第9話「また今度」
「――だから俺も、垂に友達でいてほしい、かな」
俺は自分の思っていることを素直に話した。それは彼女がずっと秘めてきた孤独と比べれば、僅かな焦燥と取るに足らない羞恥心でしかないだろう。それでも、ただ彼女と友達でいたいという気持ちは、本物だ。
「初月くん……」
話を聞き終えた垂は、一言呟くとそのまま黙り込んでしまった。……彼女は、俺の話を聞いて何を思ったのだろうか。もしかしたら、俺という人間を腹立たしく思ったかもしれない。俺には彼女のような特別な事情は、何もない。彼女のように、友達を作る方法すらわからないままに突然学校に放り込まれたというわけではない。俺の場合中学校までは普通に友達がいて、高校生になってからも友達を作ることはできたはずなのに、自ら進んでそれをしなかった。ただ人とコミュニケーションを取らずにいたせいで、勝手に孤立しただけだ。そんな俺が、友達がいないというただ一点のみで彼女と自分を同じだなんて、とてもじゃないがいうことはできない。
「…………」
先ほど彼女が俺の答えを待ってくれたように、今度は俺の方が彼女が話してくれるのを待つことにした。俺には、彼女の気持ちはわからない。そうである以上、彼女から直接聞かせてもらうしかない。
「……ふふ」
しばらく考え耽っていた垂だったが、ふと笑い声を漏らした。
「初月くん。それならやっぱり、私達は同じよね」
「同じ……?」
垂は俺の目を見ながら言う。しかし俺には、何が同じなのかわからなかった。
「私は確かに、友達がいなくてずっと鬱々としてた。だけど、私は自分が孤独だと思ったことはないの。だって……私には家族がいたから。お母さんもお父さんも小米も、超、世話焼きなんだもん」
軽やかな声音でそう話す彼女だったが、そこからは声量を落として続ける。
「そんな鬱陶しいくらいに暖かい家族がいたからこそ、私は外に出て他人に冷たくされるのが怖かった。何も持たない私のことを、他人に知られるのが恥ずかしかった。でも、つまりそれって――」
垂は俺のことを指さした。
「初月くんも同じでしょう? だって私に友達がいないって知られるの、恥ずかしかったんだもんね?」
そう言いながら、つんっと俺の胸の辺りを突いてくる。
「確かに私、いままで初月くんが学校で誰かと話してるところ見たことなかったわ。ふふっ、私と一緒っ」
愉快そうに笑う。笑われると否定したくなるが、事実なので否定もできない。……まあ彼女が俺のことを同じだというのなら、それでいい。……きっと、何かがうまくいっていないときに同じようにうまくいっていない人を見つけたときの安心感や親近感に近い感覚なのだろう。彼女にとっては、俺というひとりぼっち仲間を見つけたことが、とても嬉しいことらしい。
「初月くんっ、そろそろ行こ?」
向かい合っていた俺の横を通り過ぎて、さっさと歩いていく垂。
「あっ、待ってって」
「ふふ、置いてくわよ、こうはいくん?」
どうやら俺の場違いなジョークは聞き取られてしまっていたらしい。忘れてください、先輩。
俺は小走りで垂に追い付き、隣を歩き始める。
「駅までまだ結構あるわね。私たくさん話したいことあるなぁ。……ねぇ、初月くんは何か趣味とかあるの?」
「え? んー、そうだなぁ。俺は――」
そうして駅に着くまでの間、俺達は絶えず言葉を交わし続けた。
*
「――だから母親のことは何も覚えてないんだ。父さんが写真も全部捨てちゃったらしいし、顔もわからない。だけどあれこれ父さんに聞くのも、なんだか小っ恥ずかしくて」
歩きながら談笑を続けて十数分。俺達はようやく駅に到着した。談笑、というには最後は少し暗い話題になってしまったかもしれないが。
「そうだったの……ごめんね、嫌なこと話させちゃったかしら」
「いや、大丈夫。それより、結構暑い中ここまで歩いてきたけど……大丈夫?」
謝ってくる垂に、俺は心配する言葉を掛ける。そこそこ暑かったはずだが、彼女は不自然なくらい、ただの一滴も汗を掻いてはいなかった。
「んー……平気。私体質的に汗が掻けないのよ。一応自販機で何か買っていくわ。……心配してくれてありがと」
駅構内の自販機へと向かう垂。学校で既に飲み物を買っていたので俺は必要ないが、とりあえず付いて行くことにした。
「……ん」
彼女の後ろに付いて歩いたとき、ふわっと甘い匂いが鼻腔を擽った。
(シャンプーの、匂い……?)
つい甘い匂いに惹かれて、スンスンと鼻を鳴らしてしまう。すると自販機を眺めていた垂がいきなり俺の方へと振り返ってきた。
「どうしたの?」
俺は慌てて身振り手振りを交えつつ、誤魔化そうとする。
「あっ、いや……何でもない、ですっ」
「? そう」
動揺して明らかに怪しい感じになってしまったが、気付かれなかったみたいだ。……今後は気を付けなければ。
「……よく汗腺の数は幼いときにどれだけ汗を掻いたかで決まるっていうじゃない?」
自販機を流し見しながら、話し掛けてくる。
「私が全く汗を掻けないのはきっと、幼い頃にエアコンの効いた環境にばかりいたせいなのかなぁ、って思うのよね」
財布を取り出し、自販機のコイン投入口に貨幣を入れていく。
「あー、なるほど……」
確かにそんな話は聞いたことがある気がする。汗を掻かないのは羨ましいと思わなくもないが、やはり全く掻けないというのは、体にとってリスクとなるのだろうか。
「初月くんは覚えてる……わけないか。私だって記憶にはないんだから」
自販機のボタンを押すと、ガコンと音を立ててペットボトルが取り出し口に落ちてくる。それを取り出すと、垂はすぐにキャップを開けて飲み出した。やはり喉が乾いていたのだろう。
「覚えてるわけないって、何を?」
「えーと、ほら。社会の授業とかでも習ったんじゃない? 15年くらい前に日本で発生した――って、あら?」
垂は駅の入口の方を見ると、突然言葉を途切れさせた。俺もそちらを見やる。するとそこには“気付かれた”というような表情でこちらを見ている、我が校の女子生徒――もとい、垂の妹さんがいた。
「ちょうどいいわ、小米! ちょっと来てよ!」
「お、お姉ちゃん……」
垂に呼ばれると、彼女は仕方なさそうに、気まずそうに俺達の方までやって来た。そういえばこの人は、俺達が付き合ってるとか勘違いをしているような態度を取っていた。もしかしたら、まだそんな風に勘違いをしているのかもしれない。
「2人は面識あるのよね。でも一応紹介しておくわ。初月くん、この子が私の妹の小米よ。明るくて元気で、すごくいい子なの」
「お、お姉ちゃん……!」
とても気恥ずかしそうにしている。まあ、高校生の他己紹介としては少々拙いのは否定できない。
「……えーと、1年B組の初月陽司です。よろしくお願いします。……この前はわざわざありがとうございました」
とりあえず俺からも自己紹介と、先日垂を一緒に探してくれたことのお礼を述べておく。
「いやいや、むしろこの前はごめんね! たくさん走らせちゃって……。えっと、私は1年A組で、垂の妹の小米です! 適度に、よろしくね! あ、同級生なんだし、敬語じゃなくていいよ」
「わ、わかった。よろしく」
別に俺は気にしないが、自己紹介で『適度によろしく』は流石に失礼なんじゃないかと思う。
「もう……私が紹介しようと思ってたのに」
「――!!」
なぜか落ち込む垂と、息を呑む垂の妹さん。明らかに何か誤解しているし、早く解いておきたい。……しかし、もしかしたら彼女が誤解しているというのが、俺の誤解ということもあるかもしれない。そうだった場合、恋人だという誤解を解こうとする俺の姿は目も当てられないものになるだろう。何か、彼女が誤解していると確信できるようなものはないだろうか……。
「あのね、小米」
「? なあに?」
俺がしょうもないことに頭を悩ませていると、垂は改まって彼女の妹の名前を呼んだ。その真剣な面持ちを見て、俺もいったん考えるのを止めて垂の言葉に耳を傾けた。
「あなたのお陰で、私はいままでひとりぼっちじゃなかった。……でももう、安心して。あなたに頼らなくても、私にもちゃんと……友達ができたから」
胸を張り、俺の腕を掴みながら言う。垂の所作からは、妹に対する誠意がひしひしと感じ取れた。……ほとんど通うことができなかった中学の3年間と、今年度高校に入学するまでの2年間の、合わせて5年間。劣等感、罪悪感、羞恥心、羨望と、様々な感情に苛まれていたであろう垂が、その5年間をして『孤独だと思ったことはない』と言っていた。垂の家族は、いまこの瞬間まで彼女を腐らせることなく、こうして立ち直ることができるまで支え続けてきたのだ。そのことを、その恩を、彼女自身も理解しているが故の振る舞いなのだろう。
「お姉、ちゃん……」
垂の妹さんは動揺を露わにしている。それも無理はないだろう。それくらいに垂の態度は、真剣そのものだった。そんな垂の態度を受け、妹さんも次第に表情を綻ばせていく。そして絞り出すように、言葉を紡いだ。
「お姉ちゃん……私も、嬉しいな……!」
泣き出してこそいないが、口元を手で押さえて嬉しそうに微笑む。……もしも俺が垂の弟だったとしたら、姉がずっと引き籠っていることがストレスや悩みの種となり、姉のことを疎ましく思っていたかもしれない。しかし彼女はそんな思いすら乗り越えてしまうほど、垂のことを大事に思い続けていたのだろう。
……などと部外者の俺がしみじみと感じ入っていたのだが、ふと垂の妹さんが声を上げた。
「ん? 待ってお姉ちゃん。『友達ができたから』……?」
「? 何よ、いまそう言ったでしょう? この人は初月くん。私の友達よ」
そう言ってまた胸を張っている。……というか、やはり彼女は俺と垂が――。
「こっ、恋人じゃなかったの!?」
甲高い声が駅構内に響き渡り、周囲の人々の視線がこちらを向いた。……恥ずかしい。
「恋人? ふっ、友達もいなかったのに恋人なんてできるわけないじゃない。初月くんは、私の友達よ」
別に友達がいなければ恋人ができないということは、ないのではなかろうか。というか、実際違うから仕方ないのだが、女子にそこまで瞭然と“恋人”という可能性を否定されると、心にくるものがある。
「え! じゃあ私、ものすごく失礼な態度を取ってたってこと!? ご、ごめんね! はづっ、よう……な、なんて呼んだらいいかな!?」
顔を真っ赤にしながら、テンションが吹っ切れたかのように声高に喚く。
「な、何でもいいから! 初月くんとか、陽司くんとか最近は呼ばれてるけど……」
彼女のテンションの高さに気圧されつつ、俺は答える。
「じゃ、じゃあもう“よーじ”! 私友達のことほとんど皆呼び捨てにしてるし、それでいいかな!? そっちも小米って呼び捨てでいいから! お姉ちゃんのことも垂って呼び捨てにしてるし!」
別に呼び捨てで構わないが、駅構内に響きまくってるからとにかくいったん落ち着いてほしい。
「わ、わかったからとりあえず落ち着いて!」
俺は垂の妹さん――小米を宥める。その一方で、垂は自販機で買ったお茶を飲みながら俺達を少し離れたところから眺めていた。
「友達と妹が乳繰り合ってるのを見るのは、愉快ね」
「ちち……なんだって?」
「お姉ちゃん!?」
徐々に落ち着きを取り戻しつつあった小米だが、バッと顔を上げて垂の方を向いた。まずい、また騒ぎ出しそうだ。俺は食い止めるべく何かないかと周囲を見回した。すると、ちょうど改札の上辺りに設置されている電光掲示板が目に入った。
「こ、小米! 電車の時間は大丈夫?」
電光掲示板によれば、あと2分ほどで電車がやって来るようだ。そろそろホームに移動しておいた方がいいのではなかろうか。
「……あ、ほんとだ。時間ないね! そろそろホームに降りないと。お姉ちゃんはどうする?」
話題を変えるとようやく小米は落ち着きを取り戻し、時間を確認し始めた。次の電車を逃すとその次まで20分ほどあるようだし、流石に2人ともその電車で帰った方がいいだろう。
「そうね……私も一緒に帰るわ。……じゃあね、初月くん」
俺に別れを告げると、垂はホームに降りる階段の方へと体の向きを変えた。
「それじゃ、またね! よ、よーじ! ……うぅ~、気が逸ったぁ……」
小米も俺に別れを告げ、ついでに何かぼそりと独りごちったが、よく聞こえなかった。
「うん、それじゃ」
俺も2人に手を振って別れの挨拶を返し、駅構外へ向かって歩き出す。
「――初月くん!」
しかしすぐに名前を呼ばれ、振り返る。垂は俺のすぐ側まで走ってやってきて、俺の手を握ってきた。
「……また今度ね」
それだけ言うと手を離し、俺の返事を待たずに小米の元へと戻っていく。
「……うん。また今度……!」
俺は手に残る垂の温度を感じながら、去っていく彼女の背中に向かって別れの挨拶を――再会を約する言葉を投げ返した。
読んでくれてありがとうございます!
また長くなってしまった、、、
多分今後もちまちま長いときがあるかと、、、
10話以降もよろしくお願いします!