第4話「お願い」
看護師はすぐにやってきて小蜜の状況を確認した。幸いにも小蜜はすぐに落ち着きを取り戻し、手の傷も手当てしてもらって事態は収束した。そのあと看護師に説明を求められたので簡単に状況を話すと、不用意に刺激を与えるようなことは避けるようにと叱られた。そして今日はもう帰るよう言われたのだが、小蜜に引き留められたことによって俺はもうしばらくこの病室に留まることとなった。
「……」
正直、気まずくて居た堪れない。俺の安易な言動のせいで、きっと苦しい思いをさせてしまっただろう。完全に彼女の内面の不安定さを見落としてしまっていた。……なぜ彼女は俺を引き留めたのだろうか。側にいるなら知識のある看護師の方が安心できるだろうに。……いや、俺のせいで嫌な思いをしたのだから、もうここには来ないように言いたいだけかもしれない。
「看護師さんはもう行きましたか?」
「うん、部屋に残ってるのは俺だけだよ」
「……座らないんですか? そっちに椅子、ないでしょう?」
扉の前にいた俺の方に顔を向け、不思議そうに尋ねてくる。
「いや、いいよ。どのみちそろそろ帰ろうと思ってたから……」
なんだか彼女のすぐ側にいるのが憚られた。彼女は俺に嫌悪感を抱いたりしないのだろうか。
「え、そうなんですか……?」
俺のせいで、きっと苦しい思いをさせてしまった。引き留めた理由はわからないが、去る前にまず謝らなければ。
「あの……すいませんでした! 俺が安易に過去を探ろうとしたせいで、辛い思いをさせてしまって……」
俺は頭を下げた。そんなことをしたって彼女には伝わらないかもしれないが、誠意を込めるにはそれくらいするべきだろう。
「……陽司くん、私の方こそさっきはごめんなさい。私、なんだか頭の中がぐちゃぐちゃになってしまって……」
あろうことか、彼女の方も俺に謝罪を返してきた。俺は何かをされたわけでもないというのに。
「でもいまはもう大丈夫です。何が今日のことで、何が昨日のことなのか。そして何が昔のことなのか、ちゃんと整理が付きましたから」
「え、それって……昔のことを思い出したってこと……?」
たったいま反省したばかりだというのに、咄嗟のことでつい聞き返してしまう。
「はい。陽司くんのお陰で、全てではないですが昔のことを思い出すことができました。ありがとうございます」
俺のお陰……? 俺のせいで苦しい思いをさせたし、怪我までさせたのだ。こちらが謝りこそすれ、感謝されるようなことではない。
「それで、その……陽司くんにお願いがあるんです」
唐突に申し訳なさそうな声色で言ってくる。……そうか。俺を引き留めたのは、きっとそれを伝えたかったからだろう。
「何? 何でもするよ」
俺にできることなら。と、保険を掛けることもせず、俺は2つ返事で彼女の申し出を受け入れた。
「探してほしい人が、いるんです」
「探してほしい人……? 誰?」
「えっと……さっき思い出したんですけど。私は昔、薔薇のペンダントをある人から貰えなかったんです」
「貰え、なかった?」
「はい。はっきりとは覚えていないのですが、その人は私にすごく優しくしてくれたような気がします。ですが薔薇のペンダントだけは、私が欲しいと言っても譲ってはくれませんでした。それで、えっと……つまり、優しかったその人に薔薇のペンダントを返してあげたいので、その人を探してほしいんです」
なるほど、そういうことか。しかし、俺が見つけたペンダントがその人の持っていたペンダントであるとは限らないのではなかろうか。薔薇のペンダントなんていくらでもあるように思える。……だが、なんでもすると言ってしまった手前、別物だろうと一蹴するわけにもいかない。
「わかった、どうにかその人を探してみる。何かその人を見つける手掛かりになりそうな情報はないかな?」
彼女の精神はいま安定しているように見えたため、聞いてみることにした。
「本当ですか、ありがとうございます! 手掛かりになる情報ですか。うーん、そうですね……。そういえばその人も『Rose Garden』、薔薇の庭という言葉を口にしていたと思います。ですが、それが何なのかまではわからないです」
『Rose Garden』……。その言葉を口にしていたとなると、このペンダントと彼女の探し人の所有していたペンダントが、同一物であるという可能性はあるかもしれない。刻印が標章として同品のペンダント全てに刻まれている言葉なのか、それともいまここにあるこのペンダントのみに刻まれている言葉なのか。後者である場合、このペンダントが彼女の探し人の物である可能性は高いかもしれない。であればやはり、このペンダントの出所と『Rose Garden』が何なのかを調べるのが一番効率的だろうか。それなら、次は探し人の人物像を知りたい。このペンダントが住宅街に落ちていた以上、現在の所有者は案外簡単に見つかるかもしれない。そしてもしかしたら、現在の持ち主がそのまま探し人と同一人物ということも、あるかもしれない。
「その人はどんな人なの? 高価なペンダントをしていたとなると、やっぱり富裕層の婦人とか?」
「すいません、それははっきりとはわからないんです。わかるのは、恐らく私よりも少し年上、ということくらいでしょうか」
「少し年上……あ……女性ですか?」
『姉ですか?』と聞こうかと思ったが、それがわかっているなら既に教えてくれているだろう。それに先ほど錯乱を起こした際に、彼女は『お母さん』と口走っていた。何となく、彼女にとって家族関係の話は避けた方がいいような気がした。
「それもわかりません。幼い頃のことなので……男の子かもしれないですし、女の子だったかもしれないです。ただ、よく私の面倒を見てくれていた記憶があります。だから多分私より年上なんじゃないかなぁ、と。ごめんなさい、手掛かりになるようなことは何もわからなくて」
つまり探し人の人物像は“少し年上”ということしかわからない、と。少しというのは2、3歳程だろうか。そのくらいの年齢の人は近隣に絞ってもたくさんいる。そうなると探し人が近隣にいたとしても、見つけ出せるかどうかかなり怪しい。
「……とりあえず、ペンダントの出所と近隣の人々を調べてみるよ」
「はい、よろしくお願いします」
本当はまだ彼女に確かめておきたいことがある。昨日小蜜を連れ去ろうとした人物についてだ。あの場にペンダントを落とした可能性がもっとも高い人物。それは、昨日小蜜を襲った犯人なのではないだろうか。フードで顔すら見えなかったため、犯人がペンダントを付けていたかどうかなどわからない。しかし、犯人はパーカーを着ていた。パーカーの口の広いポケットからなら、何らかの拍子に仕舞っていた物を落としてしまうことだってあるだろう。例えば横になったり、走ったりしたときに。犯人はあのとき俺のタックルで吹き飛ばされ、その後走って逃げていった。パーカーのポケットにペンダントを仕舞っていたとすれば、どこかの瞬間で落としていたとしても不思議はない。そして小蜜の言によれば、彼女は入院してから昨日以前に外出した記憶はないという。そうであれば、小蜜の存在を知る者はかなり限られてくる。だから俺は、昨日の誘拐は小蜜を狙っていたわけではなく、通り魔的犯行だと考えていた。しかしあの場にペンダントを落としたのが、犯人だった場合。あの犯人こそが小蜜の探し人だという可能性はないだろうか。住宅街で白昼堂々犯行に及んだ理由も、通り魔的犯行ではなく何かしらの動機があり小蜜を探していたから仕方なく、という方がまだしっくりくる。そうであれば、彼女に問いたい。3年以上も病院から出なかったのに、なぜ昨日は病院を抜け出したのか。……ずっと気になってはいた。しかしこの話題だけは、彼女がどこか意図的に避けているように感じられたため、ずっと聞けないでいたのだ。もしかして昨日警察に通報することを嫌がったのも、犯人が彼女の知っている人物だったからなのかもしれない。……いや、結局俺は警察に通報したし、彼女の無関心な態度からしてそれはないだろう。やはり、彼女に直接聞くしかないだろうか。
「あの、陽司くん……?」
俺が思案に耽っていると、小蜜は恐る恐るといった感じで声を掛けてきた。
「ん、どうしたの?」
「いえ、急に喋らなくなってしまったので、もしかして大変なことを頼まれて怒っているのかと思って……」
そんなに長く沈黙してしまっていたか。……色々と飛躍した考えも湧いてしまっている気がするし、いったん考えるのは後にしよう。
「怒ってなんてないから安心して。考え事をしてただけだから」
「そうなんですね、それならよかったです」
安堵の声を漏らす小蜜。するとちょうど、コンコンと病室の外側から扉を叩く音が聞こえてきた。
「水質さん、お夕飯をお持ちしました」
声と共にトレイを持った看護師が病室に入って来た。そして俺に頭を下げるとベッドテーブルにトレイを置き、困ったような表情をし始める。
「水質さん、お夕飯はやっぱり後にしましょうか?」
あ、そうか。目の見えない彼女はきっと食事にも介助が必要なのだろう。俺がいたら邪魔なのかもしれない。
「俺はそろそろ帰ります……それじゃ」
俺は棚に置いてあったカバンを手に取り、そそくさと扉へ向かった。
「え? あ、わかりました。また来てくださいね、陽司くん」
小蜜は少し残念そうにしながらそう言ってくる。そしてポケットから髪留めを取り出し、前髪を結い上げた。食事の邪魔になるからだろう。思えば前髪で隠れていない彼女の顔をちゃんと見たのは、初めてだった。やはりハーフなのだろうか、綺麗な顔立ちだった。
「……よ、陽司くん、まだいますよね……? 恥ずかしい……」
そう言うと腕で顔を覆ってしまった。
「あ、ご、ごめん! もう行くよ。また今度……!」
俺はさっさと扉を開けて病室から出て行った。ああやって隠されると、なんだか見てしまったことが悪いことのように感じられた。
(……また来てください、か)
彼女はそう言ってくれた。一度は嫌われてしまうかもと思ったが、彼女はまだ俺と友達でいてくれるらしい。
(……!)
友達。自然とその言葉が出てきたことに驚いた。そういえば、そういうものだった。友達というものは、きっかけさえあれば明確な瞬間なんて存在せず、いつの間にかなっているものなのだ。きっと彼女も、俺が彼女に抱いているのと同じ気持ちを抱いてくれている。だからきっと、また来てくださいと自然に言ってくれたのだろう。
「――ふ」
思わずと口角が上がってしまう。久しぶりにできた友達。また会う約束をしたのだから、そのときを楽しみに思ってしまうのは当然のことだろう。たったいま別れたばかりだというのに、俺はまたここに来るときのことを考えながら、病院を後にした。
読んでくれてありがとうございます!
陽司が予想しているように、小蜜は日本人と外国人のハーフです。
あと冒頭の看護師は以前出てきた看護師とは別人です。
次回5話、新たな主要キャラの登場回です!
ぜひ読んでください、よろしくお願いします!