第17話「初月家-⑤決まり」
6月25日
*
「……ん」
目を覚まし、視界に広がる天井がいつもと違うことに一瞬混乱する。しかしすぐに自分が実家に帰って来ていたことを思い出した。スマホを見ると、時刻は朝の8時過ぎ。昨夜は遅くとも10時には眠りに落ちていたはずだから、かなりの時間寝てしまったようだ。
「んー……」
布団から起き上がって体を伸ばし、部屋を出る。父と垂はもう起きているだろうか。確認するべく、顔を洗ってから2階のダイニングへと向かう。ダイニングのテーブルには、ラップを被せられた料理が並べられていた。どうやら父は既に起きているらしい。ダイニングの横にある作業場に行ってみると、父はそこにいた。
「お、やっと起きたか。朝ご飯は用意してあるから、自分で温めて食べてくれ」
「うん、わかった」
「……あ、そうだ陽司。いまのうちにアレを渡しておくか」
「アレ……? ……ああ、そうだね。ちょうどいいや」
俺は父に頼んでいたある物を受け取ってから、作業場を後にした。
*
いったん自室に戻り再びダイニングへ向かおうと廊下を歩いていると、ちょうど通り掛かった一室の扉が開かれた。
「あ、おはよう」
どうやら垂もちょうど目を覚ましたようだ。
「……おはよう……洗面所借りていい?」
「うん。朝ご飯できてるから食べようか」
「ええ、わかったわ……」
まだ眠そうにしている垂と別れ、俺は一足先にダイニングへ。そしてテーブルの上の料理を電子レンジで温めていると、垂もダイニングにやってきた。
「あ、私のも温めてくれてるの? ありがと。……これも全部お父さんの手作り?」
ご飯とみそ汁、目玉焼きとレタスの炒め物。内容は質素だが、朝食としてはこれくらいがちょうどいい。
「うん。俺は料理できないからね」
温め終わった料理のラップを外し、テーブルに並べていく。
「そうなのね。私の分まで作ってもらっちゃって……」
「垂はお客さんなんだから。泊まりに来てるって意味でも、買い物に来てるって意味でもさ。だから気にしないでいいよ」
むしろ俺の方が父に甘えすぎている気がする。片付けくらいは1人でしっかりやっておくか。
「……よし、全部温めたから食べよっか」
「そうね。それじゃあ、いただきます」
「……いただきます」
きちんと手を合わせて挨拶をする垂に倣い、俺も朝ご飯に手を付け始めた。
*
「ごちそうさまでした」
俺が食べ終わってから少しして、垂も朝食を食べ終わった。
「片付けとくから、垂は父さんのところに行って小米のプレゼントを早く決めてきなよ」
「え、でも……昨晩も全部任せちゃったし、私も手伝うわ。一緒にやった方が効率いいでしょ?」
「……それもそうだね。じゃ、ささっと終わらせよっか」
2人で食器を台所まで運び、分担して片付けていく。食器の収納位置は当然ながら垂は知らないため、最後は俺が1人で食器を戻していく。昨夜と異なり2人分の食器しかないため、片付けはあっという間に終わった。
「よし、終わり! とりあえず父さんのところに行ってみよう」
「ええ。いまはお仕事中なの?」
「さあ、どうだろ? 仕事と趣味がイコールみたいな人だから、俺もよくわかんない」
まあ何をしているにしても、垂の用件を優先してくれるだろう。ダイニングを出て隣の作業場へ。父は先ほどと変わらずそこで椅子に座り、何やら雑誌を読んでいるところだった。
「ん、2人とももう朝ご飯食べ終わったのか? なら氷柄さん、昨日の説明の続きをしてもいいかな?」
「はい、よろしくお願いします!」
「じゃあダイニングで待ってて。あっちの方が冷房効くからね」
椅子から立ち上がって机の上を整理し始める父と、作業場から出ていく垂。さて、俺はこれからどうしようか。小米のプレゼントはあくまで垂が決めて垂が贈る物なのであって、俺はプレゼント選びに直接的には関係ないわけだが……。
「陽司、これ持っていって」
そう言って父が差し出してきた物は、昨日垂と共に眺めていたチェーンやペンダントだった。
「ん、わかった」
プレゼント選びに関係なくとも、別に同席してはいけないわけではない。俺はダイニングに移動してテーブルの上にチェーン類を置き、とりあえず垂の隣に座った。
「お父さんは?」
「さあ。そのうち来ると思うけど」
父はすぐダイニングにやって来た。その手には小さな四角いケースが乗せられている。
「はい。これがアレキサンドライトの裸石。そんなに品質がいいわけではないけど、それでも天然石、本物だよ」
垂の前に置かれた小さなルースケース。その中には、雫型の直径7ミリほどの青い石。肉眼でも少し形が歪なのがわかるが、それでも本物は本物だ。
「昨日はペンダントの方のデザインしか見なかったけど、今日は嵌める石も踏まえて考えてみて」
「へぇ……これ、本物の宝石なんですよね」
テーブルに置かれた裸石をしげしげと眺めている。やはり宝石に関心のない人からすると物珍しさがあるらしい。俺は父のコレクションなんかでいろいろ見たことがあるため、特にリアクションは示さなかった。
「ゆっくり考えていいからね。わからないこととか質問とかあったらなんでも聞いてくれて構わないよ」
「はい、ありがとうございます」
そうしてテーブルの上に並べたペンダントを見比べながら、垂はプレゼント選びを始めた。
*
それから十数分。垂は父とも相談しながらじっくりと考え込んでいた。俺も何となくその場にいることにしたが、流石にそろそろ退屈だと思い始めたとき。
「……決めました、やっぱりこれでお願いします!」
どうやらようやく決まったらしい。垂の選んだ物は、銀色のチェーンに余分な意匠のないペンダントトップという一番シンプルなデザイン同士の組み合わせだった。
「これ、どうかな……?」
まだ繋がっていないチェーンとペンダントを両手で掲げて俺に見せてくる。
「うん、いいと思う。それが一番小米に合ってるんじゃないかな」
溌溂とした性格の小米には、豪華な意匠のジュエリーよりもこういったシンプルなアクセサリーの方がきっと似合うだろう。
「そ、そうよね! きっと小米、喜んでくれるわよね……?」
「うん。垂が選んだプレゼントなんだし、喜んでくれると思うよ」
月並みな返答だが、実際小米が喜んでいるところがありありと目に浮かぶ。垂が贈るものであれば、余程変な物でない限り飛び跳ねて喜びそうだ。
「これで決定でいいんだね? それなら仕上げに石留めとかをするから、完成まで多めに見て大体1時間くらい、待っててくれるかな」
「わかりました。よろしくお願いします」
垂から受け取ったペンダントとルースを持って、父はダイニングを出て行った。いまから1時間。何もすることはないが、まあ1時間くらいなら喋っていればあっという間に過ぎてしまうだろう。
「ねえねえ、外行かない?」
「え? いまから?」
外出など全く考えていなかった俺とは裏腹に、どうやら垂は外に行きたいらしい。だけどそろそろ外は暑くなってくる時間帯だ。それに、この家は山に建っているため周囲は坂道ばかり。暑い上に坂道という最悪な条件なのに、冷房の効いているこの部屋から出て散策するなんて、正直全く気が進まない。
「せっかくここまで来たんだもん。周りがどんなところなのか見てみたいのよ」
「えー……」
俺が露骨に嫌そうな態度を取ると、垂はむくれたような表情をして椅子から立ち上がった。
「あっそうですか、じゃあもういいですぅ、もう私1人で行きますぅー!」
「あ、ちょっと……」
引き留めようとようとする俺を無視して、垂はダイニングを出ていってしまった。……外はまだ猛暑というほどの気温ではないが、それでも仲夏の暑さを舐めてはいけない。それに、周辺には崖のようになっている場所もある。流石に落ちたりはしないだろうが、それでもこの土地に初めて訪れた彼女は当然土地勘がないし、1人で出歩かせるのは少し心配だ。
「……はぁ」
溜め息を吐いてから、俺は椅子から立ち上がった。
「垂、待って! 俺もやっぱり一緒に行くよ」
小蜜のことや運転のこと、そして俺の母のこと……垂にはいろいろと助けてもらっている。暑い中外を出歩くことくらい、付き合ってやってもいいだろう。俺は駆け足で階段を上り、ちょうど玄関を出ようとしていた垂に追いついた。
「ふふ、私もっと上の方に行ってみたいわ」
「……はいはい、案内しますよ」
垂は面倒臭そうにする俺の態度を意にも介さない。俺も靴を履き、彼女に続いて熱気に包まれた外へと踏み出した。
読んでくれてありがとうございます!
初月家の朝食にリンゴが加われば、うちの実家の朝食の完成です。作者は幼少期からリンゴを食べさせられすぎてリンゴが嫌いです。
次回、新キャラが登場します。ぜひ読んでくださいね!