15.初の土曜日
≪エイデアス 530/4/10(木)16:15≫
≪日本 2020/7/11(土)7:00≫
オレンジ色に染まる夕暮れのコルヴァのギルド。その中にずらりと並ぶ受付カウンターのうち一つには、『異世界人受付カウンター』という変わった張り紙がされていた。ここ連日の異世界からの客人向けに、アンナが用意したものだ。
そして、そのカウンターの前に突如人影が現れる。
「ほ、本当にまた来れてしまった……」
風格のある白髪と皺交じりの顔の男、トシシゲは見覚えのある古びた建物内を見回して、そう嘆息を漏らす。
手にはこの世界の身分証。この世界に来る前は『来訪』の2文字が表示されており、それに触れた瞬間この世界へと飛ばされて、今では文字が『即時帰還』へと変わっている。
この異常現象にも整然たるルールがあることを理解し、それらを紐解きたいという興味関心がトシシゲの中に沸々と煮立つ。
だが、それよりも優先しなければならない事があった。
「ふむ、異世界人受付カウンター、か。明快で助かるな。すまない、アンナさんは居るか?」
トシシゲはカウンターの前に立って、アンナの名を呼ぶ。すると、奥からタッタと駆け足の音が聞こえた後、彼女は姿を現した。
「あっ、トシシゲさん!来てくれたのね!」
嬉しそうに笑顔を湛えるアンナの反応は、トシシゲにとって予想外だった。前回あんなにも失礼な態度を取ってしまったのだから、不機嫌を押し付けられても文句は言えないとまで考えていたのだ。
だからと言って謝らないで良いわけではない、と襟を正し、トシシゲは頭を下げる。
「アンナさん、この間はすまなかった。まさかここが本当に異世界だなんて信じられず、大人としてあるまじき態度を取ってしまった。君の気を悪くしてしまっただろう?」
しかし、そんな下手に出られては、アンナは困惑するばかりだ。
「え?そんな風に思ってたの?私の方こそ、つい熱くなって追い返すような真似をしてしまったから悪い気がしてたのだけれど」
「いやいや、君はちゃんと説明してくれていたし、信じなかった私が全面的に悪い。それで、詫びの気持ちで菓子折りを準備したのだが……。どうもこちらの世界には持ち込むことができないようだな」
トシシゲは菓子折りの入った袋を下げていた肘に目をやり、申し訳なさそうに顔を俯ける。しかしアンナは気にしない。トシシゲが怒っていないと分かっただけで十分であった。
「まあ、異世界なんて普通信じられないでしょうし、詫びなんて良いわよ。どうしてもっていうなら、このギルド、ひいては町の復興に少し手を貸して欲しいのだけれど」
「復興?ああ、そういえば前に見た時、町の様子がおかしかったな。あの時は荒廃した異世界という演出かと思っていたが」
アンナにとっては些細な怒りよりもトシシゲの協力を得ることの方が重要だ。
トシシゲの気を引くことに成功したアンナは、ざっと町と自身の現状について説明をする。
説明を聞いていたトシシゲの顔は次第に難しくなっていった。
「ふん、どの世界も上層部の腐敗というのは変わらないものなのだな。長い歴史を持つ組織であれば淀みが生じるのも必然というわけか。そのギルド総帥とやらには上に立つものとしての在り方を叩きこんでやりたいものだ」
「ま、あなたたち異世界人が来たことで事情は最初とはかなり変わってるのだけれどね。私の運命が良くなるか悪くなるかは、あなたたちに懸かっているのよ」
「私と同じ日本人が他に3人来たと言っていたな。その者たちは今日やってくるのか?」
「一人は既に来ていて自由行動中よ。残りの二人も来てくれるはずなのだけれど……」
そう言ったアンナの視界内、トシシゲの背後が光り輝き、パッと人影が現れた。
「おおおっ、すげえ!本当にまた来れるのかよ!って、誰だこのおっさん!?」
出現と同時に大仰に歓声を上げた後、トシシゲに気付いて身をのけ反らせたのは、リョウタだ。
「うおっ!?いきなり背後に現れておっさん呼ばわりとは何事だ!」
「うげっ!す、すんません!うっかり口が滑って……」
トシシゲと顔を合わせ、その顔が思ったよりも厳つかったことで、リョウタは慌てて謝る。
謝りながらも失礼さが隠しきれていないのだが、トシシゲはリョウタの顔を確認し、一瞬考えるように目を伏せた後、口を開いた。
「ゴホン。まあ、このような奇異な状況なのだから、多少の無礼には目を瞑ろう。見たところ君も日本人のようだしな。私は松崎利重。日本では製菓会社の社長をしている」
「社長!?すごいっすね、俺なんて学生しながらコンビニでバイトしてる身っすよ」
「いや、学生でバイトしているのは充分すごいぞ。見たところ高校生くらいだろう?何か欲しいものでもあるのか?」
「欲しいものというか、治療費稼ぎっすね。弟が野球すっげえ上手いんすけど、怪我で続けられない状態になったもんで」
内容の割にリョウタの口調は淡々としたものだった。これまで何度も同じ質問をされ、答えてきたからだろう。
それでもトシシゲは、リョウタの執着心を見透かした。唇を固く結んでから続きの会話をする。
「弟の怪我の治療費の為にバイト、か。弟思いの素晴らしい兄じゃないか。で、その治療費は高いのか?」
「高いとか以前に、そもそも治療法すら見つかってないっす。だから、治療法を見つけるところから始めなきゃいけなくて、お金はいくらあっても足りない感じっすね」
「そうか。なら、その治療費を私が出す、言ったらどうする?」
トシシゲは目の奥に決心を宿らせ、切り込んだ。
「は……?いや、確かに社長さんなら金はあるんだろうし、出してもらえるならありがたいっすけど……。こっちから返せるものなんてないし、そんな良い話あり得ないっすよね?」
リョウタは一瞬揺らぐも、世の中そんなに甘い話は無い、と慎重に探りを入れる。
「飛び付かないとは、若者なのにきちんとしているな。もちろんタダではない。だが、返せるものが無いというのは君の思い込みだ。君には私の息子替わりになって欲しいのだよ」
「息子替わり……?あ、もしかして、息子さんが亡くなられているとかそういう感じっすか?」
「いや、息子は生きている。が、こちらにも色々と事情があってだね……」
トシシゲは息子の世話を任せていた妻が亡くなったこと、それにより息子との関係を見直さなければいけなくなったがどうすればいいか分からないこと等、事実をありのままに説明した。
「……はぁ、そういうのあるんすね。社長には社長の苦労というか」
「分かってもらえたか。私は息子と同じくらいの年代の子との接し方を探れる、君は弟の治療費を得られる、お互いにとって悪くない話だろう?」
「いや、俺にはその話は受けられないっすね」
「む?何故だ?」
トシシゲは目を見開く。急な思い付きではあったものの、対価の明確なリョウタ相手なら必ず飲んでもらえる条件だと思っていたからだ。
そんなトシシゲを見て、リョウタは頭に手を当てながら、しょうがない、という風に返答する。
「だって、普通に考えて俺があんたの息子さんの代わりになれるわけないっしょ。俺はしっかり両親に手をかけて育ててもらったから、あんたみたいな仕事馬鹿の親の息子の気持ちなんて分からねえ。そんなんで息子替わりっつわれても、やっぱ対価にはならねえよ」
「ぐっ……。そ、そうは言っても、君に損はないだろう?やるだけやってみても」
「いーや、そんな時間の無駄には付き合ってらんねえ。俺、実はもう金でどうにかする考えは一旦止めようとしてるんだ。せっかくこんな異世界なんていう未知に溢れた場所に来れるようになったんだし、手詰まりなあっちの世界より、この世界で弟の治療法が何かないか探す方が良いだろ?だから……」
リョウタはトシシゲに下からの態度をとるのは止めた。トシシゲが怖い大人であるという印象は完全に消え、自分と同じく悩みを抱えてこの異世界へとやって来た同類であると気付いたのだ。
そして、ニッと笑ってトシシゲに拳を突き出した。
「この世界で一緒に冒険しようぜ!もちろん息子替わりとかそんなんじゃなく、仲間として。トシシゲさんの悩みも、もしかしたらこの世界で活動すれば意外と簡単に解決策が見つかるかもしれないぜ?」
自分の要求を突っぱねて、代わりになされた予想外の提案。明るく真っ直ぐな視線。トシシゲは3倍近く歳が離れているリョウタに言い負かされていることに情けなさを感じる。
そして……。脳裏に過ったのは、遥か昔の記憶だった。
「冒険、か。ははは……、まさか、また私を冒険に誘う者が現れるとはな」
思い出されるのは、トシシゲがまだ小学生で、田舎暮らしだった頃の記憶。その頃のトシシゲは家に籠りがちの少年だった。
だが、ある日トシシゲの家に同じクラスの『やんちゃ坊主』がやってきて、トシシゲを山歩きへと引っ張っていったのだ。それはトシシゲにとって初めての冒険であり、外には面白いものなど何一つないと決めつけていた彼の閉ざされた探求心の扉を力づくで開いた。
以来、やんちゃ坊主の"冒険"には必ずトシシゲがついて回るようになり、他にも何人か"パーティメンバー"が居る中でも、頭の良いトシシゲは"参謀"として行動の要になっていった。
そんな青春の思い出、彼を成功者へと導く豊かな経験をもたらしたやんちゃ坊主と、今のリョウタの姿が重なり、トシシゲは目を細める。
そして、リョウタの突き出された拳に自身の拳をコツンと当てた。
「いいだろう。私も大冒険者として、仲間からの冒険の誘いを断ることなんてできない」
「へっ、決まりだな!って、大冒険者!?完全に俺の上位職なのに、めっちゃ偉そうに冒険説いて、俺恥っず!」
最後にトシシゲが一矢報いる形で、二人の『取引』は終了した。気恥ずかしそうに、笑みを向け合う。
「えーっと、話はまとまったみたいね?リョウタが来ていきなり喧嘩っぽくなったからびっくりしたわ」
二人のやりとりをカウンター越しに見守っていたアンナが、機を見計らって口を挟む。
「お、アンナさん居たのか!元気そうでなによりだぜ」
「ええ、私はなんとかやっているわ。それより、ポーションはやっぱりそっちの世界には持っていけなかったみたいで残念ね」
「あー、それな。けど、俺はまだこの世界に希望はあると思ってるぜ。だから、しばらくアンナさんにも世話になると思う」
「さっきトシシゲさんにもそう話してたわね。それで二人は仲良くなれたみたいだし、紹介する手間は省けたわね。そろそろハピコを呼んでくるから、その間にユウって子が来たら相手を頼めるかしら?」
人が集まってきたことで、0時と同時にこの世界に来て外に出かけていたハピコを呼び戻しに行く必要が出てきた。その間のギルドの留守番を二人に任せても問題ないと判断し、アンナは遠出しないように言ってあるハピコを探しにギルドから出て行った。
20分程経ち、アンナがハピコを連れてギルドへと戻って来た。そして、ハピコを見た瞬間、リョウタが大声を出して驚く。
「え、しじみリンゴそば妖怪!?」
「なんじゃ?人をいきなり妖怪呼ばわりとは?失礼ではないかの?」
「うげっ。す、すんません!ってさっきも同じようなことやらかしたような……」
デジャヴを感じながらも、やはり驚きを隠せないリョウタ。その特徴的な容姿で人間違いなはずもない。リョウタのバイト先のコンビニに毎晩『しじみリンゴそば』を買いに来る変な客と異世界でも顔を合わせるなど、想像にも及ばないことだった。
「ふむ、わしのことをそのような名で呼ぶとは。おお、思い出したぞ。お主、わしの家近くのコンビニでバイトしとる子じゃな!その様子じゃと、わしの神秘的で意味深なお姉さん作戦は失敗のようじゃな」
「し、神秘的で意味深……?あ、あの店内での奇妙な動きの意味ってまさか」
「もうよい、そのことは忘れるのじゃ。妖怪呼ばわりされとるとは思わなんだし、ハピコと呼んで欲しいのじゃ。本名、原ハピ子じゃからな!」
衝撃の事実の発表、とでも言いたげに、腕を組んで声高に宣言するハピコ。
しかし……。
「原ハピ子!?」
「ふふんっ、驚くのも無理なかろう。かの有名漫画家の名を知らぬとは言わせぬ!」
「い、いや、普通に知らねーけど……。名前の癖に驚いただけで」
「な、なんじゃとぉ!?」
「だって俺、スポーツ漫画がメインで後はちょっと少年漫画を読むくらいだし。トシシゲさんは知ってるか?」
「私も漫画には疎いから知らんな」
「そもそもマンガって何なのよ?マンガ家と画家は違うものなの?」
「ひぃぃ!?さてはお主ら、陽の者たちじゃな!?アンナさんはともかく、日本人ならもっとお国の文化に触れるのじゃ!」
漫画の話が通じない者たちだと分かり、ハピコは顔を青くして怯える。オタクの道を行く者相手なら多少威張れる部分があると自負していたハピコにとっては辛い状況だ。
だが、そんな場面に救世主が登場する。
「おぉ~、怪我無しでも来れるんですね、異世界。あれ、今日は随分と人が多いですね」
日本人らしい黒髪を携えた少女、ユウだ。最初に日本からやってきたユウは唯一他の来訪者の存在を知らなかったため、アンナ以外の人間が居ることが意外だったようだ。
「あ、いらっしゃい、ユウ」
「アンナさん、こんにちは!すみません、家の者の隙を作るのに時間がかかってしまい遅くなりました」
「大丈夫よ。他の人もさっき来たばかりだし」
「ということは、この人たちも日本から来た方々なんですね。えっと、私は……」
「わしは原ハピ子!お主はわしの名知っておるかの!?」
「きゃっ!?」
ユウが自己紹介する前に、ハピコが血相を変えて飛び付く。自分が思っているほど原ハピ子の名が知れ渡っていないのではと不安になっているのだ。
「原ハピ子……。あ、もしかして、『悪役令嬢onステージ』のハピ子先生ですか!?」
「おおおぉぉぉ!そうじゃとも!代表作とセットで覚えてもらえておるとは嬉しいのう!これでわしが勘違い雑魚作家じゃないことが分かったのじゃ。ユウと言ったか、ありがとの!」
「えっと、何があったのかは知りませんが、私は先生の漫画が大好きですよ!まさか異世界でお会いできるだなんて、光栄です!」
「ふぉぉぉ、そなたのような美少女がファンなだけでも超ハッピーじゃのに、そこまで言って貰えるとは漫画家冥利に尽きるのう!ほれ、握手じゃ。それからサインを……、ってこっちで書いても仕方ないから元の世界に戻ってから書くのじゃ!」
意外と漫画も手広く嗜むユウのお陰で、ハピコの自尊心はなんとか保たれた。
ハピコは喜びのままにユウの手を掴んで激しくブンブン振り回し、喜びを表す。
一頻り握手をしてハピコが満足すると、ユウは気を取り直して全員の顔が見えるように向き直る。
「えー、改めまして。初めまして、私の名前は七天山夕といいます。こうして異世界で出会えたのも何かの縁ということで、仲良くしてもらえると嬉しいです!」
しっかりとした挨拶に、リョウタとハピコはよろしくと頷き返す。そんな中、トシシゲだけは目を丸くして固まっていた。
(七天山だと……?そんな名字、あの家しか……)
「よし、それじゃ四人揃ったことだし、改めて軽く自己紹介をし合ってから、教会に行きましょうか」
トシシゲは何か思うところがあったが、アンナの進行に妨げられ、一先ずはその疑問を置いておくのだった。