6.坂出良太①
≪日本 2020/7/8(水) 19:00≫
街の大通りに面した、何の変哲もないコンビニ。ここが俺、坂出良太のバイト先だ。毎日高校の授業が終わってから働いている。
コンビニのバイトは思っていたよりも大変だ。レジに立ってるだけじゃなくて揚げ物とかも作らないといけないし、商品の補充もある。配達物や公共料金の支払いなんかも面倒くさい手順を踏まないといけないから、慣れないうちはその処理の間にレジに客が長蛇の列をなしてしまうこともあった。
あと、それだけじゃなくて……。時々変な客が来る。
(あっ、来た……)
毎日20時に決まって来店する背の高い白髪の女の人。俺は心の中で『しじみリンゴそば妖怪』と呼んでいる。
何故かこの人はとてもゆっくりと歩く。音も立てないその様は最初は万引き狙いかとも疑った。けど、それを差し引いても目立つ容姿だし、見張っても万引きする様子はないし、後ろめたさを感じている気配もない堂々とした立ち姿だし、悪事を企んでいる訳ではなさそうだ。
だけど、変な点はそれだけじゃない。何故か商品を手に取る時、普通に取らずに、一度大きく左に手を伸ばしてから、下に弧を描くように右へと動かしながら取る。怪しすぎるけど、その後普通に商品はカゴに入れるし、やっぱ万引き犯なんかじゃない。
2,3点飲み物をカゴに入れると、最後に決まって二か月前に新発売された『しじみリンゴそば』を手に取る。普通のそばの出汁つゆに粉末しじみとすりおろしリンゴを混ぜて食べる(らしい)謎商品。言っちゃ悪いけど、こんな意味の分からないウケ狙い商品を二か月も買い続けるとか、まともな人間のやることじゃない。妖怪の類かもしれない。だから『しじみリンゴそば妖怪』だ。
「ありがとうございましたー」
不気味な妖怪相手でも、店長から教わった接客のコツの『挨拶は笑顔で元気に』を順守して応対した。『しじみリンゴそば妖怪』は変な客の中でも変さで言えばトップクラスだけど、別に口うるさくクレームを言ってきたりする訳ではないから、慣れれば完璧な接客ができる。
そして、彼女が店内唯一の客だったため、これで一息つける、と気が緩んだ時……。
「坂出くん、また手が後ろに回ってたよー」
「あっ、すいません、岩滝さん!」
小太りの中年男性である先輩の岩瀧さんに指摘され、慌てて後ろに組んでいた手をへその下に回す。客の前で後ろに手を組むのは、偉そうに見えるからダメなんだそうだ。
こんなことも徹底できてないなんて、やっぱまだまだなのかもしれない。俺の指導係をしている岩瀧さんは俺のことをよく見てくれていて、未だに細かく指摘を受ける。指摘が細かいと嫌がる人も多いだろうけど、決して怒鳴ったりせず優しく接してくれる岩瀧さんを俺は良い人だと思っている。
そんな岩瀧さんだが、今日はやけにお疲れの様子だ。いつもの完璧な接客スマイルに陰りが見える。
客が居ないのを再度確認して、どうしたのか聞いてみることにした。
「岩瀧さん、なんか疲れてるみたいっすけど、何かあったんですか?」
「あ、分かっちゃうかぁ。隠してたつもりなのにバレるとは、僕も修行が足りないね」
そう苦笑いした後、小さく溜め息を吐いてから、岩滝さんは続けた。
「実はね、昨日警察から事情聴取を受けたんだよ」
「事情聴取?何かやらかしたんすか?」
「いやいや、僕はただの目撃者だよ。昨日の夜、目の前で大きな事故が起こってさ。トラックが暴走して、女の子を撥ね飛ばしてからビルに激突して……」
そう話す岩瀧さんは、その光景を思い出したらしく、顔を青くして額を手で押さえた。
でも、俺はその話に違和感を覚える。
「え?トラック事故のニュースなら今朝俺も見ましたけど、女の子が撥ね飛ばされたなんて言ってなかったっすよ?」
普通、死傷者がいればその人数や怪我の程度まで報道されるはずだ。
「勘弁してくれよ、君まで僕を疑うのかよぉ……。その子はね、撥ね飛ばされて大量の血を流しながら倒れたのに、数秒後には自力で起き上がったんだよ。怪我なんて全くしてない感じで。警察も、ぶつかられたビルの損壊具合からトラックの勢いを計算すれば、直撃した人間があんなに動けるわけがないって僕の言うことを信じてくれなくて、事情聴取が酷く長引いたんだから」
「いや、そんな寂しそうにしなくても、嘘を吐く理由もないっすから信じますけど」
「おお、信じてくれるかい!いやー僕の見解では撥ねられた子は綺麗な黒髪の育ちが良さそうな子だったから多分良家の娘で色々と家の圧力とかがかかって報道が規制されたと見るね」
俺が信じた途端、岩瀧さんはイキイキと滑るように口を動かし考察を披露し始めた。
けど、報道がねじ曲げられた理由には俺はあまり興味を持てなかった。それよりも、その女の子が血を流しているのに無傷で立ち上がったことの方が気になった。
「その女の子、血は大量に流してたんすよね?」
「うん、その出血量を見ただけで素人目にも助からないと分かるくらいには」
「それなのに、自力で起き上がるなんて奇跡……。その方法が分かれば……」
「ん?何か言ったかい?」
「いや、別に何も。あ、いらっしゃいませー」
「いらっしゃいませー!」
俺がぼそりと呟いた言葉は岩瀧さんには届かなかったらしい。新たに客が入店したことで、俺たちの会話は強制終了させられる。
けど、俺の頭の中は、今の岩瀧さんの話で埋め尽くされ、バイトどころではない。そこに、俺がバイトをしている理由の解決策があると思ったから。
「ただいまー」
バイトを終えて家に帰ると、すぐにバタバタと足音が近づいてきた。
「兄ちゃんおかえり。またバイトだよね?そんなのさっさと止めて部活すればいいのに」
そう説いてきたのは、弟の圭太だ。右腕を重そうにぶらつかせ、歩き辛そうにしている。その原因は、肩に残る怪我の後遺症。そして、それを治すための資金を集めることが、俺のバイトの目的だ。
俺と圭太は元々、父さんがコーチをしている地元の野球少年団に入っていた。厳しくもあり、楽しさも忘れない、そんな方針の父の指導に、俺も圭太も夢中になって練習に励んだ。
けど、続けていくうちに俺は圭太との決定的な差に気付かされた。俺には野球の才能はなく、圭太には将来プロを目指せるほどの才能があったんだ。二人で練習を続ければ続けるほど、俺は圭太に突き放されていく。そんな仄暗い気持ちが芽生え始め、俺は決意を固めた。このまま弟に嫉妬のような気持ちを抱きながら野球を続けるくらいなら、野球なんてパッと止めて弟の野球道を応援する方が良い、と。
俺が野球を止めると圭太はすごく悲しんだけど、俺はむしろ清々しい気持ちになった。多分、野球をそんなに好きではなかったんだ。身体を動かすのは好きで、父さんが教えてくれるのが嬉しいからやっていただけで、別に野球自体に執着があったわけではないと気付いた。
それからの俺は、圭太の体力作りに付き合うのが習慣になった。そして、ある日二人でランニングに行った山で、その事件は起きた。
「はぁ、はぁ、舗装されてない山道きっつい……」
「ふっ、ふっ、兄ちゃん、止まってたら置いてくよー」
30分くらい登り道を走り俺はバテているってのに、圭太はまだまだ余裕そうに俺の数メートル先で手を振っている。体力からしてまるで俺とは成長速度が違うのを実感させられ、俺は俯いて苦笑いを浮かべた。
このままだと体力作りに付き合うことすら難しくなりそうだけど、それは踏ん張って付いていくしかない。そんなことを考えていた時……。
「グォォォ……」
獣の唸り声が低く響いた。顔を上げて圭太の方を見ると、圭太の近くの草むらの中を大きな何かが圭太の方に向けて進んでいるのが見えた。圭太もそれに気付いているようだが、草むらと俺とを交互に見るだけで動かないままでいた。
次の瞬間には草むらからそいつが出てきた。熊だった。圭太の倍はある大きな熊だ。明らかに興奮状態で、威嚇しながら圭太にゆっくり近づいていく。
「圭太!何してる、早くこっちにこい!」
俺がそう叫んでも、圭太は俺の方に降りてこない。むしろ、あろうことか山の登り側に向けて走り出した。
「そっち行ったら兄ちゃんが危ない!僕が引き付けるから、兄ちゃんは麓の父さんにこのことを伝えて!」
何を言ってるのか分からなかった。引き付ける?熊を?いくら圭太が運動神経抜群でもそんなことができるはずがない。圭太の身に何かあってはいけない。引き付けるなら俺の役割だ。
そう脳が答えを導き出す頃には、圭太は熊に追われて遥か遠くに行ってしまっていた。俺の足では絶対に追い付けない。
「あああっ!クソッ!馬鹿野郎!」
圭太に向けたはずのその言葉は、届く相手が居なくて自分に返ってきていた。無力で、弟に危険を冒させる頼りない兄。どこをとっても立派な馬鹿野郎だ。
嘆いている場合ではなく、無力さに折れそうな心を無理やり動かして麓に向けて全力で下る。それしかできることはなかった。
それで父さんに知らせて捜索隊が圭太を見つけ出すまでに3時間がかかった。
肩から血を流す圭太に俺は駆け寄る。
「はは……、ごめん兄ちゃん。行ける思ったんだけどあいつ思ったよりも速くて、一発もらっちゃった。一か八か崖下に飛び降りてなんとか逃げ切れたんだけど」
「馬鹿……。謝るなら俺の方だ。弟をこんな目に遭わせるなんて、兄失格だ……」
疲労と痛み出血で朦朧としているだろう意識の中で、無理に笑って見せた圭太の顔を、今でも忘れることはできない。
生きているのが奇跡だと言える状況ではあったが、その代償は大きかった。
待機していた救急車に運ばれ、命に別状はないと分かったまでは良かったが、後遺症で野球を続けるのは無理だと医者に告げられた。
誰よりも野球が好きで野球にも好かれている圭太が、もう二度と野球をできないなんて。そう知った時の絶望はそりゃもう凄かった。
けど、俺は諦めるつもりはない。あの医者が無理だと言っても、世界中探せばどこかにきっと圭太の後遺症治す方法があるはずだ。
そして、それを探し出して治療費払うためのバイトを俺は止めるつもりはない。
圭太は俺が部活もせずにバイトばかりして治療費を稼いでいるのをよく思っていない。それを分かっていながらも、顔をブスッとさせている圭太の髪をクシャッと撫でる。
「いいから、兄ちゃん任せとけって!俺は野球をしてるお前が好きだし、お前もまた野球をしたいんだろ?」
「……うん、できるなら、またやりたい」
その言葉が聞ければ十分だ。俺はいくらでも頑張れる。バイトの時間を増やしてもいいくらいだ。土日もバイトすればかなりの収入になるしな。
けど、問題なのは金よりも治療法だ。熊の爪で抉られ大きく損傷した神経を完全に治す方法は、手の届く調べ方では探し出せなかった。
自分の部屋に入り、いつものようにインターネットで色々な医療関係のサイトを漁るも、やっぱり有力な情報は拾えない。こうなれば、海外の情報も拾うことを視野に入れないといけないけど、ただでさえ言葉が難しい医療の情報を更に外国語でとなると、どれだけ時間がかかるか分からない。
認めたくなくても、心の隅では手詰まりという言葉が燻っている。
「くそっ、こんなことになるなら、もっとガチで英語勉強しとくべきだったなあ……」
俺は不勉強な自分を悔やんで項垂れ、目を瞑った。そして、椅子の背もたれに体重を預けようとした。
が、そこあるはずの背もたれはなく、預ける場所をなくした体重のままに体はひっくり返って地面に頭をぶつけてしまった。
「んがっ!?」
絨毯があるはずなのに、木の床にぶつけたかのような硬い衝撃が後頭部襲う。何がどうなっているのか分からないまま見上げた天井は……、自分の部屋のものではなかった。一体何が起きたんだ?




