7.坂出良太②
≪エイデアス 530/4/7(月) 9:26≫
アンナは受付カウンター奥の事務机で、一向に書き進まない書類と睨めっこしたまま固まっていた。時折、聖女、魂などブツブツ口から零れ落ちたが、それでも書類にそれらの文字が書き記されることはない。
昨日ユウがしでかした、いや、成し遂げたことの報告書を律儀に作ろうとするも、どう書こうとも嘘にしか見えなくなるのだ。
「異世界から聖女が来て祈りの力で全ての魂を救済した。こんなの誰も信じるわけないし、それなら異世界ってのは無しにして通りすがりの聖女が、って、通りすがりの聖女って何よ?聖女は歴史上でも一人しか居ないのに!はー、こんな状況で報告書なんて作ってられないわよ!まったく!!」
とうとう爆発を起こしたアンナの堪忍袋。思いっきり払った手で白紙の報告書が宙を舞い、床に静かに落下する。
せめて気晴らしに掃除でもできれば良かったのだろうが、それも昨日ユウによって片付けられていた。
報告書を拾おうともせず、アンナは机に天日干し海藻のように突っ伏する。
(このまま何も考えずに1時間くらい力を抜いていたい……)
朝っぱらから充電切れになり、そんな発想に至るアンナ。
が、残念ながらその望みは叶わない。何故なら、カウンターの向こうから何か大きなものが落ちる音が聞こえてきたからだ。同時に、若い男の声も聞こえ、アンナは机から顔を引きはがさざるを得なくなった。
(もう、人の休憩中に何事よ!今度こそ野盗?)
恐怖よりイラ立ちが勝ったものの、警戒しないわけにはいかない。アンナは昨日と同じようにいつでも《着火》を放てるように手を構え、音がした方に近づく。
そして、人の気配があるエントランスのテーブル。警戒を最大限に高めながらアンナが見やると、そこには椅子から落ちてひっくり返った体勢の茶髪少年が居た。
「え、なにこれ?」
「!?誰だ!」
野盗が椅子から転げ落ちているとも思わず素の反応をしてしまうアンナと、アンナの声に驚いてバッと起き上がる少年。
「なんだよここ!あんたが俺をこんなところに連れてきたのか!?」
向かい合った直後、先に声を上げたのは少年の方だった。責める口調でアンナに詰め寄る。
が、アンナはその反応から野盗ではないことを確信し、安心することができた。そして、少年がどこからきたのかも予想できていた。
「ちょっと、落ち着いて!私はアンナ、ここのギルドの職員をやっているわ。それであなたはもしかして、日本ってところの人じゃないかしら?」
アンナは昨日のユウの一件があってから、そして身分証の『初回来訪者』の言葉から、異世界からやってくる人間がユウ一人とは限らないと推測していた。そして、少年はユウと同じく自分がどうしてここに居るのか分かっていない様子。そこから、少年がユウと同じ異世界から来た人物なのではと予想した。
「はあ?まるでここが日本じゃないみたいな言い方だな。けど、ついさっきまで間違いなく日本に居たのに、急に外国になんて居るわけないだろ!」
「やっぱり日本から来たのね。信じて欲しいのだけれど、ここは日本でもあなたの思う外国でもなく、異世界なの。あ、ポケットに見覚えのないカードが入ってたりしない?」
「異世界?何寝ぼけたことを言って、ん?ポケットに何か……」
少年は意味不明なことを言うアンナに言い返そうとするも、アンナの言うように覚えのないカード型のものがズボンのポケットに入っているのに気が付いた。
「やっぱり!ねえ、それ見せて!」
「え、あ、あぁ、いいけど……」
目を輝かせてカードを見たがるアンナの勢いに押され、少年はおずおずとそのカードを差し出した。
「名前、リョウタ・サカイデ、16歳、職業は中級冒険者、あなたは普通の職業なのね」
「普通で悪かったな、って、中級冒険者?何を言って……」
「あ、ごめんなさい、悪く言ったつもりはないの。それよりも、裏よね。!やっぱり普通の身分証と違って、ユウのと同じことが書いてある!」
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エイデアス 530/4/7(月) 9:30
日本 2020/7/8(水) 21:30
(初回来訪者が滞在中のため停止中)
滞在可能時間 11:56 即時帰還
※土・日曜日(日本時間)毎に再来訪可能
※即時帰還した場合、次の土・日曜日まで再来訪不可
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アンナの推測は当たった。そして嬉しさのあまり、アンナはパァっと笑顔の花を咲かせた。
さっきまで攻撃的だったリョウタも、その笑顔に毒気を抜かれてしまった。されど、訳が分からない状況であることには変わりはない。
「なあ、一人で喜んでないで、俺にも分かるように説明してくれよ。ここってマジで異世界なのか?」
「ええ、私もまだ何が起こっているのか完全に把握しきれていないけれど、どうやらこのギルドには異世界から人を呼び寄せる力があるみたいなの。昨日もユウって子が異世界の日本って所から来たのよ」
アンナは獲物を逃がさないとばかりにリョウタの肩をガシッと掴む。アンナからすれば貴重な労働力が異世界から勝手に来てくれるこの幸運を逃すわけにはいかないのだから、仕方がない。
驚いてたじろぐも、リョウタは負けじと質問を続ける。
「マジかよ……。で、みたいってことは、あんたが仕組んだ訳じゃないのか?」
「当然よ、私にそんな力は全くないからね。ていうか、異世界なんてものの存在自体、この世界の誰も知らないレベルなんじゃないかしら」
「そっか、そういうもんだよな……。それじゃ、そのユウって奴は今どうしてる?」
「ユウならもう元の世界に帰ったわ」
「え、そんな簡単に帰れるのか!?」
「そうね、この身分証に書いてある通りよ」
アンナがリョウタの身分証の裏を向けると、リョウタはそこに書かれた文字を食い入って読み始めた。
「滞在可能時間11:54と……、即時帰還!?ここを押せば帰れるのか!」
「それはまだ試してないけど、多分そうね。だから、安心していいのよ。それで、帰る前にちょこっと手伝……」
「俺、帰るわ!じゃあな!」
「ちょおおおっ!?」
即時帰還しようとするリョウタの反応が予想外で、アンナはそれを押される寸でのところでなんとか飛び退いて身分証を死守した。
「なんで邪魔するんだよ!」
「いやいやいや、せっかくの労働りょ、じゃなくて、せっかくの異世界なんだから、もうちょっと楽しんでいっても良いんじゃない!?」
「いや、俺には呑気に異世界観光を楽しんでる余裕なんてないんだ。早く帰って弟の為にバイトしたり調べたりしないと!」
リョウタは今にもアンナに飛び掛かりそうな体勢で構える。
「ちょ、落ち着いて!ここ、よく見て。今、日本の時間は止まってるの!だから、こっちでギリギリまで過ごそうが即時帰還しようが、向こうに帰った後の時間は変わらないの、多分!だったら、ギリギリまでこっちに居た方がお得じゃない?」
「日本の時間が止まってる……?確かにここに書いてある時間は進んでないけど……。そんなことがあり得るのか?ていうか、そもそもこのカードは何なんだよ?」
「このカードは、こっちの世界で使われてる身分証。なのだけれど、裏にこんな時間やら何やらが書かれている身分証は昨日ユウが持っていたものが初めてなの。多分、あなたたち異世界人がこっちの世界に初めて来るときに勝手に持たされるのよ。本当に謎だけれど、書いてあることはどれも正しいみたいなのよね」
昨日時間ピッタリにユウの姿が消えた点から、アンナはここに書かれていることが正確なものであると考えた。真に確実になるには再来訪とやらが行われてからだが、暫定的に内容を全て信じる方向で固めたのである。
リョウタはまだ胡散臭さを感じていたが、アンナの分からないなりに考察した結果紡がれた言葉には嘘偽りは無いと感じ取った。
「はぁ、身分証ねぇ……。ほんと訳わかんねーけど、とりあえずあんたも分かんねーなりに真剣に考えてるのは分かったよ。あんたの言う通りなら確かに急いで帰らなくてもいいってのも分かる。けど、こっちで何かできることがあるのかよ?ここなんて、床に大穴が空いてるボロッちい建物だしよ」
「ボ、ボロッちい……。まあ、そこに関してはごもっともね。ボロい以前に、このギルドは今は全く機能していないわ。けど、そうね。あなたの話を聞くくらいならできるわ。さっき、弟の為に、って言ってたし、何か悩みを抱えてるんじゃないの?ほら、話せば少し気が楽になるかもしれないでしょう?」
アンナはリョウタに慈愛の籠った微笑みを向ける。美少女の笑顔にリョウタは一瞬ドキッとするも、その程度で丸め込まれるほど馬鹿ではなかった。
「な、なんで急にそんな優しくなるんだよ?絶対何か裏があるだろ」
「そ、そんなことないわよ?こんな奇跡の出会いをしたばかりに、裏なんてあるはずが……」
「けど、さっき労働力って言いかけてたよな」
「なっ!?バレてたの!?」
発言時に突っ込まれなかったことで聞き取られていないと思っていたアンナは、学校で培った営業スマイルでリョウタを取り込もうとしたのだが、打算が過ぎた。
「女って怖いな。笑顔一つで男を泥沼に嵌めようとするんだもんな」
「だってしょうがないじゃない!このギルド、人手が全く足りてない、というか町に私以外誰も居ないんだから!うわーん!」
「笑顔が通用しないからって次は泣くのかよ……。そっちはそっちで大変なのは分かったから。うん、ワンオペは辛いよな」
開き直ったと思ったら泣き出すアンナに、リョウタは憐みの情が湧いてしまった。バイト先のコンビニで、人手が足りずに一人で店の仕事を回さなければいけない辛さは、僅かながらも経験済みだったからだ。
「ぐすっ……、分かる?こちとら研修もまだなのよ?それでこんな誰も居ない町に送り込まれて……。どうしたらいいの私……」
普段は人に弱みを見せないアンナも、この時ばかりは朝の書類との格闘から、精神がへたってしまっていた。普通、ああいう難しい仕事はベテラン職員が担当して新人はそれを見て覚えるのが普通だというのに、アンナには参考にする相手が居ないのである。
(研修無し!?おいおい、異世界ってのは無法地帯なのかよ。これだと弟のことを話してもあまり期待できない気がするな。けど……)
悩みを聞くはずが逆に悩みをぶちまけることになったアンナだったが、それが功を奏することになった。女子に泣き付かれれば、男子としてはできる限りのことはしてやりたくなるものだ。
「その、俺で良ければ話聞くからさ。俺の話も聞いてくれよ」
リョウタはあくまで交換条件という体で、アンナを宥めるのだった。
「……ふぅん。弟さんの怪我を治すために学校に通いながら働いてるなんて、偉いわねえ」
アンナとリョウタは座って一休憩入れながら、お互いの身の上について話した。取り乱していたアンナも今ではコップの水を啜って落ち着いている。
「偉いとかじゃねえよ。弟のためなら何でもするのが兄ってもんだからな。それに、俺がもっとちゃんとしてればあいつが熊に襲われることもなかったかもしれないし、その罪滅ぼしでもあるな」
「なるほどね。まあ、聞いた感じだと、弟さんの怪我はポーションで治せそうね」
「治せる!?本当か!?そのポーションってのはどうすれば手に入る!?」
興奮気味に迫ってくるリョウタに、アンナはビクつきながら慌てて訂正を添える。
「え、えっと、治せるって言ったけど、現状だと多分無理なの。こっちの世界の物をからあなたたちの世界に持っていくのは出来ないようになってるみたいだから。それと、その怪我の具合だと上級ポーションか部位特化ポーションが必要になると思うのだけれど、残念ながら中級ポーションと下級ポーションしかギルドには残されてなかったのよね。ぬか喜びさせちゃってごめんなさい」
「う、そうなのか……。けど、試す価値はあるだろ。無理かもしれねーのは分かったから、その上で試させてくれ!」
無理だと言われても尚、リョウタは食い下がる。少しでも弟の怪我を治せる可能性があるなら、試さない手は無かった。
アンナはその気持ちを汲み、「分かったわ」とだけ言ってカウンター裏へと引っ込んで、ギルド内の使えそうなものを集めた木箱から赤い液体の入った小瓶を取り出した。
「はい、これが中級ポーションよ。これを飲めば深めの切り傷でも治るわ。けれど、さっきも言った通り、神経への後遺症っていうのに効く可能性は低いから、そこは留意しておいてね」
「ああ、分かった。ありがとう!待ってろよ圭太、これでまた野球ができるかもしれない!そんでアンナさん、恩返しには全然足りないけど、手伝えることがあったら何でも言ってくれ!」
「ほんとに分かったのかしら……?ま、元気で悪いことはないか」
まるで治せることが決まったかのようなテンションの高さにアンナは少し呆れるも、厚意を無下にするつもりはない。何しろ、貴重な男手なのだ。手伝って欲しいことはいくらでもある。
「それじゃ、床の大穴を塞ぐのを手伝ってもらえるかしら?いつまでもボロっちいままじゃ、次に来るかもしれない日本の人に呆れられてしまうかもしれないからね」
そんなアンナの頼みを、リョウタは快く受け入れたのだった。
「えぇ?じゃあ普通のスポーツとかこの世界にねえの?」
床に釘を打ち付けながら、リョウタが残念そうに言う。作業をしながらこの世界についてアンナに聞いてるところで、リョウタが最も関心を持っているスポーツ事情の話をしていた。
「スポーツなんて概念がそもそもないからね。見せ物としての運動なら、一番近いのが闘技場かしら。冒険者の力比べというのがダンジョンで成り立ってるこの国と合っているし、他の国にならもっと別のスポーツに似た何かがあるかもね」
「闘技場……。何か血生臭い響きだなあ。異世界独特スポーツって言われても、それはお断りだな。……よし、こんなもんだろ」
ガッカリしながらも、きちんと手元で作業を続け、床に空いていた穴を安全に塞いだ。
「これで寝ぼけて落ちる心配も無くなったわ。ありがとね、リョウタ」
「これくらいなんでもねえって。外の穴も塞ぐか?」
「いえ、今回はこれくらいでいいわ。もう外も暗いし」
ギルドの床の大穴を塞ぐために木材をかき集めていたら、時間があっという間に過ぎていた。
「そうか。もういいんなら、俺は帰るわ。この即時帰還ってのも試さないとだしな」
「そうね、お願いするわ。それで、次来たときに検証結果を教えてね」
「次、日本の土日に来れるって話だよな?信じらんねーけど既に信じらんねーことが起きてこうなってるんだし、今更か」
この作業の間に二人はすっかり打ち解けていた。そして、リョウタはギルドの外にも穴がたくさんあるのを見て、また手伝いに来ることを約束した。
最後に即時帰還の機能を確かめてリョウタの初の異世界来訪は終わりを迎える。
「そんじゃ、3日後また、ってこっちの世界で3日かどうかは分かんねーか」
「またね。ポーション、しっかり握っておくのよ」
「分かってるって。んじゃ、即時帰還、と」
リョウタは身分証の即時帰還の文字に触れてみた。すると、ユウが帰った時と同じようにリョウタの体が光に包まれて見えなくなり、光が消えるとリョウタの姿も消えていた。コロン、とポーションの瓶を床に残して。
「あー、やっぱり駄目だったわね」
最後の瞬間までリョウタが強く握り込んでいたポーションも、やはりユウの制服と同じくこの世界に取り残されてしまった。想定通りではあっても、できないことが分かるとガッカリするのも仕方ない。出来ることが多いに越したことはないのだから。
一方、良太は意識の暗転の後、日本の自分の部屋で椅子に座っていた。そして、急いで手の中の感触を確かめるも、そこにはポーションがあった隙間が残っているだけだったことから、ガックリと項垂れた。
「くっそー、そう上手くはいかねーか!」
期待しない方が良いとアンナからは散々念を押されていたものの、やはり行き詰っていた圭太の治療法では一番の近道であったことから、期待せずには居られなかった。
「けど、手の感触とこの身分証、絶対にさっきの体験は夢なんかじゃなかった。異世界、もっと色々調べればこっちで調べるよりも圭太の後遺症の治療に近づける気がするな。なんたって、まだ何の研究も進んでいない異世界、未知との交流だ。バイト増やしてる場合じゃねー。土日の使い道、決まったな!」
「兄ちゃんうるさいよー、何一人で騒いでるの?」
「おう、すまん圭太。すごいことが起きたからテンション上がっちまった!」
最初の一手は不発に終わるも、良太はそれくらいでめげる男ではなかった。圭太のため、そして少年心を刺激する異世界というフィールドへの期待から、一層心を燃やすのであった。