2.孤独を溶かす太陽
凍り姫のシルヴァ
絵本でしか見た事が無かったその伝説の魔女は
800年前に実在した。
シルヴァは絶世の美女でありながら
当時世界一とまで言われた魔力の持ち主。
魔女狩りの盛んな時代に生まれながら全ての生物を慈しみ、
それでいながら全ての生物から恐れられてしまった人。
一目で気付いた。
知ってしまった……彼女がそうなのだと。
あまりにも膨大な魔力は
今まで会った事のある中でも最強の魔女だった
母の10……いや、20倍はありそう。
「そんな……聞いてはいたけど、まさかママより上なんて」
私の母はとても強い魔女だった。
単身で絵物語に出てくるような
伝説の魔物を討伐した事もあった。
だからこそ驚いた。
最強の概念を根底から崩された瞬間だった。
私は氷柱にもっと近づいてシルヴァの観察をした。
左手の甲に花と雪の結晶をモチーフにした陣がある。
手の甲に出現する陣はすごく珍しいと聞いた事がある。
“双性” と呼ばれる特殊な性質を持った魔法陣であると
私と同じ場所に陣を宿していた母から聞いた事がある。
「綺麗な陣だけど文献にも見た事無い。
何だろう……」
私は何故か彼女に凄く惹かれていた。
理由の分からない必然は私の右手を氷柱へと導いていく。
「……?! いかん!! 氷の柱に触れるな!!
氷像に攻撃されるぞ!!!」
「……え?」
気付いた時にはもう遅かった。
私の無意識は右手を氷柱へ連れて行ってしまった後だった。
そして触れた瞬間、私の陣が眩い光を放ち
私の全身と洞窟の全てを包むかのように光の脈を刻んでいく。
「え? えぇ?! な、何これ?!!」
「……何だ? 何が起こっている?!」
眼下で起こる異常事態は、
オオカミですら知り得ないものだった。
光はシルヴァの胸部辺りに収束していくと
5度にわたり光の衝撃を発した。
そこらにある鉱石やら結晶やら氷やらが砕け
衝撃波が私たちを襲った。
「きゃああ!!!」
「?! サン!!!!」
私の名を初めて呼んだオオカミは
周囲を飛ぶ砕けたものを足場にして
とんでもない速度で私の前に降り立った。
「ぬぅぉあああ!!!」
オオカミは洞窟がひりつく程の雄叫びを発すると
大剣を振り下ろした。
振り下ろした大剣からは圧倒的な剣圧と斬撃が発され
3度の衝撃が届くより前に全てを相殺した。
砕け飛んだそれらは
双方から発されたエネルギーの衝突に耐えられず
大半が粉々になり
私たちの周囲を舞うそれらは
オオカミによって発された2度目の軽い斬撃によって
吹き飛んだ。
(す、凄い……これがオオカミさんの力)
その大剣からは魔力が発されている。
物凄い量の魔力……刻まれた“太陽” の陣
世界に20と無い聖剣の一振は
私に強烈な記憶を植え付けるに足るものだった。
しかし、そんな凄い力を見せたオオカミの表情は
険しいままだ。
「オオカミ……さん?」
「どう言う事だ……何故 “封印” が解けている?!」
「え……?」
オオカミの視線が向かう先を見ると、氷柱が崩れていた。
周囲に感じていた冷気は全て消失しており
その代わりとして伝説の魔女がゆっくりと目を開けて
立とうとしている。
異変はまだ終わっていなかった。
唖然とする私の身に更なる異変が襲いかかる。
散った光の衝撃波は周りの氷やら鉱石やらを巻き込みながら
青い光となって私の右手へと収束していく。
「い゛っ?!! う ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!!!」
右手の甲に激痛がはしる。
身体の中にとてつもない力が流れ込んで来る感覚と共に
全身から血が吹き出るような感覚が…………あ……れ……
「サン……?! おい!!! おい!!!!!
サン!!!! しっかりしろ!!!!
死ぬな!!!!! 死ぬんじゃねぇ!!!!!!!!」
目、耳、鼻、口……その他諸々、全身の穴から血を噴き
耐えられなかった無数の血管が体内で切れ
皮膚が何箇所も裂けた。
最早痛覚すら正常に作動しない状態になりながら
私はまた、死にかける。
右手の甲もまた、真っ二つに切り傷が入った。
そしてその傷を境界とするかのように
パキリと音を立てて右手の陣が真っ二つに割れて
片方が吸収されていく。
そして、半月状に割れた魔法陣の対を成して円を模るように
花と雪の結晶を描く美しい半月状の陣が浮かび上がった。
私の意識は再び深い海に溺れていくように
ゆっくりと……ゆっくりと沈んで行った。
【この先は、後に “オオカミ” から聞いた話を
そのまま手記に写したものであり
多少の齟齬がある可能性がある。
私の主観が混じった描写が
追加されている可能性がある事を、謝罪する】
シルヴァの話は “アイツ” からよく聞かされていた。
誰よりも優しいくせして、1番 “ヒト” の醜い部分を
知ってしまった魔女。
そんな身であって尚、世界を救おうと足掻いてみせた籠の鳥。
シルヴァにとって、唯一友人と呼べたであろう
“アイツ” は、800年前に起こった悲劇を辛そうに語っていた。
そして “アイツ” は絵本を描いた。
世界の誰が認めなくても、自分の娘にだけは
知っていて欲しかったんだろう……
魔女シルヴァと言う、誇り高き魔女を。
警戒は一瞬にして解かれた。
警戒なんてしている場合では無くなった。
このままではサンの命が危ない。
俺は目の前に立つ脅威とは程遠そうなそれを後にして
そのままサンの命を繋ぐ為の行動を取り始める。
「ったく……!! 俺は回復系の霊操術が苦手なんだよ!!
何があったか知らないが、よくもまぁ俺の目の前で
とんでもないくじばっか引いてくれやがる!!!」
口ではこんな事を言っていたが、内心はその逆だった。
サンにだけは死なれては困る。
死ぬな!! 死ぬな!! 死ぬな!!!!
必死に回復へ努めるが、熊の時よりも深刻な状態であり
回復がまるで追いついていない。
「冗談はよせ……死ぬな!!! おい!!!!」
「その娘、死にかけているのか?」
背後から冷たくて優しい声がした。
声の主は分かっている……何せこの場には3人しかいない。
「あぁそうだ……だから悪いが今構っている暇は無いんだ!! 後にしろ!!」
「我であれば、その娘の怪我を直せるとしてもか?」
「……何だと?」
振り返ると、氷の中にいたそいつが俺の背後にいた。
声からは冷徹さを感じるが、
まるで表情がそれに釣り合っていない。
サンの事を本気で心配するような目をしていた。
シルヴァはサンの傍へ寄ると、頬に手を這わせ
右手を優しく持った。
「……そうか。 “全てを理解した” 」
シルヴァは悲しそうな表情で小さく呟くと
魔法を使った。
氷の魔法では本来 “存在しない” 筈の回復魔法だった。
「この娘……いや、 “アイツの娘” の中には
我の魔法と魔力が逆流している」
「……」
「その顔、やはり心当たりがあるようだな」
その通りだった。
双性の陣にのみ見られる特殊な性質こそがこれだ。
左手が送信 右手が受信
つまり、双性の陣は左手に陣を宿した者が
右手に陣を宿したものに魔法を与える事ができる。
かつてアイツは言った。
『本来であれば、シルヴァの魔法は私が受け継ぐ筈だった。
でも、私には無理だったんだ。
シルヴァの力は強すぎて、私じゃ器として不適合だったから
弾かれちゃったんだよ』
双性陣を持つ者同士の相性が余程良くなくては
成し得ない現象であるそれは、
サンこそがその役割を持つ者だと言わんばかりに
右手の陣を変容させていた。
「つまりこれは……」
「現在進行形で、この娘の肉体は進化を繰り返している。
我の力を受け入れようと無茶な進化を促して
全身がその信号を受け切る事が出来ずに
崩壊と進化の循環を起こしている。
……当然だが、こんなものは長く保つものでは無い。
このままでは死んでいたな。
継続的に回復魔法を施す必要がある」
俺は優しく、負担をかけないようにサンを両手で抱えると
崩れかけている階段を大急ぎで駆け上がり始めた。
段飛ばしでは間に合わない……俺は立体的に動いて
階段を飛び移りながら移動していく。
「付いて来い! こんな所でそんな処置はさせられん!」
「……そうだな」
シルヴァは自分の足元に氷の結晶に見立てた巨大な板を作り出すとそれに乗った。
不思議な事に、その氷の結晶はゆっくりと浮上していく。
「全く…… “フレアの娘” め……本当に、
本当になんて事をしてくれたんだ
……しかし、何だ? “寒い” な……あり得ない感覚だ」
シルヴァの顔は僅かに緩み、笑みを浮かべていた。
だが……その目からは涙を流しており
全てを知る俺はただその様子を見ているしか無かった。
【以上、偉大なる戦士 オオカミ より】
「うっ……く……」
私が目を開けたのは、死にかけてから1日後のことだった。
「まさか、もう我が力をモノにしてしまうとはな。
とんでもない才能だ」
聞き慣れない声が1つ。
優しくて、でもどこか冷気を持った声だ。
「君、大丈夫か?
何処か痛むところはあるか?」
聞き慣れない声は優しく私に問う。
「えっと……はい。 大丈夫そうです……?!」
ゆっくりと目を開けて視界にその正体を捉えた。
シルヴァだ。
あのシルヴァが毛布の塊に埋もれている。
「……えっと?」
「すまない……800年前まではこんな事無かったんだが
寒くてな……何をどうしても寒気が治らぬから
こうして惨めな姿を晒している」
「は、はぁ……それより、オオカミさんは何処ですか?」
「オオカミ……と言うと、毛皮提供者の事か
アレなら……」
「待ってください……何か今おかしな呼び方しませんでしたか?」
確かに聞こえた。 “毛皮提供者” と。
耳を疑ったけど、すぐに聞き間違いでは
無かった事が明らかになる。
「アレは我が “オオカミ” と呼ぶ事を嫌がってな……
どうやら、我が “アイツ” にとって
“はじめての相手” であった事実に嫉妬しているようだ」
「え……え? 何の話ですか?」
「……子供の前で話すような事でも無かったか。
とにかくアレは、我にオオカミと呼ばれる事を拒否した。
その上で君の前では “本名” で呼ぶなと言う。
なら、もう適当なあだ名で呼ぶ他無いだろう?」
「待ってください」
「さっきからやけに待てが多いな……今度は何だ」
シルヴァは鼻水を垂らしながら身を震わせている。
流石に少し心配になってきた。
「本名を知ってるんですか? オオカミさんの」
「すぐに名乗ったぞアレは……
そんな事より話が大分脱線しているが
アレは今狩りに行っていていない。
今は我と君だけだ」
シルヴァはそう言うと、自身を取り囲むように配置された
4箇所の焚き火に氷の魔法か何かで器用に乾燥させた木の枝を
ポイポイと投げ入れていく。
その様子はとても可愛らしく、
毛皮の毛布で丸いミノムシ状態になった物体から
枝が射出されているようにしか見えなかった。
「……もう、そんなに寒そうにされたら
気になるじゃないですか!!」
「実際寒いのだから仕方ないだろ?!
本来であれば我が寒さを感じる事は有り得んのだ!
慣れていないのだこの感覚に!!」
伝説の魔女は、それはもう気の毒なくらいに乱心していた。
泣き出しそうな顔をしている。
「……全くもう、仕方ないですね」
私は微弱に魔法を使った。
私が今コントロールできる魔法は精々このくらいで
自分と自分を触れる人の身体を
温めるくらいの事しか出来ない。
冬場にはよく重宝されたもので
先生たちからもカイロ扱いされていた事もあった。
「ほら、私の手を握ってください。
あったかいですよ」
私は手を差し伸べた。
シルヴァは身体ごとぶよぶよと跳ねながら少し移動して
私の手に頬を近づけると、少し頬を緩ませた。
「ふふっ……そうか、そうであったな。
君の魔法は “アイツ” と同じ……
君の手は……君はあったかそうだ」
シルヴァは手を伸ばすと、私の手を握った。
その手は信じられないくらい冷たくて
まるで氷を握っているかのようだった。
(ぅ冷っ……!!)
咄嗟に手を離してしまいそうになったけど、
ギリギリのところで我慢した。
シルヴァはこの冷たさから逃げられないんだ……
そう考えると私は少し悲しい気持ちになって
少し寒いのを我慢しながら
シルヴァさんの毛皮布団ミノの中に入った。
全身で暖めた方が良いと判断したからだ。
私はシルヴァさんに抱きついた。
凄く冷たい……全身が氷みたいに冷たくて
刺すような痛みがある。
それでも、私の魔法が効いてきているのか
少しずつその痛みが和らいでいくのを感じた。
「君は……優しいな」
最初は躊躇していたシルヴァだったけど
少しずつ私に心を許してきたのか
ゆっくりと抱き返してくれた。
さっきまで氷みたいに冷たかった手は
微かに熱を取り戻しているように感じられ
頬は少し温かみを増しているように見えた。
ゆっくりと目を開けると、
オオカミがいつの間にか帰ってきていた。
どうやら私は眠ってしまっていたらしく
私を抱くようにしてホカホカになったシルヴァが眠っていた。
「仲が良くて何よりだが……お前その身体どうした?」
「うぅ……ふぇ?」
ぐっすりと眠るシルヴァの腕を外して起き上がり
目を擦りながら自分の状況を確認した。
ぼんやりと暖かみのある色の光が私の周囲を包んでいる。
「あぁこれ、魔法です。
ママはあんまり得意じゃ無かったみたいなんですが
私と、私に触れている人を暖める事が出来るんです」
「……そうか」
オオカミは妙な表情をした。
どこか懐かしんでいるかのような……
「へくちっ……! うぅ……寒い……」
少し目を離した隙に、シルヴァが目を覚ました。
シルヴァの顔色はまた寝る前の状態まで戻っていて
寒そうに震えながら良さげな毛皮布団を一枚厳選すると
それを頭から被った。
そのままシルヴァは先程までとは変わってとんでも無い速度で私の背後にまわると、羽衣を纏わせるかのように
ふわりと私の後ろから抱きついてきた。
「うひゃぁ?!!!」
少し離れただけなのに氷のような冷たさが戻っていて
私は驚きの声をあげた。
「ああ゛ぁ……あったかい……
ダメだぁ……我はどうやらもう、君無しでは生きられんらしい」
この時は誇張表現としか思っていなかったけど
その実そんな事は無く……
本当に言葉通りの意味だった事に気付いた時は
流石に肝を冷やした。
この人、冗談を言うようなタイプでは無かったのだ。
「そ、そんな困りますよ……冗談とは言え
流石にちょっと怒りますよ?!」
正直悪い気はしていなかった。
子供ながらに何とも不器用な照れ隠しだ。
私は頬を少し染めながらそう言いつつ、
ちゃっかり魔法を継続させていた。
「すまない……だが、あと9日だけで良いんだ。
悪いがその間だけ付き合ってはもらえないか?
まだ凍え死ぬ訳にもいかんのだ……」
「……? その具体的過ぎるタイムリミットに関しては
ちょっとよく分からないんですが、
そもそも私もまだここを出て行けるような
状態じゃありませんし……まぁそのくらいなら」
「ありがとう……本当に助かる」
シルヴァは私の頬に自分の頬を擦り寄せた。
もう氷のような痛さは無い……
彼女からちゃんと温もりを感じる。
オオカミはただその様子を何も言わずに見ていた。
何とも複雑な顔をしているが
私はその事について疑問を持つ余裕すら無かった。
驚くべきか、800年もの間ノースヘルを
地上の地獄たらしめていたあの吹雪が止んでいた。
偶然にしてはあまりにも出来すぎている。
あの吹雪はシルヴァが封印されたこの地を
閉鎖する為のものだったのだろう。
しかし、気温自体はほとんど変わっていない。
吹雪が無いだけで極寒地獄である事にも変わりは無い。
私は帰りたい。
でも……まだ帰路につく事すら出来ない事は
私自身がよく分かっている。
何もかもが足りないんだ。
装備、備蓄、そして技量に魔法……体力。
オオカミはノースヘルから出られないらしく
ノースヘルを抜けたとしてもその先の道に彼はいない。
だからまだ無理なのだとはっきり言われてしまった。
「シルヴァさんは? 着いてきてくれないんですか?」
「……」
シルヴァは複雑な表情をしている。
「シルヴァ……さん?」
「すまない……それは不可能だ」
「え……? どうしてですか?」
シルヴァは重い口を開くと、自分の腕を見せた。
私に後ろから抱きついたまま袖を捲り上げると
全身に描かれた黒い線模様の一部がそこにはあった。
「これは呪いだ」
「呪い……?」
「そうだ……今から話す事は、
私が自身を封印せねばならなかった理由の
全てだ」
シルヴァは語り始めた。
世界の真実を……絶望的な過去と未来の話を。
「正確に数えて今より786年前、世界を滅ぼす程の力を持った最強最悪の魔物が復活した。
奴はサウスヘル “南獄” と呼ばれる場所に封印されていて
その封印が緩む度に、世界には魔物が溢れた。
名を、ウルティオニスフレイム
数千年前にこの世全てを憎悪した魔女が化けたとされる
不死の最厄だ」
「何ですかそれ……そんなの知りませんよ?」
そんな恐ろしい存在でありながら
教科書にすら載っていないのはおかしいと感じた。
「奴は特殊な事象改変魔法を使う。
力が弱まっている時のみだが
“己の存在をこの世界から抹消” しているんだ。
実在はしているが、誰も奴を奴として観測出来なくなり
文献は残らず、記憶する者もいなくなる」
「な、何ですかその滅茶苦茶な魔法?!
あれ……でもそれおかしいですよね?」
驚きはしたものの、幾つか疑問が出てくる。
もしそれが真実なら何故シルヴァは無事なのか……
「我が影響外にいると言う話か」
「そうですよ! 誰も記憶できないんですよね?」
シルヴァは視線を自分の腕に集中させた。
「先程、これは呪いだと言ったな。
これは奴に付けられたものだ」
「え……?」
「786年前、我は単身で奴に挑み……死にかけながらも
奴を “殺した” 。
と言っても……奴は復活するのだから、
本当に殺し切れた訳では無いがな」
私はただ耳を傾ける。
「その時に受けた呪いがこれだ。
我を知らぬ全てから憎悪され、恐怖され……
“10日” で、我が命を蝕み尽くす。
拒絶と死の呪いだ」
「……え? いや……ちょっと待っ」
「このままでは、我はこの世全てから憎まれたまま、
恨まれたまま、恐怖されたまま何も成せずに死ぬ……
故に、我は自らを完全に封じる事とした。
奴が再び復活した際、この10日の命を支払って
奴をもう一度殺すために」
「……あ……あぁ……」
私は知ってしまった。
とんでも無い事をしてしまった。
シルヴァは10日しか生きられず、
世界中から嫌な目で見られる呪いを背負ってまで
こんなちっぽけな世界を救おうと自らを封印した。
でも、その封印は私が解いてしまった……
謝っても謝り切れない大罪を犯した。
私は丸一日眠っていた。
つまり……シルヴァの命はあと9日。
なんて事を……私はなんて事を!!!
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
無力な子供が世界を終わらせたのかも知れない。
無力な子供が誰よりも優しい魔女の英雄的行動を否定したのかも知れない。
私が…….私が……黒く重い泥みたいな感情が
私の小さな両肩へ一気にのしかかった。
罪悪感、焦燥、責任、恐怖……自分の拍動すらも重く胸に響いて苦しい。
呼吸が乱れていく……俗に言う過呼吸。
苦しい……苦し……い……
「落ち着け!! ゆっくりと呼吸するんだ!!」
「っ!!!」
背中に感じた強い声に引き寄せられて、
私の過呼吸は止まった。
シルヴァだ。 私はその声に従ってゆっくりと呼吸をする。
拍が安定してきた……心の重さは消えないけど
少しはマシになる。
「こんな……こんなのって……私どうすれば」
「確かに君がやった事は “とんでもない” 事だ。
だから……きちんと責任は果たして貰わなくてはならん」
「せき……にん?」
シルヴァは私の右手を取ると、
私の陣を私自身に見せるようにした。
そこには今まで見た事が無い半月状の陣が2つ並び
円の形を取っていた。
「……え?」
「君には今、我の魔法と魔力が流れていっている。
このまま行けば、あと6日の後
君は我の魔法と魔力の全てを手にするだろう」
「え? え?! 何ですかこれ?! どう言う事なんですか?!」
「あと9日しか無い……すまないが、説明は後だ。
君にはこれから訓練を受けてもらう。
魔力と魔法の正しい使い方と、制御を一気に叩き込む訓練だ。
悪いが拒否権は無い……既に君は、
世界を救う力を手にしてしまった」
「……わた……しが?」
「そうだ。 君が、やるんだ。
君にしか出来ないんだ。
奴を……ウルティオニスフレイムを、倒せ」
その言葉には確かな重みがあった。
両肩にずしりと乗ったプレッシャーは
まだ幼い私にとって辛いものでしか無く
それでも、私に逃げる選択肢は用意されていなかった。
魔法、魔力の訓練は想像を絶する程に過酷なものだった。
まず、体内魔力の循環を滅茶苦茶に乱す薬を飲まされる。
この状態で背中から魔力を流してもらう事で
一度に扱える魔力を引き延ばすことが出来るらしい……
ただ、これは非常に効果的であるが
とんでもない荒療治なので……
下手すれば後遺症を負う事になる。
そこは流石と言うべきか、シルヴァにミスは無かった。
ただ、魔力がぐちゃぐちゃに乱されるだけで
全身が悲鳴をあげるような痛みと苦しみがある上
そこに無理矢理魔力を正しい方向に通されると
あり得ないくらいの激痛が全身を包む。
これを、1年間毎日続ける。
魔力を流す担当はオオカミ……凄く嫌そうだった。
その上で魔法の訓練が始まる。
陣は所謂、魔法の計算装置だ。
適切な指示を陣に伝達し、魔力を送る……
単純な話をすれば全ての魔法はこんなもんだ。
でも私はこの時点で初級に分類される魔法すら使えなかった。
私が使っていた魔法は、言ってしまえば
陣の副産物のようなもので
微弱な魔力を流すだけで起こせる魔法的現象に過ぎなかった。
シルヴァは何か不思議そうにしながらも私に初級魔法……
続けて中級魔法と順を追って叩き込んで行った。
【この先は、後に “オオカミ” から聞いた話を
そのまま手記に写したものであり
多少の齟齬がある可能性がある。
私の主観が混じった描写が
追加されている可能性がある事を、謝罪する】
シルヴァによる魔女の訓練が始まってから、
既に5日が経過した。
大人にしても辛過ぎるくらいの訓練である以上、
当然のようにサンもボロボロになっていた。
サンの涙が血に変わり、
口から血を吐いて気絶するのを見るのは
もうこれで35回目になる……もう限界だ、見るに堪えない。
俺は気絶するサンに毛布を被せ、
シルヴァともう一度話をする事にした。
「なぁシルヴァ、あんたが焦るのも分かるし
時間があまり残されていない事だって百も承知だ。
だが、これはあまりにも事を急ぎ過ぎてやしないか?」
あと数年で最強最悪の魔物が完全に復活を遂げる。
そんな状況下ではあるが、
幾ら何でも訓練がハイペース過ぎる。
まるで一秒でも早く一人前に育ってくれていないと
困るかのように、シルヴァは何か過剰に焦っていた。
「少し、事情が変わった」
「何だと?」
シルヴァは火を囲むように俺の対面に座った。
サンの手は握ったままだ。
「サンとお前の話は大体聞いたが、その中で我は
サンに関して大きな疑問を2つ持った。
まず、サンの母であり我が親愛なる友 フレアの死についてだ。
サンからはどのように聞いていたのか、もう一度言ってみろ」
「4年前に魔物に殺されたと聞いているが?」
俺はよくわかっていないまま質問に答える。
「もう少し詳しく聞いたか?」
「……いや、俺が聞いたのはここまでだ」
「……なら、我から詳しい死の状況を話そう。
と言っても、これはサンから聞いた話だが……
フレアは、サンが住む家から程近い花畑で
何らかの刺し傷がある状態で発見されている。
そして、状況証拠から魔物の仕業だと結論付けられた」
「……」
俺は何とも言えない顔になっていただろう。
聞いていて楽しいもんじゃない。
むしろ……いや、何でもない。
「だが、これはとてもおかしい。 非常におかしいんだ」
「……どう言う事だ?」
「お前なら “よく分かっている” 筈だ。
あのフレアが、その辺の魔物ごときに
やられるような魔女か?」
「……!!」
よく考えたらそうだ……と言うか、
何故言われるまで考えもしなかったのかが不思議だ。
フレアの実力は “本物だった” 。
それは、俺自身がこの身でよく知っていた事だろうに……
「まさかこれは、思考を意図的に逸らされていた……?!
改変魔法か!」
「そうだ。
考えられる中で最悪の想定になるが、
フレアを殺害した犯人は……
ウルティオニスフレイムである可能性が高い。
奴は既に不完全な状態で復活しており
自身を改変魔法で隠しているのでは無いかと推測した」
俺は侮っていた。
どんなに強大な魔物だったとしても所詮は魔物であり
狡猾なものはいても、ここまで自らを隠蔽するのに長けた
バケモノがいるとは思ってもいなかった。
それと同時に、サンが帰る先に待ち受ける理不尽を考え
背筋を凍らせた。
「そしてもう一つ」
「……まだあるのか?! これ以上何が」
「非常に安易な推測だ。
当たっているかは五分……なんだが、これは酷過ぎる。
ただ当たっていない事を祈るばかりだ」
シルヴァは少し言うべきか迷った後
決心したのか改めてこちらを見据えた。
「お前は、サンの成長速度についてどう思う?」
「サンの成長速度……?
そりゃあ、スパルタな訓練もあって
規格外に早いとは思うが……」
「……実は、魔法の訓練のみを言うなら
別に特別な訓練はしていない。
一般的な魔女見習いが受けるカリキュラムを
彼女の成長に合わせて行っているだけ」
「待て、それはおかしいだろ。
サンは確か自分を “落ちこぼれ” だと言っていた。
そんなに成長が早いのなら、既に頭角を見せていた筈だ」
「その通り。
魔女見習いのカリキュラムは恐らく
800年前のものと比べれば発達している筈だ。
だと言うのに、10歳にもなるサンが
中級はおろか、初級の魔法すら使えなかったと言うのは
幾ら何でもおかしい」
俺は再考する。
確かに変だ……落ちこぼれと言っても
あの莫大な魔力を持っていたサンが
初級魔法すら扱えなかったのは変としか言いようが無い。
この子は元々、あのフレアを遥かに凌ぐ程の
魔力を有していた。
生まれ持っての才能の高さは、
それこそ歴史上でも指を折る程のものだったろう。
それが何だこの有様は?
まともな教育を受けられ無い状況にあるとしか思えない。
「先程、我は奴がサンの近くにいると言ったな。
奴は非常に狡猾だ……故に、
恐るべき才能を持つ魔女見習いを見つけてしまえば
その才能を潰す為に動くと考えられる」
シルヴァの考えが何となく理解できた。
……なるほど、これは本当に最悪だ。
「つまり、今サンの面倒をみている親代わりの魔女……
スカーレットなる人物こそが、
ウルティオニスフレイムが擬態した存在であると?」
「……私も断片的にしか話を聞いていないが、
スカーレットという魔女は15年程前にふらりと現れたそうだ。
彼女の得意魔法は炎……ウルティオニスフレイムと同じ、炎だ」
「……これが、無茶を強いている理由か」
「そうだ。 このままでは帰れたとしても帰った先で殺される。
お前もそれは望んでいないだろう……?
サンの、父親として」
「…………」
俺は、何も答える事が出来なかった。
この世界の誰を差し置いても、サンの事を1番愛している。
だが、俺はもう……サンの父親を名乗る事が出来ない。
「分かったよシルヴァ……サンを死なせない為だ」
「辛い決断を強いてすまないな……」
「何を言っているんだ?
お前こそ十分辛そうな顔をしているだろ
俺だけ逃げるなんて都合の良い話が無いだけの事だ」
気絶しているサンの顔を今一度見る。
あぁ……本当にお前は、フレアにそっくりだよ。
きゅっと胸を締め付けられるような気分になりながら
俺はまた狩りに出る。
娘に、少しでも良いものを食わせてやりたいからな。
サンと過ごせる時間は少ない。
それまでに……サンをどこまで強くしてやれるか
それが今、俺たちに出来る唯一の抵抗だ。
【以上、偉大なる父 ヴォルガンド より】