女の姿があった。
魔女を定義付けるものは厳密には2つしかない。
“陣” と “魔女帽” だけだ。
非常にややこしい事を言うと、魔女を名乗る為に
“魔女” と言う人種である必要は無いのだ。
魔女帽は簡単に言えば身分を示すキーアイテムだ。
己が魔女であると言う顕示の為に使われている
様式的な装備であり
法国の女王ですら魔女帽をしている所から
如何に魔女にとって帽子が大事なものであるかが分かる。
しかし、目の前にいる魔女は魔女帽を被っていない。
……どんなものにも例外はいるのだ。
かの凍り姫や四獄姫などがその例外に該当する。
あまりにも世界中に名が知れ渡った魔女は
魔女帽を外す傾向があるのだ。
女王は恐らく対面上の問題から魔女帽をしている。
女王が魔女帽をするだけで外交面、内政面において
大きな効力を持つ事になる。
しかし、わたしの目の前にいる
全体的に紫色の装飾に身を包んだこの魔女 クロノ にとって
魔女帽は全く意味のないものなのだ。
クロノの格好は魔女と呼ぶにも少し異質なもので
頭には複雑な模様をした紫色のベールを被り
服は紫と白の星をモチーフにした高そうなドレス。
白いレース柄のロンググローブに
碁石を打つような独特すぎる音を鳴らす白いヒールブーツ。
髪は白を基調とした青と紫の部分があるトリプルトーンで
太腿に届きそうなくらいの長さ。
目の色は……残念ながら分からない。
何かで隠しているとかそう言うことでは無く、
誰も彼女の目を……正しい顔を認識できないのだ。
目にモザイクのようなものがかかっていて外れない。
見えている筈なのに言葉では表現出来ない。
「やぁ、待っていたよ。
……いや、時が来たと言うべきなのかな?」
クロノは時の魔法により未来を知っている。
いつ、どのタイミングで、誰が何を求めて
ミュージアムを訪ねて来るのか。
その相手は取引するに値するのか。
だから、こうして門をくぐらせて貰えたと言うのは
その時点でテンポとの取引を成立させた事を意味している。
“時が来た” と言うのが
取引が成立した時にクロノが発する口癖だ。
「いやぁ良かった〜。 お金足りたんだねぇ〜」
「ちょっとギリギリだったけど、
テンポちゃんが望む人物を、望むだけ貸し出すのであれば
学園側が用意している金額で足りているよ」
時を操る魔法はこの世界において万能過ぎる。
お金も時を操るだけで無限に増やせるし
そもそも時さえ操れば生活に必要な全てに
お金が入り込む余地すら無くす事が出来てしまう。
クロノはそれが嫌だった。
万能であるが故に、クロノは自ら万能を捨てて
わざわざこんな面倒な仕事をしている。
「彼女は既に呼んであるからあと120秒もすれば来るよ。
それにしても大きくなったね。
……その立派な陣、 “人工移植” だね?
あの “頑固バカ” の仕事だ。
“重獄” は大変だったかい?」
クロノにとって会話は不必要なものだ。
だが、クロノは不完全を愛しているが故に
わざと自身の魔法を制限している。
この意味のない会話もそれだ。
「もう4年も前になるけどねぇ〜
あそこはノースヘル以上にもう行きたくないよ〜」
「ふふっ……そうだろうね。
あのバカの店は私達くらいしか自由に出入りしないから
私たちの中でも1番顧客が少ないんだ。
今度、タクティリスに会う時にでも
さりげなく言っておく事にしよう。
“もう少し安い商売をするべきだ” ってね」
タクティリスは “未知への干渉” を可能とする魔女であり、
四獄姫の1人だ。
四獄姫の魔法は大体万能で自由だ。
寿命は魔法で無限に引き伸ばしているが
あまりにも万能過ぎるが故に魔法を制限している。
性格は全く似ていないが、
どう足掻いてもクロノとは同族なのだ。
タクティリスは 8つの地獄の中でも
トップクラスに危険な場所と言われている
“重獄” に店を構えている。
その店では “陣” を販売しているのだ。
獣人であるわたしには生まれつき “陣” は無かったので
お父さんに連れられて、グラビティヘルの中で “陣” を得た。
この世界において誰でも “魔女” になれる特権が
容易く得られる事は無い。
歴史上でもタクティリスから “陣” を得た人物は
100人といないだろう。
「まぁあの人は何言っても無駄だと思うけどねぇ〜
それにしても私なんかに120秒も取ってくれるなんて
思わなかったよ〜」
クロノは取引相手と必要なだけ会話する。
その秒数はクロノ次第であり、予め全てが決まってるように
会話はその秒数でぴったり止まる。
まるで未来を覆してくれる事を期待でもしているかのような
この行動には、クロノの “人間らしさ” が垣間見える。
つまり、クロノにとって会話の意味があると考えた分だけ
その秒数も伸びるのだ。
「テンポちゃんは自分の価値を理解していないよ。
霊操術と魔法を何の道具も無しに使い分ける魔女なんて
今この世界にはテンポちゃんだけだよ。
私も実際に目撃するのは初めてだ。
しかも、幾ら一年単身でレインヘルを生き抜いた事が
あるとは言え、その年で単身ミュージアムまで来る事が
出来る魔女はそう多くないんだ」
「え〜? そうかなぁ〜」
「自分の事は意外と分からないものだよ。
どうだろう?
私としては、ミュージアムに来るつもりがあるなら
テンポちゃんが目的を果たした後にでも
もう一度私の元を訪ねて欲しいと考えているんだ」
意外な誘いだった。
わたしはミュージアムに入るなんて考えたことも無かった。
ミュージアムに入る事自体は非常に名誉な事だし
何よりも、楽園のような生活が保証されている。
「うーん……おさそいは嬉しいんだけど
ピンと来ないから考えておくねぇ〜」
しかし、わたしにとってサンの安否より大事な事は無かった。
サンの無事をその目で確認する事以外考えている余裕は無かった。
「それで良いんだ。
テンポちゃんには “そう言う道” もあるって事だけ
覚えておいてくれれば良いんだ。
私にとって、全ての物事は “待つ” と言う事でしかないんだ。
だから、存分に考えて私を驚かせてくれると嬉しいね。
……さて、もう時間だ」
クロノの発言に合わせるかのように暗い空間の奥から
足音が聞こえて来る。
そして、その足音は少しずつ大きくなり
音の主がテンポの前に姿を見せた。
髪は肩より下くらいまで伸びており
全体的に灰色だが、所々で色の濃さが違う。
目は、外周のくすんだミッドナイトブルーから
中心へ向かうにつれて澄んだスカイブルーへと変わっていく
不思議な色をしており、キリッとした目元をしている。
魔女は白い魔女帽に紐をつけて首にかけており
カッチリとしつつも可愛いデザインをした
白の軍服を着ている。
アクセントとして使われている赤黄青の3色が
全体的に白々とした様相に彩りを持たせている。
頭には魔女帽とは別に軍帽を被っており
何だかおかしな感じだ。
「よっ久しぶり」
「久しぶりだね〜ヴァイナーちゃん」
ヴァイナーの身長はわたしより少し高いくらいであり
見た目上はまだ幼さを感じさせる。
「しっかしあれからもう5年も経ってんのか……
って事は、アタシと肉体上はタメになった訳だ」
「そうなるねぇ〜ちょっと長い旅になるけどよろしくねぇ〜」
「あぁ、よろしく…………なぁ、クロノ」
「分かっているよ。
ヴァイナーちゃんが私に頼みたい事。
私はしつこく確認なんか取らない主義だから
念押しの為に一言だけ伝えておくね。
不変の魔法を解くリスクだけは忘れないで欲しい」
クロノは一瞬だけヴァイナーが腰に装備している
とても手入れされた立派な銃を睨む。
しかし、そんな恐ろしい表情をヴァイナーには向けず
優しい表情でヴァイナーのおでこに右手の人差し指を当てた。
「“老いと死を汝に返却し、汝の時に一時の自由を許す”」
クロノが神秘的な響きのある言葉を呟くと
ヴァイナーの体内から部屋全体に響き渡る程に
大きな脈動が伝わった。
それは比喩を抜きにした “心音” であった。
「っびっくりした……!」
ヴァイナー自身すら聞いた事も無い程巨大な心音は
今まで動かずとも魔法で維持されていた生命維持機能を
取り戻す為のものだった。
「安心してね、今は少し違和感があるけど
そのうち慣れていく筈だからね」
「凄い……血が通ってる感覚が分かる。
何これ……!!」
「……まぁ、ヴァイナーちゃんに
違和感の心配は必要無いとは思ったんだけどね」
ヴァイナーは違和感を楽しんでいた。
そんな様子を見たクロノは必要の無い安堵をする。
2人の間に交わされたやり取りをわたしはじっと見ていた。
……と言うのも、何が起きたのかまるで分からかったからだ。
テンポがヴァイナーを借りる上で提示しようと思っていた内容を簡単にまとめると
『ヴァイナーを10年間借りたい』
と言うだけの話だった。
変なオプションなどを頼もうとした覚えは無かった。
しかし、そんな疑問もクロノの前では
予め聞かれている事に過ぎず
クロノはわたしが質問をする前に口を開いた。
「テンポちゃん、ミュージアムに所属している魔女には
“不変の魔法” をかけてある事は知っているね?
私は今、ヴァイナーちゃんからそれを解除したんだ」
「……何でそんな事する必要があるの〜?」
「おや、少しだけ口調が戻りかけたね。
まぁそんな事は良いんだ。
これがヴァイナーちゃんの望みだからだよ」
クロノはそう言うと、ヴァイナーをわたしの方へと近づけて
そのまま目で合図を送るかのような仕草をすると
少し離れてしまった。
ヴァイナーはため息をつくとわたしの方へ向き直り
クロノのから受けたバトンを取るように話を続けた。
「あのな、今回の旅は長旅で
しかも2人とも10歳なんだよな?」
「……そうだけど、それがどうかした〜?」
「アタシだけ成長しないみたいでなんか……寂しいなって」
「……へ?」
「だから! 肉体年齢的に同い年の魔女に挟まれてるのに
1人だけ身体が成長しないって! 寂しいでしょ!
しかも10年! 旅が終わっても10年アタシは
テンポに借りられる事になるだろ?」
「でもヴァイナーちゃんって確か今150歳だったよねぇ?」
「150年も子供の身体でいたからもう飽きたってのもある。
それに、アタシの魔法なら大人になった方が
都合が良さそうなんだよ」
「あ〜なるほどねぇ〜……確かにリーチとか欲しいかも。
……じゃあ積もる話もあるけど、そろそろ行こっかぁ」
お金は後日学園側が国に掛け合って出してもらう事になる。
取引する上でお金に多少うるさいクロノが
ヴァイナーを貸し出すと言っているのだから
確実に支払われる事だろう。
「そうだな。 ……クロノ、行ってきます」
ヴァイナーは少しだけ寂しそうな表情を浮かべつつ
“前” を見据えた。
そのまま自身の前方へ右手を構え、指を鳴らしてみせる。
すると、一瞬で何処からともなく “戦闘機” が出現した。
戦闘機は二人乗りで運転手の魔力を動力として動くらしい。
ヴァイナーは慣れた手つきで運転席へ座ると
魔力を供給する役割を持つ腕輪を装着して
必要な設定をひとつずつクリアしていく。
助手席にテンポを乗せた事を確認した戦闘機は
幾重にも複雑な魔法を自動的に展開させた。
これらの魔法で得られる効果をまとめると
“搭乗者にかかる重力加速度を分散させて
機体の加速に割り当てる事が出来る魔法” ってところだ。
全ての準備を完了させたヴァイナーがゆっくりと
やや分厚いガラスの扉を閉めていき軍帽を脱ぐ。
これまた何処から出したのか飛行帽らしきものを被ると
手袋のハマり具合をチェックし始めた。
ヴァイナーが行った一連の動作は
ルーティンのようなものであり
安全性等は全て魔法が処理している為何の意味も無い事は
ヴァイナーとクロノしか知らないが
わたしはその様子を “カッコ良い” ものとして見ていた。
……ヴァイナーの思惑通りと言えばそれまでの話でしかない。
全ての準備を整えて後は扉を閉めるだけになる。
ガラスの扉が閉まり切る少し前、
クロノは狙ったようなタイミングで戦闘機に近づいた。
ヴァイナーは何事かと思いつつも
一時的に扉の自動開閉モードを停止した。
「どうしたんだ?
クロノに限って取引に不手際なんて無いと思ってたんだが」
「いやいや、そうでは無いよ。
私だって “人間” って事だよ……どんなに結末を知っていても
心配なものは心配なんだ。
……厳しい旅になるからくれぐれも油断だけはしないように。
……それと2人とも、これは私からのアドバイスとして
受け取って欲しい。
“深くまで捜す必要は無い。 待ち人は来る” 」
それは、クロノにしては非常に珍しい言動だった。
だからこそ……だからこそ
この時、ヴァイナーには今まで得た事が無い程の
“覚悟” が芽生えた。
「分かったよ……ありがとうな」
「気をつけて行っておいで、2人とも」
クロノはそれだけ言い残して戦闘機から離れていく。
その途中でクロノが軽く手を叩く仕草をしたところを
テンポは見逃していなかった。
「さぁ行こうか!! “親友探しの旅” !!」
「ふぁいや〜〜!!!」
「ソレ言うなら “テイクオフ” だろ?!」
少々締まらない雰囲気になりつつも戦闘機は飛び立った。
あっという間に結界を抜け、レインヘルを突破していく……
とは言っても、 “空気と現在進行形で降っていた雨以外の時間”
が全て止められた状態のレインヘルを、だ。
この時、この瞬間だけ彼女と取引した誰もが思う。
自分が如何に恐ろしい相手を前にしていたのか。
彼女から不満を買うような未来が見られていたら
どうなっていただろうか?
テンポは身を震わせた。
しかし、その視線は依然として真っ直ぐと前を向いており
その目には、ただの親友を救いに行くと言うには
あまりにも強すぎる意志が宿っていた。