34.着火
アンナは気が付くと冷たい床の上に横たわっていた。魔族の男に縛り上げられ、心に淀んだ気持ちの悪い靄のようなものが流れ込んだ所までは覚えている。が、あれからどれだけの時間が経っているか、ここがどこなのかは全く分からない。長く暗い眠りに落ちていたような、そうでもないような不思議な感覚。
「真っ暗……。どこかに閉じ込められているのかしら?」
あまりの暗さに地面すらも認識できないが、恐る恐るになんとか立ち上がる。
それからもう一度自分の状況をよく確かめ、怪我などをしていないことに一先ず安堵した。しかし、それを確認出来ること自体が異常であることに気が付く。真っ暗で何も見えないはずなのに、自分の体だけはしっかりと目に映っているのだ。まるで、体が淡い光を発しているかのように。
「……なにこれ、変な魔法でも使われてる?まさか、死後の世界って訳じゃ……」
アンナは眉を顰めるも、不思議と嫌な感じはしていなかった。むしろ、さっきまで暗い気持ちだったのがいつの間にか消え去ってさえいた。そうして謎に発光する体をすぐに受け入れられただけでなく、この未知の場所に対して、何故か慣れ親しんだような居心地の良さすら感じてしまっている。
「とりあえず、周りを確認しないと。《着火》」
アンナは指先に《着火》の光を灯した。魔法を問題なく使えることに安堵しつつ、ぐるりと周囲を見渡してみる。
「えっと、これは祭壇……?」
アンナは自分が祭壇に囲まれていることに気付いた。その数は六つ。何やら厳かな装飾が施されたそれらには、それぞれに燭台が一つずつセットされている。燭台の内、一つには金色の炎が灯されているが、他には火が点いていなかった。
アンナはしばらく悩んだ後、周りにそれ以外の物が無いことから、燭台に何か仕掛けがあるのではないかと思い至る。
「《着火》……あれ?」
火の灯っていない燭台に試しに火を灯そうとする。が、何故か火は搔き消え、明かりが灯ることは無かった。他の燭台にも同様に試してみたが、結果は同じだった。
「何よ、着火で火が点かないなんて、こんなに火をつけて欲しそうな見た目なのに偽物なの?」
自分の魔法に自信があったアンナは、唇を尖らせて燭台に文句を言う。ただでさえ訳が分からない状況なのに、更に思い通りに行かない事が重なれば、機嫌を損ねるのも無理もない。
『ピピピ――ガガッ――――……。ヤジロベエシステム臨時起動完了』
「ひぃあっ!?何っ!?」
打つ手無くして思考が滞ったところに、突然脳内に音、いや声が直接響いた。そのぞわりとする感覚にアンナは悲鳴を上げる。
『"火ノ光ノ巫女"、コレヨリ貴女ノ資格ノ検査ヲ行イマス』
「ちょ、何なの!?あなたが私をここに閉じ込めた人?抵抗はしないから、ちゃんと状況を説明してよ!」
アンナが頭を抱えながら、その無機質な声に説明を求める。
『質問ヘノ応答ハ不ノ……エ、ナンデスカ、アップデート?ハイハイ、インストール開始……』
「??」
声はアンナの要求を無視しようとした後、何か別のものに反応し、押し黙ってしまう。
もう本当に訳が分からない。気が付けば変なところに閉じ込められていて、唯一の話し相手はすぐに黙ってしまった。
(本当に何なの?一発ちょっと怒鳴ってみても良いかしら?)
腹立ち紛れに過ったその案は却下された。もし返事が無かったら虚しいし、あの声の主が居なくなったと確定させてしまうと本当に打つ手がないのが浮き彫りになる。
こんな何もない意味不明な場所に一人で置き去りにされただなんて考えたくなかった。しかし、その心配は不要だった。
『おぉぉぉぉぉ!?凄いですよこれ!!』
「きゃあっ!?うるさっ!」
頭の中にさっきの声が爆音で響いた。思わず耳を塞ぐが、脳に直接響いているのは変わりないので意味が無かった。
『おっと、これは失礼しました!何分、500年ぶりのアップデートが超大型すぎて、興奮してしまいました』
声の主は先程とは別人のようにハイテンションで喋り始める。アンナは面倒臭そうな雰囲気を感じるも、現状を知る手掛かりを得るためには相手をするしかない。
「アップデート?何だか最初よりも流暢に喋ってる気がするのはそれのせい?」
『あ、それは質問ですか?どうやら以前と違い光の巫女の質問への解答は許可が出ているようですが、最大3回までです』
「えっ、何それ、色々とツッコミたいけれど、ちょっと待って。何を聞くべきか、ちゃんと考えるから」
回数制限付きなんてケチだと思うが、今は相手の有利な状況だ。質問に答えてくれるだけ良心的だと考え従うしかない。ヤジロベエシステムだのアップデートだの光の巫女だの気になる言葉は色々あるが、そんなことの前に自分の現状を確認したかった。
「えっと……。私は魔族に捕まったはず。だったらここは魔族のアジトか何かだと考えるのが普通。けれど、どうみても普通の場所ではないし、あなたも人間でも魔族ですらもない、異質な存在みたいね。ということは……。私は死んであの世に居る、ということかしら?」
『取りようによっては複数の質問になりますが、まあいいでしょう。ここは確かにあの世と呼べるような場所。ですが、あなたは死んでいません』
「あの世だけど死んでない……?よく分からないわね」
もっと突っ込んだ質問をした方が良かったかも、と思ったが、分かったこともあった。この質問の回数制限、結構緩い。上手く質問すれば、色々と聞き出せるかもしれない。
「それじゃあ、次はあなたについて詳しく教えてくれる?」
『おお!私に興味がありますか!良いでしょう良いでしょう。私の名前は『キカイチャン』。この試しの間の管理を任されています!』
対話の基本はまず相手を知るところから、そう考えての質問だったが、思った以上の食いつきだった。余程会話に飢えていたのか、先程言っていた"アップデート"で上がったテンションが残っているのか。
「キカイチャンなんて、変わった名前ね」
『そうでしょうか?他の仲間がキカイチャン、キカイチャン、と呼ぶので私自身キカイチャンと認識しているのですが』
「それって……。まあいいわ。それより、仲間が居るのね」
『はい。何といっても私は、偉大なる創世神が最初に作った"六掟神仕精霊"の内の一柱……のはずなのに!どうして私だけこんな何も無いところで留守番なのですか!しかも、私に好き勝手改造を施して!』
「何か不満があるみたいね。私で良ければ聞くわ。ほら、あなたの悩み、全部詳しく話してみなさいな」
『本当ですか!なんと心優し……っは!?私、一個の質問で今どれだけの情報をあなたに話しました!?』
「ふふっ、あなた中々楽しいわね」
アンナに乗せられていることに気付き、キカイチャン、いや、恐らく仲間からキカイちゃんと呼ばれているこの声の主は声を上ずらせた。
初めて聞く六掟神仕精霊という言葉、この世界においてかなりの上位存在のようで、話を信じるならば神の被造物。聖職者なら神についての質問をするところかもしれない。しかし、アンナは神に興味はない。
そして、神の被造物の割にはあまり頭の出来は良くなさそうだ。あまりの馬鹿っぽさに、余裕の無いはずのアンナも思わず笑ってしまった。
「じゃ、最後の質問をするわね」
『クッ、もうあなたの口車には乗せられませんよ。手短にしか答えませんから!』
「試しの間、ってことは何かを試されるのよね?資格の検査?とかも言ってたし、その辺を分かりやすく教えて」
『小癪ですね、光の巫女の癖に!そうやって詳しくとか分かりやすくとか付けてシステムを悪用するとは!』
「あなたが勝手に喋ってるだけな気がするけれど?それに、光の巫女とか言われても何のことか分からないし、教えてくれないとこちらも反省できないわねー?」
『ああもう最初の巫女が素晴らしい人格者だったので油断していました!良いでしょう、そんなに気になるなら教えてさしあげますよ!光の巫女は神によって定められた、人類を導く存在!あなたはその内の火の光の巫女!見事に資格の所有が認められれば、あなたはそれはもう凄い力を手に入れられます!』
ヤケッぱちな口調でスケールの大きな話をするキカイ。
アンナも急に人類を導く存在だとか言われて、ピンと来ていない。凄い力も別に欲しくない。アンナは今の自分の能力に満足していた。
「火の光の巫女……。ま、妙な肩書きには慣れてるわ。ていうか、どうして急に色々話してくれる気になったの?」
『フフフ……。どうせあなたはここから出られないからですよ。資格が無いと判定されれば、あなたはもう元の世界には帰れません』
「あら?資格というのは光の巫女であるってだけじゃ駄目なの?」
『それは受験票みたいなものです。火の光の巫女として真に認められるには、試験に合格しなければいけません。それを調べるのが、この『試しの間』です。そして、試されるのは、あなたの徳。徳とは『自分の力ではどうしようも出来ない苦境にある人間を助ける』こと。この意味が分かりますか?あなたのような狡い手で私を嵌めようとする人間には、そんな徳が備わっているはずがありません!』
「そ、それは……」
チョロそうな雰囲気を感じていたアンナは、たじろぐ。提示された徳の条件を満たしている自信は、確かに無い。せいぜい、ユウをヴィナサラポーションで助けた位しか思い浮かばない。悩みを抱えた来訪者達には逆に助けられてばかり。
(ユナには色々手を貸したけれど、一人でどうしようもない訳じゃないお節介ばかりだし、数には入らないわよね。あ、そういえば、エヴァン会長が私に救われたとか言っていたわね。私が能動的にしたことじゃないし、どうせ会長のことだし自分で解決しようと思えば出来たのではないかと思うけれど、考慮して貰えないかしら?)
アンナは自分の人生を思い返す。悪人ではない自信はあったが、やはり逆に徳と言えるほどの善行をした記憶も無かった。
『さあ、審判を受ける覚悟は出来ましたか?』
「覚悟、ねぇ……。まあ、徳なんて今更取り繕えるものでもないし、受けるしかないわよね」
『潔さだけは一人前のようですね。ふふふ、では、始めましょう――』
キカイの不敵な笑いを合図に、アンナの足元に魔法陣が浮かび上がる。アンナを見定めるように、白い光の輪が下から上へゆっくりと流れていく。
『ほう、これは……。思っていたよりも……』
「何?やっぱり駄目なわけ?」
『いえ、数は少ないですが、二つとても輝かしい徳があなたにはあります』
「輝かしい、って優れてるって事よね?うーん、一つはユウだとして、もう一つは誰とのかしら?」
『その相手は、あなたを助ける為にすぐそこまで来ているようですね』
「すぐそこまで?ここってあの世的な場所なのよね?誰だか知らないけれど、そんなことができるの?」
アンナは最早質問回数の事など無視していた。キカイももう回数制限などどうでもよくなっているようで、ただアンナに対して受け答えを続けた。
『ああ、あなたは知らないのですね。この場所に繋がる入り口は、エイデアス大陸にあるのです。あなたはその内の一つである地龍と接触してここに来たのであり、あなたのお仲間があなたを助ける為に現在地龍と奮闘中のようです』
「はあ!?ち、地龍!?なんで私が地龍なんかと接触を!?いえ、それよりもちょっと待って!仲間ってもしかして、来訪者たちの事?あの人たちが来る直前に私は魔族に襲われたし!大変よ、地龍なんかと戦ったら、いくら逃げる手段がある彼らでも死んじゃうかもしれないわ!す、すぐに退かせないと!ねえ、早く私を元の世界に帰して!」
アンナは血相を変えてキカイに詰め寄る。キカイの姿は無いため詰め寄ると言っても気持ちだけだが。呑気に変な精霊とお喋りしている場合ではなかった。そんな重要な情報は先に教えて欲しかったと不満をぶつける余裕すら無かった。
『ふ~む』
しかし、キカイは渋るような唸り声を返してきた。
「な、何よ、徳が足りないとか言うんじゃないでしょうね?光の巫女だか何だか知らないけれど、私の意思とは全然関係無しにこんな場所に連れてこられたのよ?それで資格が無いから駄目なんて理由で帰してもらえないなんて、そんなの許されないわ!足りない分は後払いで返すから、今はとにかく……」
『あ、いえ。徳なら足りているみたいです。というか、今、規定値に達しました。貴女という光を取り戻そうと、これだけの人数が危険を顧みず地龍と戦っている、その事実が加味されたようですね。ですが、ちょっと別のことで悩んでいまして』
「はあ!?あなたの悩みなんて知らないわよ!そんなの私を帰してからにしてよ!」
『さっきは悩みを話してみてと言っていたのに、聞きたいことが聞けたらもう興味無しですか……。身勝手が過ぎますが、ちゃんと巫女としてやることはやっているみたいなので、認める他ありませんね。では、そちらの燭台の前に移動してください』
キカイはその名前の割に人間臭い溜息を吐きながら、アンナの要望に応じる。
アンナの意識が自然と複数ある燭台の内の一つに向けられた。アンナは言われるがままに、その燭台へと駆け寄る。
「ここでいいの?この燭台、さっき《着火》で火をつけようとしても全く反応が無かったのだけれど?」
『それは当然です。この燭台は神が作った物、普通の魔法で火がつくはずがありません。というより、あなたのその魔法は火属性魔法の《着火》ではありませんよ』
「え?」
「その魔法は光の魔法。世界を導く神の力。その真の名は――」
アンナの背筋にゾクリと冷たいものが走った。今まで脳内に流れていたキカイの声がすぐ後ろから聞こえた気がした。そして、脳内には代わりにとある言葉が、誕生日の朝の祝言のような温かい輝きを放っていた。意味は分からないが、その言葉を唱えれば全てが解決することだけは直感で理解できた。
「《紅炅の導燈》」
* * * * * * *
「……止まった?」
エヴァンは遥か高くにある地龍の頭部を見上げ、そう呟いた。
ジルの拳は地龍の眉間ど真ん中に確かに叩き込まれた。それでも地龍は斃れることは無かったが、その進行はピタリと止まり、同時に触手による攻撃も収まった。
少なくとも一時的に動けなくするほどのダメージは入れられたか、そう考えた時。地龍の口が開く。
「ブレスか!?不味い、ジル、離れ――」
それを攻撃の前触れと捉えたエヴァンは、地龍の鼻先に乗っているジルに知らせようとする。が、その前に地龍の口から吐き出されたのはブレスではなく、赤い髪の人型の――。
「きゃああああああああああ!!??」
「「アンナ!?」」
エヴァンとジルは、すぐにその正体に気が付いた。やはり生きていた、守るべき人、アンナ。そのアンナは悲鳴を上げながら地面に向けて落下していく。
エヴァンは瞬時に動いた。残り少ない精霊の力を振り絞り、驚異の跳躍力でアンナを受け止めに行った。
しっかりと抱き止め、腕の中の愛しい温もりを確かめる。生きている。信じて、全てを賭けて地龍に挑んだのは間違っていなかった。無事に着地し、何とか守ることができたその顔を確認する。
「アンナ、無事だな?」
「――あれ?会長?助けに来てくれたのって会長なんですか?あっ、無事かどうかですよね。私にもよく分かりませんが、ここがあの世でないなら無事だと思います。ありがとうございます」
アンナはまだ状況を全く掴みきれていなかった。キカイに教えられた魔法を唱えた矢先の突然の落下、気が付けばエヴァンに抱き締められている不思議な体勢。まあ、助けてもらったことは分かったため、とりあえずお礼は言った。
「ああ……、良かった。本当に……」
「あ、の?」
エヴァンの腕の力が一層強くなる。まるで永遠の別れの前に大切な人へと想いを込めるような強くて優しい力。アンナは少しの苦しさと困惑を覚えたが、それだけ心配してくれていたんだと解釈し、その想いをしばし受け止めることにした。
「ナイスキャッチだエヴァン!」
「あ、兄さんも居たのね」
ジルは地龍の背中を滑り台にして強引に降りてきた。それに対するアンナの反応はそっけなかったが、そんなことを気にするジルではない。
「当たり前だろ!俺だけじゃねえ、ハピコ達もお前を助けるために駆けつけてくれたんだぜ」
「そう……。また皆に借りを作ってしまったわね。ていうか、皆無事よね?」
「恐らく無事だろう。ここはまだ危険だ。アンナも救えたのだから、すぐに離れよう」
「危険?あー」
アンナは上を見上げる。どうやら自分が落っこちてきたらしい巨大な地龍の頭はその動きを止めているが、いつ動き出してもおかしくない。
しかし、そんな状況を認識しても、今のアンナには何の恐怖心も沸かなかった。
「会長、ちょっと放してもらっていいですか?」
「えっ。ああ、す、すまない」
アンナはエヴァンの肩をポンポン叩く。エヴァンは抱き締めすぎたと思って慌ててアンナを放す。別にアンナは抱き締められるのを嫌がった訳ではないが。
アンナは地龍の方へ歩み寄る。地龍が動き出せば一瞬で潰されてしまう位置まで近づき……。
「《紅炅の導燈》」
指先の赤い光を、地龍の黒い胴体へと擦り付ける。
すると、地龍が動いた。
「「アンナ!」」
エヴァンとジルが同時に助けに入ろうとするも、アンナは「大丈夫」と微笑んだ。
地龍はその高く持たげた頭をアンナの顔の前にまで降ろした。しかし、口は開かず補食するつもりはないのが伺える。
「よしよし、良い子ね」
アンナは嬉しそうに、地龍の鼻先を撫で始めた。
懐いている、そう表現するしかない光景。しかし、地龍が人に懐くなど、誰も思いもしない。
「アンナ、一体どういうことだ?」
「さあ?私もよくは分かっていませんが、この子は私の言うことを聞いてくれるようです」
「この子って……。地龍だぞ?……まあ、お前がそう言うんならそうなんだな」
ジルは思考停止アンナ肯定モードに入った。エヴァンはあまりのシスコンっぷりに呆れた目を向ける。
「いやジル、いくらなんでもこれは説明がないと呑み込めない、状況だ……ぞ……」
しかし。アンナに説明を求めようとしたエヴァンの言葉尻は、次第に消え行った。
「……」
「え、会長?会長!!」
その後すぐにエヴァンは緩やかに倒れ、バサリと伏してしまった。その様はまるで自立できない人形のよう。アンナが幾度も体をゆすって呼びかけるも、眉一つもピクリとすら動かない。
「エヴァンの奴、完全に心やっちまったのか……!?」
動かないエヴァンを見て、ジルがギリリと歯を食いしばる。
「心?い、一体何があったの?会長、ちょっと疲れて寝てるとか、そういうことよね?」
「……違う、こいつはお前を助ける為に精霊解崩を使ったんだ。心も鍛えてるから大丈夫、だなんて言ってたが、クソッ、全然ダメじゃねえかバカヤロウ!」
「精霊解崩!?噓でしょ、私を助ける為にそこまでするなんて、いくら会長がお人好しでもあり得ないわよ!」
アンナの感情が昂る。授業で言葉だけは習ったが、絶対に使ってはいけないと言われた、捨て身の力。それを使ったということがどういうことか、目の前の現実、動かないエヴァンが声も無く物語る。
「俺もそう思うぜ。……だが、エヴァンが選んだ道だ。そんで精霊解崩していなけりゃお前を助けられなかった。バカな奴だがバカにはできねぇよ。わりぃ、俺は他の奴らを呼んでくるから、エヴァンの側に居てやってくれ」
立ち去り際にジルが、どうしようもなかった、という風に言い残したが、アンナは理解を拒んだ。
凍てつくよう込み上げた悲しみが目からボタボタと溢れ出した。
自分が助かるために誰かが犠牲になるなんて嫌
会長ならもっとうまくやれたんじゃないの
どうしてそこまでしてしまったの
まだ返してない借りが沢山あるのよ
アンナはこの時、初めてエヴァンに対して怒りを覚えた。怒らないとやっていられなかった。全てが上手くいくはずだったのに、結局誰かを犠牲にしてしまうだなんて。
アンナは怒りのままに声を張り上げた。
「何が……、何が世界を導く神の力よ!何が火の光の巫女よ!……そんな力も肩書も要らないから、会長は、会長だけは助けてよ!」
地龍の頭部、先程までアンナが居た試しの間にいるキカイにぶつけるつもりで。
無論、あそこはこことは別次元であり、届くはずがない。分かっていても、今のアンナは神に乞うことしかできなかった。
ところが。
「あーあ。無茶しましたね。精霊解崩なんて鍛えてどうにかなるものじゃないのに、馬鹿なのですか、この男は」
「え……?」
幻聴かと思った。
さっきはずっと脳内に響いていたその声が、隣から聞こえた。
アンナが驚いて横を見ると、そこには日の光を知らない白い肌の、茶色い髪の女性の姿があった。
「もしかして、キカイ……?」
「あっ、キカイじゃなくてキカイチャンです。ですが、人は親しい間柄ではあだ名で呼び合うこともあるそうですし、キカイというのもフレンドリーで良いですね。まあ、私は本心ではまだあなたを認めたくないので、親しいと呼べる仲ではありませんね」
「呼び方なんてどうでもいいのよ!その姿、人型になれるならさっきもそれで対応してくれればよかったのに!って、それも今はよくて、キカイ、あなた試しの間の番人なんでしょ?なんでこの世界に居るのよ!」
「フフフ……。あんな辛気臭い場所、もう懲り懲りです。なので、あなたの後を追って、お役目とはオサラバしたという訳です」
「嘘でしょ、あんなに大事そうな役目なのに、簡単に放棄するなんて……」
アンナはこのキカイという精霊が滅茶苦茶なことをしている気がしてならなかった。燭台は他に4つもあり、恐らくそれらを灯すのはキカイとその仲間にとってとても重要なことのはずだ。
が、アンナはこれ以上ツッコむ気も起きなかった。今はキカイのことを気に掛けている場合ではない。
「……はぁ、まあ私には関係ないわね。今は気持ちがぐちゃぐちゃであなたの話し相手をしている余裕はないから、どこか行ってて」
「おや?どこか行ってていいのですか?この男を助けたいのでは?」
「え……?助けられるの?」
アンナは涙の線が残る顔を上げ、キカイの目を見る。そこには大胆すぎる言動に似つかわしくない、どこまでも透き通った神性を宿す瞳があった。
「当然ですよ。私は最も偉大な精霊、六掟神仕精霊ですよ?精霊の器の修復くらい、簡単です」
「ほ、本当に?副作用とか、代償とかは?」
「無いですね。強いて言えば条件が一つ、相性の問題がありますね。まあ、私は土の神仕精霊、彼も土属性で、肉体強度も一級。その条件もクリアです」
「その条件から鑑みるに……。もしかして、エヴァン会長と契約しようとしてる?」
「そうに決まってるじゃないですか。ふ、ふふ……、この鍛え上げられた肉体、なんと美しい……。私の力を存分に発揮してくれそうで愉しみです」
キカイがエヴァンの服をめくりあげてニヤニヤしながら腹筋を撫で回しているのを見て、アンナはムっとした気持ちになる。釣った魚を野良猫に齧られているような気分だ。だが、どうしてそのようなイメージが湧いたのか分からず、雑念として処理した。今はエヴァンが助かればそれでいい。
「それじゃ、会長のことは全部任せて良いのかしら?」
「はい。この器の崩壊具合なら、20年あれば直せるでしょう」
「20年!?そ、そんなにかかるの!?人間はあなたたち精霊と違って短命なのよ!?」
「あ、そういえばそうでしたね。でしたら、私がこの男と契約した後に《紅炅の導燈》でも適当に振りかけておいてください。そうすれば七日くらいで治せます」
「あの魔法、神の力なのに扱いが雑過ぎない!?しかも七日って短くなりすぎよ!」
「雑だろうと何だろうと、人を導く為の力は人の為に使われるものです。《紅炅の導燈》はあらゆる闇を照らす魔法。今の彼の心は真っ暗に閉ざされていますが、照らす灯かりさえあれば修復は容易です。では」
ツッコミが追い付かないアンナをよそに、言いたいことは言ったとばかりにキカイは体を淡く光らせ始めた。そして、そのままエヴァンの胸に吸い込まれていった。
見た感じでは何が変わったかは分からない。ただ、アンナは出来ることをするだけだ。
「……《紅炅の導燈》」
赤い光がエヴァンの胸に吸い寄せられる。今までの感覚であれば服に火が点くため恐る恐る見守る。だが、当然エヴァンを火だるまにしてしまうことはなく、エヴァンの凍ったような無表情が和らいだ気さえした。いや、気のせいではないのだろう。心が修復されれば感情も元通りになるのだから。
疲労と安堵。アンナはそのままエヴァンの胸に倒れ込む。体温と共に正常な鼓動が伝わり、更に安心させられる。
(大切な人……。私、こんなに会長の事が大切だったのね)
家族以外の異性に対して、初めて"大切"の感情を抱いた。いや、前から抱いていたことに気が付かされた。それは鼻の奥をくすぐり、頬を緩ませてくる。今感じている温もりを手放したくないと、アンナはどうしようもなく懐くのだった。
予約投稿のつもりが日付を間違えました




