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異世界人受付カウンター  作者: 唐科静玖
第一章 窮地の受付嬢と4人の来訪者
2/48

1.卒業式

≪530/3/30(土) 8:38≫


 春、それは別れの季節。

 この日、このアースウィン王国の王都ローザリアにある職業学校でも、全ての学習過程を終えた生徒たちの卒業認定式が行われようとしていた。

 普段は生徒たちを不快にさせている南方から吹くベタ付いた潮風も、今は落ち着きを見せてこの日の主役の卒業生たちを優しく見守っている。

 そして、目を引くのが校舎前の桜並木だ。冬の間に大地に蓄えられたエネルギーがここぞとばかりに爆発したことで満開の様相を見せている桜の花は、温かな春風に揺られ、花びらを舞い落とし、広大な校庭を華々しく演出していた。

 さわさわと振れ動く枝の隙間から漏れる天の祝福のような陽光。綺麗な桃色の桜の花びらのみが演者であったそのスポットライトの真下に、途端にそれらが脇役に成り果てる程の強烈な印象を放つ赤が加わった。人気のない校舎の正面入り口から出てきたそれは、そこで一度静止してからくるりと身を翻した先の白亜に向けて、ほぅ、と息を吐いた。


「2年、かぁ。たった2年でおさらばだなんて、こんな大仰な施設にしてはあっけないものね」


 感慨もなくそう呟いた彼女の名は、アンナ・ガーネット。着るのも今日で最後になる予定の学校の制服に身を包み、強く目を引く美しい赤い髪を肩元でふわりと巻いている。光の当たり加減によってはサファイアのような輝きを見せる青い瞳には、二度と足を踏み入れることのないだろう慣れ親しんだ学び舎がしかと焼き付けられていた。


(後1年も在籍していれば愛着が湧いたのかもしれないけれど、これ以上学ぶこともないし仕方ないわよね。それに……)


 アンナはしばし瞑目する。そうすれば、校舎自体には思い入れはなくとも、ここで学んだ内容や友人との思い出は瞼の裏に想起することができた。


(嫌なこともそこそこあったけれど、総合的に見れば楽しく有意義な学校生活だったわ)


 そんな総評を心の中で行ったアンナ。

 突如、肩にバシンと衝撃が走り、ビクリと身を竦ませる。


「おーす、お別れはもう済んだのか?」


 アンナの肩を叩いてそう言い放ったのは、体格の良い長身の男だった。自分よりも二回りも大きい男性に不意打ちで絡まれれば恐怖を覚えるものだが、アンナはその声を聞いた瞬間に安堵の表情を見せた。


「もう、ビックリさせないでよ。ジル兄さん」


 アンナは唇を尖らせて男に対して文句をぶつけた。この男はアンナの実の兄である、ジル・ガーネットだ。アンナと同様に目立つ赤髪をワイルドにツンツン尖らせており、制服も雑に着崩した不良スタイルだ。もっとも、不良に見えるのはその外見と少々頭が足りていない言動からくるものであり、実際はアンナも信頼を置く普通の好青年なのだが。

 アンナより1歳年上であるものの、アンナのギルド職員科は2年間、ジルの兵士科は3年間と就学期間が設けられているため、ジルもまたアンナと同年に卒業することになったのである。


「悪い悪い、お前が珍しく物思いに耽ってるみたいだったからつい、な。やっぱり卒業ともなると学校に心残りがあるよな」

「別にそんなこと。ただ、この綺麗な白い壁にどんな落書きを残してやろうか考えていただけよ」

「お、それは良いな。一緒にでっかい猫の彫りでも入れていくか」

「ふふっ、そんなことをしたら兄妹仲良く留年、あるいは修了書ももらえないまま退学ね。前者ならまだ良いけれど、後者なら私たちの栄えある人生が途端にどん底行きよ」


 アンナはたまに冗談が通じない兄に念のため冗談であることを伝える。この後の卒業認定式で修了書を得られるというのに、それを目前で台無しにされるわけにはいかない。


「それはヤベーな。退学にされても俺は体力があるし落伍冒険者でも何とかなるが、お前はそうもいかねえよな。それに、成績優秀で生徒会会計も務めて、ギルド総帥の孫娘を押し退けて王都のギルド職員になるのが確実と言われてるお前の評価に傷は付けられねえよな」

「それを言うなら、兄さんだって兵士科ではトップの実力だったんだから、評価に傷をつけられないのは同じでしょ。もしかしたら近衛兵にだってなれるかもしれないんだし」

「あー、そりゃ無理だ。兵士科にはエヴァンの奴が居るからな。戦いの実力だけなら俺と同レベルだが、あいつは頭も良いしなんたって生徒会長様だからな。今年の近衛兵はあいつで決まりだろうよ」


 ジルはバツが悪そうにこめかみをポリポリと掻く。が、それは妹の期待に沿えない気まずさからそうしただけで、悔しさはない。エヴァンはジルの親友でもあり、ジルもエヴァンが優秀な人物であると理解しきっているからだ。


「エヴァン会長、そういえばそうだったわね。あの人は色々出来すぎてて、兄さんと並べて考えることを脳が受け付けようとしてなかったわ」

「……おい、地味に俺のこと馬鹿にしてねぇか?」

「いえ、今のは会長が規格外すぎるって言っただけで、そんな意図はないわよ。確かに兄さんは馬鹿だけれど。それよりも、さっき会長が、卒業式が終わったら私たちと会いたいって言ってたわよ」

「やっぱり俺のこと馬鹿だと思って……!って、私たちって俺とお前ってことか?あいつが俺達に同時に用があるだなんて珍しいな」

「そうよねぇ。基本的にどんな問題も自分で解決できちゃう人だから、何か手伝わされるってことも無いと思うけれど、そうじゃないなら何なのかしら」


 先程までアンナは今年度生徒会の最後の会合に出向いて居たのだが、その時に生徒会長のエヴァンから呼び出しを受けた。拒否する理由もないので承諾したが、生徒会で1年共に活動してきたアンナも、親友のジルにもその目的が予想できなかった。

 気になって二人して顎に指を当てるポーズで考えるも、思い当たる節もない。

 そして、何かを考え付くよりも前にその思考は中断を余儀なくされた。いつの間にか、二人を遠巻きに眺める人だかりができていたからだ。


「見て、『紅の姫君』と『赤壁』よ。卒業前に二人が並んでいるところを見られるなんてラッキーね」

「結局、『赤壁』を崩して『紅の姫君』を手に入れる者は現れなかったな。俺にも力があれば狙いたかったが、あんなの文系職科じゃどうしようもないよ」


 そんな話し声が、アンナとジルの二人の耳にも届いた。

 『紅の姫君』とはアンナのことで、『赤壁』はジルのことだ。

 アンナはクラス内外問わずかなりモテており、彼女に淡い恋心を抱く一人の男子生徒が勇気を振り絞って告白をしたところ、それを知ったジルが『妹が欲しくば俺を倒してみろ』とその男子生徒に決闘を突き付けた。男子生徒はジルに対して果敢に挑むも惨敗。この事案以降、アンナと付き合いたければジルを倒さなければいけない、というのが暗黙のルールとなり、幾人もの生徒がジルに挑んでは敢え無く撃沈していった。その結果付いた呼び名が『紅の姫君』とそれを守る『赤壁』というわけだ。


「ったく、いつの間にこんな人だかりが。俺達も有名になったもんだな」

「大体兄さんのせいなのだけれどね。私は平穏に卒業できればそれで良いのに、兄さんがやたらと過保護だからこんなことになっちゃったのよ」


 過保護、もといシスコン。そう言っても差し支えないジルに向けて、アンナは生暖かいジト目を向けた。


(自分だってモテてるのにそれには気付かないで、(わたし)の恋愛にはこれでもかと干渉してくるのよね。そのせいで兄妹共々異性との交際経験が0とか、馬鹿みたいね)


 そう呆れた心情ながらも、アンナは実際には微笑みを浮かべる。アンナ自身、恋愛にさほど興味を持っているわけでもなく、よく知りもしない男から告白されても困るだけだったのだ。だから、兄が文字通り壁となって煩わしいこと(告白の突っぱね)を代行してくれるのはとても助かっていた。


「俺も倒せねえような奴に大事なお前を預けるなんてできねえから、恨むなら貧弱なあいつらを恨むんだな。っと、そろそろ大会堂(だいかいどう)に入らねえとマズいか」


 ジルは卒業式の会場である大会堂の入口に次々人が吸い込まれるよう入っていくのを見て、話の腰を折った。


「ええ、そうね。それじゃ兄さん、また後で」

「ああ。あっ、そうだ」

「?」

「卒業おめでとう、アンナ」

「ふふっ。ジル兄さんも、卒業おめでとう」


 二人は互いに笑って祝福し合い、他の卒業生たちと同じく大会堂の中へと歩を進めるのだった。



 大会堂内に設置された卒業生用の席は、800近くある内の8割が既に埋まっていた。

 アンナは全体を見渡して、自分と同じギルド職員科の生徒が集まっている場所を探す。しかし、アンナがその場所を見つけるよりも早く、アンナを呼ぶ大きな声が耳に届いた。


「アンー!こっちこっちー!」


 明朗なその声がした方向では、セミロングの黒髪の少女がアンナに向けて大きく手を振っていた。彼女のことを認識したアンナは、目立たぬように頭を低めながらササっと近寄り、黒髪少女の隣の席に腰を下ろした。


「ありがとう、ユナ。けれど、もっと控えめにアピールして欲しかったわ。目立ちすぎるし」

「あはは、そうだね。後になってちょっと恥ずかしくなってきちゃった」


 ギルド職員科では、常に騒がしいギルド内でも会話ができるように発声練習が毎日のように行われる。このユナと呼ばれた少女もアンナ同様にギルド職員科を卒業する身であり、ざわつくこの会場内でもよく通る声をしていた。

 先ほどの呼びかけ直後から会場内の喧騒は僅かに静まり、多数の視線が二人に集中してしまっていた。それに気づいたユナは肩を小動物のように縮こまらせて頬を赤く染まらせていた。そんな愛らしい様子のユナを見て、アンナは微笑ましく感じた。


「ユナのその感じ、なんだか安心するわね。入学式前日に街で迷子になってた時なんかは……」

「ちょっと!あの時のことはもういいでしょ!」


 二人が話しているのは、2年前の入学式の前日、王都にやってきたばかりで街中で迷子になっていたユナが、偶然出会ったアンナに助けられた時の思い出だ。

 その件以来、アンナはユナをそそっかしくて色々とやらかす子だと認識しており、入学後も度々フォローしていくうちに二人は親友とも呼べる仲になっていた。


「ま、ユナは頭自体はすごく良いんだし、たまに視野がすごく狭くなっちゃうところにだけ気を付ければ大丈夫よ。きっと良いギルド職員になるわ」

「うーん、アンにそう言われると嬉しいような悲しいような。もうこれからアンに助けてもらうことはできないんだって実感しちゃった」

「そうね。けれど、たとえ配属先が違ってもギルド間でのやり取りは頻繁に行われるし、関係が途切れるわけじゃないんだから、これからも仲良くしてほしいわね」

「それはもちろん!立派なギルド職員になって次はあたしが王都のギルドで揉まれるアンを助けられるように頑張るから!」


 胸の前で両手をグッと構え、やる気をアピールするユナ。その様子に、随分頼もしくなったものだ、とアンナは親友を評価した。もっとも、アンナからすればユナの裏表のない明るい性格には既に助けられていたので、一方的に自分が助けていたと思われているのは心外ではあったが。それを伝えるのはユナが本当に"立派なギルド職員"になってからでもいいか、と心の内に留めておいた。


「あ、そういえば話は変わるけど……」


 ユナはそう前置きすると卒業の空気に浮かれて緩んでいた顔を固く引き締め、口をアンナの耳元まで寄せて小声で話し始めた。アンナは何の話か見当もつかないまま、釣られてユナに耳を傾ける。


「さっきね、フィリがベルナール先生とコソコソ話してるのを見たの。何を言っているのかは聞き取れなかったけれど、すごく怪しく見えたんだ」


 耳元で囁かれたその名を聞いて、アンナの整った顔の眉間に皺が寄った。

 フィリというのはアンナとユナの同期のギルド職員科の生徒であり、現ギルド総帥の孫娘でもある少女だ。アンナから見ればいつも授業中怠けてばかりの取るに足らない生徒の内の一人だったのだが、いつしかフィリの方から一方的に敵視されるようになっていて、様々な嫌がらせを受けていた。

 成績で大きく上回っている以上はフィリに王都ギルド職員の座を奪われることはない。下手に相手をして自分まで内申点が下がったらひとたまりもないと華麗にスルーを続けていた。それでもアンナの学校生活上の嫌な出来事には大抵このフィリという少女が関わっており、実はアンナもかなりムカついていた。

 成績をお金で買っているというものに始まり、陰で男をとっかえひっかえしてるとか、生徒会の会計の立場を利用してお金を横領してるだとか、あらぬ噂を流されれば嫌いになるもの当然と言えるだろう。

 一方のベルナールはギルド職員科の主任教師であり、元王都ギルド職員のエリートである。が、アンナの印象としては、教師としての熱意は全く持ち合わせておらず給金さえもらえればそれでいい、というスタンスであるのが見え見えな人物であった。そんな人物とフィリ、なんとも嫌な組み合わせであるのは確かだ。


「うーん……。普通に最後の挨拶をしてたとかじゃなくて?」

「あの怠けっ子がそんな殊勝なことをすると思う?」

「しないと思うわね。まあでも、今更フィリのことなんて気にしても仕方ないでしょ。あの子は私を不快にさせることにかけては一流だったから、こんなおめでたい日には脳の片隅にも置きたくないわ」

「そっか、そうだよね。フィリは去年の夏あたりからアンナのことをやたらと目の敵にしてたから、何か企んでるんじゃないかと思って神経質になってたかも。もうこの話は止めにするね」


 アンナが話したがらない以上、ユナも掘り下げるのをやめた。しかし、この卒業式という最後の最後の日に怪しい動きがあることに不安感を拭いきれないでいた。



 それから数分、他愛もない思い出話で学園生活を振り返る。正面の壇上に校長が上がると会場は静まり返った。卒業式の始まりである。

 式はつつがなく進行し、最後の成績優秀者の表彰の時を迎えた。各科で最も優秀な成績を修めた者が壇上に呼ばれ、科の主任教師から賛辞と修了書を受け取り、配属先を言い渡される。この時の配属先は決まって王都にある各部門の最高機関、すなわちエリートコースだ。


「兵士科最優秀者、エヴァン・ザッカリア」


 顔に大きな傷痕を走らせ、それ自体が強固な鎧になりそうな分厚い筋肉を纏う、いかにも歴戦の猛者である中年の教師が、低くもよく響く声でその名を呼んだ。


「はい」


 アンナよりも遥か後方から聞こえたその返事の主、エヴァン・ザッカリアは、洗練された所作で壇上へと歩き出す。それと同時に、閑静を保っていた場内に黄色い歓声が沸き上がった。

 くすみの無い金色の髪にスラっとした高身長、迷いの無い真っ直ぐとした碧眼は平民ながらも王子のような気品があり、学校中の女子生徒の憧れの的になるのも当然であった。

 しかし、エヴァンはそれらの声にはピクリとも反応を見せず、ひたすらに黙って歩き続ける。そして、アンナの横を通り過ぎようとしたその一瞬だけ顔をアンナの方に向け、そのまま壇上へと上がっていった。


「今、会長笑ってなかった?」


 ユナが小声でアンナに囁いた。


「え、そう?いつもと変わらないように見えたけれど」

「えー?絶対笑ってたって。会長の口角があんなに上がってるの初めて見たもん」

「ユナも結構ミーハーね。会長に微笑まれて興奮するだなんて」

「そ、そんなんじゃないよぉ。というか、どう見ても微笑まれてたのはあたしじゃなくてアンだったよ?……もしかして、まだ会長の気持ちに気付いてないの?」

「気持ち?会長が優しい人なのは知ってるけど?」

「……はぁ、アンって賢いのに、なんでそうなのかなぁ」


 急に呆れた溜息を吐いてくるユナに、アンナは首を傾げる。


「何?言いたいことがあるならハッキリと」

「言わなくてもこの後分かるよ、多分ね。アンがどう答えるのか、ドキドキしちゃうな」


 ユナが意味深に頬を薄く赤らめるも、結局何が言いたかったのか分からずじまいだ。エヴァンが登壇したことで会場は再び沈黙せざるを得なくなる。


「王の剣と盾になりお守りする名誉ある仕事だ。誇りをもって務めるように」

「はい。この身をもって王をお守りすることを誓います」


 エヴァンが近衛兵になる旨のやり取りした短く行った後、エヴァンは舞台の裾へと消えていった。そして、それに釣られるように兵士科の生徒全員が席を立ちあがり、大会堂を出て行った。混雑・混乱を避けるため成績最優秀者を発表された科から出ていき、別の場所で勤務先を言い渡される仕組みになっているのだ。兵士科は100人以上が卒業するため、一気に場がガランとしてしまう。


(800人もいればこの措置も仕方ないとは思うけれど、残される身としてはなんだか気分が寒々しくなって嫌ね。それに、これだと兄さんに私の晴れ舞台を見てもらえないじゃない)


 兵士科の生徒として途中退場を余儀なくされた兄の背中をチラリと見送り、アンナは不満を抱く。自分の華ある姿を見てもらいたかっただけでなく、見れなかった兄が外で暴れないかが心配で仕方なかった。



 兵士科の生徒が出て行ったのを見計らい、司会をしていた教頭が次の科を指名した。

 そうこう繰り返してほぼ全ての卒業生が出払い、やっとアンナたちの番がやってくる。


「続きまして、ギルド職員科」


 教頭のその言葉で、ギルド職員科の主任教師、ベルナールが登壇する。

 客観的視点から、アンナは自分が最優秀生徒に選ばれると確信している。それくらいには学業での成績と生徒会での実績がギルド職員科の中では群を抜いていた。


(何かの間違いでも、他に選ばれるとしたら私に次ぐ成績のユナだろうから、その時はちょっと唇を噛んで悔しがりながら、笑ってユナを送り出そう)


 万が一の場合の心積もりも忘れず、準備万端で主任の発表を待つ。

 しかし……。ベルナールの口から告げられたその名は、アンナの心積もりを易々と叩き崩した。


「ギルド職員科最優秀者、フィリ・セアダズル」


(!?)


 アンナの脳がフリーズする。その称号を与えられる者として最も相応しくない名が呼ばれたのだから理解できないのも無理もない。フィリは授業をサボってばかりで卒業できるかどうかも怪しい駄目人間だったのに。

 次の瞬間には椅子を蹴って立ち上がりたい衝動に襲われたが……。


「そんなわけが……!」


 ガタン、という椅子の倒れる音がアンナが動くよりも早く隣の席から聞こえた。それと同時に聞いたことのない怒気を帯びたユナの声が響く。

 アンナはそんなユナの行動により、何とか冷静さを取り戻せた。そして、今最も優先すべきは怒りを露にすることでなく、親友を落ち着かせることだと判断した。


「ユナ、今すぐ座りなさい」

「でも、だって!」

「フィリはギルド総帥の孫娘、それがこの状況の全てでしょう。反抗すると下手するとユナの将来にも関わるわ」

「……!!」


 ギルド総帥はその影響力のあまり、平民でありながらも高位貴族並みの権力を持つ。この明白な不正はフィリが総帥の力を利用したと考えるのが当然の帰結で、その決定に異を唱えれば卒業資格の剥奪にも繋がりかねない。

 そうアンナが言わんとしていることを、ユナもすぐに理解する。しかし、あまりに理不尽すぎる展開に、怒りを抑えられないまま舞台を睨んでいた。


「ユナ・ユラ。神聖な式典をそのような乱雑な行動で妨害するとは何事か?何か言いたいことがあるのなら最後に言ってみるか?」


 ベルナールが光の無い瞳をユナに向ける。その物言いは、言い返せば卒業資格を剝奪すると脅しているのと同じだった。


「っ!いえ、何も……」


 ユナは成すすべなく閉口する。そして、アンナが立て直した椅子に悔しさが滲み出る涙顔で震えながら腰を落とした。

 科の他の仲間たちも動揺を隠せない表情でありながら、誰も何も言えずにいた。フィリの取り巻き達ですら驚いている異常事態だ。

 そんな中、白餡色のふわりとした髪をした小柄な少女が、一人落ち着いてタイミングを見計らっていたかのように、スっと席を立ちあがる。一連の騒ぎを見て満足げに薄ら笑みを浮かべながら、その少女は静まり返った場内にカツカツと足音を奏でながら壇へと上がった。そして、ベルナールに向けて優雅たらしく一礼をする。


「フィリ・セアダズル。君は明日からこの王都のギルドに勤めてもらう。ここで学んだ様々な知識と作法を遺憾なく発揮してこの国の発展に寄与するように」

「はい。謹んで拝命いたします」


 フィリは一切の迷いなくベルナールから卒業資格書と記念トロフィーを受け取り、再度礼をする。そして、明らかに挑発することを目的とした勝ち誇ったニヤけ面をアンナに向けながら、横幕の奥へと歩き去った。

 その様子を、アンナは冷ややかな目で見届けた。


(何が神聖な式典よ。こんな茶番、さっさと終わって欲しいわ)


 入学当初は強く憧れていた王都ギルド職員の道。それがとんだ出来レースであったことに気付いても、アンナは落ち着いていられた。こんなことがまかり通るギルドという組織そのものへの信頼と興味が大きく失われたからだ。


(兄さんがこの場に居なかったのは、結果的には助かったわね。こんなの絶対に暴れるし、暴れる兄さんを止めるのは不可能に近いわ)


 フィリが退場したことでギルド職員科の卒業生も会場から出ていくことになり、歩きながら先に退場した兄のことを思い出し少しホッとした顔を見せるアンナ。


 しかし、その安堵はすぐに曇らされることになる。



 フィリを除くギルド職員科の卒業生たちは、ベルナールの後に付いて校舎の側を歩いていた。どこか落ち着いた場所でそれぞれが修了書を受け取って配属先に関する説明を受け、それで卒業完了となる流れだ。

 アンナは、もう配属先とかどこでもいいから早く帰らせてほしい、と威圧的なオーラをベルナールの背に向けて放ち続ける。

 この学校の成績管理システムは万全だと思っていたからフィリが総帥の孫であっても警戒する必要は無いと判断していたのに、こうもあっさり覆されたのはこの主任教師が権力に屈したからに他ならない。まあ、総帥の権力に抗うのは不可能でありそこはある程度仕方がないと思うのだが、少しは罪悪感に苛まれるべきであるところを全くの無関心な表情を貫いている点が非常に腹立たしかった。そして一きわ強く念じた瞬間にベルナールが振り返ってアンナに目線を向けた。

 ギョッとするアンナに対し、ベルナールは面倒くさそうに口を開く。


「アンナ・ガーネットは別だ。あちらへ向かうように」

「は?」


 威圧していたのがバレたわけではないという安心を得る間もなかった。ベルナールが指さした先が専門棟と兵士科の演習場の間にある狭い通路だったのだ。

 薄暗く人気のない場所、嫌な予感しかしない。しかし、言うべきことだけは言ったとばかりに再び前を見て歩き出したベルナールにこのまま随行したところで大人しく卒業させてもらえるわけもない。

 アンナは仕方なく指示通りに列を離れた。ただでさえ憂鬱な気分なのだからこれ以上不幸にしないで欲しい。不安を押し隠すようにそう願う。


 そして向かった先には、背後に清潔感の無い男を二人連れている一つ結びの白髪の女性が待ち構えていた。


(この女の人、どこかで見た覚えが……。けれど、注意すべきは後ろの二人の落伍冒険者ね)


 アンナは咄嗟に身構える。それは正しい反応だった。落伍冒険者とは、正式な訓練を受けた認可冒険者とは違う、他の職業資格を剥奪された者が成る人生の敗者だ。汚れ仕事や最下級依頼で日々食い繋ぐならず者達だ。当然信用できる相手ではなく、金のためなら何でもする彼らを連れた人物も又まともな人間のはずがない。

 だから、自然と逃げるために後ずさる姿勢を取った。しかし……。


「あら、これを受け取りに来たのではありませんか?」


 白髪の女がピラリと見せつけてきたのは、紛れもなくアンナの修了書だった。この世に無二のそれを持ち出されては、アンナも話に付き合わないわけにはいかない。


「どうしてあなたがそれを?」

「ふうん、そんな怖い目で睨まないでいただけますか?私、一応こういう者でして」


 女は修了書を持つ手とは逆の手で、胸元から何かを取り出した。それを見て、アンナは目を見開かずにはいられなかった。


「ギルド総帥秘書、カトレア・ファスモダン……!?」


 ギルド職員としての最高到達点の一つであるその地位を証明する身分証。偽造できないことはアンナもよく知っている。何より、前にこの女性を見た場所を思い出した。科の実地演習で王都のギルドへ行った時に軽く顔を合わせていたのだ。


「話を聞く気になりましたか?後ろの二人の身分と場所が悪いのは分かっていますが、これでもギルド総帥秘書としての正式な仕事でこうして参じた次第なのです。わたくしがあなたの修了書を持っているのも、主任教師に代わってわたくしがあなたに配属先を言い渡すためなのですよ」


 落ち着いた物言いながらも、カトレアの瞳には野心のようなギラついた光が宿っていた。獲物を逃がさないその瞳には、押すも引くもできないまま尻込むアンナが捉えられている。


「……どういった事情で総帥秘書がわざわざ私個人の卒業のために出向いたのかは知りませんが、もうどうでもいいのでとっととやることをやって私を解放してもらえます?」

「ふふふふ……、せっかちですね。ギルド職員になるのなら、もっと落ち着いて対応すべきではないでしょうか?まあ良いでしょう。これは先にお渡しします」

「……どうも」


 アンナは差し出された修了書を素早く奪い取る。案外すんなり修了書を貰えたことに安心しつつも、警戒心は保ち続けてカトレアを油断なく見据える。


「それでは次に配属先ですね。配属先は……、西のダンジョン都市、『コルヴァ』です」

「コル……ヴァ?」


 これ以上精神的優位に立たれないように警戒していたというのに、アンナは表情を凍り付かせてしまう。

 西のダンジョン都市、コルヴァ。そこは、数多くのダンジョンを管理し、一攫千金に夢見る冒険者たちによって大いに活気づいた町。……というのは過去の話。現在は3か月前に起きた『地の龍災』が原因で一般市民も冒険者も全滅した死の町と化していた。復興の目途は立っておらず、人はおろか動物すらも住んでいない廃墟の町、と噂で誰もが耳にしている。


「その様子だと、かの町の現状は把握しているようですね」

「い、嫌……。そんな人も資源も無いところで生きていけるわけ……」

「そうかもしれませんね。しかし、ダンジョンで栄えたアースウィン王国の中でも最大のダンジョン保有地ですので、復興を急がねば国にとって大きな損失になるのですよ。あなたはその先駆けというわけです。そして、これが総帥の指示であるという証明書もここにあります。あなたに拒否権はないのです」


(これも総帥の指示……。フィリの奴、ここまでするか!!)


 復興など完全にアンナを追い詰めるための取って付けただけの理由だったが、総帥の指示であるとなればアンナに覆すことはできない。

 アンナの脳内に、顔だけは天使の皮を被った憎たらしい悪魔の姿が過った。フィリが自分から王都ギルド職員の座を奪うだけでは満足せず、ここまで徹底的に潰しに来るとは思いもしなかった。だが、総帥にこのような馬鹿げた証明書を作らせることができるのはフィリの他には考えられない。総帥が孫娘のことを溺愛しているというのはギルドに関わる者なら誰でも知っている事実だ。


「さて、望み通りとっととやることを終わらせました。ご卒業おめでとうございます。あ、先ほどの指示は即刻実行ですので」

「そ、即刻!?せめて家に帰って準備する時間は」

「さあ、これ以上は時間の無駄です。連れて行きなさい」


 耳を疑うような言葉の連続に猶予を求めようとするアンナだったが、カトレアは無視して後ろにいた男たちに指示を出す。


「頼むから暴れてくれるなよ」

「悪いな嬢ちゃん、こんなでけえ仕事はそうそうありつけねえんだ。俺たちの飯代になってくれ」


 自己中心的なことを言う男たちに両側から腕を掴まれ、アンナは自由を奪われる。


「痛っ!ふざけないでよ……。なんで私がこんな目に!ジル兄さん、ユナ、エヴァン会長……!せめて、せめて誰かにこのことを……」


 助けてくれそうな人物を必死に探すが、周囲にはカトレアと落伍冒険者の二人以外の人影はない。舞台は周到に用意されていた。

 そうして、アンナは何の準備もできないまま、暗い馬車の荷台に押し込められることとなった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです! [一言] 追ってまいりますので、執筆頑張って下さい!!!
2023/07/09 15:36 退会済み
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