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第3話「薔薇の庭」

 6月7日


 *


「病棟内ではこのシールを見やすい場所にお貼りください。面会時間は19時までとなっておりますので、その点お含みおきください」

「はい」

「上の階へは、そちらのエレベーターか通路の先にある非常階段をご利用ください」

「わかりました。ありがとうございます」


 受付の人にお礼を言い、すぐ横にあるエレベーターの方へ向かう。エレベーターに乗って7階のボタンを押すと、すぐにグンッと重力を感じさせながら上昇を始めた。総合病院というだけあり、平日の夕方なのにロビーはすごい人の量だったが、エレベーターの中は俺1人だけだった。静かな空間に少し安らいでいると、ポーンという音と共に7階へと到着した。エレベーターを出て壁の案内を見る。どうやら彼女のいる701号室は、通路の一番奥の部屋のようだった。通路の最奥へと歩いて行き、締め切られた701号室の扉をノックしてから、中へと入っていく。


「失礼します」


 病室の中は、こぢんまりとしたものだった。部屋の大半はベッドで埋まっており、他にはテレビの設置された床頭台と棚に、椅子が2脚あるだけ。部屋に5人も集まればいっぱいになってしまう程度の広さだ。……そんな病室のベッドの上に、彼女は座っていた。


「こんにちは、初月(はづき)です。……昨日の今日でもう来ちゃいました」

「あっ、陽司(ようじ)くん……? 来てくれたんですね……!」


 長い前髪の隙間から、少し口角を上げている彼女の顔が見えた。よかった、どうやら迷惑ではなかったらしい。


「はい、ちょっと確かめておきたいことがあったので」

「? なんですか?」


 不思議そうに首を傾げている。しかし、来て早々目的を終わらせてしまうのもなんだか急いているようだ。自分で切り出したが、俺はやはり何か別の話題を振ることにした。


「そのことは後でいいです。えーっと、まず、俺はあなたのことをなんて呼べばいいですかね? 水質(みなじち)さん、小蜜(こみち)さん……?」

「え? うーん、そうですね……私と親しくしてくれている人には、小蜜ちゃんって呼ばれてます。その他の看護師さんやお医者さんには、水質さんって呼ばれてます。……陽司くんの好きなように呼んでください」


 好きなように、か。そういえば彼女は、いつの間にか俺のことをくん付けで呼び始めている。こんな些細なことで悩むような性格だから、俺は友達を作れないのだろう。


「陽司くんは親しい人を普段はどうやって呼んでいるんですか?」


 普段……もう1か月以上碌に連絡を取っていない相手にはなるが、中学の頃の友達は普通に呼び捨てで呼んでいた。


「もしよければ、私のこともそうやって呼んでください。親しくしてくれる人は、少ないですから」


(親しくしてくれる人、か……)


「友達が面会に来るんですか? それとも、入院患者さんに親しい人が?」


 当然俺は彼女の交友関係を微塵も知らない。友人や家族が面会に来てくれているなら、その人達からすれば俺はきっと不審な存在になってしまうのではなかろうか。


「面会に来る人も親しい患者さんもいません。親しくしてくれる人というのは、何人かの看護師さんと、窓辺先生……お医者さんだけです」

「ああ、そうだったんですか」


 どうやら俺と同じで友達がいないらしい。しかし……誰も面会に来ないということは、親も来てくれないということだろうか。気になる部分ではあるが、流石に出会って2日で聞いていい内容ではないだろう。


「俺は友達のことは呼び捨てで呼んでましたね。でもそれだと小蜜って呼び捨てることになっちゃいますし……」

「ふふ、私は呼び捨てでも構いませんよ。いままでそうやって、私のことを呼び捨てで呼んでくれる人は、いな――」


 ……かった? 彼女はそこまで言い終えることなく、言葉を止めてしまった。


「? どうしました?」


 フリーズしてしまった彼女に声を掛けてみる。


「あっ、いえ、何でもないんです。ただ昔、私のことを呼び捨てで呼ぶ人がいたような気がして……。でも、よく思い出せません」


 そういうことか。そりゃ昔誰がなんて自分のことを呼んでいたかなんて、いちいち覚えているわけがない。昔というのがどれほど昔なのかにもよるだろうけれど。


「まあそれなら、いまからは小蜜って呼んでいいですかね?」

「はい、それで構いません。これからよろしくお願いしますね、陽司くんっ」


 そう言いながら俺に優しい笑顔を向けてくる。長い前髪の隙間から覗く笑顔は、俺には宝石のようにキラキラと輝いているように感じられた。



 *



 それからしばらく、俺達は自身のことについて話し合った。といっても、ほとんど俺が一方的に話し続けることになってしまったのだが。というのも、小蜜は昨日自分の年齢すら把握していなかったように、自身の生い立ちについても全然解してはいなかった。それ以前に、一般常識や普通の人なら知っていて当然のことすら、彼女はほとんど知らなかった。それについては盲目や隻腕、長い入院生活という事情があるため仕方のないことではある。だから一番の問題は、まさにいま彼女が入院している理由そのものでもある、記憶障害だった。


 彼女は入院するより前のことを、()()()何も覚えていないという。恐らくというのも、彼女に記憶障害があることは間違いないのだが、光のない世界で生きてきた彼女には、記憶の中にある真っ暗な景色全てが、いつ、どこのものなのか……現実なのか、夢なのか。全てが曖昧模糊であり、小蜜が説明できない以上、医者ですらそれらの記憶を分別することができないでいるらしい。


「そうだったんだ……何か手掛かりになるようなことがあれば……。あ、そうだ」


 話を聞き終えたとき、ふと思い出した。今日ここに来た目的。話していてすっかり忘れていたが、誘拐現場付近で拾った薔薇のペンダントを持って来ているのだった。小蜜の口からそれに関する話が一切出なかった以上彼女の物ではない可能性は高いだろうが、一応確認しておこう。鞄からペンダントを取り出して、彼女の右手にポトッと落とす。昨日超音波洗浄機でピカピカにしておいたため、もう汚れてはいない。


「? これは?」

「昨日俺達が会った場所の近くで拾ったんだ。もしかして小蜜が落とした物なんじゃないかと」


 彼女は手のひらの上で、コロコロとペンダントを転がしている。


「これは……薔薇、でしょうか」


 そして指先でペンダントトップの造形に触れ、そう尋ねてくる。


「! よくわかったね。ということはもしかして、これは小蜜の……?」


 触っただけで何の花かまでわかるのなら、彼女の物で間違いない。そう思ったのだが。


「いえ、私の物というわけではありません。ただ、薔薇のペンダント……どこかで……」

「……?」


 なにやら考え込んでいる。どこかで似たような物に触れたことがあるのだろうか。このペンダントについては俺も軽く調べたが、どこの製品かはわからなかった。恐らく特注の物なのか、日本では知られていない物なのだろう。


(あ、そういえば)


 ペンダントトップの裏に刻まれていた文字。よくある単語の組み合わせのため調べても何なのか特定することはできなかったが、わかる人にはわかる言葉なのかもしれない。


「ペンダントの裏側には『Rose Garden』って彫られてて。もしかしたら海外の地名とかブランド名とか……何か思い当たるものはない?」


「ローズ、ガーデン……薔薇の庭……? どこかで……いや、誰かに……?」


 もしかして本当にこのペンダントは小蜜の記憶に関係する物だったのだろうか。彼女の反応を見る限り、どうやら何かを知っている。いや、何かを思い出そうとしている。……しかし、どうやらいますぐ何かを思い出すことができるという様子には見えない。それなら。


「そのペンダントはとりあえず小蜜に預けておくよ。小蜜の物ではないにしても、持ち主も現状わからないし。小蜜が何か思い出すことができたら、持ち主もわかるかも」


 ペンダントがそれなりに高価な物なのは間違いないし、本当は警察に届けるべきだろう。しかし、昨日の通報のこともあるし警察にあらぬ疑いを掛けられたら堪らない。それなら、持ち主を知っているかもしれない小蜜に預ける方がいいと思った。


「え? ()()()?」

「……? うん。あくまで本当の持ち主が見つかるまでだけどね」


 一瞬覚えた違和感。それは彼女の嬉しそうな声色で、一度は心の奥底に押し込められた。しかし。


「昨日はくれないって言ったのに。どうして?」

「昨日……? ちょっと、よくわからないんだけ、ど……?」


 再び沸き起こる違和感。いや、違和感ではない。俺は昨日小蜜と別れた後にペンダントを拾ったのだから、小蜜とペンダントの話をしたはずがない。違和感というより、異変と表現する方が適切かもしれない。


「言ったでしょ、家で」

「……あれ? 私の、家……?」

「うぅ……私の家……どこ? いつ……?」

「昨日は……病院の外で陽司くんに会って……病院を抜け出して……」

「……? ああ……そうだ、お母さんに……!」

「い、いや……。はぁ、はぁっ……よ、よう……っ!」

「! 小蜜っ!」


 慌てて手のひらを開かせる。ペンダントを握り締めるその手から、血が滴っていた。


「あぁっ……はぁっ……!」


 ペンダントを取り上げて、代わりにタオルを掴ませる。状況はわからないが、まずは看護師を呼ばなければ。俺は病室内を見回した。


(ナースコール……これか!)


 ベッドの上に転がっていたナースコールを掴んでボタンを押し、再びベッドに放り投げる。そして荒い呼吸を続ける彼女の背中をさすってやった。落ち着かないと怪我の手当てもできないだろう。


「小蜜……」


 こんなときに何をすればいいのかも、なんて声を掛ければいいのかも。俺は全くわからなかった。とにかくこうして寄り添って、小蜜が落ち着くように祈ることしか、俺にはできなかった。

読んでくれてありがとうございます!

シナリオ的には次回4話までが導入部分と言えるかもしれません。

よかったら読んでください!

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