38.夕の決断
「夕、お前どうしてここに!また言い付けを破って部屋から抜け出しやがったのか!」
「だって、利重さんが来ているなら、私に関わる話をしているはずだと思って」
「何だと?獅子が来ていることを伝えろなんて指示はしていない。誰が教えた?」
「これです!このタイミングでこんなものが差し入れられるなんて、利重さんが来たとしか考えられません!」
夕は得意気にそれを見せびらかした。小皿に盛られたカステラ。
それを見て、利重が不敵に微笑する。
「ふっ、ちゃんと夕にも届いていたか。期待してない賭けだったが、上手くいってよかった」
「まさか、わざわざ家の全員に行き渡らせるっつったのは、夕に気付かせるためだったってのか?」
「そうだ。夕の顔くらい見て帰らないと、仲間に合わせる顔がないからな。皆心配していたが、とにかく元気なようで何よりだ」
「やっぱり心配させてしまいましたか。二週間も音信不通で本当にすみませんでした。何分、監視が厳重すぎて身分証を使うどころではなく、隠すので精一杯でした」
再会を喜ぶ夕と利重。そして、利重がカステラ送り込み作戦を講じたのは、夕の顔を見るためだけではない。夕が龍鵬に完全な監視下に置かれているのなら、この問題を解決するためには、夕を交えて龍鵬と話すことが必要不可欠だと考えていたためだ。
そして、当の龍鵬の脳は混乱の最中にあった。
(仲間?それに二週間前には会っていたような口振りはどういうことだ?別邸の弟に夕の監視を徹底させたのは一か月前だ。少なくともそれより後にこいつらが会えるはずがねえ。……いや、それはどうせ夕の言い間違いだ。それよりも……)
「おい、夕、俺たちの話をいつから聞いてやがった?」
「世界が滅亡しそうな下り辺りからですね」
「……つまり、お前の本当の力について、お前が聞いてるとこでベラベラ喋っちまったってわけか。はぁ……、どうしてこうも面倒事が重なるんだか。つーか、夕にバレちまったらもうどうしようもねえなあ」
龍鵬は魂が抜けたように肩を落とす。夕に力を自覚されてしまっては、夕が人の為にその力を行使する未来は決まったようなものだ。夕の心の優しさは、夕への優しさを捨てた龍鵬が一番分かっていた。
そんな未来を阻止するには、夕を遥か地下深くにでも幽閉するか、その命を終わらせるかしかない。どちらにしてもロクな手段ではなく、それを決行できる程、龍鵬は非情になりきれない。
打つ手を無くして項垂れる龍鵬の前に、夕がゆったりとした動作で正座する。
「お父様。私はずっと自分に力が無いというだけで虐げられてきたのだと思っていました。理不尽で、惨めで、孤独で心を締め付けられて……。お父様を恨む日々を送って来ました」
夕の優美な手が、龍鵬の力の籠らない手を包み込む。
「ですが、本当は力が強すぎるせいで、お父様にも他に選択肢が無かったんですね。決して嫌われている訳ではないと分かって、安心しました」
「……何を言ってやがる。俺はお前から人間として持つべき権利を奪ってきた。そこに安心していい要素なんざねえし、これからも俺はお前を縛り続けるだろう」
龍鵬は顔を上げて夕と目を合わせた。ずっと自分に言われるがままだと思っていた娘の顔。しかし、その眼差しには、確かな意志が宿っていた。いつの間にか夕よりも自分の方が他でもない自分自身に縛られていたのではないかと思わされる、その煌めく瞳の揺らぎ。
夕はその瞳を閉ざし、もういいんです、と首を横に振った。
「お父様の言う通り、この世界には私の居場所は無いみたいですね。ならば、私はこの世界から消えようと思います」
「この世界から消える!?お前、まさか、いや、そこまで追い詰めた俺が言えることじゃねえが、死ぬのだけは……!」
龍鵬は顔を青くして夕の肩を掴んだ。夕の決意が本物であるのは間違いなく、思い止まらせなければ本当に死んでしまうと思った。
しかし、夕は笑った。これまでの分の仕返しと言わんばかりに、そして父親に心配されるという初めての経験を得たいがために、敢えて意地の悪い言い方をしたのだ。
夕がそのような小狡い考えを持てるようになったのは、異世界での伸び伸びとした日々がもたらした変化であった。
夕はその目論見が思い通りに通ったことに満足し、悪戯っぽい笑みを浮かべて本題に切り込もうとする。
「死ぬ?何を言っているんですか?私は死んだりしませんよ」
「は?だが、消えるってことはそういう……」
「『この世界』からは消えますね。そのですね、ちょっと異世界に移住してみようかなーって思ったりして」
「異世界に?」
「移住?」
思いも寄らぬ言葉に、黙って聞いていた利重すらも聞き返してしまった。それもそのはず、利重と夕の知る異世界・エイデアス大陸に行けるのは、土日のみの制限付きだ。それは移住と呼べるものではなく、夕の問題の解決策にはなり得ない。
「そうか、お前は部屋でそういう本ばっかり読んでるから、そういう妄想の世界に行けると思っちまってるんだな……」
「ち、違います!異世界は本当にあります、お父様!ていうか、なんで利重さんまで変な人を見る目を向けてくるんですか!」
「いや、異世界は確かに存在するが、行けるのは一時的だろう。それでは龍が抱えている悩みの解決にはなるまい」
「いえ、一時的ではなく、移住、永住するんです。一つだけあるじゃないですか、こちらの世界の物をずっと異世界に残す方法が!」
「そんな方法……、いや、あるにはあるが、まさか!?」
その方法に気付いた時、利重の脳は拒否反応を起こした。それは、興味本意で一度は考えたことがあったが、すぐに生命倫理の観点からそっと脳の奥底に仕舞い込んだ恐ろしいものだった。
しかし、夕は臆面もなく、その方法を言い放つ。
「私は、ハピ子先生の《手描きされた異界召門》で、異世界に召喚してもらいます」
利重の予想通りだった。生きている人間の召喚、しかも異なる世界間でとなると、どのようなイレギュラーが発生するか想像も付かない。
問題はそれだけでなく、龍鵬の理解を得るのが難しい。急に異世界だの何だの言われても、信じるはずがない。利重自身が実際に異世界に行っても、初回はドッキリとしか思えなかったのだから。
しかし……、もし成功すれば、それは問題の解決に一気に近づくと利重も感じた。
「異世界だの召喚だの、お前ら二人とも頭は良いくせにおかしくなっちまったのか?……いや、そういうことか。さては、二人で口裏合わせて俺を騙くらかそうとしてやがるな?」
やはり龍鵬は混乱している。夕の発想の是非の話もあるが、それよりもまず龍鵬に異世界についての説明をしなければならない。
「いや、異世界は実在する。龍に話すのは今ではないと思っていたが、夕の口から出てしまった以上、説明するしかないな」
利重はそう切り出してから、エイデアス大陸の存在、夕と自分が一時的にそこに行けること、地龍という強大な存在を鎮めて英雄扱いまでされていることを語った。
「……以上が、ここ最近の我々の活躍だ。私が夕と会っていたのはその世界での話。夕が精霊と契約していた謎も、この説明が真実だとすれば納得できるだろう?」
「それは……、うぅむ。普通なら信じられねえ話だが、うちがこんな異常な家である以上、あり得ねえで切り捨てる訳にはいかねえな」
話を聞いている間に龍鵬も平静を取り戻し、聞く耳を持つようになっていった。異世界の存在も、七天山家の家柄のお陰で信じられない訳ではなかった。
「土曜日まで待ってくれれば証拠も見せられるぞ。異世界に行く瞬間を見せれるからな」
「必要ねえよ。大事なのは、その異世界では夕がその力を奮っても問題にならねえってとこだ」
「死に際の私を無傷にまで回復させるポーションがある世界ですから、この世界とは前提から違いますね」
異世界でも夕は崇められてはいたが、それはあくまで聖女の身分によるものだった。この世界よりも超常の力が受け入れられるのは間違いない。
「だが、夕が見せた力は骨折を治すのと焼けた森林を元通りにする程度までだ。死者の蘇生となると話が違うかもしれない」
利重が懸念点を挙げたが、龍鵬は軽く舌を出した悪ガキのような顔で応じる。
「あー、死者の蘇生っつうのは、お前を言いくるめる為に大袈裟に言っただけだ。誰でも彼でも生き返らせれる訳じゃなく、精々死んだ直後で魂が新鮮な内なら頑張りゃできるってくらいだろう。それですらこの世界じゃ求める奴が後を絶たないだろうがな」
「何だと?そうか……」
利重は、やられた、と思うと同時に、安心した。
菫はもう生き返らない。そうでなければ自分だけ夕の力を利用する欲望に抗えなかったかもしれない。もしそうしてしまえば、夕を救いたい気持ちに筋が通らなくなってしまう。
「えっと、それでは、お父様も私の提案に賛成ということでよろしいのですか?」
「ああ。お前を受け入れる世界がある、人間が居るのなら、そこがお前の居場所になるだろう。それと、俺がこんなことを言っても冗談にしか聞こえねえだろうが……」
龍鵬は憑き物が落ちたような柔らかい表情で、夕の肩に手を置いた。
「俺は、お前の幸せを願っている。異世界に行くのがお前にとって幸せなら、俺が止める理由は無え」
「お父様……」
そこにあったのは家のしがらみに歪められた、不格好な親子の形だった。親子らしいことなど何一つ無いまま時を重ねた夕と龍鵬は、別れの決意の中で歪みの修復を成し遂げた。




