第5話「保健室にて」
6月13日
*
小蜜と出会ってから約1週間が経過した。俺は今日までの1週間、彼女との約束通りペンダントと彼女の探し人についての調査をした。もっとも、調査なんていうような大層なことでもなく、単に近隣の住人にペンダントについて聞いてみたり、父親にも連絡を取って調べてもらったりしたという、いたって高校生ができる程度のことをしただけだ。そうこうしてこの一週間の活動により得られた成果は……残念ながら、何もなかった。近隣でペンダントのことを知っている人は見つけられなかったし、父が調べてもペンダントの出所はわからなかった。
小蜜のところには隔日で訪ねており、今日も進展は何もなかったと報告をすると共に、雑談をしてきた。話をしていると時間はあっという間に過ぎて夕飯の時間になってしまったため、そのタイミングで彼女と別れていま病院を出てきたところだった。
風が吹き始めて涼しい駐車場沿いを歩いていく。するとピッピッという音と共に、視界の端でチカチカと光が明滅した。反射的にそちらを見ると、丁度そこに停まっていた車のサイドミラーが展開されていく瞬間だった。いまの音と光は、自動車の鍵を解除したときのものだったらしい。そして俺の後方から、見知った身なりの人物が車のところへと歩いて行くのが見えた。
(ん? あれは……)
高校生になってから、休日を除いて毎日目にするその服装。俺が通う四枝狩高校の女子用制服だ。それを身に纏った女子生徒が、たったいま鍵が解除された自動車へと乗り込んでいく。
(あれ、あの人って確か……って、んん?)
目の前の状況に若干混乱する俺を他所に、女子生徒を乗せた自動車は、駐車スペースを発進して去っていった。
(……明日、話を聞いてみるか)
そう決心してから、俺は再び歩き始めた。
*
6月14日
*
「ほら、後ろの方の席で集まってる子達の中にいますよ」
学校の昼休み。俺は隣のクラスーー1年A組の教室を訪れていた。そしてそのクラスの担任の先生にある生徒の所在を聞き出し、その生徒のところへと向かう。
「あの、ちょっといいですか?」
教室の後方で机をくっ付けて談笑する、4人の女子生徒。そこに声を掛けるのは非常に気まずいが、昨日見たことについて聞くためには仕方がない。4人は話を中断して俺の方を見上げてきた。
「……あの、氷柄さんはいますか?」
昨日病院の駐車場で見掛けた女子生徒。それは隣のクラス――つまりいまいるこのクラスの生徒だった。移動教室の授業で同じクラスになるため、顔と名前を覚えていた。……はずだったのだが、4人の顔を見て、気付いた。探していた生徒は、この中にはいない。
(先生が言ってたグループはここじゃなかったか? ちゃんと顔を確認してから話し掛けるべきだったな……)
俺がそう後悔していると。
「? 私ですけど……何ですか?」
1人の生徒が反応を示した。しかし、やはり俺の知っている人物とは異なっている。『氷柄』なんて苗字はいままで見たことがないし、てっきり珍しい苗字かと思ったが……もしかしたらこの地域には多い苗字なのだろうか。
「えっと、すいません……人違いだったみたいです」
「? そうなんですか?」
不思議そうにする彼女に頭を下げ、俺は早々に立ち去ろうとする。
「ねぇ小米、もしかしてさ……」
「……あっ、そうかもしれないね!」
4人に背中を向けて歩き始めると、そんな声が聞こえてきた。
「ねぇ、ちょっと待って!」
背後から、俺の探していた氷柄さんとは別の氷柄さんの声。呼び止められたため、振り返る。
「もしかして探してるのって、私じゃなくてお姉ちゃんの方じゃないですか!?」
「お姉ちゃん……?」
つまり俺の探している氷柄さんと目の前の氷柄さんは、姉妹だったということか。あまり雰囲気が似ていないから他人だと決め付けてしまっていた。しかし、妹の方の氷柄さんがここにいるということは……。
「ああ、もしかして双子なんですか?」
俺が探している方の氷柄さんがここのクラスなのは間違いない。であれば、その妹が高校生であるためには双子以外ありえない。
「ん? あっ、そうです! 双子です!」
「……? えっと、お姉さんがいまどこにいるかとかってわかりますか?」
さすがに3人目はいないだろうし、俺の探し人は彼女の姉で間違いないだろう。
「多分、保健室にいると思います。その、お姉ちゃんは昔から体が弱いので……」
そう教えてくれた彼女は、少し悲しそうな顔をした。もしかして、昨日彼女の姉が病院に来ていたのはそれが理由だったのだろうか。……とりあえず、保健室に行ってみることにしよう。
「わかりました、教えてくれてありがとうございます」
礼を言って軽く頭を下げ、今度こそ立ち去ろうとする。
「あっ、待って待って! 何の用か知らないけど、すぐお姉ちゃん呼びますよ!」
「え、でも……保健室にいるってことは、体調悪いんじゃないですか?」
「だいじょぶだいじょぶ。学校まで来れてるんですから! 保健室からここまでくらい、なんてことないですよ!」
「そ、そうですか……?」
彼女はすぐにスマホを取り出して画面を操作し始めた。俺が口を挟む間もない即断即決。何も言えずに様子を眺めていると、しかし彼女はすぐさまスマホを置いてしまった。
「うーん、既読付かない!」
「え?」
まだ30秒も待っていないだろうに、彼女はまるで痺れを切らしたかのようにそう言うと、椅子から立ち上がった。
「仕方ない! 名前も知らない、そこのあなた! 仕方ないから、こっちから保健室まで出張りましょう!」
「え、け、結局?」
彼女は弁当を片付けることもなく、俺の返事を待つこともなく、俺の横を通り抜けてさっさと教室の外へ向かってしまう。……というか、一緒に来るつもりなのか。まあ1対1で話すことになるよりは、多少気が楽かもしれない。
「ほら、早く行きましょう!」
「わ、わかりました」
やれやれといった顔をする女子生徒3人に見送られながら、俺は教室を後にした。
*
午後1時半。昼休みの終わりを知らせる予鈴が校内に響き渡る。俺は授業の準備には手も付けず、自分の席で冷えたジュースを呷っていた。
(……つ、疲れた……!)
昼休み、俺は妹の方の氷柄さんと共に、彼女の姉に会うために保健室を訪れた。しかしそこに、彼女の姉はいなかった。……そのことは別に構わない。仮に保健室で休んでいたとしても、どのみち無理に話を聞くべきではないだろう。だから俺は、この時点で今日は諦めようと思ったのだ。……しかし、なぜか彼女は諦めなかった。人のいないところにいるかもしれないと、俺の手を引いて校内を走り出した。結果として俺は彼女に引き連れられ、知り得る限り全ての空き教室を昼休みの時間内で回り切ったのだった。
そしてその大捜索の結果……彼女の姉は、とうとう見つからなかった。空き教室を全て回り終わった後に彼女の姉から返信が来ていることに気付き、どうやら彼女の姉は昼前には早退してしまっていたことを知ったのだった。
『いやぁ、ごめんね! てっきりどこかに隠れてるとばかり……。ていうかすっごい汗だね、ジュース奢ったげるよ!』
なおも笑顔を絶やさない彼女は俺にジュースを買ってくれ、つい先ほど別れていまに至る。
「……はぁ」
正直、無駄骨であったことは否定できない。既に学校にいなかったのなら、返信を待っていればあれほど走り回り、これほど汗だくになることもなかった。校内を探すにしても、途中で見切りを付けて捜索を止めてしまうべきだっただろう。……だけど俺は、走り回っている間についぞ一度も『今日はもういい』とは、口にしなかった。
そのうち見つかるかもしれないという希望を僅かながら抱いていたというのは、もちろんある。しかしそれ以上に、俺は楽しんでいたのだ。快活な彼女に手を引っ張られながら……沢山の生徒達に奇異の視線を向けられながら、汗水垂らして息を切らして、校内中を駆け回る。そんなちょっとした、学生生活の中の日常。それは俺が中学の頃まで当然に過ごしていた日常であり、しかし高校生になってからは、全く無縁になってしまっていた懐かしい心地でもあった。
『お姉ちゃんには、私の方からガツンと言っておくよ! ごめんけど、また明日お姉ちゃんを見つけてあげて!』
そう言って自身の教室へと駆けて行った、彼女の笑顔を思い出す。少々落ち着きがないが、明朗で気持ちのいい人柄だった。また彼女と一緒に学校中を走り回りたい……とは、微塵も思わない。だけど……彼女とはまた、関わりたい。そう思わせてくれる引力が、彼女にはあった。
「ふぅ……」
座って少し休んだことで、体の火照りと汗もだいぶ止んできた。俺は席を立ちあがり、午後の授業の支度に取り掛かった。
*
6月15日
*
本日の午前中の授業が終わり、昼休み。俺は昼ご飯を購買で調達して早々に食べ終わると、1人教室を後にした。そしてそのまま一直線に、保健室へと向かう。今日は昨日と異なり、落ち着きのない彼女は隣にいない。またぞろ連れ回されるかもしれないと厭ったというのもあるが、シンプルに彼女の昼休みを使わせてしまうのも、迷惑だろうと思ったからだ。
昨日と異なり静かな職員室前の廊下を、保健室に向かって歩いて行く。そして。
「失礼します」
辿り着いた保健室の引き戸をノックして、中に入る。室内には昨日と同様、嗅ぎ慣れない薬品の臭いと冷房による涼しい空気が満ちている。……そんな保健室の中には、女子生徒が1人きり。どうやらいま養護教諭は不在のようだ。女子生徒の方を見やると、ベッドを囲うカーテンは開け放たれており、彼女はマットレスの淵に腰掛けてこちらの様子を窺っていた。
「……氷柄さん、ですよね?」
顔を見ているから間違いないのだが、一応聞いておく。
「……? そうですけど」
彼女は訝しみながらそう返してきた。当然だろう。保健室にやって来た生徒が、先生ではなく休養中の生徒に声を掛けているのだから。
「ちょっと聞きたいことがあって……一昨日のことなんですが」
「わ、私にですか? 一昨日……」
訝しむ表情を思い出すような表情に変え、ベッドに腰を掛け直す。
「単刀直入に聞いちゃうと、一昨日の夕方、あなたが四枝狩総合病院で車に乗るところを見かけたんですけど……」
「!」
驚いたような、焦ったような表情をする。どうやらやはり、見られたくはなかったらしい。
「なんで運転席に……?」
「……」
そう。一昨日俺が病院の駐車場で見かけた彼女は、車の助手席ではなく運転席に乗り込んでいった。剰え、そのまま車を運転して病院を去って行ったのだ。高校1年生では原付免許しか取れないから、普通自動車の運転は当然、してはいけない。
「あっ、別に学校にチクろうとかそういう気はなくて! 単に興味本位というか……」
それは本当だ。チクったって俺に得はないし、もしかしたら何か事情があるのかもしれない。無免許運転が覆る理由などそうないとは思うが。
「……はぁ、そういうことね」
彼女は溜め息を吐くと、機嫌が悪そうに頭を押さえた。そして嫌々そうな態度で、口を開く。
「あの……なんであなたに事情を話さなきゃいけないんですか? ……それにわざわざ、妹まで巻き込んで私のことを探し回るなんて……。別にチクりたいんだったら、チクっていいですよ。私は高校なんて、もともと――」
彼女が話している途中、ガラガラと音を立てて保健室の扉が開かれた。室内に蒸された廊下の空気が流入してくる。振り返ると、養護教諭と思しき女性教師が保健室に入ってきた。
「あ、ごめんなさいね、席を外してて。体調不良ですか?」
俺の姿を認めると、先生はそう尋ねてくる。
「いえ、そういうわけではなくて……。ちょっと氷柄さんに用があっただけです」
俺がそう説明すると、先生はなぜか嬉しそうに声を上げた。
「あら、そうだったのね! 氷柄さん、なかなか友達を作れてなかったみたいだから心配してたけれど、ちゃんと友達がいたみたいで安心しました!」
「え? いえ、俺は別に……」
何やら勘違いをさせてしまったらしい。俺はただ話を聞きに来ただけで、彼女の友達というわけではないのだが……。
「も、もういいでしょ。昼休みもそろそろ終わるし、教室に戻ったら? ……ほら、時間」
丁度そのとき、授業開始10分前を知らせるチャイムが鳴った。
「えーと、そうですね。俺はもう戻ります。その……すいませんでした」
俺は最後に一言謝ってから、不思議そうな顔をする先生に軽く頭を下げて保健室を後にした。
「……友達、ね……」
扉を閉める直前、そんな呟きが聞こえたような気がした。
読んでくれてありがとうございます!
大幅にエピソードを追加したため長くなりました。すみません、、、
6話以降も読んでくれたら嬉しいです!