9.松崎利重②
≪エイデアス 530/4/8(火) 16:39≫
エントランスの人の気配に気付いたアンナは、リョウタと同じ椅子に現れた白髪交じりの中年の男性を笑顔で丁寧に迎え入れた。
いきなり睨まれ立ち去られそうになったのは想定外だったが、なんとかここが異世界であると説明できた。
「異世界?本当にここは異世界なのか!?」
「はい、信じられないかもしれませんが、このギルドには異世界の日本という場所から人を呼び寄せる力があるみたいなんです。それで、ポケットかどこかに見覚えのないカードが入っていたりしませんか?」
「カードだと?ふむ、これか。私はこんなものを所有していたことはない。私の名前などが書いてあるが、これがこの世界での重要な物品ということなのか?」
男はポケットから取り出した身分証を見やった後、アンナに差し出した。アンナは突如物分かりが良くなった男を一瞬訝しむも、話が早いに越したことはないと割り切って素直に身分証を受け取る。
「トシシゲ・マツザキさんですね。おっしゃる通り、このカード、こちらでは身分証と呼ばれているもので、職業資格の証明や依頼の受注に至るまで、世界のどこであってもこれ一つでできるようになっています。本来は15歳の時に教会から発行されるものなんですが、日本から来た皆さんは何故か最初からこれだけは持っているんですよ」
「ほう、それは便利そうだな。それで、私の職業は確か、大冒険者と書いてあったな」
「だ、大冒険者!?」
まだ職業欄に目を通していなかったアンナは、トシシゲの言葉に驚愕した。急いで確認すると、確かに職業欄には大冒険者と記されていた。
「なんだ、すごい職業なのか?」
「すごいってレベルじゃないですよ!大冒険者は冒険者の最高ランクで、どんな高レベルの依頼でも受注できるんです。冒険のことを知り尽くし、リーダーとしてパーティの要にもなる存在です。そうそうお目にかかれるものではないのですが、トシシゲさん、一体何者ですか……?」
「ふむ、なるほどな……」
トシシゲは、アンナのオーバーな演技に感服しながらも、ピンと来ていた。これは、異世界の物語でよくある『チート発覚イベント』という奴だろうと。物語として読んでいるときは下らないと馬鹿にしていたものの、確かにこうして自分がすごい人物だと持ち上げられると気分が良い、と若者文化への理解を深めた。
「子供の頃は私もよく野山を駆け巡って冒険したものだ。あの頃の経験を思うと大冒険者というのもあながち間違いではない」
「えぇ……?駆け巡るだけで大冒険者になれるって、日本の野山はどんな魔境なんですか?」
「ふむ、アドリブ力も中々。それよりも、ここでは何ができる?依頼とやらを受けてダンジョンにでも挑戦するのか?」
ちょっとした呟きにも対応するアンナのアドリブ力にトシシゲは感心しつつ、少しずつ昂ってきた気持ちのままに話を進めようとした。だが言った後に、今のはしまった、と思った。
「えっと……。正式な依頼の受注というのは、まだ展開できて居ない状況でして」
トシシゲの目には、アンナのその様子は困ったことを聞かれてアドリブで何とかしようとしているように見えた。こんな喫茶店でダンジョン部分など設営されているはずがないのに、役に酔いしれて、ついダンジョンなどと言ってしまったことを後悔する。
当のアンナはトシシゲが余りに乗り気すぎて困惑しているだけなのだが。
「いや、すまない。異世界や冒険という心躍る言葉につい興奮してしまった」
「なるほど、もっと異世界感を味わいたいということなら、外に出てみるのもいいと思いますが」
「何、外だと?出てしまってもいいのか?」
「ええ、まあ」
外に出れば日本の街並みが広がっているだけで異世界感を壊してしまうのではないかと思ったが、トシシゲは店の外装によほど自信があるのだろうと解釈した。
アンナの言葉に従い、トシシゲは扉を開けて外に出る。そして、そこに広がるレンガ造りの家々が立ち並び石畳が伸び行く光景に、目を見開き唖然とするのだった。
(なんだここは!?他の建物まで異世界風ではないか!)
「どうでしょうか?私は日本の景色を見たことが無いので、これがどれほど異世界感がある光景か分かりませんが」
「あ、いや、ははは……」
トシシゲは余りに作り込まれた世界観と、本当に日本を知らなそうなアンナの言葉に、ただ言葉を失わされた。
そして、その明晰な頭脳でもって、この状況に説明を付けようとする。
(なるほど、分かったぞ。異世界コンセプトの喫茶店などではなく、異世界がテーマのテーマパークに連れて来られたのだ。そのようなテーマパークが建設されているなど聞いたことが無いが、秘密裏に計画が進められたのであろうな。そうであるならば、これは商機。ここの土産品に我が社の菓子を採用させることができれば、会社の更なる発展も望めるだろう。相手方もそれを狙って私にこのサプライズを仕掛けたのだろうし、手っ取り早く話が進められそうだ)
残念ながら、明晰な頭脳を持っていても、本当の異世界であるという前提を受け入れられていない時点で的外れな方へ思考してしまうのだが。
「……よし、遊びはここまでだ。ここからはビジネスの話をしよう。責任者呼んできなさい」
「え?責任者と言われましても、ここには私しか居ませんが」
「いやいや、もうサプライズは十分だ。ここは異世界モチーフのテーマパークなのだろう?恐らくオープン前の。私を貸し切りで先行体験させてまで我が社と手を組みたいというその熱意はしかと伝わったよ」
思惑は分かりきっていると言わんばかりのキラリと光るしたり顔をアンナに向けるトシシゲ。
ここでようやく認識が嚙み合っていないことに気付いたアンナが、すかさず詰め寄った。
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!もしかして、ここが異世界だっていうのまだ信じてないんですか!?」
「ははは、作り込まれてはいるが、そんなの信じるわけがないだろう。野暮だと思って突っ込まなかったが、そもそも異世界だというならどうして君とこうして日本語で会話できているのだ?それに、この身分証とやらに書かれているのも思いっきり日本語だ」
トシシゲは再度身分証を取り出し、勝ち誇ったようにアンナに見せる。
「そ、それは確かに変……。けれど、この言葉はこっちの世界の共通語なんですから仕方ないでしょう!」
「日本語が共通語、か。随分と荒い設定だな。そこはもう少し見直した方が良いんじゃないのか?」
「あーもう!どうして信じてくれないの!あっ、裏側!身分証の裏側を見ればあなたを信じさせることができるわ!」
「ほう、まだ楽しませてくれる何かがあるのか。ならば、最後まで付き合おうじゃないか」
上手くいかないことに癇癪を起し、受付嬢らしく振舞おうとした努力も空しくアンナはとうとう素の口調に戻ってしまった。だが、それと同時にトシシゲが眺めている身分証の裏側が目に入ったことで、打開策を思い付く。
トシシゲは、次は何を見せてくれるのかとワクワクしながら、身分証の裏を表に向ける。
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エイデアス 530/4/8(火) 16:43
日本 2020/7/9(木)19:30
(初回来訪者が滞在中のため停止中)
滞在可能時間 11:47 【即時帰還】
※土・日曜日(日本時間)毎に再来訪可能
※即時帰還した場合、次の土・日曜日まで再来訪不可
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「うむ……?これは、時間?それも、変動している。こんな薄いプラスチック質のカードで、どういう原理で動いている?」
トシシゲは、最初は安っぽいと思っていた身分証なるカードが、思ったよりもハイテクな作りになっていることに興味を示した。だが、このカードの原理などアンナにも分かるはずがなく、強引に話を進める。
「原理なんてどうでもいいのよ。それよりも、この日本の時間を見て。止まってるでしょう?」
「ああ、確かに私の意識がなくなる直前の時間で止まっているようだ。だが、そんなの演出でこう書くことくらい容易いだろう」
「で!こっちの即時帰還の文字!これに触れればあなたがこっちに来る前と全く同じ時間に帰るはず、多分!それならおかしなことが起きてるって分かるでしょう!」
「な、何か自棄になってないか?あ、即時帰還という文字に触れればこのサプライズも終わるということか、分かった分かった……」
アンナの勢いに押されたトシシゲは仕方なしに即時帰還の文字に触れた。
「あっ、ちょっと待――」
頭に血が上っていたことに気付き、アンナはトシシゲを止めようとする。しかし、時は既に遅く、トシシゲは光に包まれた後その場から姿を消した。
「あぁぁ!こっちの事情とか全然説明できてない!また来れるかもしれないことも!頭の固い変な人だったけれど悪い人じゃなさそうだし、貴重な労働力なのに!」
半ば追い出すような物言いでトシシゲを元の世界に帰らせてしまった。彼はもうこの世界に来ないかもしれない。少しでも多くの助けが居る現状において、この失敗は手痛い。途端に押し寄せる後悔の念によって、アンナは頭を抱えて頽れたのだった。
一方、即時帰還したトシシゲは。
「うお!?なっ、えっ?」
一瞬眩暈のような感覚がした後、周囲の景色が一変したことに衝撃を受けていた。いや、一変したというより、異変が起こる前に戻っただけなのだが。
違う点と言えば、隣に座っていたはずの緑髪の女の姿が無いことと、手に例の身分証があること。トシシゲは戸惑う頭でなんとか身分証の裏側に目を走らせる。
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エイデアス 530/4/8(火曜日) 16:46
日本 2020/7/9(木曜日) 19:31
※土・日曜日(日本時間)毎に再来訪可能
※即時帰還した場合、次の土・日曜日まで再来訪不可
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(日本時間が進んでいる……。いや、あの体験量に対して、あまりにも進んでなさすぎる。そもそも少なくとも一度は日が昇っているはずなのだ。だのに、日付が変わっていないとは、まさか……)
トシシゲは最終確認の為に、いつの間にかポケットに戻っていた携帯電話で本当に身分証の時間が合っているのかを見る。そして、そこにも全く同じ日付と時刻が表示されているのを確認して、目を閉じる。ようやく理解したのだ、自分が超常現象に見舞われたことを。
(なんと愚かなことをしたのだ。ドッキリだのなんだの言って頑なに信じず、必死に説明しようとするあのアンナという子に非常に迷惑をかけてしまった。最後のあの子の豹変っぷりは、恐らく呆れられたのであろうな。人の上に立つものとして、いや、一大人として何たる失態を……)
問題しかない自身の行動に自責の念を覚えたトシシゲは、奇しくもアンナと同時に頭を抱えて後悔していた。
(せめてもう一度会って謝罪を……。しかし、異世界などどうやって行けばいいのだ?この身分証には土・日曜日に再来訪可能とあるが、信じて待てば良いのか?私の態度の酷さに出禁にされていなければ良いのだが)
トシシゲは頼みの綱である身分証をギっと握りしめる。そこには、アンナに対する謝罪だけでなく、異世界への好奇心も含まれていた。
未知に対する好奇心、それがトシシゲが大冒険者たる所以なのだ。