12.原ハピ子②
≪エイデアス 530/4/9(水) 9:18≫
トシシゲが去った翌日の朝、事務処理用の机にて、アンナはせっせととある物の作成に勤しんでいた。
「よし、できた!」
満足そうに手をグッと握りしめ、机の上の立て札を眺めるアンナ。
この立て札は、異世界からやってきた人間、身分証に倣えば『来訪者』とでも呼ぶべき彼らに対しての説明を書き記したものだ。ユウはベッドで例外だったが、リョウタとトシシゲはエントランスの同じ椅子に出現した。だから、その椅子のテーブルにこの説明書きされた立て札を置いておけば、異世界人とのやりとりもスムーズに行えるだろうと考えたのだ。
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いらっしゃいませ。
ここはあなたたち日本人の来訪者からすれば異世界となります。
突然このような場所に飛ばされて気が動転していることかと思いますが、まずは落ち着いてください。
日本へと帰ることは可能かつ簡単、そして、あなたがこの世界に居る間は日本の時間は停止しています。なので、あなたが日本で急を要する事態にあったとしても、慌てる必要はありません。
落ち着きましたら背後の異世界人受付カウンターの方で声を掛けていただき、服のポケット等にある見覚えのないカードを提出してください。
この転移現象はこちらが仕組んだものではなく、共にこの異世界との交流の謎を解き明かしたいと考えています。
何卒お互い平和的に対話できるよう望みます。
後、本当の本当にドッキリなんかではありません!
ギルドコルヴァ支部職員 アンナ・ガーネット より
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これならば、初来訪を迎えた人間が取り乱したとしても、アンナが黒幕だと疑われたりドッキリだと言って微塵も信じられないなんてことはない。
一仕事終え、立て札を配置する前に喉を潤そうとアンナはゆるりとコップを手に取る。
その時、エントランスの方から声がした。
「き、奇跡!わしの切なる願いが奇跡を起こしたのじゃ!ひゃっほー--!!」
完全に気を抜いていたタイミングで、自分しかいないと思っていた空間で大声が聞こえたものだから、アンナは驚きにビクンと体を跳ねさせた。それにより、手に持っていたコップの中の水も飛び散り、机の上を濡らして……。
「あああ、せっかく作った立て札がぁ!」
あるものをより合わせて1時間かけて作った謹製の立て札にも水が掛かってしまい、アンナは慌てて布巾で水気を取ろうとする。大声の主よりも、立て札に気を取られてしまったのだ。その一瞬の判断ミスが事態をややこしくさせてしまう。
「あっ、それよりも今の声、新しい来訪者だろうし応対を……」
ハッと気付きアンナは濡れた机もそのままにエントランスの方へ急いだが……。そこには人は居らず、開きっぱなしの出入り口のドアが、カラン、と寂しく音を鳴らすのみだった。
ハピコはギルドから飛び出した後、白いボブカットの髪を揺らしながら駆け足でコルヴァの街並みを見回っていた。
「すごいのじゃ、これぞわしが思い描く中世の異世界の街並み!所々荒れておるし、人も居らんくて寂れた感じじゃけど、それもまた雰囲気としてアリなのじゃ!それに、誰も居らんなら遠慮なく参考にさせてもらえるのじゃ!」
雰囲気からここが異世界であると断定し、感動を覚える。
そして、町の外へ続く門に辿り着き、その前で一度立ち止まってゴクリと唾を飲み込んだ。
「おお……。町をぐるりと囲む高い塀に、頑丈そうな鉄格子の門……。これは、流石に外に出るのはマズい奴かの?いや、じゃが……」
ハピコは鉄格子の隙間から町の外の様子を覗いてみる。外には草原、そしてその更に奥には森があり、草原部分には危険は見当たらなった。
「異世界定番の魔物でも居るなら引き下がるとこじゃったが、少なくとも森に入らなければ大丈夫そうじゃな。よし、わしの本能がゴーサインを出しておるから行ってみるのじゃ!」
好奇心のままに、門を出てどんどん町から離れていくハピコ。生い茂る草の中の微かな轍に沿って進み、やがて森の正面まで突き進んでいた。
「ふーむ。森ともなれば、魔物の一匹や二匹いてもおかしくないの。この先に進むのは危なそうじゃし、引き返すべきなんじゃろうけど、チラッとでも魔物の姿を拝んでみたいものじゃなあ……。ひっ!?な、なんじゃ!?」
ハピコは足を止めうんうん唸りながらもう少し踏み入るか引き返すかを思案する。が、すぐ側の木の上から、ガサガサっと音を立てながら何かが落ちてきて、ハピコは悲鳴を上げて身じろいだ。
木から落ちてきたのは人間だった。顔を半分布で覆い隠した男たち四人組がハピコを取り囲み、ジロっと睨みを利かせている。
「えーっと、第一村人……、いや、4人じゃから第四村人?は、初めましてなのじゃ……」
ただならぬ雰囲気を感じ取るも、ハピコは対話を試みる。もしかしたら、この顔を隠した怪しげな格好もこの世界では最先端のファッションなのかもしれない、そんな一縷の望みにかけて。
「何を訳の分からないことを言っている?それよりも、お前はコルヴァの町から出てきたが、何者だ?」
「リーダー、こいつ、この前の変な光と関係してるんじゃないっすか?計魂器がおかしくなった時の」
「そうかもしれんな。この町にはあの赤髪の女しか居ないはずなのに、急に現れるとは。とにかく、引き捕らえるぞ」
リーダーと呼ばれた男と手下の男がそんな会話をした後、ハピコは残りの二人に両腕を掴まれ身動きが取れなくなる。
「ぎょえー-!ま、待て、話せばわかるのじゃ!初手で変な輩に捕まるとか、こんな異世界ライフは嫌なのじゃー-!この後は奴隷商に売られる?それとも、あんなことやこんなことをされるのじゃ!?」
案の定話が通じなかったことで今後の展開を予想し必死に泣き叫ぶハピコ。
男たちはそんなハピコを見て、抵抗する力はないことを悟り、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。
「へっ、抵抗したって無駄だ。この後じっくりお前の体に聞いてやるから、その時まで体力を残しておくんだな」
「ひっ!?そっちのタイプなのじゃ!?わ、わしみたいな非モテのオタ女の痩せぎすの体じゃ、楽しめないぞよ!見逃しておくれ~!」
「本当に何言ってやがるんだ、この女は?楽しむとかそんなんじゃ……。へぶぇっ!!??」
ハピコに対して何やら言い返そうとしたリーダーの男。だが、言い切る前にドカッという派手な打撃音とともにその巨体は宙を舞っていた。
「な、何が起こった!?」
「何じゃ何じゃ!?」
他の覆面の男たち、そしてハピコまでもが驚愕に声を上げる。突然リーダーの男の体が宙に吹き飛び、地面に叩きつけられてピクリとも動かなくなったのだから仕方ない。
「おい、そこの白い髪の女!この顔を隠した怪しい奴らは全員悪者ってことでいいんだよな?」
そのよく響く声によって、リーダーに向けて逸らされていたこの場の全員の注意が、元々リーダーが立っていた場所に向く。そこには赤い髪の大柄の男――ジル・ガーネットが拳を構えて立っていた。
「はぇ……?」
ハピコは状況を理解してないながらも、首だけはコクコクと頷かせて肯定を示す。
「てめぇ、この女の仲間か!?こいつがどうなっても、うべしっ!」
「ぐぎゃあっ!!」
「止めっ、話せば分かるんばっ!!」
ジルの存在に他の覆面の男たちも気付き、慌ててハピコを人質に取ろうとしたが、彼らもまた、まともに言葉を発する間もなく次々とジルの渾身の殴打によって吹っ飛ばされていく。
覆面の男たちは皆見事に一撃で再起不能にされていた。それを確認したジルは、ハピコの前に立って口角を上げる。
「うし、あんたに怪我は無さそうだな。助けが間に合ってよかったぜ。てかあんたはこんなところで何してたんだ?」
「かっ……」
「か?」
「カッコいいのじゃあぁぁぁ!!助けてくれてありがとうなのじゃあぁぁ!」
ハピコは両手をパーっと上げて、感謝を叫ぶ。ただただ自分のピンチに駆けつけてくれた男の圧倒的な武勇に心を奪われており、ジルの疑問の声など耳に届いていなかった。
「お、おう。これくらい大したことじゃねえって。それより、あんたはこの辺の住人なのか?こいつらを衛兵に引き渡さないといけねえし、案内して欲しいんだが」
「ふぇ?あ、案内と言われても……。わしは日本、いや、この世界からしたら異世界の地から来たばっかりで、この辺の事どころかこの世界のことも全然分からないのじゃ」
「はあ?何だよ異世界って。実はこいつらに乱暴にされて頭でも打ってたのか?」
「ち、違うのじゃ!本当にわしは異世界人で……。ああ、じゃが、どう説明すれば分かってもらえるのじゃ?」
ハピコは自分が異世界人であることを証明する方法を思いつけず、あたふたとする。
しかし、その問題はすぐ解決することになる。
「ハァ、ハァ……。門が開いてたからまさかとは思ったけれど、こんな町外れの森にまで来てただなんて……。って、兄さん!?なんで居るの!?」
ギルドから飛び出したハピコを追い、アンナもまたこの場に現れたのだ。そして、アンナは異世界人らしき白髪の女性の他に、何故かもう一人、良く知る人物が居ることに驚きを隠せなかった。
「無事だったか、アンナ!なんでって、そんなの決まってるだろ!お前を助けるためだよ!」
「助けるためって……、何の情報も残せないまま連れていかれたのよ?どうしてここが分かったの?」
「エヴァンの奴がお前を乗せた馬車の車輪の後と竜馬の足跡から、大体の行き先と竜馬の種類を特定してくれたんだ。西の方の町をしらみ潰しにしてたら、その竜馬の馬車と出くわしてよ、乗ってた奴から話を聞き出したって訳よ」
「会長が……。あの人なら、確かに少しの痕跡からでも情報を逃さないでしょうね。はぁ、また会長に迷惑をかけてしまったわ」
アンナは何も情報を残せなかった時点で王都からの救援には期待していなかったが、エヴァンの名を聞いて納得した。これまでも勉強を教わって成績がぐんと伸びたり、魔魚に襲われそうになったのを助けてもらったり、その他諸々と世話になっていた。彼の有能さはアンナのよく知るところである。
「あいつはそんなこと気にしねえって。とにかくお前が無事で何よりだぜ」
「会長が気にしなくてもあたしが気にするのよ。まあ、兄さんも助けに来てくれてありがとう。あぁ、それと……」
アンナは、どういう訳か目を輝かせて自分たちを眺めている、背の高い女性に視線を向ける。
「そっちの異世界の人、この世界に来た途端に猛スピードで外に飛び出すだなんて、命知らず過ぎないかしら?」
「ふおぉぉぉ、兄もカッコよくて妹さんも美人なのじゃあ……。これが異世界クオリティ……」
「……聞こえてないわね。異世界の人ってなんでこんなに癖が強いのかしら?まあ、元気そうだしいいわ。この覆面の男たちのこととか色々気になることはあるけれど、そこら辺は一旦町に戻ってからにしましょう」
アンナは様子がおかしいハピコが落ち着くまでの時間稼ぎの意味も込めて、詳しいことは戻ってからが良いと判断したのだった。