20.冒険
地下ダンジョン。それは、大地の支配者たる地龍の残す巨大な迷宮である。
地龍は普段はその巨体を地中深くの岩土に一体化させており、移動に際してもそこに空洞が空くことはない。
しかし、そんな地龍も体を実体化させるタイミングがある。人類が『地の龍災』と呼んでいる、大規模な食事の時だ。その時、地龍は体から無数の触手を地上へと枝状に伸ばし、近くにいる生物という生物を根こそぎ食らい尽くす。
地上に伸びた触手に穿たれた空洞の内、そのいくつかが頑丈な石壁で補強され淡い光で満たされた地下ダンジョンへと成るのだ。
地下ダンジョン内には魔物や罠など危険も数多く存在するが、貴重な鉱石類や良質な粘土などの人類にとって有益な物質も生成される。魔物も道具や錬金術の素材になるもの、食材になるものなどが多く、人類はそれらも含めダンジョンの恩恵として扱ってきた。
そして250年前、アースウィン王国では地下ダンジョンの意図的な密集生成計画が発案された。龍災は龍本体に近く且つ生物の密度が高い場所に起こりやすいという研究結果を元に、地龍が潜む地中の上に大量の家畜を生贄として配置し、龍災をコントロールしようといったものである。
その計画の経過は上々で、地龍は長く一ヶ所に留まり、多くのダンジョンを形成した。それらのダンジョンへのアクセスを容易にするために作られた町が、ダンジョン都市コルヴァだ。
コルヴァはダンジョンの恩恵を余すところなく利用し、急速な発展を遂げた。国の資源庫と呼ばれるまでになり、いつしかコルヴァで一山当てることが冒険者最大の夢になっていった。
だから、ある時期から地龍が少しずつコルヴァへと接近していることが判明しても、コルヴァの住人はその地を離れようとしなかった。コルヴァを治める領主が補助金で依頼の報酬を上乗せしてまで町の活気を維持しようとした結果でもある。
後にその傲りの対価を住民全員の命で支払うことになるとも知らずに――。
* * * * * * *
「あなたたち4人には、北にある『雷の坑道』というダンジョンに向かってもらうわ。目標はそこに出現する『ショックスパイダー』。痺れ効果のある糸で攻撃してくる蜘蛛の魔物で、そのドロップアイテムの糸を回収してきて欲しいの」
アンナは地図を広げ指を動かしながら、目的地のダンジョンを指し示す。
「く、蜘蛛……。ちょっと嫌じゃの……」
「だな……。しかもただの蜘蛛じゃなくて、狂暴で襲いかかってくるんだろ?」
ハピコとリョウタが、討伐対象を聞いて顔をしかめた。蜘蛛は地球でも人間が本能的に不快感を覚える生き物であり、当然の反応と言える。
「それは確かに怖いですけど、逆に可愛らしい魔物の方が倒すのに躊躇して困るのではないでしょうか?」
「それは言えているな。それで、そのショックスパイダーとやらはどれほど危険なのだ?」
「中級冒険者4人組で余裕を持って倒せるレベルね。まあ、あなたたちは特殊すぎるから参考にならなさそうだけれど」
「戦い慣れた大人4人でやっと余裕になる蜘蛛ってどんな蜘蛛だよ、おっかねえな」
「あまり想像しない方が良いかもですね。ですが、糸なんて持ち帰ってどうするのでしょう?」
「ショックスパイダーの糸は転送装置の配線になるのよ。大きさの問題か転送装置本体は無事だけれど、配線はきれいに全部野盗に持ってかれちゃってるのよね。だから、それさえあれば他のギルドと連携できるようになるわ」
「転送装置……。それは瞬時に物体を遠くに送れる類いの物か?時間があれば仕組みをじっくり調べさせてもらいたいものだ」
「送れるのは無機物だけだけれどね。それと、多分そっちの世界では再現不可能な技術よ。魔法絡みの仕組みだし」
他のギルドとの連携は、ギルドにとって最重要の機能の一つだ。転送装置を使った物資の流通とメッセージの送受信が無ければ、どれだけ人手が足りていようとも活動に限界が出て来る。物資も人手も足りていない今のコルヴァではなおさら、一刻も早く孤立状態から脱却することが復興への近道なのだ。
そういうわけで、ダンジョン探索に必要な物を可能な限り準備し、アンナは4人を雷の坑道へと送り出した。
「良い天気じゃの~。冒険というよりピクニック感じゃの。アンナさんも来れれば良かったのじゃが」
コルヴァの町を出て草原に作られた道を軽い足取りで進みながら、少し残念そうにハピコが言う。
「仕方ないですよ。アンナさんは緊急時に逃げる手段がありませんから。今度別の機会にアンナさんも一緒にちゃんとしたピクニックに行きましょう!」
攻撃手段と言えば着火魔法くらいしかない非戦闘職のアンナは、いざという時に身を守る手段が無い。この世界のことに一番詳しいアンナが同行すれば問題が起きた時に対処法を考え易い、そのメリットを考えてもリスクの方が大きかった。
「それが良いな。しかし、こうして隊列を組んで野山を歩くのは、子供の頃を思い出す」
トシシゲが後ろを振り返りながら、目を細めて口元を緩める。
4人は年長者且つ前衛向きのトシシゲが先頭を歩き、その後ろにリョウタ、更にその後ろにユウとハピコが二人横に並んでいた。
「そういや、俺が冒険に誘った時、トシシゲさんはすぐに快諾してくれたよな。それは子供時代の名残って感じか?こうして後ろを歩いてるだけでも頼りになるのが分かるし、昔からリーダー気質だったんだろうな」
「いや、昔は別のリーダーが居て、私はそいつの後をおっかなびっくりついていくだけだった」
「ま、マジか!?今のトシシゲさんからじゃ想像できねーな」
「ああ、私が変われたのはそいつへの憧れからというのが大きい。特に10代はいくらでも変われる時期だから、リョウタ、後ユウも大事なチャンスを無為に過ごさない方が良いぞ」
「トシシゲさんや、20越えのわしはもうノーチャンなのかの?」
人生の大先輩からのアドバイスに、一人だけハブられた気になり悲しそうにするハピコ。それに対してトシシゲは真顔で返す。
「いや、ハピコは変わらずとも既に変わっているだろう?」
「だな」「ですね」
「なんじゃとお!皆してわしを変人扱いしおって!ん?じゃが、有名な漫画家はおかしな人が多いのじゃ。むふふ、そういうことなら話は別じゃ、怒って悪かったのう。ほれ、お詫びにわしの部屋から取り寄せたおやつをおすそ分けしてやるのじゃ」
一瞬怒りに唇を尖らせたハピコだったが、勝手に納得して機嫌を直した。そして、バッグから細長い茶色のせんべいのようなものが入った袋を取り出した。
「えっと、それはなんですか?」
「しいたけせんべいじゃ。最近ハマっておる」
「しいたけのせんべい?あんまり旨そうに思えねえな」
「そう思うじゃろ?ところがどっこい、これがなかなかイケるのじゃ。騙されたと思って食ってみぃ」
「しじみリンゴそばを毎日食べる人のイケるは信用できねー……」
ハピコは強引に3人の手の中にしいたけせんべいを納めていく。お詫びという名の布教だ。手渡された3人、特にハピコの味覚に疑念のあるリョウタは謎の食べ物に困惑する。それでも、善意で渡された食べ物を突き返す気にもなれず、同時に口に運んだ。しばらくの間、バリボリと嚙み砕く音だけがが草原の風に乗って流れていき。
「おおー?これは……。意外と悪くねーな」
「不思議な味ですね。確かに美味しいかも?」
「菓子らしい甘味の中に、しいたけのうまみが濃縮されたような味で面白いな。私はかなり好きだぞ。しいたけを菓子に使う発想も参考になる。よくこのような商品を見つけたな」
「地方のマイナー菓子フェア的なのをネットでやっておってな。気になってつい買ってしまったのじゃ。確か三重県のものじゃった気がするの。食べ続けるとそのうち止まらんくなるぞ~」
推しのお菓子が上々の反応を得られて、ハピコは得意気に語る。更に追加でしいたけせんべいを2本ずつ配り、ハピコ自身もポリポリ貪りながら、道を進んでいった。気分は完全に遠足である。
仮にも未知の異世界の野外。些か気を抜きすぎにも見える。
彼らがここまで呑気で居られるのには理由があった。この世界の魔物は基本的にダンジョン内にしか発生しないとアンナから説明されていたのだ。ダンジョン外部でも例外として稀に発生する『空崩』と呼ばれる時空の裂け目から魔物が現れることもあるが、空崩は空を見れば一目瞭然で、不意に魔物に襲われる心配はない。
そのため、一行はお喋りしつつ異世界の風景を楽しめるほどゆるりとした心持ちで歩いていった。
「あっ、あそこに洞穴があります!」
ユウが岩場の影にある地下洞窟への入り口のような穴を指さし、皆に知らせる。
「あれがダンジョンの入り口っぽいな。ここからは気を引き締めねえと」
「わし、もう結構ヘトヘトなんじゃけど……」
「なら、ハピコはここで休んでいるか?」
「そ、それはヤなのじゃ!そうじゃ、ユウ、わしの足に回復魔法を使っておくれー」
「あ、はい!」
呼ばれたユウが、近くの岩に腰掛けて差し伸ばされたハピコの足に回復魔法を使用する。
「はー、ありがとなのじゃ。疲れがサッパリ消えて、おまけにお肌がスベスベなのじゃ!」
右足の脛に指を滑らせ、満足気にハピコが顔を綻ばす。完全に美肌効果に味を占めてしまっていた。その様子を、トシシゲが唸りながら見ていた。
「あ、トシシゲさんも回復魔法要ります?」
「いや、私はいい。その魔法、治癒能力ではなく時間を巻き戻しているのだろう?なら、せっかく運動した分が無駄になって全く鍛わらんだろう」
気を利かせたユウがトシシゲの方へ駆け寄るが、トシシゲは頑と断った。
「うっ、そうなのじゃ?回復魔法に頼りすぎるとまずいということかの?じゃ、じゃが、お肌の若返りはトシシゲさんにも十分魅力的じゃろう?」
「それはそうだが、所詮は細胞の一時的な若返りに過ぎないのだろう?年齢的に若返ったりするなら大いに魅力的だが……。なんにせよ、異様に若返ると、日本に帰った時に周りへの説明が付かん」
「細かいことを気にするのじゃな。じゃがまあ……、わしも少しは鍛えんと、この異世界の地を遊び歩くのはキツいかのう?」
普段家に籠りがちで運動をほとんどしないハピコにとって、今回の道のりは貴重な運動時間だった。それが無駄になったと思うと途端に大きな損をした気になってくる。
ともあれ、何事もなく目的のダンジョンまで到達した。ここから先は危険が渦巻く。一行は緩んでいた気を引き締めなおすと、洞窟の中へと足を進めていった。




