13.原ハピ子③
ギルドに戻り、アンナ、ジル、ハピコの三人はテーブルを囲んで座る。
「名前は……、ハピコ・ハラさん、22歳ね。私はアンナ・ガーネット、17歳。そしてこの人は私の兄のジル・ガーネットで歳は私より一つ上よ」
ハピコから身分証を受け取ったアンナは、それぞれの名前を紹介する。
「よろしくなのじゃ。そのいつの間にかポッケに入っておったカード、名前も歳も書かれてるんじゃの。さすがは異世界、不思議なもんじゃ」
「あなた、この世界が異世界だってことに何の疑いも持たないのね。私からしたらそっちの方が不思議だわ」
アンナは説明しても信じずにそのまま元の世界に帰っていったトシシゲのことを思い出し、ハピコの呑気な顔を見つめる。
「ふっふっふ。オタクとして、異世界への憧れと転移時のシミュレーションは怠っておらんだからの。転移した時もわしの願いが神に届いたのじゃと、ビビっと分かったのじゃ」
「へぇ、ユウも言っていたけれど、そっちには異世界に通じる文化が盛んみたいね。興味深いわ」
「そのユウというのも日本人なのかの?その者は今どこに居るのじゃ?」
「ユウならもう日本に帰ったわ。この転移現象、12時間の制限付きみたいなのよ」
「な、なんじゃと!?たった12時間では大した体験もできぬではないか!」
「いえ、それが最初の12時間で終わりじゃなくて、何回も来れるみたいなのよ。ほら、これ見て」
「む?カード裏側にゴチャゴチャと書かれておるな……。ほう、なるほど、確かに土日ごとに来れると書いてあるのじゃ!どういう仕組みか分からぬが、すごいことじゃのう!」
身分証に裏に目を通しながら、次第に興奮していくハピコ。何度も異世界と自分の世界行き来できるというのは、漫画のインスピレーションの為に刺激的な経験をしつつも、元の世界で漫画は描きたいハピコにとって正にうってつけだった。
「なあ、盛り上がってるとこわりぃけど、そろそろ俺にも説明してくれよ。アンナはこんなヤバいとこに送られた割に元気そうだし、さっきから言ってる異世界ってのも訳分かんねーし」
黙って話を聞いていたジルが、やはり聞いていても理解できず、口を挟む。
「そうよね、普通は兄さんみたいに理解できないわよね……。まあ簡単に言うと、このギルドは私が来てからおかしくなってて、異世界の日本っていうところから人が突然やってくるようになってるの。ハピコさんで四人目で、全員この裏に色々書かれた特殊な身分証を持ってたわ。他に分かってることは少なくて、これから解明していく予定よ」
「へえ、よく分かんねえけど、アンナが言うなら異世界ってのがあるのは本当なんだろうな。だけどよ、その異世界から来た奴らは信用できるのか?」
「一人まともに話せないまま帰っちゃった人が居るけれど、その人も悪い人じゃないし、後の二人は信用できるわ。私が元気なのは彼らの力を借りれば、今の最悪な私の立場も何とかなるんじゃないかって思ってるからだしね」
「ん?最悪な立場って、こんな人の居ない町のギルドに配属されてることだよな?それなら俺と一緒に王都に帰っちまえば解決じゃねえか」
ジルは外に止めてある自分が乗ってきた竜馬に親指を向けて示す。だが、アンナはふるふると首を横に振ってその考えを拒んだ。
「それだと駄目なのよ。今回の私の人事はギルド総帥によるものだから。ギルド総帥の決定に従わなかったら、私ギルド職員としての人生は終わり。あっけなく落伍冒険者落ち確定ね」
「なっ、ギルド総帥がこんな馬鹿なことを仕組んだっていうのか!?エヴァンの奴は大したことじゃねえって言ってたのに、大事じゃねえか」
「そうね。けれど、幸いにも足掻ける道筋は見えてるし、このギルドで出来る限りのことはするつもり。あ、後、卒業式後のエヴァン会長の用って何だったのかしら?私が校舎裏に来なくて怒ってなかった?」
「エヴァンのことなんか気にしてる場合かよ……。あいつもお前を助ける為に動いてくれてたんだし、怒ってたワケねえよ。ま、用が何だったのかは教えてくれなかったがな」
ジルは呆れつつも、アンナが意外と余裕そうなのを感じ取った。
エヴァンの用が何なのか分からないのは卒業式前の会話の時と変わらないのだが、話を聞いていたハピコは……。
(卒業式、校舎裏……。ラブの匂いしかしないのじゃ。この二人、どうして気付かんのじゃ?教えてやった方が良いのかの?いや、何もせずに見守る方が参考になる展開になりそうなのじゃ)
などと瞬時に答えを導き出していた。それを教えるかどうかの判断基準が完全に自分本位なのは、漫画のネタに飢える者の末路である。
「そう、急な用じゃなかったのならいいわ。とにかく、このギルドの機能を回復させれば誰にも文句は言われないでしょうから、私は復興に向けて動くわ。兄さんは王都に戻って大切な情報を伝達してもらって、その後は働きながらたまに物資を補給してくれると助かるのだけれど」
この町の全て魂が救済されたという噂が流れれば、ダンジョン目当てでやってくる冒険者が現れるのは間違いない。その噂を広める役目をジルに担ってもらい、ついでに食料なども随時送って貰えれば磐石だと考えての発言だった。
だが、それを聞いたジルは一瞬考えるように視線を天井に移す。
「働く?……あ、そういえば俺も学校を卒業したんだったな。アンナのことで頭が一杯で忘れてたわ」
そんなこと言い放つジルに、アンナの顔は急激に青ざめていく。
「え……?まさか、職場に何も言わずにここに来たんじゃないわよね?い、一応聞くけど、勤務地はどこ?」
「王都の門兵だな。へへっ、結構力が認められたらしくて嬉しいぜ」
「あぁぁ……。王都勤務は4月1日から仕事が始まる……。もう一週間以上経ってるわ……。新人が一週間も無断欠勤とか、お、おしまいよ……」
職場から仕事に不適格と判断されれば、職業資格は剥奪されて残るのは落伍冒険者の道のみ。汚れ仕事しかできなくなるのだ。
それを避けるべく必死にこの町で功績を残そうとしているアンナにとって、兄であるジルがその落伍冒険者に成り果ててしまうなど、ショックで魂が抜けてしまいそうだった。
「いやー、うっかりしてたな。だが、最愛の妹ピンチだったんだから、仕方ねえよな!」
「うっかりじゃないわよ、この馬鹿兄さんっ!」
「そ、そんな怒んなって!あれだ、どうせエヴァンがどうにかしてくれてるだろ!」
「どれだけ会長に頼る気でいるのよ!会長だって王室近衛で忙しいんだから、兄さんの仕事にまで気を回す暇なんてないでしょ!いいから一刻も早く帰って職場に謝ってきなさい!」
「わ、分かったから怖い顔すんなよ!……ここにはお前一人じゃねえって分かって少し安心できたが、ヤバくなる前に帰ってこいよ。仕事より何より重要なのはお前の命なんだからな!あー、ハピコつったっけ?アンナのこと、俺の代わりに見ててやってくれよな!」
そう言い残し、ジルは竜馬に乗って王都に猛リターンする羽目になった。気絶したまま同乗させられた謎の覆面男たちは最寄りの町で衛兵に引き渡されることになる。
「も、もうちょっと優しくしてやっても良かったのではないかの?一応兄なんじゃろ?」
助けに来た兄を追い返したアンナの鬼気迫る様子に、ハピコが恐る恐る聞く。
「あれくらいキツく言わないと分からないのよ、兄さんは。本当に馬鹿なんだから」
「じゃけど、ジルさんが来るのが少しでも遅れていれば、わしはあの覆面の男たち捕まっていたのじゃ。わしの顔に免じて許してやるのじゃ!」
「今のところ迷惑しかかけてないあなたのどこに免じる顔があるのよ……。ていうか、あの男たちは一体なんだったの?」
アンナはハピコをジトっと睨んだ後、聞かねばならないことを思い出した。
「わしも急に襲われたからよく分からないんじゃけど、あれは体目当ての人さらいじゃ。お前の体に聞いてやるぜぐへへ、とか言ってたのじゃ!」
「人さらい?こんな人の居ないことが分かりきってる場所に?変な話ね」
残念なことに、ハピコは記憶力があまり良くなかった。その上、身に起きたことを漫画のネタの為に誇張して捉える癖まであるのだから、正確な情報を期待してはいけない。しかし、初対面のアンナにそこまでハピコへの理解が深まっている訳も無く。
ハピコの説明は、男たちがアンナがこの町に居ることを知っているような発言をしていたことが含まれておらず、彼らにとって不名誉な改変すらあった。
それらの間違った情報が訂正されることもなく、話は次に進む。
「そんな話より!ここは異世界、あるんじゃろ?魔法とか剣が!」
ハピコ目を輝かせ、アンナへと身を乗り出す。アンナは急なテンション上がりようにギョッと身を強ばらせるも、すぐに落ち着きを取り戻した。
「まあ、それは普通にあるけれど」
「おおおぉぉ!!さすが異世界なのじゃ!それで、お主は使えるのかの?見せてほしいのじゃ!」
「あ、あんまり期待されても、私の魔法は大したものではないわよ?これくらいしか……《着火》」
アンナが人差し指をピッと突き出すと、そこに小さな光の玉が現れた。その光の玉はアンナの手から離れると、壁に掛かっている燭台へと飛んでいき、蝋燭に火を灯した。
「ふおぉぉぉ!光が、勝手に飛んでったのじゃ!これが魔法なんじゃの!」
「そ、そんなにはしゃぐことかしら?、世の中にはもっと凄い魔法がいっぱいあるのだけれど」
過剰な反応に、アンナはむず痒い気持ちになる。だから大したことはないとアピールしたのだが、それでもハピコの魔法への興味は留まることはなかった。
「いやいや、十分凄いことじゃよ!わしの世界じゃとそんなことできる人間的などおらぬからの。それだけでマジシャンとして飯が食えるレベルじゃ!それでそれで!その魔法、わしにも使えるのかの!?」
「あなたの場合は別の魔法になるわね。使える魔法は職業と個人の属性によって変わって、あなたの職業の画家だと絵に関係するものになるわ」
「おお、絵に関する魔法!わしは漫画家じゃし画家などという高尚な職業なのはピンと来んのじゃけど、まあ細かいことはいいのじゃ。それで、どうすれば使えるのかの!?」
「今はまだ無理よ。まずは精霊と契約しないと。あなたのステータスによって契約すべき精霊の種類も変わってくるし、次の来訪時にまとめてあなたたち異世界人のステータスを調べる形にするわ。だから、それまで待って欲しいのだけれど」
「むぅ、魔法は早く使いたいのじゃけど……。こっちのことはアンナさんに従う方が良いじゃろうから、次のお楽しみにしておくのじゃ」
この世界に来て早々勝手な行動をした結果酷い目に遇いかけたことで、好奇心に忠実なハピコの心にも流石に自重の心が芽生えていた。
「それじゃ、そういうことで。次の機会に必ず来て欲しいってことが分かってもらえたのなら、今日は自由にしてもらって構わないわ」
「本当なのじゃ!?な、なら紙とペンを貸して貰えないかの?」
「え?ペンはあるし、紙ももう要らない資料で良ければあるけれど、何に使うの?」
「決まってるのじゃ。この異世界の物をスケッチしてネタとして持ち帰るのじゃ!」
ハピコは最近ピクリとも動かなかった筆を持つ手が久々に疼くのを感じていた。可能な限りこの異世界特有の風景や物品を描いてみたいと漫画家の本能が囁きかけてくるのだ。
アンナがこの世界の物は日本には持ち帰れないと説明しても、描けば手が覚えるから問題ないと自信を持って言い返した。
紙とペン、そして下敷きになりそうな薄い木の板を受け取ると、ハピコは再び猛スピードでギルドから飛び出したのであった。
ハピコはコルヴァの町を再度見て回った。これだけ大きな町に人が居ないことには理由があると分かったが、ハピコの現在の目標からすれば好都合でしかなかった。アンナの許可も得たことで、遠慮なく建物の中に入っては珍しい異世界の品々を絵に描いていった。
最終的には武器屋に入り浸り、本物の武器や防具に興奮しながら可能な限りそれらのスケッチに勤しみ――、気が付けば元の世界に戻ってしまっていた。
「ぬあっ!?もう、時間なのじゃ!?やはり半日じゃと全然足りないのじゃ!」
手からペンが消え、机が日本での自分の部屋の物にすり替わったことでタイムリミットを知るハピコ。
口惜しく思いながらも、唯一ポケットに残っていた異世界の身分証の存在に気付き、そこに書かれている文字を見て次第に口元をニヤつかせていった。
「またあの世界に行ける次の土日、今は金曜の12時じゃから、すぐなのじゃ!ひひっ、運がいいのう。いや、さっきまで描いていた分をわしの手が覚えておるうちに描き出しておきたいから、休む時間が無いのじゃ……?ふ、ふへへ……、これは久々に睡眠時間を削ることになりそうじゃの。よかろう、一時期は寝る間も無いほど売れとった漫画家の底意地、見せる時が来たのじゃ!」
ハピコの中に、異世界行きを見送るという選択肢は最初からない。可能であるなら土曜日になった瞬間に異世界に特攻する気満々だ。
モチベーション充分、久々のハードスケジュールに魂を燃え上がらせ、ハピコは気合を入れて再びペンを握ったのだった。