3.七天山夕①
≪2020/7/7(火) 20:20≫
私の名前は七天山夕。室町時代より日本の大きな祈祷を執り行ってきた七天山家の現当主、七天山龍鵬の実の娘です。
七天山家の者は皆、生まれながらに特別な力をその身に宿します。亡くなった方々の魂を祈りによって天へと導いたり、大地の恵みの実りを豊かにしたりなど、オカルトめいていますが実際に効力を持つものなのです。
かつて初代様が神の啓示を受け、世界に存在する7つの天山の登頂を成し遂げた時から、神から授かった七天山の名とこの力を脈々と子孫に受け継いできたとされています。
しかし、私が7歳になり、七天山家の血を引くものであれば本来国儀に参加するようになるはずの年、父は私にこう言いました。
『お前の力は弱すぎるから、参加しても気の流れを乱すだけだ。だから儀式には参加するな』
と。
その時の父の冷たい目は、今でも忘れることができません。
私はその日より、七天山家の娘でありながら、祈祷を行うことを固く禁じられました。他の兄弟たちが力を強める修行をする間、私の役割はただひたすらに花嫁修業をすることだけでした。七天山家では聖力が無ければ政略結婚の道具としての価値しか無いのです。
家での私の冷遇はそれだけに留まりません。私は、学校で友達を作ることすら許されませんでした。部活動なども当然禁止で、放課後になれば家の者が車で迎えに来るので寄り道さえもできません。
幼かったころの私は、それがとても悲しくて仕方ありませんでした。学校での他の子たちとの会話は必要最低限までしか許されていないので、いつもそっけない態度で応対せざるを得ませんでした。そうして段々と私の側から一人、また一人と同級生が離れていくのを、涙を堪えて見ているしかなかったのです。
まあ、そのことには次第に慣れていき、中学校に上がる頃には周りの子の理解力も上がり、付かず離れずの絶妙な関係が生まれたりもしましたが。
それでも私は、七天山家の使命も普通の学生としての生活もままならない自分の運命をとても悲しいものだと思ったのです。
そんな私も7月7日の今日、17歳の誕生日を迎えました。誕生日とは言っても、例年特に変わったことはありません。誰かに祝われることもなく、私は一人で塀に囲まれた庭から七夕の星空を眺めるだけです。今暮らしている東京の別邸は、生まれ育った静岡の本家とは違い、あまり星の見え方が良くありません。それでも、この日になると夜空に結ばれる星々の輝きを眺めたくなるのです。
人は死んだら星になるという一説を耳にしたことがありますが、死して尚あのように輝き続けるには如何ほどの徳を積まなければならないのでしょうか?ましてや一等星ともなれば、錚々たる偉人聖人であるに違いありません。星座になる絆深き方々は、人望に厚そうです。私とは真逆の方々という訳ですね。
私が星に成れたところで、どうせ天の川の中州に取り残され動けなくなるとかが落ちです。この広い宇宙ですら、私を自由にしてはくれないでしょう。
そういえば、初代様は力を得た後、多くの困窮に苦しむ民、ひいては日本そのものを救ったそうですが、それほどの人物であればその錚々たるメンバーの一員になっていたとしても不思議ではありませんね。もしかしたら、今もまだ遥か宇宙高くから、私たち子孫のことを見守ってくれているのかもしれません。
あっと、危ないところでした。星々のロマンを考えるとつい祈りを捧げたくなってしまいますが、それは父から禁止されているのでした。きっとこの日は星々も願いを叶えるのに大忙しでしょうから、私の半端な祈りがそれを却って邪魔することになるかもしれませんし、妄想を広げるのはこれくらいにしておきましょうか。
私は部屋へ戻るために空から視線を落とそうとしました。ですがその瞬間、奇妙なことが起こりました。空が赤い光を発したのです。
「今のは……?あれは!?」
驚いて再び空に意識を向けると、灰色の天から、一筋の赤い光が注ぎ降りているのが見えます。
方角からすると丁度静岡の本邸のある辺りに光が降りているようにも思えます。
あれが何なのか分かりませんが、とても美しくて幻想的な光景です。そして、私は衝動的に駆け出してしまいました。行き場を閉ざす籠のような塀を乗り越え、街灯を頼りに夜道に飛び出して。
今まで一度も父の言い付けを破らなかった私が、何故だか今だけはそうせざるを得ない気持ちになっていました。夜道どころか、昼間ですら自分の足で歩いたことのない塀の外の世界を、天の光に向かってひた走ります。
「はぁ、はぁっ……!全然近づけません……」
息を切らせながら、私は体力の限界が来てようやく足を止めました。気付けば別邸とは遠く離れた街中の交差点まで来ていましたが、赤い光の柱にはまるで近づいた気がしません。本当に静岡の本邸に差しているのなら、人の足で辿り着けないのは考えれば分かることのはずなのですが……。
戻るにも体力が足りず、私は信号機の支柱にもたれかかって休みながら、ぼんやりと周りの観察をしてみました。街行く人たちは、誰も空の異変を気にしている様子はなく、ただそれぞれの帰路をひた進むことにしか関心が無いようです。異変に気が付いていないのか、それとも他の人には見えていないのでしょうか?
不思議な気持ちで他の人たちを観察していたのですが、何やら彼らがざわつき始めました。空の光の柱に気が付いたのかと思ったのですが、多くの人が走って何かから逃げ出そうとしている様子を見るに、どうやらそれとは違う異変を認識しているようで……。
「そこ危ないよ!!」
ふと目が合ったおじさんが、必死の形相で私にそう叫びました。
「え?」
私が何のことやらと疑問に思った次の瞬間。車の異常な走行音とライトが背後から近づき。
ドォンッ!!!
衝撃、吹き飛び、感じる固いコンクリート。身体は全く動かず、そもそも手足が付いているのかも分かりません。全身から血が抜けていく、冷たい死。これは死んだ、恐怖よりもその避けられない事実が脳に木霊します。
父の言いつけを守らなかった罰が当たったのでしょうか。まあ、それほど人生に心残りはありませんが、せめてあの赤い光の正体だけは知りたかったな、と最期まで無念ではあります。
そのまま私の意識は消滅するはずのところで……、いつの間にか、コンクリートの感触が柔らかいものへと変わっていました。ほぼ何も見えない視界に、赤い何かが揺らめいています。そして、温かい何かに抱かれたような感覚の後、体が急に楽になりました。痛みも全く無く、手足も自由に動かせるようです。
どう考えてもおかしい状態です。私はすぐにここが死後の世界なのだと察しました。そうでなければこんなの説明が付きませんから。
世のしがらみから解放された軽やかさを感じながら、回復していく視力を頼ってさっきまで揺れていた赤い何かを確認すると、それはとても美しい赤髪の女性であると分かりました。ああ、この人が神様、女神様なのですね。良かった、どう見ても地獄の閻魔様ではありません。輝きを持たず星座にもなれない無徳の人生でしたが、なんとか天には向かえそうです。
「女神様……」
「全く、誰が女神様よ。あなたのせいで虎の子のポーションをいきなり無くしちゃったのよ?後で事情はきっちり聞かせてもらうから。けれど、今は安静にしてなさい」
女神様はとても不機嫌そうな物言いでしたが、私が伸ばした手を温かい手で包んでくれました。それはとても、安心できて、これまで感じたことのない幸福で満たされて……。
そのまま私は、安らかに意識を途絶えさせたのでした。