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第16話「初月家-④母のこと」

 名前は初月夕希(ゆうき)。享年は34、亡くなる前の職業は医者。……俺の知っている母の情報は、本当にそのくらい。俺が3歳のときに事故で亡くなったうえ、写真すら残っていないため顔もわからない。母について全くの無関心だったわけではない。ただ何となく、そのうち父から聞かされることもあるだろうと思い、自分から聞くことをしなかったのだ。


「あいつと出会ったのは……俺が28、あいつが26のときだな。俺がまだ商店街の一角で店を開いてたとき、あいつは店にやってきた」

「へえ、そのときはまだここじゃなかったんだ」

「ああ、ここを建てたのはお前が生まれた頃だから。母さんは殆どここでは過ごしてないな」

「お店に来たってことは、奥さんもジュエリーとかが好きな方だったんですか?」

「いいや、あいつはそういうのに興味なかったよ。俺の店に来たのも、知り合いの出産を見越してのプレゼント探しって話だったからな。……そういえば、それを聞いて俺も得心が行ったんだった」

「得心が行った? どういうこと?」

「ああ、それはな……あんなジュエリーなんて似合わなそうな奴が、俺の小さなジュエリーショップに来る意味がわからなかったからだよ。はははっ」

「……?」


 愉快そうに笑っているが、聞いている側は理解しかねる。曲がりなりにもジュエラーが、客に対してそんな不躾な心持ちでいいのかと言いたくなる。それも将来の結婚相手に対して。(しずり)の様子を見ても、俺と同様訝しむような表情をしている。そんな俺達の様子に気付いたのか、父は補足し始めた。


「……えっとだな。まず俺の持論みたいなものだが、ジュエリーは身に着けることでその人をより美しく、より気品を増すことができると思ってる。そんなジュエリーを取り扱ってる店に来るにしては、あいつは何というか……気品なんて全く感じさせないナリだったんだ。自分を着飾ったりせず、ジュエリーなんて無縁でいままでずっと真面目に生きてきたんだろうなっていうのが、一目でわかった。……俺以外の人からすれば、あいつは街を行き交う有象無象の1人でしかなかったかもしれない。だけど俺からすれば、あいつは他の女性とは違った。……特別に感じたんだ」


 うんうんと頷き自分で納得した様子の父。……ジュエラーだからこそ、ジュエリーと無縁の人間を特別に感じた、ということだろうか。俺からすれば、むしろ自身のデザインしたアクセサリーが似合う人の方を好きになりそうだと思ってしまうが。


「結局その日、あいつはブローチを1つ買って帰っていった。……それから1カ月くらい経ったときだったかな。あいつは再び俺の店にやって来たんだ。以前と同様楽しそうな様子は微塵もなかったが、それでも俺の作ったアクセサリーに興味を持ってくれたのかもしれないと少し期待もした。だけど実際はそうじゃなかった」


 そこで父は少し声のトーンを落とした。


「あいつの知り合いだった妊婦さん、もともと体が弱かったせいか赤ん坊が流れてしまったらしくてな。そうなれば当然、出産祝いに用意したブローチなんて不要になる。あいつ自身が身に付けることもないし、扱いに困ったから俺のところに返しに来たんだと」

「……」


 いきなり重い話だった。俺にはまだ出産や子供云々の話など理解できないが、祝い事が一転して最悪の結末を迎えたのだ。祝いの品など手に余るというのも頷ける。


「俺の想定した理由とは大きく異なっていたが、それでもあいつがまた店に来てくれたチャンスだけは逃すまいと思って、とりあえず話を聞いてみることにした。あのときのあいつは、悲しいとか可哀そうとかそういった感情ではなく、ただただ困惑しているといった様子だった。祝ってほしいと言われたから用意したプレゼントだったが……祝い事が不幸に塗り替えられてしまったため、祝いの品が必要なくなったというのは理解した。だから不幸を早く忘れられるように慰めの品ということにして贈ったところ、それは床に叩き付けられ、自分には声にならない罵声が浴びせられた。自分は何か間違っていたのだろうかと、本気で困惑していた」

「え……つまり、出産祝いに買ったブローチを、流産した相手に贈ったってこと?」

「そう。あいつに悪意は全くなかったが、それでも人として配慮に欠けた行動だと俺も思った。だから、どうしてそんな行動を取ったのか知るために色々話を聞いてみたところ、あいつの生い立ちを聞いて多少は納得したよ。……あいつは医者の家系の人間でね。よくある話だが、医者は自分の子供を医者にしようとするだろう? あいつもその例に漏れず、医者になるための勉強、生き方を小さな頃から強要されてきたようだった。そこには当然愛情のようなものはなく、他人とまともな交友関係を持つ機会もなかったそうだ」

「それで、人の気持ちがわからないような人になったってこと……?」


 少し棘のある言い方になってしまったが、事実だからと思わず口を衝いてしまった。


「……まあ、そういうこと。それでも俺と一緒にいるようになってから、あいつも次第に変わっていった。あの日、俺はなんとかあいつと連絡先を交換してな。初めは単に俺が好意を寄せてたから時間の空いたときに店に来てもらうだけだった。だけど次第に休日なんかはあいつから来てくれるようになってな。俺が作業している音を聞きながら本を読んだり勉強したりすると、捗るんだとか。そんな関係が2年くらい続いたある日、あいつは突然俺に相談をしてきた。なんでも、さっき話したあいつの知り合いが再び妊娠して、今度は帝王切開してでも確実に子供を出産することになったと。あいつが壊してしまった知り合いとの関係は2年掛けて修復されたが、だからこそ今度は壊さないためにどうしたらいいのかわからない、ってな」

「相談を受けた俺は、そうやって悩んでいることこそあいつが2年掛けて変わったことの証だと思った。壊したくない関係を築くことができたからこそ悩んでいるわけだし、以前の行動をなぞれば関係性を壊してしまうことをあいつはわかっていた。なら、そこから先を悩むのは人として当然のことだろう? だから俺は敢えて何も助言はしなかった。……珍しく不安そうな顔をしているあいつを、つい眺めていたくなっただけというのもあるが」

「……その後はあいつなりにいろいろ考えて行動してな。前回拒絶されたブローチを修理したり、生まれた子が女の子だったときに贈るための髪留めやら男の子だったときに送るためのネックレスやら、とにかく俺もいろいろ作らされたよ。何にしても……あいつの願いによってか母親の願いによってか、今度は母子無事に出産を終えることができた。……ふっ、そしたらなぜだか俺もめちゃくちゃ感謝されてな。それ以降だろうな、俺達が恋人と言えるような関係になったのは。いまでも早とちりだと思うが、あいつもなまじ医者で羽振りがよくてなぁ。婚姻届け出してすぐにローンを組んでここに家を建てたんだ。店を続けるならこっちの方がいいってな。……それから少しして、陽司。お前が生まれたんだ。……ただ」


 ここまでダイジェストともいえるペースで話していた父だったが、いったん一呼吸置いた。


「……ただ、この頃からあいつは仕事の方がめちゃくちゃ忙しくなってな。前々から社会的地位も何もない俺と結婚するってなって親や病院と揉めてたみたいだったし、あいつの様子もずっとおかしかったんだ。……俺はそれに気付いていたうえで、あいつを強い人間だと決め付けて、あいつの事情に踏み入ることをしなかった」


 父は頭を押さえて俯いた。


「お前が生まれてからの3年ほど、せっかく建てたこの家にもあいつはほとんど帰って来なかった。そしてお前が3歳のときの冬、あいつは仕事で向かった海外で事故に遭って……とうとうここに帰って来ることは、できなくなってしまった」

「…………」


 そのまま父は黙ってしまう。俺も発言に窮した。父が話したかったことは、きっとそれで全てなのだろう。いまの話で母のことが理解できたかと問われれば、正直できたとは言い難い。結局人物像すらよくわからなかった。


「……父さん。どうして母さんの写真はないの?」


 ずっと抱いていた疑問。どうして母の写真すら処分してしまったのか。可能性として不仲になってしまったのかもしれないと考えていたが、話を聞く限りどうやらそういうわけではなさそうだった。


「……ああ、それはあいつの要望だよ。もともと写真を撮られるのを嫌がる性格だったからな。死んで自分がいなくなったあと、写真で一方的に見られるのは気持ち悪いんだとか」

「そうなんだ……」


 それはなんとなくわかる気がする。自分の支配の及ばないところで写真が出回っているのは、気持ちが悪いだろう。……そう思うのは、俺が血を引いた息子だからなのだろうか。何にしても、夫婦仲が悪かったとかの事情ではなかったことに、なぜだか少しほっとした。父の話が終わって所在なくなり、無意識に時計を見る。時刻は午後9時前。明日も早いしそろそろ寝る準備をし始めてもいい時間帯だろう。


 そういえば垂がずっと黙っていることに気付き、彼女の方を見る。テーブルを挟んで俺の向かい側に座っている彼女は、いまにもテーブルに向かってバタンと倒れてしまいそうなくらい、うつらうつらとしていた。流石に今日の疲れが溜まっているのだろう。


「垂、大丈夫?」

「……? ……! ご、ごめんなさい! 私、いつの間に……!」


 声を掛けると、垂はゆらゆらと目の焦点が合わないままに父に謝った。


「いや、いいんだよ。こちらこそ疲れてる中話を聞かせてしまって悪かったね。……今日はもう休んだ方がいい。明日帰らなきゃいけないんだしね」

「い、いえ……私の方から聞いておいて、勝手に寝ちゃうなんて……」


 なおも申し訳なさそうにしている垂。確かに彼女が父に尋ねたことではあるが、実際彼女とは何の関係もない話だったし、眠くなってしまうのも仕方ないだろう。


「陽司、氷柄(ひから)さんを寝室に連れて行ってあげて」

「え、俺が?」


 部屋の場所は既に伝えてあるし、1人で行けると思うのだが……。


「え、じゃない。あと、氷柄さんにお礼も言いなさい」

「お礼?」

「お前が母さんのことを聞けないでいるって知ってたから、初対面の俺にがんばって聞いてくれたんだ。そうだろう?」

「えっ……ま、まぁ、はい……」


 垂は父からも俺からも目を逸らしながら、居心地悪そうに肯定する。……俺のために聞いてくれたのか。確かに、彼女が俺の母のことを知ろうとする理由はない。こうして彼女が機会を作ってくれなかったら、俺は一生聞けずにいたかもしれない。


「……わかった。垂、立てる?」


 俺は椅子から立ち上がり、垂の横へ。


「う、うん。ありがとう」


 ゆっくりと椅子から立ち上がって付いてくる垂は、トランプをする前に話していたことを覚えていないのか、結局父に挨拶をすることなくダイニングを出た。


「ん?」


 階段を上ろうとすると、服の裾を掴まれたため振り返る。


「……眠い」


 そう言って目を瞑る垂。どうやら寝室までこの状態で連れて行ってほしいらしい。躓いたら危ないし、普通にしていてほしいが……仕方ない。


「はいはい、行こっか」


 俺は裾を掴んでくる垂の右手をぎゅっと握り、階段に足を掛けた。


「あっ、て、手……!」


 後ろから慌てる声が聞こえてくるが、俺も少し恥ずかしいので彼女の手を掴んだまま振り返ることなくさっさと階段を上がり始める。


「……ねぇ、お風呂どうだった?」


 階段を上り切った辺りで、唐突に尋ねてきた。いつの間にか俺の手を握り返してきていた彼女の手は、なんだか熱く感じられた。


「風呂? どうって?」

「……いや、私の家のお風呂より全然大きいなぁと思って」

「へぇ、そうなんだ。確かにアパートと比べても広くて使いやすくはあるかな」

「今日は……湯船に浸かったの?」

「……? うん、まぁ」

「そ、そうなんだ、ふぅん。……気持ちよかったわ、大きいし温かくて」


 アパートではわざわざ湯舟など使わないため、久しぶりに入る湯舟は気持ちよかったが……。


(いったいなんなんだ……?)


 垂の言動の意図が読めないまま、彼女に用意された部屋の前まで来た。そこでようやく彼女の手を離す。


「はい、着いたよ」

「うん、ありがとう」

「いや、俺の方こそ……さっきはありがとう。多分俺、自分では母さんのこと絶対聞けないままだったよ。垂のお陰で、ちゃんと父さんから聞くことができた」


 なんとも言わされてる感が否めないお礼だが、気恥ずかしいのでこれで勘弁してほしい。


「いいのよ、お礼なんて。私だって本当に知りたいって思ったんだもん」

「そ、そうなんだ」 

「……」

「……」


 何だか会話が続かない。俺も夜だから頭が回っていないのかもしれない。今日は俺も早いところ寝てしまおう。


「それじゃ、もう寝るかな」

「うん、お休みなさい。また明日ね」

「お休みなさい。明日も……明日からもよろしく」


 軽く手を振って部屋に入っていく垂を見届けてから、俺も自分の部屋へと向かった。

読んでくれてありがとうございます!

今回はセリフが長くて読みにくかったと思います、申し訳ありません!


そういえば、この作品は2023年を舞台にしており、祝日やら日の入りの時間やらは2023年に合わせてます。


17話以降もよろしくお願いします!

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