第10話「初対面」
6月19日
*
週明けの月曜日。夏休みがあと1カ月ほど先にまで迫ってきていることが嬉しい反面、期末試験があるため憂鬱な気分にもなる。試験がある以上授業はきちんと聞いておきたいだが、月曜日のやる気の出なさに抗うのも難しかった。適度に集中したりぼーっとしたりしながら授業を受け、ようやく午前中の授業が終わって昼休みが訪れた。教科書類を片付け、財布を持って教室を出る。購買へ向かう生徒の波に身を任せて俺も購買へ向かい、そこで適当にかつサンドを買って教室の前まで戻ってきた。
「垂」
この前は扉の前で教室の中の様子を窺っていた彼女だったが、今日は廊下のベンチに座って待っていた。
「あ、初月くん」
俺が声を掛けると、彼女もこちらに気付いて軽く手を振ってきた。俺も手を振り返して彼女の隣に腰を下ろす。
「やっぱりまた購買なのね」
たったいま買ってきたかつサンドを見ながら、少し呆れたような様子で言ってくる。
「自分で作るの面倒だし、そもそも料理なんてできないから」
かつサンドを開封しながら答える。垂の方は今日も弁当を持参してきており、膝の上に弁当箱を乗せていた。
「それだけで足りなくないの? お弁当、少し分けたげようか?」
弁当箱を開け、箸でいくつか具材を選り分けようとする垂。
「いや、大丈夫。垂に悪いし、あと箸もないから」
なんだか、異性に弁当を分けてもらうのは友達という関係を越えているような気がした。彼女にはそういう考えはないのだろうか。
「あ、確かに素手で食べてもらうのも悪いわね。でも足りないでしょ? 今度は素手で食べられるものも入れてくれるようお母さんに頼んでみる」
そう言うと彼女は弁当に手を付け始めた。俺もかつサンドを食べ始める。
「それじゃ垂のお母さんに悪いよ。小米の分だって作ってるんじゃないの?」
娘2人分の弁当を作るのは大変だろうに、赤の他人の俺に分けるためにメニューを変えさせるなんて、流石にお願いできない。
「小米は自分のお弁当は毎朝お母さんと一緒に作ってるのよ。でもそうね……私、お母さんに任せっきりで……はぁ」
溜め息を吐いて下を向くが、しかしすぐに顔を上げた。
「よし、私もちゃんと早起きして一緒にお弁当を作るわ。それなら初月くんにわける分も作れるし……少しでも、お母さんに恩を返さなきゃ」
パクパクと具材を口に放り込みながら、なにやら決心を固めた様子だった。正直なところ、購買のパン一品くらいではもの足りないというのが本音だ。しかしだからといって、垂にタダでわけてもらうのは申し訳ない。
「本当に足りなかったら自分で買うから、わざわざ俺にわけるために作って来たりしなくていいからね?」
「そう? なら、それでも足りなかったときはわけてあげる。友達ならお弁当のわけ合いくらいするしょう?」
「んー……そうだね。ありがとう」
弁当のわけ合いというのは女子の間だけの文化のように思えるが、彼女の厚意に一応お礼を言っておくことにした。
「それはそうと、初月くん。今日の放課後はどうするの?」
「……ああ、そうだった」
そういえばその話をするのを忘れていた。先週垂とは連絡先を交換して、土日もやりとりをしていた。そしてその際、詳しい事情は伏せているが小蜜のこともある程度伝えておいたのだ。彼女も俺以外の同年代と交流がないようだし、可能なら垂と友達になってほしいと思って2人を会わせてみることにしたのだった。小蜜の方にもこの前会いに行った際に、垂という友達ができたことは話してある。
「今日は雨も降らなさそうだし、学校が終わったら行ってみようか」
先週の帰りは話しながら歩いたため移動に時間が掛かったが、急ぎで直接病院へ向かえば着くのが遅くなることはなさそうだった。
「わかったわ。……盲目でずっと入院してるだなんて、昔の私よりずっと大変そうね。仲良くなって、何か力になってあげられたらいいんだけど」
弁当を食べる手を止め、少しの間考えこむ垂。
(……何か力に、か)
垂にはまだ小蜜と人探しをしていることは話していない。俺は未だに小蜜と最初に出会った住宅街を調査しているが、ペンダントの持ち主に繋がるような手掛かりは何も見つけられていなかった。もしかしたら、ペンダントの持ち主はあの住宅街の住人ではないのかもしれない。そうである場合、調査範囲は際限がなくなる。範囲を広げるのであれば、協力者がいるに越したことはないのだが……。果たして、それを彼女にお願いしてもいいのだろうか。あくまで俺は、垂と小蜜が友達になれればいいと思っただけだ。俺の都合で人探しの協力までお願いするのは、身勝手なのではないだろうか。
「……会いに行ってあげるだけで、十分喜んでくれると思うよ」
嘘を吐いているわけではない。小蜜はきっとそれで十分喜んでくれると思うし、終わりの見えない人探しに垂を巻き込むのはどうしても気が引けた。だから俺は、そのことについて垂に伝えることができなかった。
*
その日の放課後。
「ふぅ、やっと着いたわね……」
学校を出発してから殆ど会話をすることなく駅へ向かい、今回は俺も電車に乗って四枝狩総合病院前駅までやってきた。“病院前”と駅名に付いている割に病院までは少し距離があるため、駅からまた少し歩いて、ようやく四枝狩総合病院まで到着した。結構急いで来たため、俺が放課後1人で来たときと変わらないくらいの時間で病院までやってくることができた。
「大丈夫? 体調悪くなったりしてない?」
「はぁ、だ、大丈夫。でもちょっと……頭痛が」
「ほんとに大丈夫……? ほら、とりあえずこれ」
預かっていた鞄からお茶を取り出し、手渡す。
「ありがとう。鞄はもう自分で持つわ」
「いや、俺が持つよ。病院の中は涼しいだろうし、いったんロビーで休もうか」
2人で正面玄関から病院の中に入る。そしてロビーで10分ほど涼んでから、受付で面会の手続きを済ませて入院病棟へ。そのままエレベーターで7階まで上がり、通路を進んで一番奥の病室――701号室の前までやってきた。
「あ、待って……緊張するわ」
扉をノックしようとする俺を止め、深呼吸をする垂。
「別に怖い子じゃないし、そんな硬くならなくて大丈夫だと思うけど」
「そうだとしても……いや、いい子なら余計に緊張するのよ……。噛んじゃったりするかも」
別に面接でも何でもないんだから、噛んだって何の問題もないだろうに。俺はさっさと扉をノックして、慌てる垂を無視して病室の中へと入った。
「こんにちは、初月です」
「……あ、陽司くん? こんにちは」
俺を認識すると、小蜜は少し笑って挨拶を返してきた。
「今日はこの前話した友達を連れて来たんだ。……ほらっ」
垂に自己紹介するように促す。緊張した面持ちだが、果たしてうまくできるだろうか。
「……わ、私は初月くんの友達の、氷柄垂です。……以後、おみひりおきお」
(……最後舌が回ってなかったな、ドンマイ)
「え? えと、水質小蜜です。よろしくお願いします……?」
垂の自己紹介を聞き取れなかったのか、若干不思議そうに挨拶を返す小蜜。
「……垂、目が見えない小蜜に“お見知りおきを”っていうのはどうなんだろう? ちょっと噛んでたし」
噛んだ部分を復唱しつつ、少しからかってみた。
「えっ……だ、だって、だってぇ……!」
俺に何かを訴えようとして、しかしそのまましゃがみ込んで小さくなってしまった。そんなにショックを受けるほど真剣だったのか。……そういえば俺と初めて話したときも若干どもってたし、どうやら初対面で話すのが相当苦手らしい。
「ごめん小蜜。初対面で緊張してるみたい。……ほら垂、立って」
仕方ないので代わりに紹介してやろうと思ったのだが、しゃがんみ込んだまま立ち上がってくれない。どうやら俺が思ったよりダメージが大きそうだ。……俺が余計なことを言ったせいだろうか。
「垂さん?」
俺が若干申し訳なく思い始めたとき、小蜜が垂の名前を呼んだ。そして右手を俺達の方へと彷徨わせてくる。
「――あっ」
しゃがんだままの垂の手を取り、小蜜の右手の元に無理やり引き合わせた。垂の細い手を、小蜜の更に細い手が優しく握る。自分の手を握っているのが小蜜のものだと気付いたのか、垂はようやくのそりと立ち上がった。
「手、あったかい……。垂さん、私、垂さんとも仲良くなりたいです。せっかくこんなところまで来てくれたんですから。これきりでもう会えないのは……私、寂しいです」
「……!」
小蜜の言葉を受け、垂も恐る恐るといった感じではあるが、空いている方の手で小蜜の右手を包み返した。
「わ、私なんかでよければっ! 小蜜さんと、仲良くなりたいです! 絶対に、また来ますから……!」
落ち込んでいた垂の顔に笑顔が戻ってくる。
……よかった。この感じならきっと、2人とも前向きにやっていけそうだ。
読んでくれてありがとうございます!
垂は汗掻けないうえに平熱も高いという設定。
最近の猛暑じゃきっとすぐ干からびてしまうでしょうね。